ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=wFKvOPQyVL0
確認した動画: KICK THE CAN CREW「千%」MUSIC VIDEO(Victor Entertainment公式)

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:Real Soundに掲載されたKREVAのインタビューを読むと、このトラックが勢いだけでなく、驚くほど手間のかかる工程を経て作られたことがわかる[2]。既存曲のサンプリングではなく、自分たちで新たに作った曲を、あえてもう一度サンプリングし直すという遠回りな作り方。BPM78前後で作った音源を90近くまでピッチアップして生まれる高揚感。作曲家・柿崎洋一郎氏によるコード進行、積み上げられたストリングスと女性コーラス、MPCで組まれたドラムの質感。これらが緻密に重ねられた末に、あの疾走感が生まれている。歌詞のテーマも力強く、MVも公式に存在し再生数を伸ばしているが、「作り方そのものが物語っている本気度」という点で、主視点は曲がいいに置いた。

「千%」という言葉を最初に聞いたとき、数字としての大きさよりも先に、その不自然さのほうが気になった。100%で十分なところをあえて10倍にする発想は、冷静に考えれば奇妙だ。けれどKICK THE CAN CREWがこの曲を世に出したのは、2017年、活動休止から14年という時間を経てのことだったと知ると、その不自然さの意味が少しわかる気がしてくる。14年という歳月は、100%という物差しでは測りきれない。積もった時間の分だけ、彼らは自分たちの本気を大きく見積もり直す必要があったのではないか。KREVA、MCU、LITTLEの3人は2004年、人気の絶頂で活動を休止し、それぞれソロで別々の道を歩んでいたとされる。その空白のあとに戻ってくるということは、単に元の場所に立つことではない。空白の分だけ何かを上乗せしなければ、戻ってきたことにならない。そういう感覚が、100%ではなく千%という極端な数字を選ばせたのだろうと、自分は勝手に想像している。東京で働いていた頃、長く現場を離れた人が復帰してくる場面を何度か見た。多くの人は控えめに、少しずつ元の調子を取り戻していく。しかし稀に、離れていた時間の分だけ強い熱量を持って戻ってくる人がいた。KICK THE CAN CREWの「千%」を聴くと、いつもその人たちの顔を思い出す。ブランクは弱さの証明ではなく、時に本気度を増幅させる装置にもなり得る。この曲はその実例として、自分の中に長く残り続けている。

14年の空白と、20周年という偶然

「千%」は2017年8月30日発売のアルバム『KICK!』のリード曲として制作された楽曲で、グループにとって実に約14年ぶりとなるオリジナル作品だったとされる。ORICON NEWSに掲載されたインタビューによれば、活動再開の直接のきっかけは2014年の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014」への出演だったという。事前の予定はなかったが、その舞台に立ったことについてスタッフから「そのまま活動に戻らないのか」と指摘されたとKREVAは振り返っている。3人の中では迷いもあったようで、LITTLEは当時「そのまま3人でライブに出るのか」という戸惑いと「やばい、やらなければ」という焦りの両方を抱えていたと同記事は伝えている。そうした逡巡を経て、2016年1月頃から月1回のペースで活動を再開し、2017年が結成20周年にあたることに気づいたメンバーたちは、その節目に本格復帰を果たすことを決めたという。14年というブランクは、当初から狙って設計されたものではなく、気づけばそれだけの時間が流れていた、という性質のものだったらしい。それでも彼らは、その空白を隠すのではなく、むしろ空白の重みごと引き受けて曲を作った。ここに「千%」というタイトルの必然性がある気がしている。100%では足りない、と誰かが感じたとすれば、それは14年分の沈黙が、そのくらいの熱量を要求していたということなのだろう。20周年という節目は、あらかじめ狙って用意された舞台ではなく、活動を再開してから気づいた偶然の一致だったという点も、自分には興味深く感じられる。人生の節目というのは、案外そういうものかもしれない。自分で計画して迎えるものよりも、動き出してから振り返って初めて「そういえば節目だった」と気づくもののほうが多い気がする。磐田で新しい仕事を始めたときも、最初から何周年の節目を狙っていたわけではなかった。動き出してから、たまたま人生の折り返しに近い時期だったと後で気づいただけだ。KICK THE CAN CREWの14年と20周年の重なりにも、そういう後づけの必然性のようなものを感じてしまう。狙って作られた物語よりも、後から辻褄が合っていく物語のほうが、なぜか信じられる気がする。

音の作り方に滲む、遠回りの誠実さ

この曲のサウンドについては、Real Soundに掲載されたKREVAのインタビューが詳しい。それによれば、あの高揚感のあるトラックは既存曲のサンプリングではなく、まず望む響きのイメージでサンプル素材を組み、それと同じBPMで新たに曲を作り、その自作曲を改めてサンプリングし直すという、手間のかかる工程を経て作られたのだという。作曲家の柿崎洋一郎氏が望むコード進行に沿って新たなメロディを起こし、ティンパニやストリングスを一つずつ積み上げ、ソウルフルな女性コーラスを何テイクも重ねて感情の厚みを出し、さらにプラグインの音とMPCで叩いたキックやスネアを組み合わせてドラムの質感を作り込んだとされる。原曲は78前後のBPMで作られ、それを90近くまでピッチアップすることであの浮き立つような感触になった、という技術的な工夫も語られている。つまりこの曲の熱量は、勢いだけで生まれたものではなく、遠回りな作業を丁寧に重ねた末の結果だったということになる。自分にはこの制作過程が、どこか会社員時代の仕事の記憶と重なって聴こえる。手っ取り早い近道より、面倒でも一つずつ積み上げるやり方でしか出せない質感があるということを、東京で働いていた頃、何度か思い知らされた。ラップの掛け合いに耳を澄ませると、MCUのヴァースにはグループの過去の楽曲の言葉やタイトルが織り込まれているとも伝えられている。過去を懐かしむためではなく、積み重ねてきたものを土台にして前へ進むための引用のように、自分には聴こえる。3人のラップが折り重なり、終盤で一気に熱を帯びていく構成は、離れていた時間を埋め合わせるように、互いの声が追いつき合っているようにも感じられる。サンプリングという手法自体、もともとは過去の音源から素材を借りて新しい曲を組み立てる技術だが、この曲では自分たちの手で作った音を、もう一度自分たちでサンプリングし直すという、いわば自己参照的な作り方がとられている。これは14年という時間を経て戻ってきた彼らの姿勢そのものに重なって聴こえる。過去の自分たちをそのまま再現するのではなく、過去の自分たちを素材にしながら、もう一段別の形に組み直す。ブランクのあとの再始動というのは、案外そういう作業なのかもしれない。まっさらな状態に戻るのではなく、積み重ねてきたものを一度分解し、必要な部分だけを取り出して、新しい熱量で組み直す。地味で手間のかかる作業だが、そうやって作られた音には、勢いだけでは出せない厚みが宿るのだと思う。ボーカルやコーラスのテイクを重ねる作業も同様で、一発録りの勢いではなく、何度も声を重ねて感情の輪郭を確かめながら仕上げていく方法がとられたとされる。効率だけを考えれば遠回りに見えるやり方も、出来上がった音の説得力という点では、決して無駄ではなかったのだろう。曲を聴くたびに、その丁寧さがどこか職人的な仕事の姿勢と重なって聴こえてくる。

磐田で始めた、ゼロからの本気

磐田に戻ってきて、家や土地の相談という、それまでとはまったく畑違いの仕事を始めたとき、自分もまた長いブランクを埋めるような感覚を味わった。東京での会社員生活で身につけたつもりの勘は、そのままでは通用しない場面が多かった。慣れない書類や、慣れない土地の呼び方に戸惑いながら、控えめに少しずつ調子を取り戻していくやり方もあったはずだ。けれど休んでいた期間があったからこそ、いざ始めたときの熱量はむしろ強くなっていたように思う。相談に来られる方の中にも、長く放置していた実家に久しぶりに向き合う人が少なくない。何年も手をつけられなかったことへの後ろめたさを抱えながら、いざ動き出すと、その分を取り戻すような勢いで一気に片付けを進める方もいる。ブランクの後にしか出せない本気があるということを、そういう場面に立ち会うたびに実感する。「千%」のKICK THE CAN CREWも、きっと似たようなものを抱えていたのではないか。休んでいた時間は、失われた時間ではなく、次に動き出すための熱を静かに蓄える時間でもあったのだと思う。家というものも、似た性質を持っている気がする。誰も住まなくなった家は、外から見れば止まったままの存在に見える。けれど久しぶりに戸を開けて手を入れ始めると、止まっていた時間の分だけ、驚くほどの熱量で片付けが進むことがある。庭の草を刈り、荷物を整理し、次に住む人のために整える作業に立ち会うとき、そこにあるのは諦めではなく、むしろ長く放置していたからこそ生まれる本気の集中力だ。ブランクという言葉には、どこか後ろ向きな響きがつきまとうが、実際にはその期間こそが、次の一歩を大きくするための助走になっていることが多い。自分がこの仕事を通じて何度も見てきたのは、そういう休止と再始動のくり返しだった。

数字が語らない部分を、家族と土地で聴く

アルバム『KICK!』はオリコンの週間アルバムランキングで初登場3位を記録し、TSUTAYAのCDアルバム販売ランキングでは1位を獲得したとされる。「千%」のミュージックビデオは「MTV VMAJ 2017」で最優秀ヒップホップビデオ賞を受賞したとも伝えられている。14年のブランクを経た作品としては、十分すぎるほどの結果だったと言えるだろう。ただ、チャートの数字というのは、その年のうちにどうしても薄れていくものでもある。自分にとってこの曲が今も残り続けているのは、順位や受賞歴のためではなく、ブランクという言葉そのものへの向き合い方を教えてくれたからだ。家族と暮らす今の日々にも、ブランクに似た時間がある。子どもが成長する過程には、目に見えて進む時期と、しばらく足踏みしているように見える時期が交互にやってくる。仕事で相談を受ける土地にも、何年も動きのなかった時期がある。それでも、動き出すときが来れば、止まっていた分の熱量を持って一気に進むことがある。「千%」という言葉の大げさなくらいの誇張を、以前は少し気恥ずかしく感じていた。しかし14年という具体的な年月を知ったうえで聴き直すと、その誇張は誇張ではなく、正確な自己申告だったのだと気づかされる。空白の後に戻ってくる者にしか出せない本気が、この曲には確かに刻まれている。磐田の家で、東京にいた頃とは違う仕事をしながらこの曲を流すたびに、自分もまだ取り戻せる熱量があるはずだと、静かに背中を押されている気がする。土地や家の仕事をしていると、数字として残るものと、記憶としてしか残らないものの違いを、いつも意識させられる。登記簿の地番や、売買契約書の坪数は、誰が見ても同じ形で残る記録だ。しかし、その家で誰がどんな時間を過ごしたか、どんな熱量を持って次の場所へ向かったかは、書類のどこにも書かれない。「千%」というタイトルの誇張も、チャートの数字だけを見れば一つの通過点に過ぎないのかもしれない。けれど、14年という具体的な沈黙の年月と、そこから戻ってきた人たちの熱量を知ったうえで聴くと、この曲は数字の外側にある、もっと個人的な記録として自分の中に残り続けている。家族と過ごす時間も、いずれ書類には残らない記憶として積み重なっていく。だからこそ、こうして曲と一緒に、その手触りを言葉にしておきたいと思う。