「恋」は、星野源が2016年10月5日にSPEEDSTAR RECORDSから発表した9枚目のシングルである[1]。星野源自身が出演したTBS系テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌として書き下ろされ、放送終了から年をまたいでもなお聴かれ続けたロングヒット曲だ。作詞・作曲・編曲のすべてを星野源本人が手がけ、ストリングスアレンジには岡村美央が参加している[1]。契約結婚という一風変わった設定から始まる物語の主題歌でありながら、そこで歌われたのは特定のカップルだけに向けた言葉ではなく、形の異なるあらゆる関係性への祝福だった。今回あらためて星野源公式チャンネルの「恋」の公式ミュージックビデオを見返しながら、当時は世の中の熱狂として横目で眺めていただけの一曲を、曲・歌詞・映像の三つの角度から読み直してみたい。
ドラマの主題と重なった、もう一つの「主題」歌
「恋」がただのタイアップ曲で終わらなかった理由は、ドラマの主題と曲そのもののメッセージが深いところで重なっていたからだと言われている。星野源はこの曲について、「夫婦を超えてゆけ」というフレーズを思いついたときに「もう大丈夫だ」という気持ちになれたという趣旨のコメントを残しており、契約結婚という設定から始まる物語の行方を、曲づくりの中でどう受け止めていたかがうかがえる[2]。単なる主題歌ではなく、愛や生き方の多様性を肯定するドラマの世界観を汲み取った上で楽曲が作られたという経緯を知ると、タイアップという言葉が持つ軽さとはまったく違う重みを感じる。星野源自身がドラマの登場人物として物語の内側にいたことも、曲と物語の距離をより近づけていたのではないかと想像する。
ドラマのエンディングで出演者が踊る「恋ダンス」の映像が話題を呼び、そこから派生した動画がSNS上で数多く投稿されたことは、当時のニュースでも繰り返し報じられていた。振付を手がけたのはMIKIKOで、ダンス経験のない人でも練習すれば真似できそうな振り付けだったことが、これほど広く踊られた理由の一つとされている[3]。契約結婚という特殊な設定の物語から生まれた曲が、形の異なる無数の夫婦や恋人たちへの祝福として受け取られていったことは、曲の持つメッセージの強さが物語の設定を軽々と越えていった証拠のように思える。誰かの真似から始まった踊りが、次第に自分自身の生活の中の踊りに変わっていく。そんな広がり方をした曲は、そう多くない。
チャートに残った、静かに長い滞留
「恋」はBillboard JAPAN Hot 100の週間ランキングで通算11週にわたり首位を獲得し、2016年の年間チャートでは3位、2017年の年間チャートでは1位を記録したと伝えられている[4]。2016年に発売された曲が翌2017年の年間チャートでさらに上位に来るというのは、リリース直後の勢いだけでは説明のつかない現象だ。派手な初速だけで終わらず、年をまたいで聴かれ続けたロングヒットだったことが、この曲の性格をよく表している。オリコンチャートでは最高2位を記録し、2016年12月26日付では9位に再浮上、累計25万枚を超えるパッケージ出荷を記録したとも報じられている[2]。ミュージックビデオの再生回数も公開から数か月のうちに1億回という節目を突破したと伝えられており[5]、一時的なブームというより、生活の中に長く居座り続けた曲だったのだと感じる。翌2017年には第89回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも選ばれたと伝えられているように、テレビの外側にも生活の場面ごとに染み込んでいったことが、この曲の息の長さを物語っている[1]。ドラマが終わった後も、結婚式の披露宴やスポーツの応援歌として姿を変えながら鳴り続けていたことを思うと、一つの主題歌が、放送期間という枠を超えて生活の中に居場所を見つけていった様子がうかがえる。
ハンドクラップとファルセットが生む、体で覚える高揚感
音楽的な作りとして語られることが多いのは、テンポの速さと、随所に挟まれる「チャチャッ」というハンドクラップの効果だ。ヴォーカルパートは明るくポップなコード進行で作られている一方、伴奏だけの部分では少し変わった響きのコードが顔を出し、聴き手を飽きさせない工夫が凝らされていると評されている[6]。テンポの速さは体感としても軽やかで、静かに始まったイントロから徐々に音数が増えていき、気づけば体の芯からリズムを取っているような感覚に引き込まれていく。サビに向かう高揚感と、ファルセットへの滑らかな切り替えが重なるあたりは、歌詞の意味を追わなくても、体が自然に動き出すように聴こえてくる。あの手拍子のパートは、耳よりも先に体の記憶に残るタイプの仕掛けだったのかもしれない。恋ダンスという振り付けがこれほど自然に受け入れられたのも、曲そのものが持つリズムの推進力があったからこそだろう。難しい理屈を挟まず、体の方が先に反応してしまう。それがこの曲の強さの一つだ。改めて音を聴き直すと、明るさの中に少しひねりの効いた響きが混ざっていて、単純な高揚感だけでは終わらない、どこか大人びた奥行きも感じられる。祝福の歌でありながら、浮かれすぎず、静かな確かさを保っているように聴こえるのは、そうした音作りの緻密さゆえかもしれない。ただし、この曲の骨格自体は、明るいテンポと祝祭的なコード運びを軸にした、いわば直球のポップスでもある。曲単体の独自性という点では、次に語る歌詞の思想の強さに一歩譲ると感じ、曲がいいは★4とした。
「夫婦を超えてゆけ」という言葉が開いたもの
この曲の歌詞に丸ごと触れることはしないが、そのかわりに歌詞が描いている関係性の広がりについて考えてみたい。ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で描かれるのは、恋愛結婚でもお見合い結婚でもない、いわば「仕事としての結婚」という契約結婚だった[3]。その特殊な設定のために書かれた主題歌が、なぜこれほど多くの人の実生活に染み込んでいったのか。鍵になっているのは、サビに置かれた「夫婦を超えてゆけ」という言葉だと思う。星野源自身がこのフレーズを思いついた瞬間に「もう大丈夫だ」と感じたと伝えられていることからも[2]、この一節が曲全体の設計図になっていたことがうかがえる。「夫婦」という制度の名前をあえて掲げながら、その先へ「超えてゆけ」と歌う。制度としての結婚を否定するのではなく、制度の名前だけでは語り尽くせない関係のかたちがあることを、まっすぐに肯定しているように聴こえる。契約から始まった関係も、長年連れ添ってきた関係も、まだ形になっていない関係も、等しく祝福されうるのだという視点が、この曲を単なる恋愛ソングから一歩押し広げている。歌詞全体を通して、特定の誰かとの物語というより、聴く人それぞれの生活に置き換えて受け取れる余白が残されているのも特徴だ。もし歌詞が契約結婚という設定をなぞるだけの内容だったら、ドラマが終わった後にここまで長く聴かれることはなかっただろう。ドラマの外側にいる人たちが、それぞれの結婚や恋愛、あるいは家族という関係に、この言葉を重ねて聴いてきたからこそ、曲は放送期間という枠を超えて生き延びたのだと思う。
磐田で見つめる、それぞれの恋の形
磐田に戻ってきて、家や土地の相談を仕事にするようになってから、長く連れ添ってきた夫婦の、それぞれの愛情の形に触れる機会が数多くあった。親から受け継いだ土地をどう分けるか、古い家をどう手放すか、あるいはどう残すか。そうした相談の場に同席するのは、たいてい夫婦であり、時にはその子どもたちだ。派手な言葉で愛情を語る人はほとんどいないが、長年の暮らしの積み重ねの中に、確かな絆が刻まれているのが伝わってくる。「恋」が歌う「夫婦を超えてゆけ」という言葉は、そうした夫婦の姿とどこか重なって聴こえる。制度としての夫婦のかたちがどうであれ、日々の暮らしを共にしてきた時間そのものが、二人にとっての関係の実質になっている。そう思わせてくれる場面に、何度も立ち会ってきた。特別な愛情表現があるわけではないのに、そこに確かな信頼が見える瞬間がある。庭先の木をどちらが植えたか、台所の位置をどう変えてきたか、そんな些細な思い出話が、相談の合間にこぼれ落ちてくることもある。そのたびに、家というものが単なる資産ではなく、二人の暮らしの記録そのものなのだと気づかされる。
星野源と新垣結衣がのちに結婚を発表したというニュースを聞いたとき、ドラマの中で描かれた関係と現実が重なるようで、不思議な気持ちになったことを覚えている。フィクションの中で始まった物語が、現実の暮らしへとつながっていく。「新しい夫婦を形作る人たちへ」という言葉は、これから始まる関係にも、すでに長く続いている関係にも、変わらず寄り添ってくれる普遍性を持っているのだと、あらためて思う。物語の中の二人が現実でも夫婦になったという事実は、この曲が最初から持っていた祝福の力を、あらためて裏付けているように感じられる。
公式MVが映した、回転する祝祭の場
公式ミュージックビデオは関和亮が監督を務め、振付をMIKIKOが手がけている[7]。振付家MIKIKOが主宰するダンスカンパニーELEVENPLAYのダンサーたちに加え、レコーディングに参加したミュージシャンたちが同じ画面の中に配置され、巨大な回転盤の上で演奏とダンスが同時に展開していく構成になっていると伝えられている[7]。曲そのものが持つ高揚感を、映像の中でも「回転」という一つの動きに集約させている点が興味深い。派手なストーリー仕立てのMVとは違い、演奏者とダンサーが同じ舞台の上で回り続けるという一つのアイデアに絞り込むことで、曲のテンポとハンドクラップのリズムが、映像の回転運動とそのまま重なって聴こえてくる。曲を聴くだけでは見えなかった「複数の人間が一つの場を共有しながら祝う」という情景が、映像によって初めて輪郭を持つようになっている。歌詞が歌う「夫婦を超えてゆけ」という言葉が、特定の二人だけの物語ではなく、多くの人が一つの回転盤の上で共に踊り、演奏する情景として視覚化されているようにも見える。このMVは公開から約4か月でYouTube再生回数1億回を突破したと伝えられ[5]、2017年のSPACE SHOWER MUSIC AWARDSで年間最優秀ビデオ賞を受賞したとも報じられている[7]。曲の世界観をよく補強した完成度の高い映像だが、歌詞が持つ思想の強さと比べると、映像単体で新しい解釈を切り開いたというよりは、曲の高揚感を忠実に増幅する役割に徹していると感じる。だからこそMVがいいは★4とした。
思えば、東京で慌ただしく働いていた頃は、結婚や家族というものを、まだどこか他人事のように感じていた。磐田に戻り、土地や家という、暮らしの器そのものに向き合う仕事を始めてから、ようやくその重みが少しずつわかってきたように思う。「恋」という曲は、そういう自分の変化と並走してきた曲でもある。派手に踊られた年から時間が経ち、あの熱狂が落ち着いた今だからこそ、曲の底にある「夫婦を超えてゆけ」という静かなメッセージが、より深く聴こえてくるのかもしれない。生活は毎日少しずつ形を変えていくが、その積み重ねの先に、確かな関係の姿があるのだと、この曲はいつも静かに教えてくれる。
参考リンク
- [1] 恋(星野源の曲) - Wikipedia
- [2] 星野源「恋」なぜロングヒット?『逃げ恥』メッセージとリンクした"主題"歌としてのあり方 - リアルサウンド
- [3] "恋ダンス"誕生秘話をMIKIKO先生が公開&踊るコツ伝授! - J-WAVE
- [4] 星野源はなぜ"踊る"のか?逃げ恥「恋ダンス」で示した、新たなポップスター像 - リアルサウンド
- [5] 星野源、"逃げ恥"主題歌「恋」のミュージックビデオがYouTube再生回数1億回を突破 - SPICE
- [6] 読むだけで作曲の幅が広がる!名曲から学ぶコード分析その18 星野源 - 恋
- [7] 星野源「恋」MV完成!関和亮、MIKIKO、長岡亮介、ハマら磐石の布陣 - 音楽ナタリー
「恋」が制度の名前を超えて、あらゆる関係への祝福を歌ったように、家や土地にもまた、かたちの異なる暮らしの記憶が残っています。
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