ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=Oy7fhdAWvpk
確認した動画: 浜田省吾「悲しみは雪のように」ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"(浜田省吾 Official YouTube Channel)

「悲しみは雪のように」は、1981年9月21日発売のアルバム『愛の世代の前に』に収録され、同年11月にシングルとしても発売された楽曲である。だが多くの人がこの曲を記憶しているのは、1992年2月1日、フジテレビ系ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌としてリメイクされたバージョンではないだろうか。星勝の編曲でまとい直されたこの再録音は、浜田省吾にとって初めてのオリコン週間シングルチャート1位、しかも10週連続という記録的なヒットになった。累計170万枚を超えるセールスは、それまで熱心なファン層に支えられてきたアーティストのキャリアを、一気に社会全体に開いた出来事だった。だが、この曲の本当の値打ちは、そうした数字の側にはない。曲の背後にある、ごく個人的な体験の重みにこそある。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:1981年版と1992年版という二つのアレンジを経て磨かれたメロディは、バラードとして非常に完成度が高い。だが、この曲を選ぶなら、まず語りたいのは歌詞の方だ。浜田省吾自身の母親が病に倒れた体験がモチーフになっているという背景を知ってから聴くと、悲しみの底にいる人間が、それでも誰かに向けてふと優しさを差し出せる瞬間を描いた言葉の一つひとつが、まったく違う重みを持って届いてくる。今回参照した動画は公式のミュージックビデオではなく、東日本大震災の翌月から始まったツアー「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」のライブ映像であるため、MVとしての評価は主視点には置いていない。それでも、大きな悲しみの後に組まれたこのツアーで歌われたという事実そのものが、歌詞の意味をさらに深く響かせている。

母の病から生まれた、一篇の詩のような歌詞

「悲しみは雪のように」の歌詞は、浜田省吾の母親が脳梗塞で倒れたという、きわめて個人的な出来事がきっかけになって書かれたと伝えられている。人が深い悲しみのただ中にいるとき、悲しみは人を頑なにすることも、逆に人を柔らかくすることもある。この曲が描いているのは後者だ。雪が降り積もるように、音もなく心を覆っていく悲しみ。だがその雪の白さの中で、ふと誰かへの優しさに気づく瞬間がある。詩人・吉野弘の「雪の日に」という作品からの着想があるとも語られており、直接の引用というより、雪という象徴を通して悲しみと優しさを重ね合わせる発想そのものに、影響を受けたのではないかと想像される。歌詞を丸ごと引用することは避けるが、「悲しみ」という言葉を、まるで天から静かに降ってくる雪に重ねる比喩の選び方には、単なる感傷を超えた、詩としての強度がある。

1981年のオリジナルと、1992年のリメイク

この曲にはもう一つ、聴き比べる楽しみがある。1981年のオリジナル版は水谷公生の編曲によるもので、アルバム『愛の世代の前に』の中の一曲として、まだ広く知られる前の浜田省吾の作品世界にひっそりと置かれていた。それから11年後、星勝の編曲によって生まれ変わった1992年版は、ドラマ主題歌として大幅に音の骨格を組み直され、より広い聴き手に届くバラードとして完成されている。同じ言葉、同じメロディの骨格を持ちながら、まとうアレンジによってここまで届き方が変わるのかと驚かされる。ドラマ「愛という名のもとに」がもたらした社会現象的なヒット、いわゆる「浜省ブーム」の中心にこの曲があったという事実は、浜田省吾のキャリアを語る上で欠かせない一章になっている。

ライブという場所で歌われ続けること

今回取り上げた動画は、2011年4月から2012年6月にかけて全国12都市37公演、動員約35万人を記録したツアー「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」からの映像である。このツアーは東日本大震災の約1か月後という時期に始まり、宮城公演は延期の上、神戸と埼玉ではチャリティ公演も追加で行われたと伝えられている。震災という大きな悲しみが社会全体を覆っていた時期に、「悲しみは雪のように」という曲がセットリストに組み込まれ、ステージの中ほどで歌われていたという記録は、この曲が単なる過去のヒット曲ではなく、その時々の悲しみに寄り添い続けてきた曲であることを物語っている。映像作品としても、このツアーを収めたDVD・Blu-rayは2012年9月に発売され、初登場1位を記録。当時59歳9か月だった浜田省吾は、音楽DVD総合ランキング史上最年長の首位獲得者になったという。歌い手自身が歳を重ねながら、変わらずこの曲を歌い続けているという事実にも、静かな説得力がある。

悲しみの底で、誰かを思うということ

東京で働いていた頃、身近な人の病や別れに直面しても、目の前の仕事に追われて悲しみをきちんと受け止める時間を持てなかったことがある。悲しみは後回しにできるものだと、どこかで思い込んでいたのかもしれない。だがこの曲を聴くと、悲しみとは押し殺すものではなく、雪のように積もらせながら、それでもその中で誰かへの優しさを保ち続けるものなのだと気づかされる。磐田に戻り、介護や相続の相談を通じて多くの家族の悲しみに立ち会うようになった今、この曲の意味はさらに深く聴こえるようになった。大切な人を失う不安や喪失の予感の中でも、家族が互いに優しさを差し出し合う場面を何度も見てきたからだ。悲しみが人を頑なにするのではなく、むしろ誰かを思いやる力に変わる瞬間がある。この曲は、そのことを何十年も前から静かに歌い続けている。

今も色褪せない理由

1981年に生まれ、1992年に生まれ変わり、そして2011年のツアーでも歌われ続けてきたこの曲は、発表から数十年を経てなお、色褪せていない。それは、悲しみというテーマが時代によって古びることのない、普遍的な感情だからだろう。誰もが人生のどこかで、大切な人の病や別れに直面する。そのとき、この曲はきっと寄り添ってくれる。派手なメロディではなく、静かに降り積もる雪のような歌詞とメロディだからこそ、聴くたびに新しい悲しみの記憶と重なり合い、そのたびに違う顔を見せてくれる。それがこの曲が長く歌われ続けている、いちばんの理由なのだと思う。

参考リンク

悲しみの底でも誰かを思う気持ちが残るように、家や土地にもまた、家族が積み重ねてきた思いが残ります。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。