人の家の事情に踏み込む仕事を、もう長くやっています。この家をどうするか、この土地を誰が継ぐか、この先どこで暮らすか。相談に来る人たちは、たいてい家族にも言いにくい事情を抱えていて、それを私に晒します。晒される側の覚悟について、私はずっと考えてきたつもりでした。でも、ある時期から気づいたことがあります。話を聞き、判断を預けられ、地域の中で名前と顔を知られている自分もまた、いつのまにか晒す側であり、同時に晒される側でもあるのだと。星野源が「さらしもの」というタイトルの曲を作ったと知ったとき、真っ先に浮かんだのはその感覚でした。この曲は、PUNPEEというラッパーとの、ビジネスというより友人としての共同作業から生まれたのだと調べて知りました。信頼できる相手だからこそ、弱さやみっともなさをそのまま曲にできる。私にとっての「晒される」も、結局は誰かとの信頼の中でしか成立しないものなのかもしれません。今回はその制作の経緯と、私自身がこの仕事の中で感じてきた「晒す側/晒される側」という往復について、書き残しておきたいと思います。
友人としての制作、STUTSがつないだ縁
「さらしもの (feat. PUNPEE)」は、2019年10月14日に配信リリースされたEP『Same Thing』の収録曲です。このEPは、前作アルバム『POP VIRUS』(2018年12月19日発売)から10か月ほどを経て発表された、スーパーオーガニズムやトム・ミッシュらとの共作を含む4曲入りの作品で、『POP VIRUS』本編には収録されていません。EP全体のコンセプトは「友達と作ろう」というもので、事務所主導のタイアップ的な発想ではなく、音楽を愛する友人たちと一緒に作る、という姿勢で貫かれていたと伝えられています。星野源とPUNPEEは、トラックメイカーのSTUTSを介して知り合ったのだそうです。食事を共にしたり音楽を交換したりする中で自然と距離が縮まり、「曲を作ろう」という話になった。ビジネスの打診から始まったコラボレーションとは、出発点がまるで違います。
楽曲のトラックは、PUNPEEが「源さん、これどうですか」と持ってきた、ドイツ人プロデューサーのRascalによるビートがもとになっているといいます。星野源はそこに生のホーンを加えたいと考え、編曲家の武嶋聡に依頼。メロディーとサビを自ら作った後、PUNPEEに歌詞のヒアリングをしてもらいながら、ラップのリリックを書き上げていったそうです。「さらしもの」というタイトルは、PUNPEEのメモ帳に書かれていた言葉で、それを見た星野源が「めっちゃいい言葉だね」と気に入り、そのまま曲名に採用したと伝えられています。誰かの何気ない言葉が、そのまま作品の核になる。友人だからこそ生まれる、力の抜けた制作過程だったのだろうと想像します。
「さらしもの」という言葉そのものにも、複数の意味が重なっているように思います。古くは、罰を受ける者が人前に引き出されることを指した言葉であり、同時に、大勢の前に立ち、評価や批判の対象になり続けるステージ上の人間そのものを指す言葉でもある。星野源ほどの知名度を持つ人物が、自分自身をその言葉で名指しすることには、単なる比喩を超えた覚悟がにじんでいるように感じます。人気があるということは、常に見られ、常に判断される立場に置かれるということでもある。その居心地の悪さを隠さずに曲名へ差し出したところに、この曲の芯があるのだと思います。
星野源、初のラップ挑戦とPUNPEEの支え
この曲は、星野源にとって初めて本格的にラップに挑戦した楽曲としても知られています。歌うことを長年主戦場としてきたアーティストが、あえて不慣れな表現方法に踏み出す。それ自体が、ある種の「さらしもの」的な行為だったのではないかと感じます。星野源は、PUNPEEに「監修」してもらいながらリリックを書いたと語っているそうで、ラッパーの物真似にならないよう、あくまで星野源自身の言葉として声に出るように、そばで支えてもらったのだといいます。実際に聴いてみると、メロウなビートとピアノのループに乗って、2人が向かい合って会話しているような、とても親密な質感で進んでいくように聴こえます。星野源の声には初挑戦らしい緊張がにじみ、PUNPEEのラップはその緊張に寄り添う影のように響いている。技術の巧拙を競う曲というより、1人の人間の孤独に、もう1人がそっと言葉を添えていくような聴こえ方をします。
MVは公開までに時間差があり、リリックビデオが先行し、アニメーションによる本編MVは翌2020年3月に公開されたと記録されています。オオクボリュウが手がけたこのMVでは、孤独を象徴する炎のイメージが、ろうそくから焚き火へ、さらに音楽そのものへと形を変えながら描かれ、最後は星野源とPUNPEEが東京ドームを背景に向き合う場面で締めくくられると評されています。人前に立つ者の孤独と、それを見守る友人の存在。曲そのものの主題が、映像でも丁寧になぞられているように感じます。チャート成績についての詳しい公式データまでは確認できませんでしたが、EP『Same Thing』は発表当時、星野源が『POP VIRUS』という到達点の先で、あえて肩の力を抜いた作品として音楽メディアで語られていたようです。国民的な支持を得た大作の後に、あえて力の抜けた小さな作品を差し出す。その振れ幅自体が、1人のアーティストの誠実さを物語っているように感じます。
ラップという表現形式は、歌のように旋律に隠れることができません。言葉の輪郭がそのまま剥き出しになる分、書き手の内面がより直接的に聴き手へ届きます。星野源が初めての挑戦の場に、あえてラップというジャンルを選んだのは、偶然ではなかったのだろうと思います。守りようのない形式で、守りようのない言葉を紡ぐ。「さらしもの」というタイトルと、ラップという表現方法は、根っこのところで強く結びついているように聴こえます。
晒す側と晒される側を、行き来する仕事
東京で働いていた頃は、自分の仕事ぶりが上司や同僚の目に晒されることが、緊張の大部分を占めていました。今、磐田で家や土地の相談を受ける仕事をしていると、事情はもう少し複雑です。相談に来る人は、家族関係のこじれや、介護の重さや、誰にも言えずにいた本音を、私の前でようやく言葉にします。私はその人にとって、いちばん晒しやすい相手になろうとしている。同時に、地域の中で名前と顔が知られている以上、私自身の判断や振る舞いも、常に誰かの目に晒されています。晒す側と晒される側は、実は同じ場所で入れ替わり続けているのだと、この仕事を続けるうちに気づくようになりました。「さらしもの」というタイトルが持つ響きは、恥や弱さをただ隠すのではなく、信頼できる相手の前でなら差し出してもいい、という開き直りに近いものに聴こえます。星野源がPUNPEEという友人の前でラップという不慣れな表現に挑んだように、私も、相談に来る人たちの前でなら、知らないことは知らないと言えるし、答えを持たない日もあると認められる。その往復の中でしか、この仕事は成り立たないのだと思います。
家族の話にも、この感覚は重なります。親の介護をどうするか、実家をどう処分するかという相談は、当人同士の家族会議よりも、なぜか第三者である私の前の方が本音が出やすいことがあります。身内には見せられない弱さを、赤の他人だからこそ見せられる。そういう場面に何度も立ち会ってきました。私の家でも、いずれ同じような話し合いが必要になる日が来るはずです。その時、自分は誰の前でなら「さらしもの」になれるだろうかと、ふと考えることがあります。曲の中で星野源がPUNPEEという友人を必要としたように、私にもきっと、そういう相手が要るのだと思います。
介護の現場に近い相談を受けていると、晒されることを恐れるあまり、助けを求めるタイミングを逃してしまう人に、しばしば出会います。誰にも弱っているところを見せたくない、迷惑をかけたくないという思いが、かえって状況を悪くしてしまう。そういう場面を見るたびに、晒すという行為には、隠すことよりも大きな勇気と、それを受け止めてくれる相手への信頼が要るのだと痛感します。「さらしもの」という曲が、友人の存在があってはじめて成立したように、人が弱さを差し出せるかどうかは、受け止める側の存在にかかっているのだと思います。私自身も、そういう受け止め役でいられているか、この曲を聴くたびに問い直しています。
磐田の土地で、晒し合いながら生きる
磐田で暮らし、この土地で家や土地の仕事を続けていると、晒すことと晒されることの境目が、日に日に曖昧になっていきます。相談者の家庭の事情に踏み込む以上、私は誰かの秘密を預かる立場です。同時に、地域という狭い範囲の中で長く仕事をしていれば、自分自身の失敗や判断も、いずれ誰かの記憶に残ります。それを恐れて踏み込むことをやめてしまえば、この仕事はそもそも成立しません。晒されることを引き受けた上で、それでも誠実に振る舞い続けること。「さらしもの」という曲が、友人との信頼関係の中から生まれたように、私の仕事もまた、地域の人たちとの信頼の中でしか続けていけないのだと、あらためて思います。土地というものは、そこに住む人たちの歴史や事情をすべて内側に抱え込んでいます。その土地の仕事に携わるということは、いずれ自分自身もその歴史の一部として、誰かに語られる存在になるということでもあるのだと思います。
家に帰って、家族と過ごす時間は、仕事の中で晒し合ってきた緊張から離れられる、数少ない場所です。それでも、家族の間にも、実は小さな「さらしもの」の瞬間があります。弱音を吐く日、失敗を打ち明ける日、そういう瞬間を受け止め合えるかどうかが、家族という単位の強さを決めているようにも思います。この曲を聴くたびに、仕事でも家庭でも、誰かの前で安心して晒せる場所を持てているかどうかを、静かに確かめ直しています。
星野源とPUNPEEが、ビジネスではなく友人としてこの曲を作り上げたという経緯を知ってから、私は自分の仕事の受け止め方を、少しだけ変えられた気がしています。相談に来る人たちにとって、私は業者である前に、まず信頼できる相手でありたい。そう思えるようになったのは、この曲がきっかけの1つでした。友人のメモ帳の言葉が曲のタイトルになったように、日々の何気ない会話の中にこそ、大事な判断のヒントが隠れていることも多いのだと、この仕事を通じて実感しています。私もさらしものだからな。その一言を、これからもこの土地で、引き受け続けていきたいと思います。