ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=bAcMeF3lhv0
確認した動画: 杏里 ANRI / オリビアを聴きながら [Official Video](ANRI 杏里 Official)

1977年、まだ16歳だった杏里はロサンゼルスでこの曲をレコーディングし、翌1978年11月5日、神奈川県の高校2年生として、フォーライフ・レコードから「オリビアを聴きながら」でデビューした[1][4]。作詞作曲を手がけたのは、後に松田聖子や薬師丸ひろ子に数々の名曲を提供していくことになるシンガーソングライター、尾崎亜美である。今回耳にするのは、1994年のセルフカバー・ベストアルバム『16th Summer Breeze』に収められた、円熟した歌声で歌い直されたオリビアの公式チャンネル動画だ[2]。オリコンチャートでは最高65位、決して派手な滑り出しではなかったこの曲が、なぜ半世紀近くを経てもなお多くの歌い手にカバーされるスタンダードになったのか[3]。デビュー曲というのは、多くの場合、後年から振り返って初めてその意味が分かるものだ。まだ何者でもなかった一人の少女が、憧れだけを頼りに世に送り出した一曲が、半世紀近くの歳月を越えて今も歌い継がれている。静岡県磐田市で介護と不動産の仕事をしながら、かつて東京で何者かになろうと足掻いていた自分自身の「出発点」を重ねながら、この曲を読み直してみたい。

16歳の少女が抱いた憧れが、その場で一曲になった夜

普段は学校に通う一人の高校生だった杏里が、ロサンゼルスでレコーディングをして歌手としてデビューする。今の感覚で考えても、それは十分に大きな飛躍である。しかも、その最初の一曲は、綿密に練り上げられた企画から生まれたものではなく、ある日の一度きりの会話から、ほとんど即興のようにして生まれたのだという。尾崎亜美と杏里が初めて顔を合わせたのは、1978年の春だったと伝えられている[3]。尾崎は当時まだ16歳だった杏里を自宅に招き、手料理でもてなしてリラックスさせようとした。緊張気味の杏里に「普段はどんな音楽を聴いているの」と尋ねると、返ってきたのは「オリビア・ニュートン・ジョンが好きです」という一言だった。尾崎はその言葉を聞くとすぐに作曲に取りかかり、サビの部分には、オリビアが1977年に発表した楽曲「MAKING A GOOD THING BETTER」から着想を得た"making good things better"というフレーズをそのまま織り込んだという逸話が残っている[3]。憧れの存在への率直な思いを、出会ったばかりの作家がその場で一曲の形に昇華させる。そうして生まれたのが、杏里にとって最初の一曲だった。歌詞そのものを読み解けば、まだ何者でもなかった少女が、遠い憧れに手を伸ばそうとする眩しさが、飾らない言葉の端々ににじんでいるように聴こえる。作曲の現場に居合わせたわけでもない一人の少女が、その日のうちに自分だけの「初めての曲」を手渡された。その巡り合わせの早さそのものが、すでに一つの物語になっている。

16歳の声と、30代になって歌い直した声の距離

今回、公式チャンネルで確認できるのは、デビュー当時の音源そのものではなく、1994年のセルフカバー・ベストアルバム『16th Summer Breeze』に収められたバージョンである[2]。このアルバムは、杏里自身がデビューから1994年の『ALL OF YOU』までの約10年間から30曲を選び抜き、あらためて自分の声で録音し直したものだ[2]。16歳の少女が緊張と憧れの中で歌った旋律を、30代を迎えた本人が、これまでのキャリアで積み重ねてきた表現力とともにもう一度歌う。同じメロディでありながら、そこに宿る空気は決して同じではない。デビュー曲というものは、多くの場合、歌う本人にとっても「まだ何者でもなかった自分」の記録であり、時に気恥ずかしさを伴う対象でもある。それをあえて選び直し、あらためて自分の声で残そうとしたところに、この楽曲が杏里自身にとっても特別な意味を持つ一曲であったことがうかがえる。円熟した声で歌われる「オリビアを聴きながら」を聴いていると、かつての憧れそのものよりも、その憧れを抱いていた自分をいとおしむような、静かなまなざしを感じ取ることができる。

大ヒットではなかったからこそ、時代を超えて歌い継がれた

「オリビアを聴きながら」のオリコン最高順位は65位、売上は5万5千枚ほどだったとされ、当時としては目立ったヒットとは言えなかった[3]。それでも時を経るごとに多くの歌手にカバーされ、いつしか世代を超えて口ずさまれるスタンダード・ナンバーへと育っていった[3]。デビュー直後に爆発的に売れた曲ではなく、静かに聴き継がれることで残った曲であるという事実は、この楽曲の性質をよく物語っている。派手な数字を残せなかった曲が、なぜ数十年単位で残り続けるのか。それはおそらく、この曲がヒットチャートのために作られたのではなく、一人の少女の素直な憧れという、誰にとっても覚えのある感情から生まれた曲だったからではないだろうか。ヒットの規模ではなく、聴く人それぞれの記憶に寄り添えるかどうかで生き残る曲がある。「オリビアを聴きながら」は、まさにそうした種類の一曲であるように思う。

誰かに憧れて一歩を踏み出した頃の自分と、磐田で出会う「再出発」

この曲を聴くと、私はかつて地方から東京へ出て、何者かになりたいと足掻いていた若い頃の自分を思い出す。あの頃の私にも、はっきりした確信などなかった。ただ誰かや何かに憧れ、その憧れを頼りに見よう見まねで一歩を踏み出すしかなかった。振り返れば、あの時期の選択のほとんどは、綿密な計画からではなく、目の前にあった小さな憧れの積み重ねから生まれていたように思う。杏里が16歳のとき、オリビア・ニュートン・ジョンへの素直な憧れだけを口にしたことが、一曲の歌になり、その後の長いキャリアの出発点になったように、人生の多くの始まりは、確信ではなく憧れから生まれるのだと思う。今、静岡県磐田市で介護と不動産の仕事をする中で、私は「再出発」に向き合うご家族に数多く出会う。施設に入られる高齢者の方が、これまでの暮らしにひとまず区切りをつける瞬間。相続した実家を前に、これからどうするかを家族で決めかねている瞬間。そうした場面はどれも、何かを終わらせると同時に、次の一歩をどう踏み出すかを問われる時間でもある。杏里が30代になって自分のデビュー曲を歌い直したように、私たちも人生の節目で、かつての自分や家族の記憶をもう一度聴き直し、そのうえで次に進む場所を選び取っている。実家じまいのご相談を受けるとき、私が大切にしているのは、効率よく処分することよりも先に、その家に残った時間をご家族と一緒にたどり直すことだ。憧れから始まった一曲が半世紀近く歌い継がれてきたように、家や土地に刻まれた家族の記憶も、簡単に片づけてしまわず、いったん丁寧に聴き直してから、次の暮らしへとつないでいきたいと思っている。かつての自分がそうだったように、迷いながらでも一歩を踏み出そうとしている人の背中を、この曲のように、静かに押せる存在でありたい。

16歳の少女が、憧れの歌手の名前を口にしただけで生まれた一曲が、17歳での高校生アイドルとしてのデビューを飾り、30代になった本人の声で歌い直され、半世紀近く経った今もこうして聴き継がれている。大きなヒットになったわけではないからこそ、この曲は誰かに強制されることなく、聴きたい人のもとへ、聴きたいタイミングでゆっくりと届き続けてきたのだと思う。自分自身の出発点を振り返りたくなったとき、あるいは、これから何かを始めようとする誰かの背中をそっと押したいとき、「オリビアを聴きながら」は、そのための静かな一曲として、これからも歌い継がれていくはずだ。

参考リンク

音楽が昔の街や自分を思い出させてくれるように、家や土地にも、誰かの時間が残っています。

磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理に悩んでいる方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。