キラーチューンが私を殺す。物騒なタイトルですが、音楽を長く聴いてきた人なら、この言い回しの正確さに苦笑いするはずです。いい曲というのは、こちらの予定や気分におかまいなしに、不意打ちで撃ってきます。仕事に集中しようとしている昼でも、もう寝ようとしている深夜でも、たまたま流れてきた1曲に胸を撃ち抜かれて、しばらく動けなくなる。「killer tune kills me」は、その音楽の暴力性とでも呼ぶべきものを、当のミュージシャン自身が歌ってしまった曲です。しかも深刻ぶらず、都会の夜のきらめきをまとったダンスミュージックとして。キリンジ時代からの堀込高樹の書く曲は、いつも知的で、どこか一歩引いた視線がありますが、この曲では、その冷静な人が音楽に負ける瞬間を描いています。音楽で人生を立ててきた人でさえ、いい曲には勝てない。この敗北宣言のような曲が、それ自体キラーチューンとして仕上がっているのだから、始末に負えません。
2019年のKIRINJIと、YonYonという声
この曲は2019年6月5日にリリースされたKIRINJIのシングルです。CDのマキシシングルに加えて、7インチのアナログ盤も限定でリリースされました。配信の時代にあえて7インチを切るという選択に、この曲がダンスミュージックとして、つまりDJがフロアでかける音楽として作られていることが表れています。フィーチャリングに迎えられたYonYonは、ソウル生まれのシンガーでありDJ。日本と韓国の間を行き来しながら活動してきた人で、彼女の声と韓国語のパートが、この曲に日本のポップスの枠を軽く越えていく風通しを与えています。
キリンジは1996年に堀込兄弟のユニットとして始まり、このサイトでも「エイリアンズ」や「Drifter」を取り上げてきました。弟の泰行が2013年に脱退したのち、兄の高樹はバンド体制の「KIRINJI」として活動を続け、ヒップホップやダンスミュージックの語彙を貪欲に取り込んでいきます。この曲はその時期の到達点のひとつです。20年以上のキャリアを持つ人が、過去の名声を守りに入るのではなく、若い世代の音と組んで新しいフロアに出ていく。同じ名前を掲げたまま、ここまで音を更新し続ける例は、日本のポップスでは多くありません。
撃たれた側の記憶
私自身、キラーチューンに撃たれた夜のことを、いくつも覚えています。たとえば東京で働いていた頃、残業を終えて乗った山手線で、イヤホンから不意に流れてきた曲に、窓の外の夜景がにじんで見えたことがありました。疲れているだけだと自分に言い聞かせましたが、あれは間違いなく、曲に撃たれていました。たとえば車の深夜のラジオで、タイトルも分からない曲に出会って、家に着いてからもエンジンを切れずに最後まで聴いたこと。ああいう瞬間、人は音楽に対して完全に無防備です。
面白いのは、撃たれた瞬間の状況の方まで、曲と一緒に保存されることです。曲を聴き返すと、あのときの車内の匂いや、信号の赤や、疲れの重さまで戻ってくる。このサイトで曲の記事を書き続けているのも、結局のところ、撃たれた記録を整理しているようなものです。「killer tune kills me」は、その仕組みそのものを歌にしているので、聴くたびに、自分がこれまで撃たれてきた無数の場面が芋づる式に引き出されます。メタな曲というのは頭で楽しむものになりがちですが、この曲は体が先に動く。そこが並のメタソングと違うところです。
磐田の夜のキラーチューン
50代になった今でも、キラーチューンへの被弾は続いています。磐田の夜は東京と違って静かで、車で10分も走れば、信号よりも星の方が多いような道に出ます。そういう道でこの曲をかけると、都会のフロアのために作られたはずの音が、意外なほど夜の田園に馴染むことに驚きます。いい曲は場所を選ばない、ということなのだと思います。むしろ周りに何もない分、音の輪郭がくっきり立って、危険度は上がる気さえします。
音楽に不意打ちされる能力は、歳を取ると鈍りそうなものですが、実際は逆かもしれません。記憶の在庫が増えた分、1曲が引き出せるものも増えている。若い頃は曲そのものに撃たれていましたが、今は曲と一緒に、そこに紐づいた30年分の場面まで撃ち込まれてきます。威力はむしろ上がっています。この曲のタイトルは、だから私には未来の予告でもあります。これから先も、いい曲は容赦なく撃ってくる。そのたびに立ち止まって、しばらく動けなくなる。音楽を聴き続けるというのは、その被弾を喜んで引き受け続けることなのだと、この曲は軽やかに教えてくれます。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲に不意打ちされた瞬間の記憶を、ひとつずつ読み直す場所です。
