1999年の終わり、自分はまだ東京で働いていて、家業のことも、いずれ磐田へ戻ることも、はっきりとは決めていませんでした。会社では後輩の面倒を見る立場になりつつあり、部署の中では「頼れる先輩」という顔をしていたと思います。けれど実際のところは、家業を継ぐべきか、このまま東京で会社員を続けるべきか、誰にも相談できずに一人で抱え込んでいました。休日に磐田へ帰省すると、両親は特に何も言いませんでしたが、家や土地の話が出るたびに、自分の中で答えを先延ばしにしている後ろめたさがありました。東京では平気な顔をして、磐田では平気な顔をして、結局どちらの場所でも本音を口にできずにいたのだと思います。そんな時期に、街のどこかで「カブトムシ」が流れているのを何度も耳にしました。当時は曲名も知らず、ただ「強そうな響きのタイトルなのに、妙に切ないメロディーだ」という印象だけが残っていました。後になってこの曲がaikoの「カブトムシ」だと知り、あらためて聴き直したとき、あの頃の自分の姿がそのまま歌詞のモチーフに重なっているような気がしたのを覚えています。表向きは平静を装いながら、実は進路も定まらず揺れていた、あの東京の日々です。今思えば、当時の自分は、磐田という土地から離れたことで、かえって家業や土地の重みを強く意識するようになっていたのだと思います。離れているからこそ見える距離感というものがあり、その距離が、決断を先延ばしにする言い訳にもなっていました。強い虫であるはずのカブトムシが、実は甲羅一枚剥がせば脆いという発想を初めて知ったとき、自分の中にあったその後ろめたさに、名前が与えられたような感覚がありました。誰にも打ち明けられなかった迷いを、一つの曲がそっと言葉にしてくれた。そういう出会い方をした音楽は、時間が経ってもなお、特別な位置に残り続けるものなのかもしれません。
カップリング予定から、表題曲への昇格
「カブトムシ」は1999年11月17日にポニーキャニオンからリリースされた、aikoのメジャー4作目のシングルです[1]。もともとはカップリング曲として制作されていたものの、プロデューサーの助言によって表題曲に昇格したという経緯が伝えられています[1]。もし当初の予定通りに進んでいたら、この曲は日の目を見なかったかもしれません。誰かの判断ひとつが、後に長く歌い継がれる一曲を表舞台に押し出したという事実には、創作の現場に潜む巡り合わせの面白さを感じます。作り手自身が、その曲の価値を正しく見積もれるとは限らない。そのことは、音楽に限らず、自分たちの仕事にも通じるところがあるように思います。表に出すべきものと、控えに回すべきものの判断は、当事者よりも、少し離れた場所にいる誰かのほうが、案外正確に見極められるのかもしれません。家業を継ぐかどうかという判断も、実のところ、自分一人で抱え込んで決められることではなかったのだと、今になって思います。周囲の助言や、家族のさりげない一言があったからこそ、進む方向が定まっていった部分は少なくありません。
制作の経緯としては、当時ラジオのDJを担当していたaikoが、生放送終了直後、そのままのテンションで自宅で書き上げた曲だとされています[1]。生放送という、気を張り続けなければならない時間を終えた直後に生まれた曲だと考えると、あの前のめりな高揚感と、どこか一人になった瞬間の静けさが同居しているように聴こえるのも、うなずける気がします。オリコンの週間チャートでは最高8位を記録したと伝えられており[1]、当時としては大ヒットとまでは言えない滑り出しだったようです。ただ、この曲の本当の強さは、瞬間的な数字よりも、長い年月をかけて証明されていくことになります。発売当時の順位だけを見れば、数あるヒット曲の中の一つに過ぎなかったかもしれません。それでも、時間をかけて多くの人の記憶に残り続けたという事実こそが、この曲の本当の評価なのだと思います。
甲羅の内側にある、揺れる自分
aikoは、カブトムシという昆虫を「見た目は強そうだが、甲羅を一枚剥がすだけで柔らかくなり、実は脆く寂しい虫ではないか」と捉え、自分を守るために虚勢を張りながら恋をする自分の姿を、そこに重ねて歌ったと語っています。この見立てが秀逸なのは、強さの象徴とされる昆虫の内側にこそ、繊細さを潜ませているところだと思います。メロディーも、サビに向かって前のめりに加速していくように聴こえる一方で、間の取り方にはどこか呼吸を整えるような余白があり、勢いと不安定さが同居しているように感じられます。強がる者ほど、実は一番不安を抱えているという逆説を、音の作りそのものが体現しているように聴こえるのです。
歌声の抑揚にも、その二面性が表れているように感じます。押し出すように歌う瞬間があるかと思えば、ふっと力が抜けたように囁くような部分もあり、聴いていると、まるで人前で虚勢を張った直後に、一人になった途端に本音が漏れてしまうような、そんな心の動きを追体験しているような気持ちになります。恋愛の高揚感を歌いながらも、根底には孤独感が流れている。この温度差こそが、単なるラブソングとは一線を画す、この曲の奥行きなのだと思います。テンポの良さに引っ張られて聴き流してしまいそうになる瞬間も、歌詞の断片を意識して聴き直すと、途端に印象が変わります。強がりの言葉の隙間に、ふと弱さがにじみ出る瞬間があり、その落差が、この曲を単なる季節ソングでは終わらせない厚みを与えているように感じられます。
東京で「頼れる先輩」を演じていた自分にとって、この曲の持つ二面性は他人事ではありませんでした。後輩の相談に乗りながら、自分自身の進路には答えを出せずにいる。会社では平然としたふりをしながら、家に帰れば、家業や土地、親のことを考えて眠れない夜もありました。甲羅というのは、案外そういう小さな虚勢の積み重ねでできているのかもしれません。当時付き合っていた相手にも、本当は不安だという気持ちを、うまく言葉にできませんでした。強く見せることが、相手を安心させることだと思い込んでいた節があります。今振り返れば、あれは相手のためというより、自分自身の心もとなさを見られたくなかっただけなのだと思います。会社の同期にも、家業を継ぐかもしれないという話は、なかなか切り出せませんでした。東京でキャリアを積んでいく同期たちの中で、自分だけが違う道を選ぶかもしれないということが、どこか引け目のように感じられていたからです。今にして思えば、その引け目自体が、すでに答えの見えていた迷いだったのかもしれません。
ストリーミング時代に見つかり直した曲
「カブトムシ」は、公開から時間が経った後もなお、聴かれ続けている曲です。2020年にYouTubeでミュージックビデオが公開され、ストリーミング配信が始まると、ビルボードジャパンのHot100で順位を伸ばしたと報じられています[1]。発売から20年以上を経て、あらためて聴き直されるという現象は、この曲が特定の世代だけのものではなく、聴き手それぞれの「虚勢を張っていた時期」に静かに寄り添い続けてきた証のようにも思えます。発売当時にリアルタイムで聴いていた世代と、ストリーミングで初めて出会った若い世代が、同じ一曲をめぐって別々の記憶を重ねている。そのこと自体が、この曲の懐の深さを物語っているように感じます。
カラオケでも根強く歌われている曲として名前が挙がることが多く[2]、シングルとしての人気投票でも常に上位に位置づけられているようです[2]。世代を超えて口ずさまれる理由は、恋愛の高揚感だけでなく、その裏にある不安まで丁寧にすくい取った歌詞と旋律にあるのだと思います。強がりだけを歌った曲であれば、ここまで長く支持されることはなかったはずです。強がりの奥にある弱さまで正直に差し出したからこそ、聴き手は自分自身の甲羅を思い出し、そこに共感してきたのではないでしょうか。発売から四半世紀近くが経った今も、この曲がカラオケの定番として選ばれ続けているという事実は、恋愛の記憶が薄れても、強がりと脆さのあいだで揺れた経験そのものは、人の中にずっと残り続けるということを示しているようにも思えます。
磐田に戻り、土地を継ぐということ
結局、自分は東京を離れて磐田に戻り、家業と土地を継ぐ道を選びました。決断に至るまで、実際には何年もかかっています。誰かに強く背中を押されたわけではなく、少しずつ、自分の中で言い訳が尽きていったというのが正直なところです。今、家や土地の相談を受ける仕事をしていると、気丈に振る舞いながらも、内心では大きな不安を抱えている方によく出会います。相続や空き家の相談に来られる方の甲羅の内側には、たいてい戸惑いや寂しさが隠れています。かつての自分がそうだったように、平気なふりをしながら、実は誰かに背中を押してほしいだけなのかもしれません。家族との関係も、土地を継ぐと決めてからのほうが、かえって素直に話せるようになった気がします。虚勢を張るのをやめて、分からないことは分からないと親に言えるようになったのも、この土地に腰を据えてからのことでした。土地というのは不思議なもので、そこに根を下ろすと決めた瞬間から、それまで見えていなかった景色が急に見えるようになります。田んぼの広がり方や、季節ごとの風の匂い、近所の人たちとの何気ないやり取り。東京にいた頃には気にも留めなかったものが、今はかけがえのない日常になっています。あの東京の日々を否定するつもりはありません。ただ、甲羅を脱いで生きていく場所として、この磐田の土地を選んだことだけは、今も確かな実感として残っています。
「カブトムシ」を聴くと、あの頃、進路を決めきれずに東京の街を歩いていた自分と、そこから磐田の土地に根を下ろした今の自分が、一本の線でつながっているように感じます。強そうな名前を持つ虫が、実は誰よりも脆い生きものだったという発想の転換は、家業を継ぐという決断の裏側にあった迷いを、今もそっと言い当ててくれているようです。甲羅を脱いだところで、弱さが消えるわけではありません。それでも、脆さを隠さずに土地と家族に向き合えるようになった今のほうが、東京で虚勢を張っていた頃より、ずっと自分らしくいられている気がします。あの頃の同期たちとは、今でもたまに連絡を取り合いますが、それぞれに違う場所で、それぞれの甲羅をまとって生きているのだろうと思います。誰かと比べて優劣をつけるようなことではなく、ただ、自分が選んだ場所で、自分なりの脆さと折り合いをつけていく。それだけのことなのだと、この年齢になってようやく思えるようになりました。「カブトムシ」という曲名を初めて聞いたときの、少し可笑しみを含んだ響きと、聴き込むほどに沁みてくる切なさのギャップを、今も忘れずにいたいと思います。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、強がりの奥にある脆さの記憶を読み直す場所です。