いろいろあったけど、いいよね。私も始まりはいつも雨です。そう口にしてみると、意外なほど素直に自分の中に落ちる言葉だと気づきます。1991年3月6日、ASKAの3枚目のシングルとしてリリースされた「はじまりはいつも雨」は、もともとシングルになる予定のない、アルバム用の一曲だったといいます。松下電器産業(現・パナソニック)のコンポのCM用に用意された楽曲が、オンエア直後から問い合わせを集め、急遽シングルとして世に出されることになった――そんな出発点を持つ曲です。狙って作られたヒット曲ではなく、思いがけない形で多くの人に届いてしまった曲だということが、東京で働いていた日々を思い出すたびに、どこか自分の来し方とも重なって聴こえます。予定していたわけではないのに、気づけば長く続いているもの。仕事も、暮らしの場所も、家族との時間も、振り返れば最初から明るく晴れていたことなど一度もなかった気がします。むしろ、迷いや戸惑いの中でどうにか一歩を踏み出した先に、今があるのだと思います。この曲を久しぶりに聴き直しながら、あらためてそんなことを考えました。イントロが流れ始めた瞬間に浮かぶのは、華やかな景色ではなく、どこか薄暗い空の色や、傘を持たずに駅から歩いた記憶といった、ささやかで曖昧な情景ばかりです。それでも、その曖昧さごと受け止めてくれるような懐の深さが、この曲にはあります。
CMのはずが、ミリオンセラーになった曲
「はじまりはいつも雨」は、作詞・作曲を飛鳥涼、編曲を澤近泰輔、プロデュースをRYO ASKAが手がけたASKAのソロ3rdシングルです。前述の通り、松下電器産業のコンポ「HALFコンポ」のCMタイアップのために書き下ろされ、当初はシングル化の予定がないアルバム収録曲として制作されたと伝えられています。ところがCMが流れ始めると問い合わせが殺到し、急遽シングルとしてリリースされることになりました。さらに同年5月に公開された森田芳光監督の映画『おいしい結婚』の主題歌としても採用され、映像とともに人々の耳に届く機会が重なっていきます。オリコンの週間ランキングでは最高2位を記録し、首位こそ逃したものの通算22週にわたってトップ10圏内にとどまり続け、オリコン集計の累計売上枚数は116.3万枚に達したとされています。狙って仕掛けられたヒットではなく、CMという小さなきっかけから連鎖的に広がっていった曲だという成り立ちに、当時の空気の速さと、それでも根強く支持され続けたことの両方を感じます。
この経緯を知ってあらためて思うのは、良いものが必ずしも計画通りに世に出るわけではない、ということです。アルバムの一曲として静かに収まるはずだった曲が、CMという偶然のきっかけによって多くの人の耳に触れ、結果として作り手の想定を超えるところまで届いてしまう。仕事でも似たようなことがあります。丁寧に準備した企画よりも、ふとした雑談や思いつきの提案の方が思わぬ広がりを見せることがある。狙って作った成果より、偶然が重なって育っていったものの方が、後になって振り返ると案外長く残っている気がします。「はじまりはいつも雨」という曲の出発点そのものが、そうした偶然の積み重ねの上に成り立っていたのだと思うと、ヒットチャートの数字以上に、この曲の歩んできた道筋そのものに親近感を覚えます。オリコンで首位を獲得できなかったという事実も、むしろこの曲らしいと感じます。てっぺんに立つための曲ではなく、日常のそばに長く寄り添う曲として広まっていった。その静かな浸透の仕方が、CMというきっかけの持つ性質とも重なって見えます。
Db調の甘さと、短3度の転調が生む揺れ
楽曲そのものに耳を傾けると、Db(変ニ長調)を基調にした、やわらかく温かみのある響きが印象に残ります。Aメロは「Db」と「Ebm7 onAb」といったシンプルな進行を繰り返しながら、静かに情景を積み重ねていくように聴こえます。Bメロの頭に置かれたコードの6度の響きは、恋人同士の親密さをそのまま音にしたような甘さを帯びていて、そこから一時的に「Bb」方向へ転調する箇所では、雨が一瞬やんだような明るさが差し込むように感じられます。そして間奏では短3度の転調が重ねて使われ、Dbから離れてはまたDbへと帰ってくる――この行き来自体が、曲名の「はじまりはいつも雨」というテーマと呼応しているように思えてなりません。サビで用いられるハーフディミニッシュの響きは、問いかけるような、少し不安定な気配を含んでいて、幸福の中にわずかな翳りを混ぜ込むASKAの作曲の癖がよく表れている箇所ではないかと聴いています。晴れではなく雨から始まる曲が、こうした転調の揺れによって成り立っているのは、偶然ではない気がします。
専門的な分析では、サビ後半で分数コードが連なり、ベース音がなだらかに下降していく進行が指摘されており、この滑らかな下降が曲全体の推進力と自然な美しさを生んでいるとされています。素人なりにこの曲を口ずさんでみても、サビに入る瞬間、それまでの揺れが一度収束し、視界が開けるような感覚を覚えます。転調を重ねながらも最終的にDb調へと帰っていく構成は、雨の中を迷いながら歩いて、それでもいつか同じ場所、あるいは少し先の場所へとたどり着く道のりのようにも聴こえます。曲の構造そのものが「始まりは不安定でも、行き着く先はある」という感覚を音で表しているのだとすれば、この曲が30年以上経った今も色褪せずに聴かれ続けている理由の一端は、そうした構成の巧みさにあるのではないかと思います。ASKAのボーカルも、力任せに歌い上げるのではなく、揺れる和音の上をなだらかになぞっていくような歌い方に聴こえ、曲全体の抑制された空気感をより際立たせているように感じます。派手なフェイクや装飾を加えず、メロディそのものの輪郭を丁寧になぞっていく歌い方だからこそ、コード進行の繊細な揺れが埋もれずに聴き手に届いているのではないかと思います。
東京の雨と、磐田に戻ってからの雨
この曲がヒットしていた頃、自分はまだ東京で働いていました。新しい部署に配属されるとき、初めての取引先に挨拶に向かうとき、天気のことなど覚えていないはずなのに、記憶の中ではなぜかいつも小雨が降っています。実際に雨だったのか、それとも心もとなさがそう見せているだけなのか、今となっては判然としません。ただ、何かを始めるときに晴れやかな気分でいられたことの方が、むしろ少なかったように思います。磐田に戻り、家や土地、相続や空き家といった相談を受ける仕事に就いてからも、同じことをよく感じます。相談に来られる方の多くは、人生の新しい章の入り口に立っていて、その顔には期待よりも不安の方が色濃く出ていることが少なくありません。実家をどうするか、土地をどう手放すか、あるいはどう残すか――どの選択にも、迷いという名の雨がついて回ります。それでも、雨の中で一歩を踏み出した人たちが、数年後には落ち着いた表情で「あのとき決めてよかった」と話してくれることがあります。始まりが晴れていなかったからといって、その先が曇ったままとは限らない。そのことを、この仕事を通じて何度も教えられてきました。東京にいた頃は、雨の日の通勤も、慣れない打ち合わせも、ただ乗り切ることで精一杯でした。今こうして磐田で、同じように雨の中を歩き出そうとしている方々の背中を、少し先に立って見守る立場になっているのは、不思議な巡り合わせだと思います。
家族との時間についても、同じことが言えるように思います。子どもが生まれたときも、親の介護を考え始めたときも、心の準備が整った状態で始まったことなど一つもありませんでした。むしろ、わからないことだらけのまま、見切り発車のような形で日々が始まり、後になって少しずつ形が整っていったというのが実感に近い。土地や家というものも同様で、代々受け継いできた場所を今後どうするかという問いに、明確な正解を持って臨める人はほとんどいません。それでも、雨の中で交わされる相談の一つひとつが、その家にとっての新しい始まりになっていく。仕事を通じてそうした場面に立ち会うたびに、「はじまりはいつも雨」というタイトルの持つ普遍性を、あらためて実感します。土地というものは、家族の歴史そのものを背負っています。祖父母の代から続く畑、両親が建てた家、子どもの頃に遊んだ庭――そうした場所と向き合う相談ごとには、単なる不動産の手続きでは測れない感情が付随します。その感情に寄り添いながら、それでも前に進むための一歩を一緒に探すのが、自分の仕事なのだと思っています。
いろいろあったけど、いいよね
「いろいろあったけど、いいよね」という一言は、達観でも強がりでもなく、素直な実感として自分の中にあります。東京での仕事、磐田という土地に戻った選択、家族と過ごす時間、そのどれもが、始まりの瞬間には確信を持てないまま踏み出したものばかりでした。それでも今、こうして日々を重ねてこられたのは、雨の中の一歩を止めなかったからなのだと思います。「はじまりはいつも雨」という曲が長く聴き継がれているのは、CMやヒットチャートの記録以上に、誰の人生にも覚えのあるこの感覚――不安を抱えたまま踏み出した先に、いつか晴れ間が見えてくるという感覚――を、静かに肯定してくれるからではないでしょうか。土地や家族について相談を受けるとき、この曲のことを思い出すことがあります。始まりが雨であっても、それはやがて振り返って「いいよね」と言えるものになる。そう思わせてくれる曲です。
もともとシングルになる予定もなく、CMというきっかけを得て偶然のように世に広まったこの曲が、30年以上を経てなお色褪せずに聴かれているのは、狙って作られたものではないからこその、ある種の飾らなさが理由なのかもしれません。東京で働いていた頃の記憶も、磐田に戻ってからの仕事も、家族と過ごしてきた時間も、振り返れば計画通りに進んだことなど数えるほどしかありませんでした。それでも一つひとつの始まりを雨の中で受け止めてきたからこそ、今この場所に立っていられるのだと思います。「はじまりはいつも雨」を聴くたびに、そうした来し方を静かに肯定してもらえるような気がして、この曲を手放せずにいます。CMのための一曲として生まれ、思いがけずミリオンセラーになったこの曲の歩みそのものが、計画通りにいかないことの多い人生への、小さな励ましのように響きます。次に何かを始めるときも、きっとまた雨は降るのでしょう。それでも構わないのだと、この曲はいつも静かに教えてくれます。傘を持たずに歩き出した先で、いつの間にか雨が上がっていることもあるのですから。