Nulbarichの活動休止を知ったとき、思っていたよりも深く寂しさが残りました。ずっと昔から聴いてきたというより、近年になって自分の中で大きくなってきたグループでした。だからこそ、これからもっと聴いていけると思っていた時間が、ふいに区切られてしまったように感じました。そのあとでJeremy Quartusの「Back To Paradise」を聴くと、これは単なるソロ曲ではなく、Nulbarichで親しんできた声が別の道を歩きながら、こちらへ静かに手を振っているように響きます。
グループが止まることと、音楽が終わることは同じではありません。それでも、好きになった場所が一度閉じると、人は思っていた以上に居場所を失います。曲名にある「Paradise」は、派手な理想郷というより、あの声を初めて好きになったときの自分の場所のように感じます。東京で過ごした時間、仕事帰りに車で聴いた時間、磐田へ戻ってからもふと再生していた時間。そういう個人的な記憶が、曲の軽やかなビートの奥で、もう一度並び直していきます。
Nulbarichのあとに残る声
Nulbarichを聴いていると、都会的という言葉だけでは片づけられない温度がありました。洗練されているのに、冷たくなりすぎない。英語と日本語の境目、ブラックミュージックやポップスの感覚、街の速度に合う軽さ。その中心にあったのがJQさんの声でした。強く押し出す声ではなく、少し距離を置きながら、聴く人の中に入ってくる声です。だから活動休止の知らせは、バンド名が止まるという以上に、あの空気をこれからどこで聴けばいいのか分からなくなる寂しさでもありました。
「Back To Paradise」では、その声が別の名義で前に出ています。Nulbarichの続きをそのまま求めると、少し違うかもしれません。けれど、完全に切り離されたものとして聴くのも違うように思います。人は場所を移しても、声の癖や間合い、音の選び方の奥に、過去に通ってきた道を持っています。この曲には、その道の気配があります。Nulbarichで好きだったものが、別のかたちで息をしている。そう感じられるだけで、活動休止の寂しさは少しだけ別の意味を持ちはじめます。
それは、若い頃に東京で覚えた感覚にも似ています。住む場所が変わり、仕事が変わり、付き合う人が変わっても、ある街で身についた歩幅はすぐには消えません。磐田へ戻ってからも、東京で感じた孤独や自由は、ふとした場面で顔を出します。Nulbarichの音楽も同じで、活動の区切りが来ても、自分の中に残った歩幅までは消えません。Jeremy Quartusの声を聴くことは、その歩幅がまだ残っているかを確かめることでもあります。
楽園へ戻るというより、戻れる場所を探す
「Back To Paradise」という題名は、明るく聞けば、失われた楽園へ帰っていく曲のようにも受け取れます。けれど今の自分には、もっと切実な言葉に聞こえます。楽園とは、現実から逃げる場所ではなく、自分が自分でいられた感覚のことではないか。忙しさの中で、仕事の責任の中で、家庭や地域の用事の中で、人は少しずつ自分の好きだったものを後回しにします。音楽も、いつの間にか新しいものを追う気力が落ち、知っている曲だけを聴くようになることがあります。
それでも、近年Nulbarichを推してきたという感覚は、自分がまだ新しい音に反応できることの証拠でもありました。昔の思い出だけで音楽を聴くのではなく、今の時代の音に心を動かされる。そのことは、小さく見えて大きいことです。年齢を重ねると、好きなものが増えるより、守るものや失いたくないもののほうが目立ってきます。そんな中でNulbarichに惹かれたことは、自分の中にまだ開いている窓があると教えてくれました。
だからこの曲の「戻る」は、過去へ戻ることではなく、開いていた窓をもう一度探すことに近いと思います。Nulbarichが活動を休止しても、そこで開いた窓まで閉じる必要はありません。Jeremy Quartusのソロとして届く音は、同じ部屋にある別の窓のようです。見える景色は少し違う。けれど、風の入り方には覚えがある。そういう感覚が、この曲をただの新曲紹介ではなく、自分の聴く場所を立て直す曲にしています。
磐田で聴く、都会の軽さ
この曲には、都会的な軽さがあります。音の隙間が広く、重く語りすぎない。だからこそ、寂しさを直接なぐさめるのではなく、少し歩けるようにしてくれます。磐田で暮らし、土地や家、相続や空き家、介護や地域の時間に向き合っていると、音楽の中の都会の軽さは、ときどき遠いものに感じます。けれど、その遠さが悪いわけではありません。自分の日常とは違う速度の音があるから、今いる場所を少し外側から見られることがあります。
東京で働いていた頃の記憶は、きれいなものばかりではありません。迷いも、疲れも、孤独もありました。それでも、あの街には新しい音へ体を向けさせる力がありました。Nulbarichを好きになった感覚には、その東京の記憶が重なっています。今、磐田で「Back To Paradise」を聴くと、都会へ戻りたいというより、かつて都会の中で持っていた柔らかい反応を取り戻したいのだと思います。新しいものに驚き、知らない音に身を預け、まだ自分が変われると感じる力です。
活動休止は悲しい出来事でした。近年推してきたグループだったから、なおさらです。ただ、この曲を聴いていると、悲しさだけで終わらせなくてもいいと思えます。グループとしての時間は区切られても、声は別の場所で続いている。聴く側の自分も、同じように場所を変えながら続いていく。ATAWI MUSICでこの曲を残す意味は、そこにあります。Nulbarichを好きだった時間を閉じるのではなく、Jeremy Quartusの声を通して、その時間を次の記憶へつないでいくための一曲です。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、人生の中に残っている音を読み直す場所です。
