ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://youtu.be/LHF_mFLeEJc
確認した動画: 【公式】キリンジ「Drifter」(MV)【4Kリマスター】KIRINJI/ Drifter (8thシングル)

キリンジ「Drifter」は、2001年7月25日に発売された8thシングル「Drifter/太陽とヴィーナス」の表題曲のひとつである[1][3]。両A面のもう一方「太陽とヴィーナス」とともに収録され、「Drifter」の作詞・作曲は兄の堀込高樹、「太陽とヴィーナス」は弟の堀込泰行によるもので、編曲はキリンジと冨田恵一が共同で手がけている[1]。ひとつのシングルの中に、兄弟それぞれの筆致がそのまま並んでいる構成になっている。同年11月21日発売の4thアルバム『Fine』にも収録され、アルバム全体のプロデュースも冨田恵一が担当した[2]。タイトルの「drifter」は、漂流者、放浪者という意味を持つ言葉である。ひとつの場所に留まり続けることができない人、流されながらどこかへ向かっていく人を指している。冷たい世の中の中で、自分の輪郭がうまく定まらないまま進んでいく感覚。それでも、隣に誰かがいてくれるなら、その流れの中でも歩いていけるのではないか。そういう静かな決意と問いかけが、この曲には流れている。若い頃の自分にも、何者にもなりきれないまま日々を送っていた時期があった。仕事も、暮らしも、将来のことも、はっきりとした形を持たないまま流されているような感覚があり、そのときにこの曲が鳴っていた記憶がある。2001年当時、まだ将来の輪郭をつかめずにいた自分にとって、この曲のタイトルはどこか他人事とは思えないものだった。歳月を経て聴き直すと、当時は説明できなかった不安の正体が、今なら少しだけ言葉にできる気がする。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:「Drifter」は、堀込高樹が同時期にシンガー・我那覇美奈へ提供した「白く優しく」と同じメロディに、まったく別の歌詞を乗せた曲だと伝えられている[6]。同じ器に違う言葉を与えるという成り立ち自体が、この曲の歌詞がどれだけ意図を持って選び抜かれた言葉でできているかを物語っている。手巻きの時計、ジャズの名曲「Moon River」への言及など、直接的な説明を避けながら関係性の本質を描くモチーフの選び方も見事で、聴くたびに違う読み方ができる余白がある。曲自体の完成度も高く、弦の編曲がドラマを持ち上げる構成は魅力的だが、「同じメロディに異なる言葉を持たせてなお成立する強さ」を語れる点で、主視点は歌詞がいいに置いた。

漂流者としての自分

東京で働いていた頃、自分が何者であるかを、うまく言葉にできない時期がありました。仕事は与えられたことをこなし、生活は目の前のことに追われ、将来の輪郭ははっきりしないまま日々が過ぎていく。周りの人はそれぞれの道を進んでいるように見えるのに、自分だけがどこにも根を張れず、ただ流されているような感覚がありました。「Drifter」というタイトルを最初に見たとき、その言葉が自分のことを言い当てているように感じたのを覚えています。定まった目的地を持たず、社会の流れに合わせて漂っていく。それは弱さのようでいて、実際には多くの人が経験する時間なのだと、今では思います。

この曲を今聴き直すと、イントロから続くコード進行そのものは決して複雑なものではなく、むしろ落ち着いた足取りで淡々と進んでいくように聴こえます。それに対して、弦の編曲だけがやや大げさなほど感情を持ち上げてくる。派手なドラマではなく、日常の内側でひっそりと揺れている葛藤を描こうとした結果、シンプルな骨格にドラマチックな響きをまとわせる構成になったのではないか、と聴くたびに感じます。定まらない日々というのは、外から見れば地味なものです。けれど本人の内側では、静かな葛藤がずっと鳴り続けている。そういう温度差を、この曲のアレンジ自体が体現しているように思えてなりません。

東京という街は、多くの漂流者を受け入れる場所でもありました。地方から出てきた人、目的を探している人、まだ何者にもなっていない人。誰もがどこかで自分の位置を探しながら歩いていました。自分もその一人でした。仕事の意味を見失いそうになった夜、この曲を聴くと、漂流しているのは自分だけではないのだと、少しだけ安心できたことを覚えています。定まらないことを恐れるのではなく、その状態のまま前へ進む強さを、この曲は静かに教えてくれました。振り返れば、あの頃の同僚や友人の多くも、同じように自分の輪郭を探しながら働いていました。当時住んでいた部屋の窓から見えた夜景を思い出します。無数の明かりのひとつひとつに、自分と同じように定まらない誰かの生活があったのだと思うと、孤独だった夜も、少しだけ違う色に見えてきます。

当時は、定まっていないことがそのまま焦りに直結していました。同期入社の誰かが早々に結果を出し、誰かが結婚を決め、誰かが次の住まいを決めていく。そのたびに、自分だけがまだ漂っているような気がして、静かに焦燥感が積もっていったのを覚えています。けれど今振り返ると、あの頃焦っていた輪郭のなさこそが、後になって選び直す余白を残してくれていたようにも思います。定まっていたら選べなかった道に、今こうして立てているのは、あの漂流の時間があったからかもしれません。

手巻きの時計と、ふたりの漂流者

この曲には、手巻きの時計を思わせるモチーフが登場すると聴いています。自動巻きのように放っておいても動き続けるのではなく、こまめにねじを巻かなければ止まってしまう時計。関係というものも、それに似ているのかもしれません。何もしなくても続いていくものではなく、互いに手をかけ続けなければ止まってしまう。そう考えると、この曲が描いているのは、漂流という不安定さの中で、それでも関係を保ち続けようとする地道な営みのようにも聴こえてきます。

そしてもうひとつ、この曲にはジャズの名曲「Moon River」への言及があります。「Moon River」には、ふたりの漂流者がともに人生を旅し、同じ夢を追いかけるという情景が描かれています。ひとりで流されるのではなく、ふたりで流される。その違いは小さいようで、実はとても大きなものです。ひとりの漂流は不安定さそのものですが、ふたりの漂流には、互いを見失わないための支えが生まれます。この曲が最終的に描いているのは、孤独な漂流ではなく、誰かと一緒に定まらない道を歩いていく覚悟だと感じます。「Moon River」が映画『ティファニーで朝食を』の物語に流れていたことを思うと、漂流者への眼差しは決して悲観的なものではなく、むしろ夢を追い続ける者への祝福のようにも聞こえてきます。

自分にとっても、漂流していた時期を思い出すと、そこには必ず誰かの存在がありました。将来が見えないまま働いていた頃、隣で同じように迷いながら歩いてくれた人がいたから、その時間を乗り越えられたのだと思います。ひとりでは心細かった道も、誰かがついてきてくれる、あるいは自分がついていく相手がいると思えるだけで、進み方が変わります。「Drifter」が持つ愛の歌としての側面は、派手な情熱ではなく、不安定な自分をそのまま受け止めてくれる相手への信頼のようなものです。だから若い頃だけでなく、年齢を重ねてからも、この曲は違う形で響いてきます。

もうひとつの「Drifter」――我那覇美奈「白く優しく」という存在

この曲について調べていて、もっとも心を動かされたのは、実は歌詞そのものよりも先に、この曲の成り立ちだった。「Drifter」と同じメロディに、我那覇美奈自身の詞を乗せた「白く優しく」という楽曲が、キリンジ版よりも数か月早い2001年3月にリリースされたアルバム『20』に収められていると伝えられている[6]。同じ旋律に、まったく違う言葉が乗る。しかも一方は堀込高樹自身の詞、もう一方は歌い手自身の詞。ひとつの曲が、ふたつの人生を語れるということ自体が、この曲の器としての強さを証明しているように思う。「Drifter」というタイトルと「白く優しく」というタイトルの手触りは、ずいぶん違う。漂流という不安定さを前面に出す言葉と、優しさという穏やかな言葉。同じメロディがまったく違う感情を運べるという事実に触れると、歌詞という要素がどれだけメロディの印象を変えてしまうかを、あらためて思い知らされる。「Drifter」というタイトルが選ばれたことで、この曲は不安定さと寄り添う覚悟という、ふたつの感情を同時に抱えることになった。もし「白く優しく」のような柔らかい言葉が選ばれていたら、自分が20代の頃にこの曲から受け取った感覚は、まったく違うものになっていたかもしれない。

「Drifter」を含むこのシングルが、堀込高樹の作った曲と、弟・堀込泰行の作った「太陽とヴィーナス」の両A面という形で世に出たことも、今になって聴くと感慨深いものがある。ひとつのバンドの中に、ふたつの筆致が並んで存在している。兄弟という関係そのものが、ある意味でずっと同じ場所を漂いながら、それぞれの声で歌い続けてきた歳月の証のようにも思える。キリンジというユニットが長く活動を続けてこられたのも、ふたりがそれぞれの個性を保ちながら、同じ船に乗り続けてきたからなのかもしれない。

この曲がどれほど広く聴かれたのか、正確な数字を自分の手元で確かめることはできていない。当時のシングルチャートでどのあたりに位置していたかについては、はっきりとした資料を持ち合わせていないため、ここで断定はしない。ただ、四半世紀近く経った今もこうして語られ、聴き直されていること自体が、この曲が一定の広がりと共感を持って受け止められてきたことの、ひとつの証のように思う。派手なヒット曲としてではなく、静かに長く支持され続けてきた曲だという印象を、自分は持っている。

『Fine』というアルバム自体、当初「Orthodox」という仮のタイトルが候補にあったと伝えられている[4]。まっとうで中道的な作品ができあがったという手応えから出た案だったようだ。派手さよりも、まっすぐであることを選んだアルバムの中に「Drifter」が置かれていることを思うと、この曲の漂流もまた、奇をてらったものではなく、誰の日常にも起こりうる、ごく普通の揺れとして描かれていたのだと感じる。目立たないからこそ、長く聴き続けられてきたのかもしれない。

公式MVが見せる、静かな肖像

今回参照した映像は、Warner Music Japanの公式チャンネルで公開されている4Kリマスター版のミュージックビデオである[5]。リリースから長い年月を経て高解像度化されたことからも、この曲が現在も大切に扱われていることがうかがえる。映像そのものは、派手な演出やドラマ仕立てのストーリーで押し切るタイプのMVではなく、楽曲の空気を静かになぞるような佇まいを持っている。曲が持つ「漂流」というテーマを、映像が説明的に描くのではなく、そっと寄り添う程度に留めているのは、この曲の余白を大事にする姿勢とも重なる。ただ、MVを見ることで歌詞やメロディの理解が大きく変わるかというと、そこまでの物語性や映像的な仕掛けがあるわけではない。曲そのものの強さ、歌詞の深さに比べると、映像単体で語れる情報量はやや控えめである。4Kリマスターという技術的な誠実さは評価したいが、大石セレクションとしての主視点に置くには、もう一段の物語性がほしいというのが正直な感想だ。

ふたりの漂流者、というもうひとつの読み方

この曲を今あらためて聴き直すと、若い頃に感じていた「自分ひとりの漂流」だけでなく、「誰かと一緒に漂流すること」の意味の方が、より深く胸に残る。定まらないという状態は、ひとりで抱えれば不安そのものだが、隣に同じように揺れながら歩く誰かがいれば、その揺れ自体が関係を支える力に変わる。手巻きの時計のように、放っておけば止まってしまう関係を、互いに手をかけ続けることで動かし続ける。そういう営みの尊さを、この曲は声高に語るのではなく、淡々とした演奏の中に沈めている。東京で働いていた頃、将来の輪郭をつかめずにいた自分にとって、この曲のタイトルはどこか他人事とは思えないものだった。仕事の意味を見失いそうになった夜、この曲を聴くと、漂流しているのは自分だけではないのだと、少しだけ安心できた記憶がある。定まらないことを恐れるのではなく、その状態のまま前へ進む強さを、この曲は静かに教えてくれた。当時住んでいた部屋の窓から見えた夜景を思い出す。無数の明かりのひとつひとつに、自分と同じように定まらない誰かの生活があったのだと思うと、孤独だった夜も、少しだけ違う色に見えてくる。歳月を経た今聴き直しても、この曲が押し付けがましい答えを用意していないことに、あらためて安心する。漂流を否定せず、揺れを揺れのまま受け止めてくれる曲だからこそ、何年経っても色褪せずに鳴り続けているのだと思う。

参考リンク

音楽には、人生の時間が残ります。家や土地にもまた、誰かの暮らしや記憶が残っています。

この記事を書いている大石浩之は、静岡県磐田市で介護と不動産の仕事をしています。相続した実家、空き家、土地建物の整理などでお困りの方は、必要なときに富士ヶ丘サービスへご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。