ページ作成日: 2026年7月11日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=dqApaRsDmyo
確認した動画: FUNKY MONKEY BABYS「明日へ」(レーベル提供の公式ミュージックビデオ)

この曲のミュージックビデオを久しぶりに見返して、思わず画面の前で声が出た。ボールを追いかけているのは、紛れもなく中山雅史だったからだ。ジュビロ磐田のユニフォームを着た「ゴン中山」が、高校生たちのすぐそばで一緒に汗を流している。「明日へ」は、日本テレビ系の第88回全国高等学校サッカー選手権大会の応援歌として作られた曲だが、そのMVに、地元・磐田が生んだサッカーの英雄が起用されていたことを、恥ずかしながらこれまで意識したことがなかった。

磐田で生まれ育った人間にとって、ジュビロ磐田というクラブと中山雅史という選手は、単なる「有名人」の枠には収まらない存在だ。かつてJリーグ発足直後、まだ田んぼの広がるこの街に本拠地を置くクラブが、日本代表のエースストライカーを擁して全国と渡り合っていたという事実は、今も地元の誇りとして語り継がれている。その本人が、高校生の背中を押すための曲のMVに映り込んでいる。曲そのものの魅力とはまた別に、この巡り合わせに気づいてしまうと、もう他人事としては聴けなくなった。

大石セレクション:MVがいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★★★★

選定理由:楽曲自体、疾走感のあるバンドサウンドと素直な応援歌詞がよくまとまっており、高校サッカー選手権の応援歌としての説得力は十分にある。ただ、この曲を語るうえでどうしても外せないのが、公式MVに中山雅史(ゴン中山)が起用されている事実だ。ジュビロ磐田の全盛期を支えたレジェンドが、ジャケットにも複数の著名人が起用された特別な布陣の一角として、高校生たちのすぐ横でボールを追いかけている。磐田という土地に生きる者として、このキャスティング自体がひとつの物語になっていると感じ、主視点はMVがいいに置いた。

両A面シングルとして生まれた「明日へ」――高校サッカー選手権への書き下ろし

「明日へ」は、2009年11月18日にリリースされたFUNKY MONKEY BABYSの11枚目のシングル「ヒーロー/明日へ」に収録された、両A面楽曲の一方である[1]。作詞はFUNKY MONKEY BABYSと川村結花、作曲はFUNKY MONKEY BABYSとオオバコウスケ、編曲はsoundbreakersが手がけている[2]。この曲は日本テレビ系「第88回全国高等学校サッカー選手権大会」の応援歌として書き下ろされたもので、もう一方の収録曲「ヒーロー」は日本テレビ「ズームイン!!SUPER」「ズームイン!!サタデー」の秋テーマとして使われ、家族のために働く父親たちへのエールという性格を持つ[1]。1枚のシングルの中に、高校生への応援歌と、働く大人への応援歌が並んで収められている構成そのものに、このグループが当時目指していたものが表れているように思う。

「ヒーロー/明日へ」はオリコン週間シングルチャートで最高4位を記録し、初週の売上は約3万7千枚で、当時のグループのシングルとして最高の初動を記録したという[1]。累計売上でもグループ屈指の実績を残し、この曲をきっかけにFUNKY MONKEY BABYSは同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たしている[1]。ジャケットには、当時「ズームイン!!SUPER」の司会を務めていたアナウンサー・羽鳥慎一と、中山雅史という2人の著名人が同時に起用されており、これはグループのシングルジャケットとして初めての試みだったと伝えられている[1]。それぞれの人物が、それぞれの楽曲のミュージックビデオにも起用されており、「明日へ」の映像では中山雅史が、高校生たちと共にピッチに立つ姿が描かれている。

青くささを恐れない歌詞と、まっすぐなバンドサウンド

この曲の歌詞は、高校生活の限られた3年間というテーマを、飾らない言葉で歌い上げている。何にでも興味を持ち、何にでも挑戦できる年代を全力で生きてほしいという、あまりに率直なメッセージだ。大人になってから聴くと、こうしたストレートな応援の言葉には、ある種の照れくささを感じてしまうこともある。それでも、疾走感のあるギターとドラムが後押しするテンポの中で歌われると、その青くささこそが正しい強度に思えてくるから不思議だ。歌詞の全文をここで紹介することはしないが、繰り返される「明日へ」という短い言葉だけで、聴き手それぞれの記憶にある「まだ何者でもなかった時期」を呼び起こす仕掛けになっている。

FUNKY MONKEY BABYSというグループは、ヒップホップを軸にしながらもポップスやロックの要素を柔軟に取り込むスタイルで知られており、この曲でもラップ的な語り口と歌唱パートが自然に交差する構成になっている[3]。コード進行自体は王道と呼べるシンプルなもので、奇をてらわず、サビに向けて素直に盛り上がっていく作りだ。応援歌という役割を背負う楽曲は、複雑さよりも伝わりやすさが優先されることが多い。この曲もその例に漏れず、初めて聴いた高校生がすぐに口ずさめるだけの分かりやすさを持っている。技巧よりも、届けたい相手に真っすぐ届くことを選んだ曲だと感じる。

ゴン中山という、磐田にとっての特別な存在

中山雅史という選手について、あらためて説明するまでもないという人も、磐田以外の土地では意外と少ないかもしれない。Jリーグ発足から間もない時期、まだクラブとしての知名度も高くなかったジュビロ磐田を、日本代表クラスのストライカーとして牽引した選手だ。ゴールを決めるたびに見せる独特のガッツポーズは、当時テレビの前で見ていた自分たちの世代にとって、ほとんど磐田というまち自体の象徴のように記憶されている。地方の小さな都市から、日本を代表する選手が生まれ、そのクラブが全国リーグの頂点を争う。そんな出来事が実際に自分の生まれ育った土地で起きたということは、大人になった今でも、どこか信じきれない誇らしさとして残っている。

その中山雅史が、引退から時を経てなお、高校生の応援歌のミュージックビデオに起用されている。しかもそこで演じているのは、過去の栄光を語る役どころではなく、今を生きる高校生たちのすぐ横で共にボールを追いかける、同じ目線に立つ姿だ。かつて自分たちの世代を熱狂させた選手が、次の世代の背中を押す側に回っている。この巡り合わせに気づいたとき、この曲はもう単なる「よくできた応援歌」ではなく、磐田という土地の記憶そのものを運んでくる曲に変わって聴こえた。中山雅史のキャリアを知らずにこの曲を聴くのと、知った上で聴くのとでは、MVの1シーンごとの重みがまるで違う。

磐田で介護と不動産の仕事をしながら、この曲を聴く

東京で働いていた頃、この曲がヒットしていたことは記憶の片隅にありながらも、正直なところ深く意識することはなかった。応援ソングというジャンルの曲は、当事者でなければ、どこか通り過ぎてしまいやすいものだ。磐田に戻り、介護と不動産という、家族や暮らしの節目に立ち会う仕事を続けてきた今だからこそ、この曲の意味合いが違って見えてくる。介護の現場では、これから人生を歩んでいく若い世代の家族と接する機会も多い。祖父母を支えるために奔走する高校生や大学生の姿を見るたびに、限られた時期を全力で生きてほしいというこの曲のメッセージが、自分ごととして胸に残る。

不動産の仕事で実家じまいの相談を受けるときも、そこには必ず、かつて子どもだった誰かが過ごした時間の記憶がある。庭でボールを蹴っていた跡や、部屋に貼られたままの色あせたポスター。そうしたものを片付けながら、ここにも「明日へ」向かって走っていた誰かの3年間があったのだと想像することがある。この曲がゴン中山という磐田の象徴的存在と共に届けられたように、自分の仕事もまた、この土地に生きてきた人たちの記憶を、次の世代へと橋渡しする役割の一部なのかもしれないと思う。派手さのないまっすぐな応援歌が、20年近く経った今もこうして胸に残り続けているのは、その言葉と映像が、届けたい相手にきちんと届くよう作られていたからなのだろう。

デビュー曲や応援歌が、時間を経てから本当の意味を持ち始めることがあるように、家や土地にも、後から見えてくる価値があります。

静岡県磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理にお悩みの方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。