ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=_dAzUOzWvrk
確認した動画: Creepy Nuts / かつて天才だった俺たちへ【MV】(Creepy Nuts本人公式チャンネル)

子どもの頃、誰にでも「自分は何にでもなれる」と信じていた時期があったのではないかと思う。将来の夢を聞かれて、迷いなく答えられた頃。何を選んでも間違いではなかった、あの全能感。進学し、就職し、東京で働くようになり、日々の業務に追われるうちに、その感覚がいつのまにか遠くに行ってしまったことに、ふと気づく瞬間がある。Creepy Nutsの「かつて天才だった俺たちへ」というタイトルは、その距離を正面から突きつけてくる。だが、この曲が投げかけているのは、失われたものへの嘆きだけではない。R-指定が語ったところによれば、このタイトルは学力やラップの技術における「天才」を指しているのではなく、生まれたばかりの人間が持つ無限の可能性、まだ何色にも染まっていない状態そのものを「天才」と呼んでいるのだという[1]。だとすれば「かつて天才だった俺たち」とは、特別な誰かではなく、この曲を聴いているすべての人のことになる。私自身、東京で働いていた頃と、磐田に戻って家や土地の仕事に向き合う今とでは、抱いている自信の質がまるで違う。あの頃の勢いのようなものを、今の自分はもう持っていないと感じることが多い。地図の上に線を引くように将来を描けていた学生時代と、実際に一つひとつの案件、一軒一軒の家に向き合う今とでは、見えている景色そのものが違っている。けれどこの曲は、過去の自分を切り捨てるのではなく、あの頃の自分に、今の自分から語りかけるという構図を取っている。否定でも懐古でもない、もう一度あの頃の視点を思い出すための呼びかけとして、この曲を聴き直してみたい。この文章では、この曲が生まれた自粛期間という制作背景、帝京平成大学のCMソングとして書き下ろされた経緯、歌詞が持つ「俺たち」という視点の広がり、R-指定とDJ松永それぞれの表現の手つき、公式MVに残された撮影の裏側を、確認できる範囲の事実を手がかりにしながら辿っていく。同時に、東京での日々から磐田での暮らしへと移った自分自身の記憶とも重ね合わせながら、この曲が今の自分に問いかけてくるものを、あらためて言葉にしてみたい。歌詞そのものを引用することはせず、あくまで曲が残していく余韻や記憶の手触りを辿る形で綴っていく。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:DJ松永のトラックも、監督や撮影陣による夕日を待つ公式MVも十分に見応えがあるが、この曲の芯にあるのは、やはりR-指定が仕掛けた「天才」という言葉の再定義だと思う。学力やラップの技術ではなく、生まれ持った可能性そのものを「天才」と呼び、主語を「俺たち」という一人称複数に置くことで、R-指定とDJ松永の二人だけの物語をリスナー全員の物語へと開いている[1][2]。恋愛のポップスの語法から距離を置き、自意識そのものに向き合いながらも説教くさくならない筆致は、何度読み解いても新しい発見がある。曲やMVの完成度を差し引いても、この歌詞の射程の広さが、この曲を単なる応援ソングで終わらせていない最大の理由だと考え、主視点は歌詞がいいに置いた。

自粛期間と帝京平成大学CMから生まれた一枚

「かつて天才だった俺たちへ」は、2020年8月26日にリリースされたCreepy Nutsの2枚目のミニアルバムであり、そのタイトル曲でもある[3]。制作は新型コロナウイルスの緊急事態宣言下で進められ、本人たちはこの時間について「制作に集中できる時間になった」と振り返っており、それが内容の濃いアルバムにつながったとされる[3]。アルバムのリリース形態としては、ライブ映像を収めたDVD盤と、楽曲の合間にトークが挿入されるラジオ盤の2形態が用意され、俳優の菅田将暉を迎えた楽曲も収録されるなど、これまでのCreepy Nutsにはなかった広がりを持つ内容になったと報じられている[3]。この曲自体は、帝京平成大学のテレビCMのために書き下ろされた一曲でもある。「誰でもない自分だけの道を」というCMのテーマのもと、「自分だけの信じる道を進め」というメッセージを掲げて2020年7月からオンエアが始まり、その後、ミニアルバムのタイトル曲として位置づけ直された[4]。10代・20代の学生だけでなく、あらゆる世代に向けて、それぞれが本来持っている可能性を思い出させる応援歌として企画されたと伝えられている[4]。誰もが強制的に立ち止まらされたあの時期に、CMという商業的な依頼から出発しながら、かつての自分を振り返る内省的な一曲が生まれたというのは、皮肉でありながら納得もできる巡り合わせに思える。予定していたライブや現場の仕事が次々となくなり、先の見通しが立たなくなる中で、それでも制作だけは止められなかったという状況は、当時、東京で働いていた自分にもどこか覚えのある感覚だった。動けない時間の中で、否応なく自分自身と向き合わされる。誰にも会えず、誰にも急かされない時間の中で、かつての自分がどんな人間だったのかを、あらためて思い出す機会になった人は少なくないはずだ。当時の自分は、通勤経路が変わり、会議が画面越しになり、日々の予定表が白紙に近づいていく中で、これまで積み上げてきたつもりのものが、実は外側から与えられていた予定にすぎなかったのではないかと、疑うような気持ちになったことを覚えている。予定が消えて初めて、自分の内側に何が残っているのかを確かめる時間が生まれた。この曲がその時期に、しかも依頼された仕事として作られたという事実を知ると、歌詞の端々に漂う内省の色にも、あらためて納得がいく。それでも完成した作品が、企業CMのタイアップという枠を越えて、聴き手に前を向かせる力を持つものになったという点に、この曲の生命力があるのだと感じる。

「俺たち」という一人称が広げる射程

この曲の歌詞は、恋愛を軸にしたポップスの語り口とは距離を置き、自分自身や自己認識そのものに向き合う内容になっているとされる[2]。とりわけ印象的なのは、「俺たち」という一人称複数の使い方だ。R-指定とDJ松永の二人だけを指す言葉ではなく、聴き手までも巻き込んだ「俺たち」として機能しており、極端に言えば全人類に向けられた主語になっているという指摘がある[2]。R-指定自身も、このタイトルにおける「天才」とは、学力やラップの技術のことではなく、生まれたばかりの人間が持つ無限の可能性、まだ何色にも染まっていない状態そのものを指していると語っている[1]。だからこそ、この曲は特定の誰かの自伝ではなく、聴く人それぞれの記憶に重なってくる。曲の展開についても、否定的な言葉を重ねていった先で、それが反転して肯定に変わっていく構造を持つという評もあり、単純な励ましのフレーズを並べるのではなく、屈折を経たうえでの前向きさを描いているように聴こえる。歌詞そのものを引くことは控えるが、その屈折の感触こそが、この曲を単なる応援ソングと一線を画すものにしているのだと思う。学生時代の同級生の中には、当時はぱっとしなかったのに、今になって思わぬ形で自分の道を切り開いている人もいれば、逆に、あれほど輝いて見えた人が、いつのまにか静かに暮らしている人もいる。「天才」という言葉の位置づけは、時間が経つほどに揺れ動き、固定されたものではなくなっていく。この曲が「俺たち」という主語を選んだのは、そうした揺れそのものを、誰か一人の物語に閉じ込めないためだったのではないかと想像する。仕事で色々な家庭の事情を伺っていると、若い頃に才能や可能性を評価されていた人が、必ずしもそのまま順風満帆に歩んでいるわけではないことに気づかされる。反対に、目立たなかった人が、家族を支えながら地道に積み重ねてきた年月の末に、誰よりも頼りになる存在になっていることもある。「かつて天才だった」という言葉が持つ射程の広さは、そうした人生の複雑さをすくい上げるだけの余地を持っているように思える。誰かと比べて優劣を決めるための言葉ではなく、それぞれが自分なりの時間の使い方をしてきたことを、静かに肯定するための言葉として響く。

言葉と音、それぞれの手つき

R-指定のラップは、韻を丁寧に積み重ねながらも、決して技巧をひけらかす方向には向かわず、自分自身の内側を静かに掘り下げていくように聴こえる。過去の自分への呼びかけという難しいテーマを、説教くさくならずに成立させているのは、その語り口の抑制によるところが大きいのではないか。言葉数を詰め込みすぎず、一つひとつのフレーズに間を持たせているようにも感じられ、聴く側が自分の記憶を挟み込む余白を残しているように思える。一方でDJ松永が手がけたとされるトラックは、スウィングジャズ的な質感やメロウなギターリフを取り入れており、ロックフェスとも親和性の高いサウンドで、ヒップホップのフィールドを越えて幅広いリスナーに届くものになっているという評がある[2]。派手に主張するのではなく、言葉を後ろから静かに支えるようなプレイに聴こえる瞬間が多く、その抑えた質感が、この曲の持つ内省的なテーマとよく合っている。ターンテーブルを操る手つきそのものは見えないが、音の重なり方から、削るべきところを削り、残すべきところだけを残していく作業の跡がにじんでいるようにも聴こえる。アルバムはオリコン週間アルバムランキングで5位、Billboard Japan Hot Albumsで2位を記録したと伝えられており[3]、正確な順位は当時の集計や資料によって表記が揺れる可能性があるものの、幅広い層に届いた作品であったことはうかがえる。ミュージックビデオも、2020年のMTV VMAJでベスト・ヒップホップ・ビデオ賞を受賞し、Billboard Japanのストリーミング再生回数は2025年7月時点で1億回を超えたと報じられている[3]。派手な演出に頼らず言葉と音の質で評価を得たという事実は、この曲が持つ静かな強さを裏づけているように感じる。ラップというジャンルに詳しくない人であっても、この曲のトラックの持つ柔らかさや、韻を踏みながらも自然に流れていく言葉の運びには、抵抗なく耳を傾けられるのではないかと思う。専門的な聴き方をしなくても、言葉が積み重なっていく感触と、その奥にある静かな熱量は、素直に伝わってくる。技術的な巧拙を超えたところで、この曲は聴き手の記憶の扉を開けようとしているように聴こえる。

夕日を待った公式MVの現場

公式YouTubeで確認できるミュージックビデオは、監督を永田俊、撮影を山田圭吾が担当し、東京・中野区と千葉県長生村でロケが行われたと伝えられている[5][6]。制作陣は「自分たちもかつて天才だった」というテーマをそのまま映像の軸に据えて撮影に臨んだという[6]。DJ松永自身がのちに語ったところによれば、CM撮影には3日間のスケジュールが押さえられ、最終日には夕日をバックにした重要なシーンの撮影が予定されていた。当日、現場に現れた夕日が「そこそこ」の状態だったとき、その条件で妥協せず、より良い光を待つという判断が下され、結果として「めちゃめちゃいい夕日」の中で撮影が成功したというエピソードが残っている[5]。派手なCGやドラマチックな演出に頼るのではなく、自然の光そのものを味方につけるまで待つという姿勢は、この曲が歌う「かつての可能性」を、誰かに与えられた完成品としてではなく、自分たちの手で獲得しにいく態度と重なって見える。クライアント側からは「作ってくれればなんでもいい」という高い自由度が与えられ、普段からCreepy Nutsのミュージックビデオを手がけているチームに制作が委ねられたと明かされている[5]。企業のCMソングという枠組みでありながら、制作陣の裁量を尊重する体制が敷かれたことが、結果的にタイアップの域を越えた一本の作品を生んだのだろう。ただし、映像そのものは実写のドラマ性で押し切るタイプではなく、街と人物の情景を淡々と積み重ねていく構成に近い。曲や歌詞が持つ内省的な熱量を、劇的な物語ではなく、日常の延長にある光景として静かに映し出している。MVがヒップホップ部門の賞を受けた事実からも、映像単体としての完成度の高さは間違いないが、歌詞が持つ思想的な射程の広さと比べると、主視点として選ぶにはもう一歩踏み込んだ物語性がほしいというのが正直な感想だ。それでも、夕日を待つという地道な選択の積み重ねが、この曲の静かな説得力を裏側から支えていることは、知っておいて損はない事実だと思う。

磐田で、かつての天才たちに会う

磐田で家や土地の相談を受けていると、若い頃に描いていた家族の理想や仕事の夢と、実際にたどってきた人生との間にある距離に向き合っている方に、よくお会いする。理想通りにいかなかったことを悔やむ声を聞くこともあるが、話を重ねていくと、その理想があったからこそ、今この土地で、この家で、暮らしを続けてこられたのだとわかることが多い。相続で実家をどうするか悩む方、空き家になった生家を前に立ち尽くす方、家族の形が変わっていく中で住まいのあり方を考え直す方。それぞれの決断の背景には、若い頃に思い描いていた家族像や暮らし方があり、その理想と現実のあいだで、今の選択が形づくられている。過去の自分を否定せず、今の自分の延長線上に置き直すことができたとき、人はようやく次の一歩を軽くできるのだと思う。それは、この曲がかつての自分に語りかける構図と、どこか重なる。あの頃の全能感を、そのまま取り戻すことはできない。けれど、あの頃があったからこそ今の自分がいるのだと思い出すことはできる。自粛期間という、誰もが立ち止まらされた時間を経てこの曲が生まれたことを思うと、今の自分から、かつての自分へ語りかけるという行為は、決して特別な人だけのものではないのだと、あらためて感じている。東京での日々を経て、今は磐田で土地や家に関わる仕事をしている自分にとって、この曲は華やかな成功譚ではなく、立ち止まった時間をどう受け止め直すかという、地に足のついた問いかけとして響く。夜、事務所から車で帰る道すがら、田んぼの向こうに沈んでいく夕日を眺めながらこの曲を流すことがある。都会の喧騒の中で聴いていた頃とは違い、静けさの中でこの曲を聴くと、歌詞の持つ内省の色が、より鮮明に浮かび上がってくるように感じる。土地に根を張って生きるということは、かつての自分が思い描いていた景色とは違うかもしれない。それでも、この土地で家族と過ごす今の時間もまた、あの頃の自分が見ていた未来の一つの形なのだと、この曲を聴くたびに思い直している。

参考リンク

かつての自分に今の自分から語りかけるように、家や土地にも、過去と今をつなぎ直す時間が必要になることがあります。

静岡県磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理にお悩みの方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。