ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=E_v-VC2PEtY
確認した動画: 福耳 / 星のかけらを探しに行こう Again(オフィスオーガスタ関連公式音源、1999年7月14日発表のデビューシングル音源)

ひとつの曲が、何年かの時を経て、別の歌い手たちの手に渡り、もう一度息を吹き返す。そういう場面に出会うと、私はいつも立ち止まってしまう。「星のかけらを探しに行こう Again」は、まさにそうした再生の記録として残っている1曲だ[1]。杏子が1995年に歌ったオリジナルを、1999年になって杏子自身と、山崎まさよし、スガシカオの3人が歌い直す[2][1]。同じメロディ、同じ言葉の輪郭を持ちながら、そこに重なる声の数が増えることで、曲そのものの手触りがまるきり変わってしまう。一人で歌われていたときの静けさと、3人で歌われるようになってからの厚みは、同じ曲でありながら、まったく別の部屋で鳴っているように聴こえる。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★☆

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:「曲がいい」と「歌詞がいい」は同点だが、この曲の場合、主視点は歌詞に置きたい。杏子が一人で歌っていたオリジナルの言葉が、4年の歳月を経て3人の声で歌い直されることで、同じ言葉が「一人称の呟き」から「誰かへの呼びかけ」へと意味を広げていく。この変化はメロディそのものの魅力というより、言葉と声の関係が生む効果であり、記事として最も深く語れるのはこの部分だと判断した。MVについては、確認できた映像が実写のドラマ性を持つミュージックビデオというより、音源とジャケット意匠を軸にした公式音源動画に近いため、曲・歌詞より一段控えめな評価とした。

私が東京で働いていた頃、ひとつの企画が一人の手を離れて何人もの手に渡り、思いがけない形に育っていくのを何度も見てきた。誰かが始めたものを、別の誰かが受け継ぎ、さらに別の誰かが重ねていく。そのたびに、最初の姿からは想像もつかなかった仕上がりになる。企画書の一行だったものが、会議室を通り、現場を通り、いくつもの手を経て、誰も予想していなかった形に育つ。その過程を思い出すたび、私は自分の仕事もまた、一人で完結するものではなかったのだと気づかされる。福耳という名前を初めて聞いたとき、私はその現場の空気を思い出した。3人はもともと同じ事務所に所属する仲間で、最初から「ユニットを組もう」と決めて集まったわけではなかったらしい[3]。1998年、札幌のライブ会場のこけら落とし公演に3人で出演し、杏子の曲を一緒に歌ったところから、なし崩し的に「福耳」という名前がついていった、という成り立ちを知ってから、この曲の聴こえ方が少し変わった気がする[3][4]。狙って作られたものではなく、気がついたらそこにあった重なり。計画されたプロジェクトというより、偶然が重なって形になったもの。磐田で家や土地の話を聞いていると、そういう偶然の重なりが、計画されたものよりもずっと強い形を残すことがある、と思う瞬間がよくある。家族の集まりも、事業の継承も、最初から筋書きがあったわけではなく、気がついたらそこに人が集まっていた、という順番で始まることの方が、実は多いのかもしれない。

杏子のソロ曲から、3人のユニットの声へ

「星のかけらを探しに行こう Again」は、1999年7月14日にKitty Recordsからリリースされた、福耳のデビューシングルである[1]。福耳は、元バービーボーイズの杏子、シンガーソングライターの山崎まさよし、スガシカオという3人からなる特別ユニットで、この曲は杏子が1995年に発表したオリジナル曲「星のかけらを探しに行こう」のリメイクにあたる[1][2]。オリジナル盤は1995年2月25日にリリースされ、杏子自身が作詞、馬場一嘉が作曲、田村玄一が編曲を担当していた[2]。表題曲はTBS系「世界・ふしぎ発見!」のエンディングテーマとして使われ、同年4月発売のアルバム『Dear Me』にも収録された曲だった[2]。Again版では、この作詞・作曲の骨格を引き継ぎながら、編曲にストリングスを加えた仕立てになっているとされ、NHK BSの10周年イメージソングとしても起用されたと伝えられている[1]。オリコンの週間チャートでは初回盤が9位、通常盤が16位を記録したという記録も見られるが、この順位表記は出典によって細部が異なるため、正確な数字は一次資料での確認が望ましい[1]。それでも、初回盤と通常盤という異なる仕様が同時に用意されていたこと自体、レコード会社側がこの曲にかなりの期待をかけていたことの表れだったのではないかと想像する。ソロで歌われていた曲が、3人の声を得ることで、テレビというもう一つの文脈にも呼応していったことになる。杏子はこの曲を、1995年当時、自身の声一本で成立させていたはずだ。それが4年の時を経て、山崎まさよしの伸びやかな声と、スガシカオのやや掠れた低い声が加わることで、曲の輪郭そのものが変わっていく。歌詞そのものを引くことはしないが、旅立ちや再会を思わせる言葉が並んでいた印象は、聴くたびに記憶の奥から立ち上がってくる。ソロの時代には一人称の呟きのように響いていた曲が、3人になってからは、誰かに向かって呼びかけるような、開かれた響きに変わっている。そう聴こえるのは、単に声の数が増えたからというより、それぞれの人生を背負った声が重なることで、曲の中の「探しに行こう」という呼びかけが、より多くの誰かに向けられたものになったからかもしれない。

「福耳」という名前と、なし崩しの結成

ユニット名の由来を調べていて、意外なところに行き着いた。「福耳」という言葉自体は、事務所オフィスオーガスタの代表が以前から気に入っていたもので、山崎まさよしやスガシカオのアルバムタイトル案として提示されたものの、いずれも本人たちに断られていたのだという[3]。一度は誰のものにもならず、行き場を失っていたこの言葉が、1998年、札幌のライブ会場のこけら落とし公演の名前として使われ、そこに杏子・山崎・スガシカオの3人が集まって杏子の曲を歌ったことから、結果的にユニット名として定着していった[3][4]。狙って組み立てられたユニットというより、気づいたときにはもうそこに3人がいた、という順序で生まれた組み合わせらしい。この「決めてから集まった」のではなく「集まってから決まった」という成り立ちは、聴きながら思い出すと、曲の中の声の重なり方とどこかで響き合っているように感じられる。誰かが明確な設計図を描いて3人を配置したというより、それぞれが自分の場所で活動しているうちに、ある一夜の巡り合わせが、後から見れば必然だったように名前を与えられていく。ユニットという言葉の響きからは、綿密に計画された共同作業を想像しがちだが、この3人の場合はむしろ逆で、名前があとから追いついてきたような印象がある。福耳はその後も不定期に活動を続け、2001年には元ちとせが加わるなど参加アーティストを増やしながら、屋外コンサート「Augusta Camp」を中心に活動範囲を広げてきた[4]。2018年には結成20周年を迎え、記念アルバムがリリースされている[5]。2024年11月には、この「星のかけらを探しに行こう Again」自体が45回転・180g重量盤のアナログレコードとして世界初のアナログ化を果たしたことも、音楽ナタリーが報じている[6]。ジャケットはリリース当時のグッズデザインをモチーフにしたものだったといい、四半世紀を経てなお、この曲がファンの記憶の中で特別な位置を占め続けていることをうかがわせる[6]。3人がその後もそれぞれソロで活動を続けながら、折に触れて福耳として声を重ねてきたという事実そのものが、この曲の成り立ちを物語っているように思う。

重なることで生まれる、もう一つの輪郭

3人の声が同じ曲の中で重なっているのを聴いていると、それぞれの持ち味がそのまま残りながら、全体としては一人では出せない立体感が生まれているように聴こえる。杏子の声が曲の芯を保ち、山崎まさよしの声がそこに柔らかな厚みを足し、スガシカオの声がまた違う角度から輪郭を縁取っていく——そんなふうに私には聴こえる。誰か一人が主役なのではなく、3つの声が並んで初めて、この曲の温度が定まる。ソロで活動しているときのそれぞれの声とはまた違う顔つきが、この曲の中では立ち上がってくるようにも感じられる。山崎まさよしのソロ曲を聴くときの伸びやかさとも、スガシカオの楽曲に特徴的な、話すように歌う独特の節回しとも違う、もう少し柔らかく、譲り合うような歌い方に聴こえる瞬間がある。Again版で加わったストリングスのアレンジが、3人の声の間に程よい余白を作っているようにも聴こえ、それぞれの声が競い合うのではなく、並んで景色を見ているような距離感が保たれている[2]。3人がそれぞれ自分の色を主張しすぎず、かといって誰かに完全に寄り添うわけでもなく、ちょうどいい距離感で並んでいる。そのバランス感覚こそが、この曲を単なる「豪華な顔合わせ」以上のものにしているように思える。東京で仕事をしていた頃、専門の違う人間が一つの案件に関わることで、想定していなかった解決策が出てくる場面を何度も経験した。設計の担当者と、現場を知る担当者と、数字を見る担当者が、それぞれ違う言葉で同じ問題を語る。最初はかみ合わないように見えても、その違いこそが、一人では思いつかなかった答えを連れてくることがあった。誰か一人の力ではなく、異なる視点が重なることで、初めて見える景色があった。会議室で意見がぶつかるたびに、正直なところ煩わしく感じたこともある。それでも後になって振り返ると、あのとき誰か一人の判断だけで進めていたら、今よりずっと薄い結果しか残らなかっただろうと思う場面の方が、記憶に長く残っている。福耳という名前の由来自体が「誰のものにもならなかった言葉」だったという経緯を思うと、この曲もまた、一人のものとして完結していたら生まれなかった何かを持っているのだと思う。声を重ねるという行為は、単に音量を増やすことではなく、それぞれの声が持つ個別の記憶や背景までも、曲の中に一緒に持ち込むことなのかもしれない。

言葉が「呼びかけ」に変わるとき

歌詞そのものを引用することはしないが、この曲が描いている時間と距離について考えてみたい。杏子が一人で歌っていた1995年のオリジナルは、旅立ちや再会を思わせる言葉を、どちらかといえば自分自身に言い聞かせるような温度で歌っていたのではないかと想像する。それが1999年、3人の声を得て歌い直されたとき、同じ言葉が持つ響きが変わる。一人称の呟きだったはずの言葉が、複数の声で歌われることで、聴き手一人ひとりに向けられた呼びかけのように立ち上がってくる。「探しに行こう」という誘いの言葉は、一人で発するときと、複数人で声を揃えて発するときとでは、届く先の広さがまるで違う。前者は自分の背中を押す言葉であり、後者は隣にいる誰かの背中まで押す言葉になる。この曲がタイトルに「Again」という一語を掲げていることも、単なる続編という以上の意味を持っているように思える。同じ言葉を、もう一度、別の声で歌い直す。その行為自体が、歌詞の中にある「もう一度探しに行く」というテーマを、曲の成り立ちそのもので体現しているとも読める。言葉は変わっていないのに、歌う人数と歳月が変わることで、聴き手が受け取る感情の重さが変わってしまう。これは歌詞そのものの強さというより、歌詞と声の関係が生み出す効果であり、この曲を語るときに見落とせない部分だと思う。大人になってからこの曲を聴き直すと、10代の頃には気づかなかった「誰かと一緒に何かを探す」という言葉の温度に、あらためて気づかされる瞬間がある。

公式動画で確認できること、できないこと

この曲の映像面について確認できた範囲を正直に書いておきたい。今回参照した動画は、1999年のシングル音源をベースにした公式の音源動画で、実写のロケーションやストーリーを持つ、いわゆるミュージックビデオとしての演出が確認できる作りにはなっていない[7]。福耳としては、その後「Augusta Camp」などのライブ映像や、他の楽曲での実写ミュージックビデオも公開されており、映像表現に力を入れていないアーティストというわけではない。ただし、この曲に限って言えば、今回の調査で確認できた公式の動画は音源中心のものであり、色彩設計や構図、物語性といった観点から高く評価できる材料が乏しい。そのため、MVの評価はやや控えめに置いている。とはいえ、ジャケットや音源動画のデザインが「リリース当時のグッズデザインをモチーフ」にしていると公式サイトで案内されていることからもわかるように[8]、映像や意匠の面でもこの曲を大切に扱おうとする姿勢は感じ取れる。実写の物語性を伴うMVがないからこそ、聴き手は自分自身の記憶の中に映像を補って聴くことになる。それもまた、この曲との向き合い方の一つなのかもしれない。

磐田で見つめる、家族という重なり

磐田で家や土地の相談を受けていると、家族それぞれの考えが違うまま、それでも一つの結論に向かっていく場面によく立ち会う。親の意見、子の意見、住み続けたい人の思いと、手放すことを考える人の事情。どれも譲れない部分を持ちながら、それでも重なり合うことで、誰か一人では出てこなかった答えにたどり着くことがある。長く一人で暮らしてきた家を手放すかどうかという相談でも、本人の思い出と、遠方に住む子どもたちの現実的な事情と、実際にその土地を活かす側の視点が重なって、初めて次の一歩が見えてくることが多い。福耳という3人のユニットが、それぞれ別の場所で活動しながら、ある曲をきっかけに声を重ね、新しい命を得た曲を残したように、家族もまた、それぞれの生活を抱えたまま、一つの家や土地という場所で重なり合っている。空き家になった実家の相談を受けるとき、そこには必ず、住んでいた人の記憶と、それを継ぐ人の生活と、これから先の土地の使い道という、いくつもの時間が同時に存在している。一つの答えを出すというより、いくつもの時間をどう重ねるかを一緒に考える仕事だと、最近はよく思う。「星のかけらを探しに行こう Again」というタイトルに含まれた「Again」という一語は、一度歌われた曲が、もう一度、別の形で歌われることを示している。1995年に杏子が一人で歌った曲が、1999年には3人の声を得て、もう一度世に出された。同じ旋律でありながら、そこに関わる人の数が増えたことで、曲の持つ意味そのものが広がっていったように感じられる。磐田の家々を見て回りながら、私はこの「もう一度」という言葉に、何度も出会ってきたような気がしている。誰かが暮らした家が、時を経て別の家族の手に渡り、そこでもう一度、新しい生活が始まる。土地もまた、一人の持ち物として完結するのではなく、代を重ねるごとに、そこに関わる人の数だけ、新しい意味を重ねていくものなのかもしれない。福耳という3人が、一つの曲を通じてそれぞれの声を重ねたように、家族もまた、一つの家や土地を通じて、それぞれの思いを重ねていく。そうやって重なった先にしか見えない景色があると、私は磐田の仕事を通じて、繰り返し教えられている。

参考リンク

3人の声が重なって一つの曲がもう一度生まれ直したように、家や土地にも、複数の人の思いが重なって次の形が生まれます。

静岡県磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理にお悩みの方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。