「動き出せ」「針を回せ」という威勢のいい呼びかけで始まるこの曲が、サビの最後で「続いてく、意味もなく」という言葉に着地する。この落差に、初めて気づいたとき、はっとさせられました。自分の意志で時間をコントロールしようとしても、結局、時間は意味もなく流れ続けていく。一見すると無常観の漂う結論のようですが、この曲はそこで諦めるのではなく、そんな無常な世の中だからこそ、自分らしく生きていこうという、静かな決意へとつなげていきます。時間をねじ伏せようとする力強さと、時間には勝てないという諦観。その両方を抱えながら生きていくしかない私たちの姿を、この曲は正直に描いています。
ドラマの撮影現場で生まれた歌詞
「時よ」は、2015年にリリースされたアルバム『YELLOW DANCER』に収録された楽曲で、2016年1月1日から放送されていたユーキャン通信講座のCMソングとして書き下ろされました。星野源は、アルバムの制作過程で、ブラックミュージックを取り入れながらも日本を表現したいという思いから、「時よ」という歌詞が「東京」と聴こえるように作ったと語っています。言葉遊びの中に、密かに東京という都市への思いを忍ばせる。この仕掛けを知ると、曲の聴こえ方がまた変わってきます。
もうひとつ興味深いのは、この曲の2番の歌詞が生まれた経緯です。ドラマ「コウノドリ」に役者として出演していた撮影期間中、赤ちゃんと接する機会が多くあり、「赤ちゃんが手を握るということに意味があることなんだな」と感じたことから、歌詞のアイデアが生まれたといいます。役者としての現場での気づきが、ミュージシャンとしての楽曲制作に流れ込んでいく。星野源というマルチな表現者ならではの、創作の連鎖がここにあります。
意味もなく流れる時間への向き合い方
東京で働いていた頃、忙しい日々の中で、時間をコントロールしようと必死になっていた時期がありました。スケジュールを緻密に管理し、無駄を削ぎ落とし、効率よく生きようとする。それでも、どれだけ管理しても、時間はただ淡々と、意味もなく流れ続けていきました。「時よ」が歌う「続いてく、意味もなく」というフレーズは、そういう努力の虚しさを、優しく肯定してくれます。
時間を支配しようとする力みを手放したとき、かえって自分らしく生きる余白が生まれる。この曲は、コントロールを諦めることが、決して敗北ではないのだと教えてくれます。
磐田で受け止める、無常な時間の中で
磐田で家や土地の相談を受けていると、どれだけ準備をしても、時間の流れそのものは誰にも止められないという現実に、何度も向き合わされます。親の老いも、家族の変化も、意味を求めても仕方のない、ただ続いていく時間の一部です。「時よ」が持つ、無常な時間の中でそれでも自分らしく生きるというメッセージは、そうした現実と向き合う上で、静かな支えになっています。
この曲を聴くたびに、コントロールできないものを受け入れながら、それでも自分らしくあり続けることの大切さを、思い出させてもらっています。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、意味もなく流れる時間との向き合い方を読み直す場所です。
