このページを開いてくださったあなたに、まず一つだけ伝えたい言葉があります。

NO MUSIC, NO OISHI ——音楽がなければ、今の私はいない

大げさに聞こえるかもしれません。でも、これは私にとって、まぎれもない本音です。

朝、仕事に向かう車の中で。夜、一日を終えて家に帰る道で。介護の現場で気持ちが張りつめたときも、不動産の商談で頭がいっぱいのときも、私のそばにはいつも音楽がありました。落ち込んだ日に背中を押してくれたのも、うれしい日にその喜びを何倍にもしてくれたのも、音楽でした。

私という人間は、これまで聴いてきた曲でできています。だから、はっきりと言えます。NO MUSIC, NO OISHI。音楽がなければ、今ここにいる私はいません。

一.音楽を聴くのが、たまらなく好きだ

私は、音楽を聴くのが本当に好きです。趣味というより、もう体の一部のようなものです。

イントロの最初の一音で、背筋がすっと伸びる瞬間。曲が静かに始まって、少しずつ熱を帯びていく展開。そしてサビで感情が一気に解き放たれ、胸の奥がぐっと熱くなるあの瞬間。あれを味わうために生きていると言っても、言い過ぎではない気がします。

同じ曲でも、聴くたびに違って聞こえます。疲れているときに沁みる一節があり、元気なときに弾む一節がある。その日の自分の心を映す鏡のように、音楽は毎回、違う顔を見せてくれます。何百回聴いた曲でも、ある日ふと、今まで気づかなかったベースの動きや、コーラスの一言に胸を打たれる。この「終わりのない発見」こそ、音楽を聴くことの尽きせぬ喜びだと思っています。

二.MVを見るのが、また格別に好きだ

音として聴くだけでなく、MV(ミュージックビデオ)を見るのも、たまらなく好きです。

映像と音楽がひとつに溶け合ったとき、曲は「聴くもの」から「体験するもの」へと変わります。歌詞の世界が目の前に広がり、アーティストの表情や、色彩や、光の使い方が、曲の意味をさらに深く教えてくれる。何度も見返すたびに、背景に映り込んだ小さな仕掛けや、一瞬の表情の変化に気づいて、はっとさせられます。

たった数分の映像の中に、どれほどの人の手と時間と情熱が注ぎ込まれているか。監督、カメラマン、ダンサー、美術、編集——名前がクレジットに流れていく一人ひとりが、この数分のために本気を出している。そう思うと、一本のMVがまるで壮大な作品のように見えてきて、頭が下がります。

三.歌手・作曲家・作詞家への、心からのリスペクト

そして何より私が伝えたいのは、その一曲を生み出してくれた方々への、深い敬意です。

歌手。その声で、言葉に命を吹き込む人。同じ歌詞でも、誰が歌うかで、まったく別のものになる。声の震え、息づかい、ほんの一瞬の間の取り方に、その人の生き方そのものがにじみます。

作曲家。何もないところから、メロディを生み出す人。ふと口ずさんでしまう旋律、一度聴いたら忘れられない一節。あの数十秒のために、どれだけの試行錯誤があったのかと想像すると、その営みの尊さに胸が熱くなります。

作詞家。たった数十行の言葉に、人の心の機微を閉じ込める人。私が何年も言葉にできなかった気持ちを、たった一行で言い当ててくれることがあります。その言葉に、どれだけ救われてきたことか。

名前も知らない誰かが、人生をかけて作り上げた作品。それが時代を越え、場所を越えて、この磐田で暮らす私の心を、今日も動かしている。これほど尊く、ありがたいことはありません。私が音楽について何かを書くとしても、その根っこにあるのは、いつだって作り手の方々への感謝と敬意です。

四.YouTubeへの、深い感謝

その素晴らしい音楽と、いつでも出会わせてくれるYouTubeにも、心から感謝しています。

かつては、聴きたい一曲になかなか手が届きませんでした。忘れかけていたあの曲、名前も分からないまま記憶の隅に残っていた曲、まだ出会っていなかった無数の名曲たち。それらすべてへの扉を、YouTubeは開いてくれました。

昔、東京で聴いていた曲を、今こうして磐田で聴き直せるのも、世界中の音楽が指先ひとつで手に入るこの場所があるからです。この環境がなければ、ATAWI MUSICというサイトは生まれませんでした。音楽を愛する一人として、この時代に生きていることを、素直にありがたいと思っています。

五.ATAWI MUSICという場所

ATAWI MUSICは、そうした「曲」と「記憶」の接点を残していくサイトです。

音楽は、過去をただ懐かしむためだけのものではありません。ある曲を聴くことで、昔の自分がなぜあの選択をしたのか、そして今、なぜこの仕事を大切にしているのかが、ふいに見えてくることがあります。音楽は、過ぎた日を照らすだけでなく、今の自分を映し出してくれる光なのです。

東京で働いていた頃によく聴いていた曲を、今の磐田で聴き直す。すると、当時は気づかなかった仕事観の変化や、暮らし方の移り変わりが、静かに浮かび上がってきます。その一つひとつを、ここに書き留めています。

六.音楽と、家・土地の記憶

家や土地にも、音楽と同じように、そこにいた人の時間が残ります。

ある曲を聴くと、ふっと戻ってくる街並みがあります。仕事帰りの夕暮れ、家族と過ごした食卓、なんでもない暮らしの時間。音楽が呼び起こすその感覚は、地域に残る一軒の家、一区画の土地に刻まれた記憶と、どこか深いところでつながっています。

誰かが暮らし、笑い、悩み、生きてきた場所。その時間の重なりを大切に思う気持ちは、音楽を聴くときの気持ちと、私の中では地続きなのです。

本業について

本業では、富士ヶ丘サービス株式会社の代表を務めています。磐田市周辺で、家・土地・空き家、そして地域にまつわるさまざまな相談を受けています。介護と不動産、その両方の現場に立ちながら、人の暮らしと、その暮らしが残していく記憶に、これからも向き合っていきます。

音楽を愛する一人の人間として、街の記憶を書き残す一人の住人として——どうぞよろしくお願いいたします。