大学受験に失敗して、予想していた通りではあったのですが、浪人時代を大阪で過ごすことになりました。地元の磐田を離れ、知り合いもほとんどいない土地で、朝から晩まで予備校と下宿を往復するだけの日々。あの1年間の記憶は、正直なところ楽しいものばかりではありません。それでも、あの街のどこかで初めて耳にした「あした」という曲だけは、今でも輪郭がはっきりしたまま残っています。予備校の行き帰りだったのか、下宿先のラジオだったのか、きっかけそのものはもう思い出せなくなってしまいました。ただ、テクノともエレクトロともつかない打ち込みのビートに、どこか浮遊するような、キュートな歌声が乗っている感じだけは、はっきりと覚えています。イケイケのビートと、その声との間にある小さな違和感のようなものが、当時の自分には妙に新鮮に聴こえたのだと思います。それまで聴いてきた歌謡曲やロックとは、明らかに手触りが違いました。先の見えない浪人生活のただ中で、「あした」という言葉の響きが、妙に心に染み込んできました。失敗した直後の人間にとって、明日という言葉は希望でもあり、同時に不安の予告でもあります。この曲は、そのどちらの感情も否定せずに、そっと横に置いてくれる曲でした。今こうして磐田で家族と暮らしながら振り返ると、あの数か月の記憶がなぜこれほど鮮明に残っているのか、自分でも不思議に思うことがあります。曲を聴くこと自体は、日常のごくささやかな行為に過ぎません。それでも、ある特定の時期に、特定の場所で出会った曲というのは、その後どれだけ時間が経っても、当時の空気ごと自分の中に保存されてしまうもののようです。「あした」もまた、そうした形で自分の記憶に刻み込まれた1曲でした。
金曜日発売という、異例のデビュー
「あした」は、1998年7月17日にポニーキャニオンから発売された、aikoのメジャーデビューシングルです[1][2]。CDの多くが発売される水曜日ではなく、オリコンチャートの集計上は不利になるはずの金曜日発売だったといいます。当時のポニーキャニオンの定期新譜が毎月第三金曜日に組まれていたことが理由とされ、加えてスポット契約であったことも、この特殊なリリース形態につながったようです[1]。デビューという、本来なら最も条件を整えて送り出したい第一歩に、あえて不利な条件を背負わせてしまうところに、当時のレーベルとアーティストの関係性の一端が透けて見えるように思います。作曲・編曲を手がけたのは小森田実(現・コモリタミノル)で、aikoの楽曲の中でも本人以外が作曲を担当した、数少ない例として知られています[1][2]。打ち込みのダンスビートに、どこかダークな響きのメロディが重なる作りで、彼女特有の歌唱の伸びやかさは、この時点ですでにはっきりと表れていたと評されています[3]。シングルにはカップリングとして、aiko自身が作曲した「I'm feeling blue」と、「あした」のインストゥルメンタルが収録されており、デビューシングルの中に、すでに外部作家との共作と本人作曲という、その後のキャリアで繰り返されることになる2つの軸が同居していたことになります。
タイアップとしては、東映系映画『新生トイレの花子さん』の主題歌、そしてYTV系『新橋ミュージックホール』のエンディングテーマとして使われました[1][2]。オリコン週間チャートでは89位という記録が残っており、決して華々しいスタートではなかったようです[1]。ただ、2007年3月に再発された盤では週間16位まで上がったとされ[1]、後から振り返って評価が積み上がっていった曲であることがうかがえます。デビュー当時にはさほど大きな反響を得られなかった曲が、キャリアを重ねた後の再発によって、より高い順位で迎え入れられる。これは、聴き手の側の耳が、後から曲に追いついていったということなのかもしれません。異例づくしのデビューでありながら、この曲が長く続くキャリアの第一歩になったことを思うと、始まりというものの持つ不思議な巡り合わせを感じずにはいられません。
違和感を抱えたまま鳴り続ける曲
「あした」を改めて聴き直すと、外部の作曲家が手がけたことによる、独特のよそよそしさのようなものが、むしろこの曲の魅力になっているように聴こえます。テクノ寄りのビートの上を、aikoの声だけが少し浮いたように歌っている感覚。それは、他の誰の曲でもない、彼女自身の曲の中でもどこか異質な位置に置かれた1曲です[3]。本人がこの曲をライブでほとんど歌わなかった時期が長く、2008年の公演で久しぶりにフルコーラスで披露されて以降、少しずつ他の曲と同じように扱われるようになっていったとも言われています[3]。ある曲が作り手自身にとってさえ、しばらく距離のある存在だったという事実は、聴き手である自分にとっても、どこか納得できるものがあります。あの浪人時代の自分にとっても、「あした」という曲は、まだ自分のものとして受け止めきれていない、少し先にある言葉だったからです。距離のあるものが、時間をかけて少しずつ自分の一部になっていく過程は、曲にも人にも、同じように起こりうることなのだと思います。当時のaikoにとって、この曲がどれほど自分の作品として実感を持てていたのかは、想像するしかありません。ただ、外部の作家から差し出された曲を歌い、それを世に送り出すという経験自体が、その後の本人作曲の楽曲群を際立たせる、ひとつの対照点になったこともまた確かなように思います。
浪人生活というのは、社会的にはまだ何者でもない、宙ぶらりんの時間です。同級生たちが大学生としての生活を始めている一方で、自分だけがまだ机に向かっている。あの疎外感と焦りは、経験した人間にしか分からないものだと思います。それでも、あの1年間が大阪という土地で過ぎていったからこそ、そこで出会った音楽の記憶が、今でも特別なものとして残っているのかもしれません。予備校の窓から見えた見慣れない街並みや、下宿の部屋の狭さ、夜になると急に静かになる周囲の気配。そうした断片的な記憶と、「あした」のビートは、自分の中で分かちがたく結びついています。予備校の自習室で、周りの受験生たちが黙々と問題集に向かう中、自分だけが窓の外をぼんやり見ていた時間もありました。あの静けさと、頭の中で鳴っていた「あした」のイントロは、今でもセットになって思い出されます。
東京での日々と、あの曲の記憶
浪人を終えた後、進学のために東京で暮らした時期がありました。地元の磐田とも、浪人時代の大阪とも違う、また別の宙ぶらりんさを抱えた時間だったように思います。ふとした瞬間に「あした」のイントロが頭の中で鳴ることがあり、そのたびに、大阪で過ごしたあの1年間のことを思い出しました。曲そのものは変わらないのに、それを聴く自分の場所や立場が変わっていくと、曲の聴こえ方も少しずつ変わっていく。東京で聴く「あした」は、大阪で聴いていたときとは違う響き方をしていた気がします。あの頃はまだ、自分がどこに落ち着くのかも分からないまま、目の前のことに追われていました。
東京での生活は、大阪の浪人時代とは違う種類の忙しさに満ちていました。慣れない土地で一人暮らしを始め、学業や生活の細々としたことに追われる中で、ふと立ち止まって音楽を聴く時間は、むしろ貴重なものになっていったように思います。「あした」を聴くと、そこにはいつも大阪での記憶が重なっていて、今いる東京という場所と、過ぎ去った大阪という場所の両方が、同時に自分の中に存在しているような感覚になりました。ひとつの曲が、複数の土地の記憶を橋渡ししてくれる。そういう聴き方を、あの頃初めて経験したのだと思います。今振り返ると、あの東京での日々もまた、いずれ磐田に戻って家や土地の仕事に関わることになるとは、当時の自分には想像もつかないことでした。東京にいる間、実家のある磐田のことを思い出す機会は、意外と少なかったように思います。目の前の生活に追われていると、生まれ育った土地のことは、どうしても遠くなってしまうものなのかもしれません。それでも、「あした」を聴くたびに、大阪、東京、そして磐田という、自分が通ってきた土地の記憶が、順番に重なって立ち上がってくるような感覚がありました。1曲の中に、複数の時間と場所が折り重なっている。今思えば、それはとても贅沢な聴き方だったのだと思います。
磐田で振り返る、あの浪人時代
50代になった今、あの浪人時代を振り返ると、決して無駄な時間ではなかったと思えるようになりました。むしろ、あの1年間で身についた忍耐や、失敗と向き合う姿勢が、その後の人生の土台になっている部分も多くあります。磐田で家や土地の相談を受けていると、人生が思い通りに進まない時期を過ごしている方々に、よく出会います。相続や空き家の相談で訪れる家には、それぞれの家族が積み重ねてきた時間の跡があり、うまくいかなかった時期のことを話される方も少なくありません。そのたびに、あの浪人時代の記憶と、この曲のことを思い出します。デビューという新しい出発点にあって、金曜日発売という不利な条件を背負いながらも世に出た1曲があったこと。そのことを知ってから、この曲の聴こえ方が少し変わったように思います。条件が整わないままでも、始めてしまわなければならないときがある。それは、家や土地の仕事をしていても、しばしば感じることです。
「あした」は、失敗の直後に聞いたからこそ、今でも自分の中で特別な位置を占め続けている曲です。予想通りの結果であっても、その先に続く明日を、この曲は静かに肯定してくれていたのだと、今になって思います。家族と暮らす今の磐田の家から、あの頃の大阪の空気を思い出すとき、いつもこの曲のビートがどこかで鳴っている気がします。土地に根を張って生きるということと、あの浪人時代のように根を張れずにいた時期があったということは、どちらも今の自分を形づくっている記憶として、同じ重みで残っています。仕事で出会う家族の歴史を聞くとき、うまくいった時期の話よりも、うまくいかなかった時期の話の方が、なぜか印象に残ることが多くあります。人がどんな時期を経て今の場所にたどり着いたのかを知ることは、家や土地という、動かしがたいものを扱う仕事において、思っている以上に大切な視点なのかもしれません。あの浪人時代の、何者でもなかった自分の記憶があるからこそ、そうした話に静かに耳を傾けられるようになったのだと思います。「あした」という曲は、今の自分にとって、単なる懐かしい音楽というだけではなく、失敗や停滞といった時期を、それとして受け止めるための、ひとつの手がかりのようなものになっています。