ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=hY3G266DOPQ
確認した動画: 「BONNIE PINK - LOVE IS BUBBLE」(BONNIE PINK公式YouTubeチャンネル、登録者6.01万人、「提供: BONNIE PINK」表記あり)。ただしこの動画自体は再生時間15秒の視聴用クリップで、説明欄にiTunesと「MUSIC VIDEO」への外部リンクが掲載される形式であり、フルの公式ミュージックビデオそのものではありません。投稿元は公式と確認できますが、公式MVの実体をこの動画上で確認することはできませんでした。

恋は、膨らんでいる間がいちばん美しくて、いちばん壊れやすい。そのことを、これほど軽やかな言葉に乗せてしまえる人がいるのだと、私は「LOVE IS BUBBLE」を聴くたびに思います。シャボン玉のような恋、というたとえは、口にしてしまえばありふれています。けれど、ありふれた比喩を手垢のついたものにするか、もう一度光らせるかは、その言葉をどう歌うかにかかっている。BONNIE PINKの声は、はかなさを湿っぽく引きずらず、かといって突き放しもせず、ちょうど宙に浮かんだシャボン玉を見つめるような距離感でこの曲を歌っています。私が東京で働いていた頃、この曲は2006年、映画『嫌われ松子の一生』の主題歌として世に出ました。当時の私はまだ、家や土地を仕事にするなど想像もしていませんでしたが、街のどこかで流れていたこの曲の浮遊感だけは、妙に記憶に残っています。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:「LOVE IS BUBBLE」の魅力の中心は、恋を「シャボン玉」にたとえた歌詞の視点そのものにあります。恋の高揚感と、それが割れて消えてしまうかもしれないはかなさを、どちらか一方に寄せず同時に抱きしめている言葉の距離感が、聴くたびに違う手触りで届きます。曲自体もブラスアレンジと歌謡曲的な哀愁が絡み合う完成度の高いアレンジで、繰り返し聴ける強さがありますが、この曲を思い出すとき、まず浮かぶのは「シャボン玉」という言葉の選び方であり、その意味で主視点は歌詞に置きました。なお参照した動画はBONNIE PINK公式チャンネルのものですが、実質的には15秒の視聴用クリップであり、公式ミュージックビデオの内容そのものを確認できたわけではないため、MVの評価は控えめにしています。

映画のために書かれた、ショーガールの歌

「LOVE IS BUBBLE」は、2006年5月10日にリリースされたBONNIE PINKのシングルで、中島哲也監督の映画『嫌われ松子の一生』(同年5月27日全国東宝系公開)の主題歌として書き下ろされました[1][2]。作詞・作曲はBONNIE PINK本人によるもので、編曲はBONNIE PINKと村田陽一の手によるものと伝えられています[2]。ブラスアレンジを効かせた、ビッグバンド・ジャズ調の音作りが特徴で、ミックスにはトーレ・ヨハンソンが参加したとも紹介されています[3]。BONNIE PINKはこの映画にショーガール役として出演し、劇中でもこの曲を歌う場面があったとされています[1][2]。つまりこの曲は、単なるタイアップ曲としてではなく、映画の物語そのものの中に組み込まれた楽曲だということになります。オリコンチャートでは最高28位、10週にわたってランクインしたと記録されており、シングルとしてだけでなく、後に発売されたベストアルバム『Every Single Day -Complete BONNIE PINK (1995-2006)-』や、映画のサウンドトラックにも収録されています[4][5]。派手な大ヒット曲というより、映画とともに静かに記憶され続けてきた一曲、という位置づけがふさわしいように思います。

ブラスの艶と、歌謡曲的な哀愁が同居する曲

曲そのものを聴くと、まず耳に飛び込んでくるのはブラスセクションの艶やかな響きです。イントロからすでに、どこか場末のクラブか、古い映画のワンシーンを思わせるような、少し昭和的な色気が漂っています。BONNIE PINKの楽曲は、もともと透明感のあるポップスとして親しまれてきた面が強いですが、この曲では歌謡曲的な哀愁とジャズ的な洒脱さが同時に鳴っていて、それが「嫌われ松子」という、幸福と不幸のあいだを行き来し続けた女性の物語と、驚くほど自然に重なります。サビに向かうにつれて、ブラスが少しずつ厚みを増していく構成は、感情の高まりをそのまま音の量として可視化しているようで、派手すぎない範囲で確実に高揚感を運んでくれます。ボーカルの乗せ方も、力任せに張り上げるのではなく、ブラスの隙間を縫うように、少し斜めから滑り込んでくる感覚があります。何度も聴き返していると、Aメロの控えめな抑制と、サビでの解放のコントラストが、実はこの曲の骨格を支えていることに気づきます。曲だけを取り出しても十分に聴き応えがあり、アレンジャーとしての村田陽一の仕事ぶりも含めて、完成度の高い一曲だと思います。ただ、私がこの曲を人にすすめるとき、最初に語りたくなるのはメロディの構造よりも、やはり歌詞の視点の方です。だからこそ、曲の評価は★4つに留め、主役の座は歌詞に譲ることにしました。

恋を「割れる」ものとして歌うということ

歌詞をそのまま書き写すことはしませんが、この曲が見つめている風景については触れておきたいと思います。「LOVE IS BUBBLE」というタイトルが示す通り、この曲は恋をシャボン玉にたとえています。シャボン玉は、膨らんでいる間はきらきらと輝いて見えますが、同時に、いつ割れてもおかしくない儚さを常に抱えています。この曲の言葉が優れているのは、その儚さを悲劇として悲観的に描くのではなく、輝きと儚さを最初から一つのものとして受け入れている点だと感じます。恋の高揚感だけを歌うラブソングは数え切れないほどありますし、失恋の痛みだけを歌う曲も同じくらい多くあります。けれどこの曲は、まだ壊れていない恋の真っ只中にいながら、その恋がいつか壊れる可能性をどこかで静かに知っている、という視点で歌われているように聴こえます。それは、恋をしている本人にしか分からない、浮ついた喜びと、うっすらとした不安が同居する感覚そのものです。映画『嫌われ松子の一生』の主人公・松子が、何度も恋に落ち、何度も裏切られながらそれでも人を愛することをやめられなかった生き方を思うと、この歌詞の視点は決して偶然の産物ではないように思えます。恋は膨らむからこそ美しく、膨らむからこそ壊れる。その両方を、恨みがましくならずに、軽やかな言葉で歌いきっていることが、この曲の歌詞の最大の強さだと私は思います。

東京の夜と、磐田で見送った空き家の記憶

私自身、東京で働いていた頃、恋というものが持つ浮遊感と不安定さの両方を、身をもって知っていた時期がありました。付き合い始めたばかりの相手との関係が、これほど楽しいのに、同時にどこか根拠のない不安を抱えている。当時はその感覚をうまく言葉にできませんでしたが、「LOVE IS BUBBLE」という曲名を知ったとき、ああ、あの感覚はこれだったのかと、妙に腑に落ちた記憶があります。恋は、壊れることを恐れて膨らませるのをやめてしまえば、そもそも恋にならない。壊れる可能性を抱えたまま、それでも膨らませ続けるしかないものなのだと思います。今、磐田で介護と不動産の仕事をしていると、似たような感覚に出会うことがあります。相続した実家や、長年誰も住まなくなった空き家の相談を受けるとき、その家には必ず、誰かが確かに膨らませていた暮らしの時間がありました。子育てをしていた頃の賑わい、親の介護に追われた日々、あるいはただ静かに家族が集っていた時間。どれも、シャボン玉のように、その瞬間はかけがえのない輝きを持っていたはずです。そして家というものもまた、いつか誰かが手放し、形を変えていく運命からは逃れられません。それは寂しいことですが、同時に、膨らんでいた時間そのものが消えてなくなるわけではないのだと、私は仕事を通じて教えられてきました。恋も、家も、割れることを前提にしながら、それでも今この瞬間の輝きを大切にする。「LOVE IS BUBBLE」を聴くたびに、私はそのことを思い出します。

参考リンク

恋も暮らしも、膨らんでいる間の輝きがすべてで、それでも形を変えていくことからは逃れられません。

静岡県磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理にお悩みの方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。