ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=APcOZvx82B0
確認した動画: globe / Many Classic Moments(globe Official YouTube)

「Many Classic Moments」は、globeが2002年2月6日に発表した26枚目のシングルである[1]。7thアルバム「Lights」と同時にリリースされ、その表題曲としてアルバムにも収録された[1][4]。TV東京の音楽番組「倫敦音楽館 Lon-mu」のオープニングテーマとしても使われており、オリコン最高順位は24位を記録している[1]。作詞は小室哲哉とMARC、作曲・編曲は小室哲哉が単独で手がけた[1][2]。1996年の「DEPARTURES」の頃のような社会現象的な熱狂からは離れた時期の作品だが、だからこそ聴こえてくるものがある。小室哲哉は自著「罪と音楽」の中で、この曲について「21世紀に入ってから、90年代的な作り方から少しずつ距離を置くようになった。この曲は、降ってきたような感覚だった」という趣旨のことを語っている[1]。全盛期の熱量とは違う場所から生まれた一曲を、あらためて聴き直してみたい。

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:この曲の核にあるのは、小室哲哉が一人で作り上げたトラックそのものの完成度である。6分を超える尺の中で、トランス的な反復が少しずつ表情を変えていく構成、KEIKOの歌声が音像の中でどう配置されるかという距離感の作り方、そしてMARCのラップが割り込むタイミングの選び方。どれも、当時の流行を追いかけるための曲ではなく、小室哲哉自身が「これでいい」と思える手触りを探りながら作った曲だと感じさせる。歌詞やMVにも聴きどころ・見どころはあるが、「一人の作家が時代の熱狂から距離を置きながらそれでも曲を作り続けた」という物語をいちばん雄弁に語るのは、やはり曲そのものの構造だと考え、主視点は曲がいいに置いた。

一人で組み上げたトラックの、静かな熱量

まず驚かされるのは、この曲が持つ尺の長さと、その中での展開のさせ方である。Original Mixは6分を超える長さを持ち、いわゆるシングル曲としては決して短くない[1]。この時期のglobeのアルバム制作について伝えられているところによれば、小室哲哉が一人で自己流のプリプロダクションからミックスダウンまでを担当し、サポートミュージシャンを起用せず、生のアコースティックギターに聴こえる音も含めて機材で組み上げていたという[3]。つまりこの曲も、複数の演奏者がスタジオに集まって作り上げた音ではなく、一人の作家が机の上で、音の一粒ずつを積み上げていった結果として存在している。そう考えて聴き直すと、イントロのシンセの重なり方や、リズムトラックが少しずつレイヤーを増やしていく過程が、単なる打ち込みの効率化ではなく、一人の作家が納得のいく質感を探りながら組んだ跡のように聴こえてくる。トランスというジャンルの語彙を使いながらも、四つ打ちの反復に酔わせるタイプの曲ではない。むしろ反復の中に細かい変化を仕込み、聴き手の耳を少しずつ引っ張っていくタイプの構成になっている。1番と2番、そして曲後半での音数の増減にも意識が向けられていて、間奏部分で一度音数を絞り、そこから再びビルドアップしていく呼吸は、当時の小室哲哉が手がけていた他の楽曲と比べても、より内省的な手触りを持っている。KEIKOのボーカルは、この音像の中で前に出すぎることも、埋もれることもない位置に置かれている。歌詞を朗々と歌い上げるというより、トラックの一部として溶け込みながら、要所要所でメロディの輪郭をくっきりと立ち上げる歌い方だ。そこにMARCのラップが挟み込まれることで、曲全体に緩急が生まれている。この緩急の設計こそが、6分という長さを長く感じさせない理由であり、何度聴いても飽きさせない仕掛けになっている。派手なサビの盛り上がりで押し切るのではなく、じわじわと温度が上がっていく構成を選んだこと自体が、当時の小室哲哉の心境を映しているようにも思える。

距離を置いた場所から歌う、という歌詞の姿勢

歌詞そのものの引用は避けるが、この曲の言葉づかいから伝わってくる距離感について触れておきたい。作詞は小室哲哉とMARCの共作である[1][2]。MARCが担当したラップパートは、メロディを歌うパートとは違う視点を曲に持ち込んでいる印象がある。感情を直接的にぶつけるというより、少し引いた位置から状況を語るような言葉の運び方だ。それは、小室哲哉自身がこの時期のglobeの立ち位置について語った言葉とも重なる。7thアルバム「Lights」に先立つ「outernet」の時期、globeは自分たちが次にどこへ向かえばいいのか分からなくなり、ファンを含めて迷走してしまった経験があったと伝えられている[3]。その反省から、小室哲哉は「メインボーカルの存在感・歌唱力・表現力が大事な時代になった」と痛感したという[3]。この曲の歌詞が特定の恋愛のワンシーンを描くというより、もう少し抽象度の高い言葉を選んでいるように聴こえるのは、そうした模索の時期にあったからかもしれない。1990年代のglobeが体現していた、時代の熱狂そのものを歌うような曲とは違い、この曲はむしろ、熱狂の後にどう立ち直るかという心境に近い言葉を選んでいるように思える。大人になってから聴き返すと、当時は気づかなかった静けさが言葉の端々にあることに気づく。それは決して弱さではなく、走り続けることをいったんやめて、自分の足元を確かめるような姿勢だ。歌詞だけで作品として屹立するというよりは、曲の構造と一体になって初めて意味を帯びる言葉たちだと感じる。だからこそ、この項目の評価は曲そのものの評価よりも一段控えめに置いた。

2002年という時期に、この曲が置かれていた場所

「Many Classic Moments」がリリースされたのは2002年2月6日、7thアルバム「Lights」との同時発売だった[1]。その2か月後には8thアルバム「Lights2」も発売され、春からは約3年ぶりとなる全国ツアーも行われている[3]。つまりこの曲は、globeというユニットが再びツアーへ動き出す、その入り口に置かれた一曲だったことになる。1990年代半ばの「DEPARTURES」や「FREEDOM」が刻んだ社会現象的な記録の数々と比べれば、オリコン24位という順位は、決して当時のピークを再現するものではない[1]。しかしその数字だけでこの曲を測るのは早計だろう。翌月にはリミックス版が「songnation featuring globe」名義でリリースされ、こちらもオリコン49位を記録している[1]。一つの曲が形を変えて複数回チャートに現れているという事実は、この曲が当時のシーンの中でそれなりの手応えを持って迎えられていたことを示している。さらに時を経て、2015年には浜崎あゆみが「#globe20th -SPECIAL COVER BEST-」でこの曲をカバーし、その音源は2016年のアルバム「M(A)DE IN JAPAN」にも収録された[1]。同時代を代表する別の歌い手が、あえてこの曲を選んでカバーしたという事実は、「Many Classic Moments」が単なる過渡期のアルバム収録曲ではなく、後続のアーティストからも一定の敬意を払われてきた曲であることの証だと思う。MVについては、公式YouTubeチャンネルに音源とビジュアルを組み合わせた映像が公開されている。派手なストーリー性を追うタイプの映像ではなく、曲の持つトランス的な質感やアルバムのコンセプトである「光」というテーマに寄り添うような、シンプルで内省的な作りになっている。曲の熱量を邪魔しない代わりに、映像単体としての驚きや発見はやや控えめで、主視点として選ぶには一歩届かない、というのが正直な印象だ。それでも、音だけでは伝わりにくいこの時期のglobeの佇まいを、映像を通して感じ取れる意味は十分にある。全盛期の熱狂を知る世代がこの曲を聴き直すとき、そこにあるのは過去の栄光の反復ではなく、一人の作家が新しい世紀の入り口で見つけた、静かな手触りである。

参考リンク

一人の作家が積み重ねた曲の記憶があるように、家や土地にもまた、誰かが積み重ねた時間が残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。