ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=s4Szf_imSMM
確認した動画: 「布袋寅泰 / HOTEI - 「GLORIOUS DAYS」」。投稿チャンネルは「HoteiVEVO」で、YouTube上に「公式アーティストチャンネル」の認証バッジが表示されていることを確認済み。公式性は高いと判断できる。

ときどき、曲名だけで胸の奥が少し明るくなることがある。「GLORIOUS DAYS」——輝かしい日々。過去形でも未来形でもなく、ただそこに置かれたタイトルが、なぜかこちらの記憶の扉を勝手に開けてくる。布袋寅泰のソロ第一作に収められたこの曲を久しぶりに聴き直して、そんな感覚に襲われた。

大石セレクション:曲がいい ★★★★☆

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:ライブ映像としてのMVも、逆光でセンターに立つ布袋の佇まいが印象的で捨てがたい。ただ、この曲の芯にあるのは、やはりイントロのギターリフから雪崩れ込むように開けるサビの構成そのものだと感じた。歌詞は言葉数が少なく、余白を残す作りではあるものの、曲の推進力ほどの強さで語りかけてはこない。音そのものが「輝かしい日々」を体現しているという点で、主視点は曲に置いた。

ソロになった布袋寅泰が、最初に選んだ音

「GLORIOUS DAYS」は、1988年10月5日にリリースされた布袋寅泰のファースト・ソロ・アルバム『GUITARHYTHM』に収録されている一曲である。BOØWY解散からおよそ半年というタイミングで世に出されたこのアルバムは、バンドという形を離れた布袋が、コンピューター技術を大胆に取り入れながら「架空のサウンドトラック」というコンセプトのもとに作り上げた作品だったと伝えられている。全編英語詞という構成も、当時としては挑戦的な選択だった。歌そのものよりも音楽自体を聴いてほしいという意志が、そこにははっきりと表れている。

「GLORIOUS DAYS」の作曲・編曲は布袋寅泰本人によるもので、作詞はハービー山口とレニー・ザカテック(Lenny Zakatek)によるクレジットになっている。ハービー山口といえば写真家として、あるいは音楽シーンの生き証人として知られる人物であり、彼が言葉を寄せているという事実だけでも、この曲がただのラブソングではなく、誰かの体験や時間の重みを背負っていることをうかがわせる。CDには日本語の訳詞が添えられていたということも、当時のリスナーがこの曲の意味を丁寧に確かめながら聴いていたことを想像させてくれる。

イントロからサビへ、迷いのない一直線

この曲の魅力を最初に語るとすれば、やはりギターのイントロだろう。無駄な前置きをせず、すぐに曲の輪郭を掴ませてくるフレーズが鳴った瞬間、リスナーは否応なく「ロックの時間」に引き込まれる。Aメロの抑制された歌い出しから、じわじわとテンションを上げていくBメロを経て、サビでは音数もコード進行の推進力も一気に解放される。この「溜めてから開く」という構成の呼吸が、実に手慣れている。

ドラムとベースのリズム隊が土台を固め、その上をギターが自由に走り回る。当時のクレジットには、ホッピー神山(キーボード)、池畑潤二(ドラムス)、土屋昌巳(ギター)、スティーヴ衛藤(パーカッション)、松井常松(ベース)といった名だたるミュージシャンの名前が並んでいたと伝えられており、単なるソロデビュー作にとどまらない、当時のシーンの精鋭が集った音の厚みを感じさせる。何度聴いても飽きないのは、サビの後の間奏やアウトロにまで手が抜かれておらず、曲全体が最後まで一つの物語として鳴り続けているからだと思う。イヤホンで聴くと、ギターの余韻の消え方ひとつにも意味が込められているのがわかる。

「輝かしい日々」という言葉が残すもの

歌詞そのものを丸ごと紹介することはしないが、この曲の英詞には、誰かとバイクに乗って走っていくような情景が描かれているという。過去の一場面を懐かしむというより、走り抜けている「その瞬間」を切り取ったような視点が強く、聴く側の記憶の中にある移動や別れ、あるいは高揚感を静かに引っ張り出してくる。説明しすぎない言葉の選び方は、英語詞であることも手伝って、意味よりも響きとして届く瞬間が多い。

タイトルの「GLORIOUS DAYS」という言葉自体が、すでに一つの物語を持っている。輝かしかった日々というのは、渦中にいるときには気づけないものだ。後から振り返ったときに初めて、それが輝いていたのだとわかる。この曲がバンド解散後という個人的な節目に生まれたことを思うと、タイトルに込められた意味合いは決して軽くない。過去を懐かしむだけでなく、これから先も「輝かしい日々」を作っていくのだという宣言のようにも読める。ここでの評価としては歌詞そのものを主視点には置かなかったが、曲の骨格を支える大切な言葉であることは間違いない。

興味深いのは、作詞にハービー山口という写真家の名前がクレジットされている点である。ハービー山口は音楽シーンの節目節目を写真という形で記録し続けてきた人物として知られており、そうした人物が言葉を寄せているという事実だけでも、この曲が単なる恋愛の一場面ではなく、時代そのものを写し取ろうとした一曲であることをうかがわせる。写真家が言葉を書くとき、そこには映像的な視点が自然と混ざり込む。だからこそ「GLORIOUS DAYS」の英詞は、情景をワンカットずつ切り取っていくような手触りを持っているのかもしれない。

公式映像に残る、逆光のステージという記憶装置

今回参照した公式YouTube映像は、天井から差し込むライトに照らされたステージで、逆光の中、布袋がギターを片手にセンターに立つという構成のライブ映像である。派手な演出に頼らず、光と影のコントラストだけでバンドの存在感を際立たせる撮り方は、シンプルながら強い印象を残す。ステージにはPINK、ザ・ルースターズ、一風堂、そしてBOØWYのメンバーまでもが集ったという、当時としても特別な一夜の記録だったと伝えられており、映像を見ることで、この曲がスタジオの一作品にとどまらず、あの時代のロックシーンそのものの熱量を背負っていたことが伝わってくる。カメラは終始、逆光の中に立つ姿を引きの構図で捉え続け、サビに向かうにつれて照明の輪郭がより強調されていく。派手なカット割りに頼らない分、音の高まりと光の呼吸がぴったり重なり、映像と演奏が一体になった説得力を持っている。曲だけを聴いていたときには気づかなかった「その場の空気」を、この映像は静かに補ってくれる。

逆光のステージと、実家の片づけで見つけた写真

この曲を書いている大石浩之は、静岡県磐田市で介護と不動産の仕事をしている。もう何年も前になるが、実家の片づけを手伝っていたとき、押し入れの奥から古いカセットテープと一緒に、若い頃の家族の写真が何枚も出てきたことがあった。東京で暮らしていた時期の写真も混ざっていて、当時は無我夢中で気づいていなかったが、今見返すと、あれは間違いなく誰かにとっての「輝かしい日々」だったのだと思う。

仕事で空き家や相続の相談を受けていると、同じような場面によく出会う。片づけの手を止めて、古い写真や手紙をじっと見つめる依頼者の姿。整理を依頼された家という「物」の奥に、必ずその人だけの時間が積み重なっている。「GLORIOUS DAYS」のイントロが鳴った瞬間に感じるあの高揚感は、逆光の中でギターを構える布袋の姿と同時に、そうした誰かの部屋の片隅で見つかる、色あせた一枚の写真とも、自分の中でどこかつながっている気がする。輝いていた日々は、過ぎ去っても消えてしまうわけではない。誰かが思い出す限り、そこにちゃんと残り続けるものなのだと思う。

介護の現場でも、似たようなことを感じる瞬間がある。今は多くを語らなくなった利用者の方が、ふとした拍子に若い頃の話を始めることがある。仕事の武勇伝だったり、初めての恋の話だったり、内容はさまざまだが、語る表情はどこか誇らしげで、まるで今まさにその時代を生きているかのように見える。人は誰でも、自分だけの「GLORIOUS DAYS」を持っていて、それは年齢を重ねても色あせることがないのだと、そうした場面に立ち会うたびに思い知らされる。

参考リンク

輝いていた日々の記憶は、家や土地にもまた静かに残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。