ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=gtT347z0Z7A
確認した動画: globe / 「FACE」(主演:池田エライザ)(globe公式YouTubeチャンネル)

「FACE」は、globeが1997年1月15日に発表した8thシングルである[1]。作詞は小室哲哉とMARC、作曲・編曲・プロデュースを小室哲哉が手がけ、フジテレビ系木曜劇場「彼女たちの結婚」の主題歌、NTT「まるちねっとフェア」のCMソングとして起用された[1]。オリコン週間チャートで初登場1位を記録し、前作「Can't Stop Fallin' in Love」に続く2作連続のミリオンヒットとなっている[1]。それほどの代表曲でありながら、発売当時の「FACE」には、実はミュージックビデオが存在しなかった[1][2]。当時のglobeがそうであったように、あまりに多忙な活動の中で、映像制作にまで手が回らなかった楽曲がいくつもあったのだという[2]。その空白が埋められたのは、発売から19年が経った2016年のことだった。globeのデビュー20周年を記念した「MUSIC VIDEOドラマプロジェクト」の第一弾として、当時19歳のモデルであった池田エライザを主演に迎え、「FACE」のためのMVドラマが制作されたのである[2][3][4]。監督は薮内省吾が務め、2016年3月15日から公開された[3][4]。同じ「FACE」という曲を扱いながら、当サイトの別記事で紹介している「20th Special Edit Version」が過去の実演映像を編み直した回顧的な作品であったのに対し、こちらは新たに撮り下ろされた、まったく独立したひとつの短編ドラマである。今回はこの池田エライザ主演版だけが持つ、物語としての強度に焦点を当てたい。

大石セレクション:MVがいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★★★★

選定理由:「FACE」というトラックの強さ、小室哲哉の書く歌詞世界の強さは、あらためて言うまでもない。ただ、この記事で取り上げているのは、その2つを前提とした上で「19年間映像がなかった曲に、初めて具体的な一人の女性の物語を与えた」という一回性の企画である。歌手を志して上京し、挫折し、故郷へ戻ってきた女性が、母の店で働きながら人生の分岐点に向き合う。その筋書きを、池田エライザが19歳という年齢を感じさせない荒々しさと繊細さで演じ切ったことで、曲と歌詞がずっと持っていた「痛みと再生」というテーマが、初めて具体的な顔と表情を得た。曲の強度が土台にあってこそ成立する映像だが、その土台の上に何を積み上げたかという点で、この記事の主視点は迷わずMVがいいに置いた。

19年間、なぜこの曲に映像がなかったのか

「FACE」を最初に聴いたとき、そして知ったときにまず驚かされるのは、これほどのヒット曲でありながら、発売当時に公式のミュージックビデオが作られなかったという事実そのものである。オリコン初登場1位、ミリオンセラー、ドラマ主題歌とCMソングの二重タイアップ。今の感覚で言えば、映像がない方が不自然なほどの好条件が揃っていた曲だ[1]。それでも映像化が見送られたのは、当時のglobeとその周辺が置かれていた状況の忙しさゆえだったと伝えられている[2]。小室哲哉が手がける楽曲は次々とヒットを重ね、制作と活動のスケジュールは常に埋まっていた時代である。そうした環境の中で、「FACE」は音源とタイアップ映像だけを携えて世に出て、そのまま長く聴かれ続けてきた。この空白は、欠落というより、ある種の余白だったのではないかと思う。曲と歌詞だけが独立して存在し続けたことで、聴き手それぞれが自分なりの情景を思い描く自由が残されていた。だからこそ、19年後にあらためて映像をつけるという判断には、相応の覚悟が必要だったはずだ。すでに聴き手の中で完成している曲に、後から具体的な画をあてがう。それは下手をすれば、曲が長年育ててきた余白を狭めてしまう行為にもなりかねない。globe側がこの試みに踏み切った背景には、20周年という節目の年に、単なる懐古ではなく、当時描き切れなかった小室哲哉の歌詞世界を、今の映像表現でもう一度掘り下げたいという意図があったとされている[3][4]

池田エライザが演じた、故郷に戻ってきた女性

MVドラマの主人公は、歌手を目指して上京したものの、納得のいく活動ができないまま故郷へ帰ってきた女性である[2][3][4]。母が営むスナックで働きながら日々を過ごす中で、彼女は短い時間のうちに人生の分岐点を迎え、自分自身と向き合い、あらためて前へ進む決意をする、という筋書きが描かれている[3][4]。このプロットそのものは、決して奇をてらったものではない。むしろ、90年代のglobeが繰り返し描いてきた「都会で傷つき、それでも自分を取り戻していく女性」という主題を、そのまま一人の人物の人生に落とし込んだような内容だ。池田エライザは、この主人公を演じるにあたって、母の店で働く場面の色香や、感情を隠さずにぶつける荒っぽさまで、当時19歳という年齢からは想像しにくいほどの振れ幅で演じ切ったと伝えられている[2]。夢を追った先で挫折を知った人間の疲れ、それでも完全には諦めきれない意地、家族のもとに戻ったときの気まずさと安堵が入り混じった表情。そうした細かな感情の層を、セリフに頼らず、表情と仕草だけで積み重ねていく演技は、アイドル的なミュージックビデオの範囲を超えて、一本の短編映画に近い密度を持っている。監督の薮内省吾は、小室哲哉が歌詞の中でどれほど深く女性の心情を描いてきたかを、映像を通じてあらためて浮かび上がらせることを狙ったと語っている[4]。実際、この映像を見たあとで曲を聴き直すと、これまで漠然とした「痛みと再生」の物語として受け取っていた歌詞が、急に一人の女性の顔と結びついて聞こえてくる。抽象的だった歌詞世界に、初めて固有の輪郭が与えられた瞬間だと言っていい。

母の店、地元、時間の narrow な使い方

このMVドラマが優れているのは、限られた尺の中で、場所の情報だけで人物の背景を語らせている点だ。都会の煌びやかな景色ではなく、母の店という生活感のある場所を中心に据えることで、「夢破れて帰ってきた者」の現実が、説明ゼリフなしに伝わってくる。都会で描かれるはずだった歌手としての成功物語は画面には映らず、代わりに映るのは、地元に戻った後の、決して華やかではない時間だ。この選択が効いている。もし上京先での挫折の場面を丁寧に描いていたら、この映像はよくある「夢破れた人のドラマ」で終わっていたかもしれない。しかしこのMVドラマは、挫折そのものよりも、挫折した後にどう生きるかという「その先」の時間に焦点を絞っている。だからこそ、短い尺の中でも人物の内面の変化が置き去りにならず、観る側の記憶に残る。曲の構成そのものが持つ、静かに始まってサビで感情が動き出すという展開とも、この映像の時間の使い方はよく呼応している。派手な転換点を作らず、日常の延長線上に、それでも確かに訪れる「分岐点」を描く。この抑制された演出の仕方が、90年代のヒット曲を今の映像表現で描き直すという企画の狙いに、過不足なく応えているように感じられる。

曲の余白を狭めず、広げた映像

先に触れたとおり、「FACE」は19年間、映像を持たずに聴き手それぞれの想像に委ねられてきた曲だった。その意味で、後から与えられる映像には、常に「これでよかったのか」という緊張が伴う。今回の池田エライザ版が成功しているのは、曲が本来持っていた抽象性を狭めるのではなく、その抽象性の中にあった一つの可能性を、丁寧に具体化してみせた点にあると思う。すべての聴き手にとっての「FACE」がこの女性の物語になったわけではない。それでも、この映像を一度見た後は、曲を聴くたびに、この一人の女性の表情がどこかに重なって聞こえてくる。それは曲の自由度を奪うことではなく、むしろ曲に新しい聴き方の入口を増やしたということではないか。20周年という節目に、当時できなかったことを、当時とは違う技術と感性でやり直す。その行為自体が、この曲がいかに長く、いかに多くの人に大切にされてきたかを裏付けている。もし「FACE」がヒットしなかった曲であれば、19年後にわざわざ新作の物語を与えられることもなかっただろう。忘れられなかったからこそ、埋め合わせる価値があると判断された。そう考えると、この映像そのものが、曲の生命力を証明するもうひとつの記録になっているように思える。

参考リンク

19年の空白の後にようやく映像が与えられた曲があるように、家や土地にも、長い時間を経て向き合うべき瞬間が訪れます。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。