本当に大好きでした。このMV。そう口にするとき、頭に浮かぶのはメロディーそのものより先に、あの短編ドラマ仕立ての映像だったように思います。クリス・ハートの「I LOVE YOU」は、2014年2月26日にリリースされた彼の初のオリジナルシングルです。ものまねやカバーで名前を知られ始めていた歌い手が、初めて自分の言葉と旋律で世に出した曲だと知ると、あのMVの手触りにも違う意味が加わってきます。作詞はH.U.B.と坂詰美紗子、作曲は坂詰美紗子、編曲は福田岳文と伝えられており、デビュー前から温め続けてきたラブソングだったともいわれています。旅行会社のCM曲というタイアップの枠を超えて、映像と楽曲がひとつの物語として記憶に残ったのは、曲自体の骨格がしっかりしていたからではないかと感じます。東京で働いていた時期、通勤の合間や仕事帰りにこの曲のMVを繰り返し見ていた記憶があります。物語をきっかけに曲を好きになる、という順番の出会い方をした数少ない一曲でした。当時は忙しさに追われていて、じっくり音楽と向き合う時間はそう多くなかったはずなのに、この曲だけは妙に印象に残っていて、磐田に戻ってきた今もふとした瞬間に思い出します。土地が変わり、仕事も暮らし方も変わったあとに残るのは、歌詞の一節よりも、あの映像が運んでくれた気分そのものなのかもしれません。あの頃は、音楽を「聴く」というより「浴びる」ような接し方をしていた気がします。満員電車の中でイヤホンから流れてくる曲を、じっくり味わう余裕もなく、ただ通り過ぎていくものとして扱っていた時期もありました。それでも「I LOVE YOU」だけは、なぜか通り過ぎずに残った。理由を言葉にするのは難しいのですが、映像の静けさと曲の抑えたトーンが、忙しなく動いていた自分の中の何かに、そっと触れてきたのだと思います。今回あらためて公式のYouTube映像を見返してみて、当時の記憶が思いのほか鮮明に戻ってきたことに、自分でも少し驚きました。
のど自慢優勝から、初めての「自分の曲」へ
クリス・ハートは2012年、外国人参加型のカラオケ番組『のどじまん THE!ワールド』(日本テレビ)に出演し、出場者の中から優勝を果たしたことがきっかけでメジャーデビューへの道が開けたと伝えられています。当初はカバー曲の歌唱力で注目を集めた歌い手だったからこそ、初のオリジナルシングルとなった「I LOVE YOU」がどんな曲になるのか、当時は期待と同時にどこか不安もあったのではないかと想像します。結果としてこの曲は、自身の失恋の経験をモチーフにしたバラードだったと伝えられており、借り物ではない実感のこもった詞世界が、聴き手に静かに届いたように思います。誰かのために書かれた曲を歌う立場から、自分自身の経験を土台にした曲を歌う立場へ。その切り替えの中で、これまで培ってきた歌唱表現を、今度は自分の言葉に重ねていく作業があったはずで、そこには単なる「デビュー曲」以上の意味が込められていたのではないかと想像します。カップリングにはセイコーマートのCMソング「最後のラブレター」、NIVEAのCMソング「まもりたい~magic of a touch~」、さらに秦基博のカバー「アイ」も収録されており、1枚のシングルの中に、タイアップ曲としての顔とオリジナルアーティストとしての顔が同居していました。ものまね番組の優勝者からメジャーアーティストへと歩みを進める過程で、この曲が担った役割は決して小さくなかったはずです。自分の名前で何かを始めるとき、最初の一歩がどれだけ緊張を伴うものか、転職や独立を経験した身としては、その重みが少しわかる気がします。人に評価してもらうための歌唱と、自分自身の経験を差し出す作詞・作曲の世界とでは、求められる勇気の種類がまったく違うはずです。カラオケ番組で培った歌唱力だけでは埋められない部分を、実体験に基づいた詞と、丁寧に作られた映像で補おうとした結果が、この曲だったのではないかと想像します。デビューという言葉には、華やかな響きがある一方で、それまで積み上げてきたものを一度リセットして、まっさらな評価にさらされる怖さも伴います。「I LOVE YOU」というシンプルなタイトルの奥に、そうした緊張と覚悟がにじんでいるように感じるのは、自分自身も何度か土地や仕事を変えてきた経験があるからかもしれません。
短編ドラマとして作り込まれたミュージックビデオ
「I LOVE YOU」は、旅行会社のテレビCMのタイアップ曲として起用されたと伝えられていますが、公開されたミュージックビデオは単なる楽曲映像ではなく、短編ドラマとして丁寧に作り込まれたものでした。楽曲のリリースと同時にYouTubeで公開されたこのMVは、大きな反響を呼び、公開後の再生回数は数百万回規模に達したとも伝えられています。物語としての完成度が高かったからこそ、曲を知らなかった人にも届き、曲を聴いたことをきっかけに映像を探しにいく、あるいはその逆の順番で出会う人も多かったのではないでしょうか。数分の映像の中に出会いと別れ、そして再び差し出される想いまでが凝縮されており、テレビCMの15秒や30秒では到底描き切れない時間の流れを、本編動画がきちんと引き受けていた印象があります。さらに2016年には、この短編ドラマの続編にあたる「Still loving you」が公開されたと報じられています。前作で描かれなかった時間軸や心情がそこでつながれたということは、制作側にとってもこの物語が一度きりで終わらせるにはもったいないものだったということでしょう。曲そのものの寿命よりも、映像が背負った物語の寿命の方が長く続いた、珍しい例のようにも思えます。音楽が単体で完結せず、映像や物語と手を取り合って記憶に残っていく。「I LOVE YOU」は、そういう届き方をした曲だったのだと、今になって整理できます。短編ドラマという形式そのものも、今振り返ると時代の空気をよく捉えていたように思います。テレビCMという短い枠だけでは伝えきれない物語を、YouTubeという場に本編として置く。その構造は、音楽と映像の関係が、テレビからインターネットへと軸足を移していく過渡期をそのまま映していたのではないでしょうか。自分がこのMVを繰り返し見ていたのも、ちょうどスマートフォンで動画を見る習慣が生活に定着し始めた頃で、通勤中や休憩時間に、画面の中の物語に入り込む時間があったからだと思います。曲を聴く場所と、物語に触れる場所が同じ画面の中にあったという環境も、この曲の記憶が濃く残った理由のひとつなのかもしれません。
静かな旋律とバラードとしての骨格
楽曲そのものに耳を傾けると、派手な転調や凝った展開で聴かせるタイプの曲ではなく、素直なコード進行とゆったりとしたテンポの上に、伸びやかな歌声を乗せていく構成に聴こえます。クリス・ハートの歌い方は、力任せに声を張り上げるのではなく、抑制を効かせながら要所でしっかりと感情を乗せてくる歌唱に感じられ、それがバラードとしての骨格をより際立たせているように思います。サビに向けて少しずつ音域と音量を積み上げていく作りは、映像の物語がクライマックスに向かって進んでいく構成と自然に呼応しており、楽曲と映像が別々に作られたというより、最初から一体のものとして設計されていたのではないかとすら感じさせます。ヴァースからサビへの橋渡しの部分では、あえて音数を絞っているようにも聴こえ、その静けさが直前まで積み上げてきた感情をいったん受け止め、サビでの解放をより際立たせる役割を果たしているように感じられます。こうした緩急のつけ方は、派手なアレンジで耳を惹くタイプの楽曲とは対照的で、むしろ歌詞と旋律、そして歌声そのものに集中してほしいという作り手の意図がにじんでいるようにも聴こえます。派手さよりも実直さを選んだアレンジだからこそ、初のオリジナル曲という緊張感のある場面でも、歌い手の地力がまっすぐに伝わってくる。そんな聴こえ方をする一曲です。技巧よりも実感を優先した作りは、飾らない暮らしを続けてきた自分自身の感覚とも、どこか重なるところがあります。オリコンの週間ランキングにおける具体的な初動枚数までは確認できていませんが、この曲がクリス・ハートにとって以降のシングル展開やアルバム制作の土台になった一曲であることは、その後の音楽活動の広がりからも読み取れます。ものまねの技術で注目された歌い手が、自作の物語を持つアーティストとして受け入れられていく過程で、「I LOVE YOU」が果たした役割は、セールス数字だけでは測りきれないもののように思います。むしろ、曲と映像が両輪となって多くの人の記憶に残ったこと自体が、この曲のもっとも確かな成果だったのではないでしょうか。派手な仕掛けに頼らず、歌声とメロディーの実直さで勝負した曲が、結果として長く語り継がれる存在になった。そのことに、音楽が本来持っている力の一端を見るような気がします。
磐田で思い出す、物語ごと愛した音楽
東京で働いていた頃は、曲そのものよりも、その曲を取り巻く物語や映像ごと好きになる音楽にたびたび出会いました。「I LOVE YOU」もそのひとつです。仕事に追われる日々の中で、短い時間に何かを感じ取ろうとするとき、歌詞を丹念に読み解くよりも、映像が運んでくる空気の方が先に届いていたのだと思います。磐田に戻り、家や土地とともに暮らす時間が長くなった今、あの頃繰り返し見ていたMVのことを思い出すと、当時の自分がどんな速度で生きていたかが、輪郭を伴ってよみがえってきます。家族と過ごす時間が増え、仕事の形も変わった今だからこそ、あの曲がなぜあれほど印象に残ったのか、少し距離を置いて考えられるようになりました。ものまねから始まり、失恋の経験をもとにした一曲でメジャーアーティストとしての一歩を踏み出したクリス・ハートの歩みと、土地を変え、暮らし方を変えながら今に至る自分自身の歩みは、もちろん重なるものではありません。それでも、何かを積み重ねて次の場所へ進んでいくときの緊張感だけは、共通するものとして受け取ることができます。「本当に大好きでした。このMV」という一言には、そうした遠い記憶と今の暮らしをつなぐ、静かな手触りが残っています。家を持ち、土地に根を張って暮らすようになると、遠い場所で流れていた音楽の記憶は、思っていたよりも簡単には色褪せないものだと気づかされます。忙しさの中で通り過ぎていったはずの曲が、何年も経ってから不意に呼び戻され、当時の空気ごと連れてくる。「I LOVE YOU」はそういう存在で、これからもきっと、ふとした瞬間に磐田の日常の中に混ざり込んでくるのだと思います。曲そのものを久しぶりに聴き直しながら、当時の自分がどんな気持ちでこの物語を見ていたのかを、もう一度確かめられたことは、ささやかながら意味のある時間でした。