ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=W5cZcrkQ-b4
確認した動画: globe / FACES PLACES(globe公式YouTubeチャンネル)

「FACES PLACES」は、globeが1997年3月5日に発表した9枚目のシングルであり、同年3月12日発売の2ndアルバム「FACES PLACES」の表題曲でもある[1][2]。作詞は小室哲哉とMARC(マーク・パンサー)、作曲・編曲は小室哲哉が単独で手がけている[2]。オリコン週間シングルチャートでは3位を記録し、プラチナ認定を受けるヒットとなった[2]。銀座ジュエリーマキ「エステートツインジュエリー」のCMソングとしても起用され、当時のテレビや店頭で耳にした人も多いはずだ[2]。アルバム「FACES PLACES」自体は、当時ロサンゼルスに滞在していた小室哲哉が現地のスーパーマーケットで目にした雑誌の見出しにタイトルの着想を得たとされ、初週164万枚、累計約324万枚を売り上げ、日本の歴代アルバムセールスでも上位に入る記録を残した[3]。「FACES PLACES」という曲名には、小室哲哉自身の言葉で「いろんなところに行ってみようぜ」という意味が込められているという[2]。表題曲でありながら先行シングルという位置づけでもあり、アルバム全体の方向性を先に示す役割を担っていた一曲だ。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:この曲は、小室哲哉が作曲家として到達した最高音域の一つを持つ曲であり、その意味で「曲がいい」も十分に高い。だが、それ以上に強いのは、歌詞に込められた小室哲哉自身の人生と重ねられた時間の層である。年を重ねた者が振り返って初めて意味がわかる言葉が並び、KEIKOという他者の声を通して初めて成立する告白のような構造を持っている。曲を作った人間の個人的な焦燥や葛藤が、歌う人の声によって普遍的な感情に変換されていく過程を語れる強さという点で、主視点は歌詞がいいに置いた。

裏声を使わない声域、地声で運ばれる緊張感

この曲を音として聴いたとき、まず耳を引くのは尋常でない音域の高さだ。小室哲哉が作曲した数多くの楽曲の中でも、最もハイトーンな部類に入る一曲とされ、KEIKOはこの音域を裏声を一切使わず、地声のまま歌い切っている[2]。ポップスのボーカルにおいて、高い音域は多くの場合ファルセットで処理される。裏声には裏声の柔らかさや浮遊感があるが、その代わりに声の芯は薄まる。ところがこの曲では、地声の張りを保ったまま高い音域を突き抜けていくため、聴いていて生理的な緊張感がある。喉のどこかに力を込めて聴いてしまうような、そういう種類の音楽的な圧がこの曲にはある。だからこそ、KEIKO本人が体調が万全でなければ歌いこなせない曲だったとも言われている[2]。イントロからすでに、後にやってくる高音域への助走のような緊張感が漂い、Aメロで抑えた声の運びをしていたかと思うと、サビで一気に音域が跳ね上がる。この落差の作り方こそ、小室哲哉が得意とする構成の妙だろう。単に高い音を置くだけなら誰でもできる。だがその高音に至るまでの道のりを丁寧に設計し、聴き手の耳を自然にそこへ導いていく手際は、やはり職人的だ。アレンジも小室哲哉自身が手がけており、当時のglobeサウンドに共通する、打ち込みの硬質さと生々しいボーカルの対比が、この曲でも一貫して機能している。機械的なビートの上に、これほど人間くさい、限界に近い声が乗ることで、曲全体に不思議な生命力が宿る。何度も聴き返すうちに気づくのは、この曲が単なる「高い曲」ではなく、「高さに意味がある曲」だということだ。声域の限界に挑むこと自体が、曲のテーマである焦燥感や切迫感と分かちがたく結びついている。技巧のための技巧ではなく、感情の表現としての高音域。そこにこの曲の音楽的な強度がある。

小室哲哉の人生の年号が織り込まれた歌詞

この曲の歌詞に丸ごと触れることはしないが、その構造について考えてみたい。小室哲哉自身がのちのインタビューで明かしたところによれば、歌詞には彼自身の人生における具体的な年号が組み込まれているという[4]。1970年の大阪万博、1981年の音楽活動の始まり、1984年のTM NETWORKとしてのデビュー、1994年のTM NETWORK終了とプロデューサーへの転身、そして曲が発表された1997年。小室哲哉はこの1997年を「精神的なスイッチングの年」と表現し、当時「自分のブームやエネルギーがそろそろなくなっていく」という焦燥感を抱えていたと振り返っている[4]。これは本人の発言に基づく情報であり、歌詞全体がそのまま自伝的な告白であると断定はできないが、少なくとも作者自身がそう位置づけていたことは重要だろう。興味深いのは、この極めて個人的な焦りや葛藤を、小室哲哉自身ではなくKEIKOの声で歌わせているという点だ。小室哲哉は「僕の代わりにKEIKOが歌ってくれた曲」と語っている[4]。作曲家が自分の内面を、自分の声ではなく他者の声に託して表現する。この距離感が、歌詞に独特の強度を与えている。KEIKOが歌うことで、小室個人の焦燥は、女性のリアルな葛藤や自立の物語としても聴こえるようになり、結果として一人の作曲家の私的な感情が、より広い聴き手の人生に開かれていく。「Best of my life」という前向きな言葉と、「Lookin' for the FACE / PLACE」という探し続ける姿勢が同居する歌詞の構造は、確立された成功の中にいながら、なお何かを探し続けなければならない人間の落ち着かなさを描いているように読める。年号という具体的な記号と、顔や場所という抽象的な探求が同じ曲の中に共存していることで、聴き手はこの歌を単なる個人史としてではなく、自分自身の人生の節目に重ねて聴くことができる。大人になってから聴き返すと、若い頃には気づかなかった切迫感や、時間が有限であることへの意識が、じわりと染みてくる歌詞だと思う。

台湾ロケのMVと、20年越しに増えたもう一つの映像

この曲の公式ミュージックビデオは、レコーディング風景と台湾でのプロモーション活動の様子をまとめた構成になっている[2]。ドラマ的な物語を作り込むタイプの映像ではなく、当時のglobeというユニットが実際にどう活動していたかを記録した、いわばドキュメンタリー的な性格の強いMVだ。派手な演出や象徴的な情景の作り込みは控えめで、その分、当時の空気そのものが残っている貴重な映像になっている。台湾での活動風景が含まれていることは、90年代後半のglobeがアジア圏でも支持を広げていたことを物語ってもいるだろう。一方で、2016年には「MUSIC VIDEO Drama Project」の一環として、女優の新川優愛が主演するドラマ仕立ての映像も新たに制作されている[2]。約20年の時を経て、一つの楽曲に対して性格の異なる二つの映像が存在することになったわけだ。最初の映像が「その時代の記録」であるのに対し、後年のドラマ版は「曲の中の物語を、後から誰かが具体的な人物と情景に置き換えて見せる」という試みだったと言える。この二重性は面白い。歌詞が小室哲哉個人の年表を織り込みながら普遍的な物語として開かれていったのと同じように、映像もまた、記録から物語へと形を変えながら、この曲に新しい聴かれ方・見られ方を与え続けている。公式MVとしての完成度で見れば、レコーディングとプロモーションの記録という性質上、映像単体でのドラマ性や情景の作り込みはそれほど強くない。曲や歌詞が持つ緊張感や物語性に比べると、MVはやや淡白な印象を受ける。ただし、当時の空気をそのまま閉じ込めているという意味では資料的な価値が高く、後年のドラマ版と合わせて見ることで、一つの曲がどう受け継がれてきたかを立体的に感じ取ることができる。

参考リンク

作曲家が自分の代わりに誰かの声に思いを託すように、家や土地にも、誰かが託した時間が残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。