いい曲は、こちらの都合を聞かずに撃ってくる。そう思わされたのは、この曲が誰の声で歌われているかを知ったときでした。「killer tune kills me feat. YonYon」は、堀込高樹が書いた曲でありながら、堀込本人は歌っていません。メインボーカルを務めるのは、当時ギタリストとしてKIRINJIに参加していた弓木英梨乃で、公式サイトなどの記述によれば、シングルで彼女がメインボーカルを担うのはこの曲が初めてだったといいます。そこにソウル生まれ・東京育ちのシンガー、YonYonが韓国語のラップで加わる。作った本人が歌わず、声を人に託す。この一見遠回りな選択が、結果的に曲を軽やかに遠くまで飛ばしています。仕事でも家庭でも、自分がやったほうが早いと思う場面はいくらでもありますが、誰かに任せた瞬間に物事が急に風通しよく動き出すことがあります。この曲を聴くたびに、その感覚を思い出します。声を手放すことは、後退ではなく前進になりうるのだと、静かに教えられる気がするのです。曲を書いた人間が、自分の名前や自分の声にしがみつかずにいられるかどうか。それは音楽の話であると同時に、家業や土地を長く預かる者にとっても、避けて通れない問いのように思えます。何かを長く続けてきた人ほど、自分が抜けても回る仕組みを作れるかどうかが、その仕事の本当の価値を決めるのかもしれません。
声を人に託すという選択
この曲は2019年6月5日にリリースされたKIRINJIのシングルです(ユニバーサル ミュージックの商品ページによる)。当時のKIRINJIは、弟の堀込泰行が2013年に脱退したのち、兄の高樹を中心に複数のメンバーを擁するバンド編成として活動していました。堀込高樹自身が歌うことも多かったこのバンドで、あえて弓木英梨乃にメインボーカルを託した判断には、ひとつの物語を成立させるための計算があったように思えます。Qeticに掲載された堀込・弓木・YonYonの鼎談によれば、堀込はデモの制作段階でメロディが自分よりも女性ボーカル向きだと感じ、弓木に歌を任せたといいます。作曲者が自分の声への執着を手放し、曲にとって最良の声を選ぶ。この距離の取り方こそが、堀込高樹という書き手の成熟を表しているように聴こえます。長くバンドの中心で作詞作曲を担ってきた人が、自分の色をあえて薄める判断をできるというのは、口で言うほど簡単なことではないはずです。
YonYonの起用の経緯も興味深いものです。同じ鼎談によれば、堀込はラジオで別のアーティストのフィーチャリング曲を耳にしてYonYonの声を知り、後にYonYonの側からKIRINJIのSNSをフォローしたことをきっかけに、堀込がDMで直接オファーを送ったとされています。レコーディングまではメールとDMのやり取りだけで進んだというのも、今の時代らしい距離の縮め方です。ベテランバンドの中心人物が、若い世代の表現者に自らアクセスしていく。この曲がまとう軽さは、そうした人と人との新しい結びつき方の軽さでもあるのだと思います。顔を合わせるより先に、声だけでお互いを信頼してみる。その順番の入れ替わりが、曲全体に漂う開放的な空気とどこかで響き合っているように感じます。地縁も血縁もない相手を、声ひとつで見抜いて手を伸ばす。その勇気があったからこそ、この曲は単なるベテランバンドの新機軸には終わらず、世代や国境をまたぐ音として鳴り続けているのだと思います。
終わった恋と、キラーチューンという言葉
Qeticの鼎談によれば、堀込はこの曲を、10代の頃のように一曲の音楽に没頭できなくなった現代への違和感から発想したといいます。情報が多すぎて、一曲にじっくり浸る時間が失われていく感覚。そこから「キラーチューン」という言葉が浮かび、心を撃ち抜くような曲になかなか出会えないもどかしさと、終わってしまった恋の心情とが重ね合わされていったようです。歌詞の具体的な言葉には立ち入りませんが、全体としては、傷ついた気持ちを抱えながらも、そこから一歩前に踏み出そうとする女性の視点が描かれていると聴こえます。弓木の透明感のある歌声と、YonYonが韓国語で加える部分が、悲しみをただ悲しみのまま終わらせず、遠い場所にいる誰かと痛みを分け合うような広がりを曲に与えているように感じます。ひとつの失恋の痛みが、国境を越えたもうひとつの声と重なることで、個人的な出来事が少しだけ普遍的な手触りを帯びていくように聴こえます。
音楽的には、打ち込みと生演奏を丁寧に組み合わせたディスコ調のダンスミュージックとして仕上がっていると聴こえます。浮遊感のあるバッキングと、輪郭のはっきりしたベースやリズムが土台を作り、そこに弓木の声とYonYonの声が重なることで、昼に聴いても夜に聴いても心地よい開放感が生まれる曲だと感じます。派手に高揚させるタイプの曲ではなく、じわりと気分を持ち上げてくる質感で、キリンジがこの時期に取り込んでいたクラブミュージックの語彙が、嫌味なく馴染んでいるように思います。オリコン等での具体的な順位や売上の数字までは確認できていませんが、リリース当時の音楽メディアで特集が組まれ、複数の音楽ブログで長く語られ続けていることからも、リリース時だけで消費されずに残った曲だという印象を持っています。CDのマキシシングルに加えて7インチのアナログ盤も限定でリリースされたと確認できており、DJがフロアでかけることを想定した作りだったことも、この曲の軽やかさを裏づけているように思います。
それでいて、聴後感はどこか切ないままです。踊れる曲でありながら、芯のところに終わってしまったものへの未練が残っている。この二重性こそが、堀込高樹という書き手の持ち味なのだと思います。楽しいだけの曲でも、悲しいだけの曲でもなく、その両方が同じ拍の中で同居している。仕事のあとに、達成感と少しの寂しさが同時に押し寄せてくる感覚に、どこか似ている気がします。
体制が変わる前の、最後の共同作業
今振り返ると、この曲がリリースされたのは、KIRINJIというバンドにとって過渡期の只中でした。報道によれば、KIRINJIと堀込高樹は2019年10月に長年所属した事務所との契約を終え、ホリプロへ移籍。翌2020年1月にはバンドとしての活動終了が発表され、同年12月のライブをもって、堀込高樹を中心とした複数人編成のバンド体制に幕が下ります。以後のKIRINJIは、堀込高樹を軸に編成が流動的に変わる、いわばソロプロジェクトに近い形へと移行していきました。つまりこの曲は、固定されたバンドのメンバーたちが声を持ち寄って作った、最後期の共同作業のひとつだったことになります。作曲者が自分では歌わず、メンバーやゲストに声を託すという構造そのものが、これから体制が変わっていくことを、当人たちも知らないまま予感していたようにも聴こえてきます。リリースの時点では、この曲が固定編成での最後期の仕事になるとは、おそらく誰も明確には意識していなかったはずです。それでも結果として、この曲には終わりゆく体制の最後の気前の良さのようなものが宿っているように思えてなりません。
仕事を長く続けていると、自分が一番よく分かっている仕事ほど、人に渡すのが怖くなる瞬間があります。磐田で家業を手伝い始めた頃、自分でやったほうが早いと思う場面が何度もありました。けれど実際に誰かに任せてみると、自分では出せなかった質感が出ることがある。相続や空き家の相談でも、家族の誰か一人が抱え込むより、それぞれが得意な部分を持ち寄ったほうが、結果として良い着地に至ることが多いと感じています。声を託すという行為には、手放す痛みと、思いがけない広がりの両方がある。この曲を聴くたびに、その両方を思い出します。任せたことで失うものより、任せたからこそ生まれるもののほうが、後から振り返ると大きいことのほうが多いように感じます。
体制というものは、いつか必ず形を変えます。会社も、家族も、バンドも同じです。大事なのは、その変わり目に何を残せるかだと思います。KIRINJIというバンドが最後に残したもののひとつが、自分の声を手放して他者に託すという姿勢だったのだとしたら、それはとても静かで、けれど確かな置き土産だったのではないでしょうか。家業を継ぐということも、これに近いのかもしれません。形をそのまま残すことより、次の代が自分の声で歌える余地を残しておくことのほうが、長い目で見れば大切なのだと、この曲の背景を知るたびに思わされます。
磐田で聴く、託された声
東京で働いていた頃は、何でも自分で抱え込む働き方をしていました。任せることは責任放棄のように感じられ、結局は自分の手を離れないまま仕事を溜め込んでいた時期があります。磐田に戻り、家族で仕事をするようになってから、少しずつその考え方が変わっていきました。妻や家族、周りの人に任せた仕事のほうが、思いがけない形で良い結果につながることが増えたのです。声を託されたYonYonが、日本語の歌詰めの中に韓国語という異物を持ち込みながら、結果として曲全体を豊かにしているように、任せることは、自分の手からこぼれ落ちることではなく、誰かの手によって曲が新しい形になることなのだと、この曲は教えてくれます。子どもたちがそれぞれの得意なことを見つけて動き始めた姿を見ていても、同じことを思います。自分が全部を背負わなくても、家族という単位はちゃんと前に進んでいく。
磐田の夜、車でこの曲をかけると、都会のフロアのために鳴らされたはずの音が、静かな田園の道にも意外なほど馴染みます。信号よりも星のほうが多いような道で、遠い場所にいる作り手たちの声が重なり合う音を聴いていると、声を託すという行為の射程の長さを感じます。堀込高樹が自分の声を手放してまで完成させたこの曲は、後にバンドという形そのものも手放していく体制の入り口に置かれていました。手放すことは、終わりではなく、次の形へ渡すための静かな儀式だったのかもしれません。50代になった今、家族や仕事や土地との関わり方を考えるとき、この曲が鳴らす軽やかなビートの奥に、そうした手放しの覚悟を聴き取ってしまいます。誰かに声を託し、誰かの声で曲が生き延びていく。そういう仕組みを持った音楽が、こんな磐田の夜道にまで届いていること自体が、ひとつの小さな奇跡のように思えるのです。
土地や家という財産は、自分の代だけでは完結しません。いずれ誰かに託し、誰かの手で次の形になっていく。その受け渡しの瞬間には、寂しさと同時に、思いがけない可能性が眠っています。「killer tune kills me」が、作った本人の声ではなく、託された誰かの声によって撃ち抜かれる曲になったように、家も土地も、託した先で初めて本当の姿を見せることがあるのかもしれません。この曲を聴くたびに、自分がこれから何を、誰に託していくのかを、静かに考えさせられます。撃たれるのは、いつも思いがけない誰かの声からです。だからこそ、自分の声だけにこだわらず、誰かに委ねる余白を残しておきたいと、この曲は静かに背中を押してくれます。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲に不意打ちされた瞬間の記憶を、ひとつずつ読み直す場所です。