ページ作成日: 2026年7月1日
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大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:この曲の核は、なんといっても堀込高樹が書いたコード進行にある。KIRINJIの音づくりに親しんだ耳ですぐわかる、都会の夜をそのまま音にしたような浮遊感のあるコード運びと、古内東子のハスキーな声がぶつからずに溶け合う様子は、何度聴いても発見がある。歌詞やMVもそれぞれ魅力的だが、「作曲家が変わったことで生まれた化学反応」を語れる強さという点で、主視点は迷わず曲がいいに置いた。

「somewhere in TOKYO」は、古内東子が2005年11月16日に発表したシングル「コートを買って」に収録された一曲である。表題曲の陰に隠れがちなカップリングだが、実はここに、この曲を特別なものにしている出会いがある。作詞を古内東子自身が手がけ、作曲をKIRINJIの堀込高樹が担当した、当時としては初めてのコラボレーションだったことが、のちの音楽ナタリーの報道で明らかにされている。編曲は森俊之。BARKSが当時報じたところによれば、このシングル全体は古内東子のそれまでのAOR的なイメージを離れ、エレクトロなサウンドへと踏み出した作品として紹介されており、それでいて「艶ある歌声は健在」と評されている。つまりこの曲は、変化と継続がせめぎ合う場所で生まれた一曲だったということになる。リリースから約20年を経た2024年6月26日、この曲には初めてミュージックビデオが公開された。監督は映像作家の小嶋貴之で、AIとコラージュを組み合わせた手法により、東京に生きる男女の情景が描かれたと音楽ナタリーは伝えている。長く聴かれ続けてきたわけではないかもしれない。それでも誰かが20年越しに映像をつけたいと思うほどの手応えが、この曲のどこかに残っていたということだろう。曲そのものの詳しいオリコン順位や売上は資料の上では確認できず、ここでは断定を避けたいが、表題曲を含むシングル全体が2005年当時の彼女のキャリア後半を支えた一枚だったとされる。派手な物語ではなく、静かな手触りの中に長く残るものがある。この曲はまさにそういう曲だと思う。古内東子は1990年代から2000年代にかけて、恋愛の機微を丁寧にすくい上げる歌い手として支持を集めてきた人だ。「コートを買って」がリリースされた2005年は、彼女がFLIGHT MASTーからポニーキャニオンという体制の中でキャリアを重ねていた時期にあたる。長く同じスタイルで愛されてきた歌い手が、この時期にあえてサウンドの方向を変えようとしたことには、それなりの意志があったはずだと想像したくなる。もっとも、その意志が本人の言葉として明確に語られた資料は見当たらず、ここではあくまで一つの見立てとして書いておきたい。

堀込高樹が書いたコード、古内東子が乗せた声

聴いていていちばん興味深いのは、作詞と作曲の役割の分かれ方だと思う。言葉を綴ったのは古内東子自身、その言葉を包む器を作ったのは堀込高樹というKIRINJIの片翼だ。KIRINJIの音づくりに親しんでいる耳で聴くと、この曲のコード進行にはどこか浮遊感がある。ありがちな四畳半フォーク的な湿り気ではなく、都会の夜景をそのまま音にしたような、少し乾いた響きが基調になっているように聴こえる。それでいて、古内東子のボーカルが乗った瞬間に、その乾いた骨格に体温が戻ってくる。もともと彼女の声はハスキーで、少し掠れた質感を持つ。BARKSが「艶ある歌声」と書いたのは、そのざらつきの中にある色気を指していたのだろう。エレクトロなアレンジと言われると硬質な印象を持つかもしれないが、実際に聴くと、機械的な冷たさよりも、都市の夜に漂う湿度の方が強く伝わってくる。堀込高樹が書くメロディには、サビで急に開けるというより、じわじわと視界が広がっていくような展開が多い。この曲もそうで、盛り上がりを強く主張しない代わりに、気づけば景色が変わっている、という聴後感がある。派手な転調やドラマチックなブリッジを置かずに、淡々と進みながら心を動かす。そのバランス感覚こそが、この曲がただの懐メロで終わらない理由ではないかと思う。

僕が東京で働いていた時期、家に帰る前によく聴いていた曲の一つがこれだった。当時は歌詞の意味よりも先に、このサウンドの質感に惹かれていた気がする。仕事終わりの電車の窓に映る自分の顔、地上に出た瞬間の生ぬるい空気、コンビニの灯り。そういう具体的な記憶と、曲の持つ浮遊感が結びついて、いまだに「somewhere in TOKYO」という言葉を聞くと、当時住んでいた部屋の匂いまで思い出せる気がする。音楽が記憶を運ぶというのはよく言われることだが、この曲の場合、歌詞そのものよりも、コード感やアレンジの質感の方が記憶の入り口になっている。それは珍しいことではないかと、今になって思う。編曲を担当した森俊之の仕事にも触れておきたい。打ち込みの質感とバンドサウンドの間を行き来するような音作りをする人で、この曲でも、機材の冷たさをそのまま出すのではなく、生の楽器が持つ揺らぎを残しながら電子的な質感を重ねているように聴こえる。だからこそ、エレクトロという言葉から連想される無機質さと、古内東子の生々しい歌声が、対立せずに同居できているのではないか。作詞・作曲・編曲という三者の役割がそれぞれ違う方向を向きながら、最終的に一つの温度でまとまっている。この曲を形づくっているのは、そういう緊張と調和のバランスだと思う。

カップリングという場所で生まれたもの

表題曲ではなくカップリングだったという事実は、軽んじられるべきではないと思う。むしろ、シングルの主役を担う楽曲とは違う自由さが、こういう曲には宿ることがある。売り上げや訴求力を強く意識しなくてよい分、作家同士の化学反応がそのまま残りやすい。堀込高樹という他者の作曲を得たことで、古内東子はいつもの自分の作曲パターンから一歩外に出て、言葉を書いたのではないか。そう考えると、この曲の歌詞世界が、他の彼女の楽曲と少し違う手触りを持っていることにも納得がいく。恋愛の直接的な痛みというより、都市の中で人と人がすれ違っていく、もう少し引いた視点の情景が描かれている印象がある。これは僕の解釈にすぎないが、作曲者が変わることで、書き手としての古内東子自身の視点も変わったのではないかと感じる。同じシングルに収録された、1980年代の楽曲のカバーである「九時からのリリィ」と並べて聴くと、このシングルが過去の音楽への目配せと、新しいサウンドへの挑戦という、二つの方向を同時に抱えていたこともよくわかる。「somewhere in TOKYO」はその中間、いわば橋渡しの位置に置かれた曲だったのかもしれない。

磐田で働くようになった今、東京というのは頻繁に通う場所ではなくなった。それでも仕事の打ち合わせや相続関連の手続きで上京することはあり、駅を降りるたびに、あの頃と変わらない喧騒と、あの頃とは違う自分を同時に感じる。東京は変わらないようでいて、実は絶えず作り替えられている街だ。ビルが壊され、店が入れ替わり、路線の案内表示すら数年でデザインが変わる。それなのに、電車の揺れ方や、改札を抜けたときの人の流れの速さは、昔とほとんど変わらない。そのギャップの中に立つと、自分がどれだけ時間を重ねたかを思い知らされる。この曲を聴き返すときの感覚も、それに近い。曲は当時のままなのに、聴く自分は変わっている。だからこそ「somewhere in TOKYO」というどこか特定できない場所を示すタイトルが、今も色褪せずに響くのだと思う。somewhereという言葉は、場所を指しているようで、実は場所を特定しないための言葉でもある。どこか、という曖昧さの中に、複数の人の記憶を同時に受け止める余地が生まれる。もし曲名が具体的な地名だったら、この曲はもっと狭い意味しか持てなかっただろう。東京という大きな街の、どこか名づけようのない場所を指すことで、聴く側それぞれが自分の東京を思い浮かべられるようになっている。これは狙われた仕掛けというより、結果としてそう機能しているのではないかと感じる。

20年後に映像がついた理由

2024年になって、なぜこの曲にミュージックビデオがつけられたのか。公式な意図表明は見当たらないが、AIとコラージュを組み合わせた映像で東京に生きる男女を描いたという制作手法そのものが、一つの答えになっている気がする。20年前の楽曲を、当時の技術ではなく今の技術で見つめ直す。それは、古い曲をそのまま懐古するのではなく、現在の目線を通して再解釈するという作業だったのではないか。音楽が先にあって、映像は後から追いついてくる。この順番は、僕がこの曲を聴くときの感覚にも似ている。当時は言葉にできなかった感情を、今になってようやく輪郭づけられることがある。曲は変わらず、受け取る側の解像度だけが上がっていく。この曲がなぜ聴き手を惹きつけるのかと考えると、メロディや声の魅力だけでなく、こうした「後から意味が更新されていく」構造そのものが理由になっているように思えてくる。一度聴いて終わる曲ではなく、何年かおきに聴き返すたびに違う顔を見せる曲だ。ミュージックビデオという形で20年越しに公開の場を与えられたことも、この曲が持つ静かな生命力を裏づけているように思う。当時のシングルの中では前面に出ることのなかった一曲が、時間を経て、あらためて誰かの目に留まった。ヒットチャートの数字だけでは測れない評価のされ方が、音楽にはあるのだと、この経緯を知ってあらためて思う。

家や土地の相談を受ける仕事をしていると、人が長く住んだ場所には、本人も忘れていたはずの記憶が幾重にも積もっていることに気づかされる。古い家を片づけていると、何気ない引き出しの奥から、当時の生活の匂いがふっと立ち上ることがある。音楽も同じで、二十年近く前に作られたこの曲を今聴き直すと、当時は気づかなかった細部が耳に届くようになっている。堀込高樹の作った器の緻密さ、古内東子の声に残るわずかな揺らぎ、エレクトロという言葉だけでは片づけられない生っぽさ。そうしたものが、年月を経て少しずつ見えてくる。この曲を今この文章の中に置いてみて思うのは、東京というどこか匿名的な場所を舞台にしていながら、実際には聴く人それぞれの、極めて個人的な記憶に結びついていくという逆説だ。だからこの曲は、東京を離れて何年経っても、こうして磐田の仕事場で不意に聴き返される。

東京にいた頃は、いつか自分もこの街を出るとは思っていなかった。仕事があり、人間関係があり、日々の生活があるうちは、その場所を離れる想像はなかなかできないものだ。それでも人はどこかのタイミングで場所を移し、生活の速度を変え、それまでの自分を少しずつ手放していく。磐田に移ってからの時間は、東京での時間よりもゆっくりと流れている実感がある。土地が広い分、移動には時間がかかるが、人と人との距離の測り方は東京とは違う形をしている。近すぎず、遠すぎず、ちょうどいい間合いがあるように感じることが多い。それでも、ふとした瞬間にこの曲が流れると、東京の湿った夜の記憶が、磐田の乾いた夜の空気の中に不意に混ざり込んでくる。二つの街の時間が重なるその瞬間こそ、この曲を聴く意味なのかもしれない。過去の自分と今の自分をつなぐ線として、この曲はまだ静かに機能し続けている。誰かとの距離、街との距離、そして過去の自分との距離。この曲が扱っているのは、結局のところそのすべてなのだと思う。

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