ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=iboM79ANVuo
確認した動画: KIRINJI - 「AIの逃避行 feat. Charisma.com」 Full Size(KIRINJIVEVO公式)

「AI」と「愛」。日本語の中でこのふたつの言葉が同じ音を持っていることに、最初に気づいた人はどれくらいいただろうと思います。KIRINJIの堀込高樹は、2017年の時点でそこに気づき、しかも1曲丸ごとの構造にしてしまいました。「AIの逃避行 feat. Charisma.com」は、2017年11月22日にリリースされた配信シングルで、女性ラップユニットCharisma.comのMCいつかを迎えた楽曲です[4]。作詞は堀込高樹といつかの共作、作曲・編曲・プロデュースは堀込高樹によるもので、翌2018年のアルバム『愛をあるだけ、すべて』に収録されました[4][6]。Qeticに掲載された堀込・いつかの対談によれば、当初は「AIについての曲」というだけで輪郭のはっきりしないところから出発し、堀込が映画『エクス・マキナ』や『her/世界でひとつの彼女』といったAIを描いた作品に触れる中で、テーマが少しずつ形になっていったといいます[2]。人間になりたがるAIやロボットという物語の定型から、自然に「愛」というテーマへたどり着いた、というのが本人の説明です。しかも設定されたAIの年齢は15歳。人工知能の逃避行というSFの器に、思春期の少年少女が世間の目を逃れて旅に出るという、普遍的な恋の物語を仕込んだわけです。2017年当時、私を含め多くの人にとってAIはまだ、囲碁の対局や音声アシスタントの延長にある道具でした。2026年の今、AIに毎日話しかけながら仕事をしている身としては、この曲はもうSFの寓話には聴こえません。AIが逃避行する時代になるのかな、と冗談めかして思っていた頃の自分を、この曲はとうに追い越していたのだと、聴くたびに思い知らされます。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:この曲の芯にあるのは、堀込高樹といつかが何往復もやり取りしながら物語を育てていった、共作としての歌詞の設計そのものだと感じます。AIに15歳という年齢を与え、ヨーロッパ・中東・インドを巡らせ、最後はバッテリー切れで終わらせるという展開は、ひとりの作家が机の上で完結させたものではなく、対話の中で像を結んでいった物語です。しかも「AI」と「愛」という言葉遊びを起点にしながら、思春期の恋という普遍的なテーマに着地させる構成力は、何度読み解いても発見があります。曲そのものも、旅先ごとに表情を変えていく展開の妙があり星4つに値しますが、物語の緻密さという点で歌詞に一歩譲ります。今回確認した「Full Size」動画は音源を届けることに重きを置いた作りで、監督や演出クレジットなど、映像表現について確認できる公式情報は見当たりませんでした。曲の理解を広げるだけの物語性が映像側に確認できなかったため、MVがいいは控えめな評価に留めています。

バンドという体制の中で書かれた曲

まず正確に書いておきたいのは、2017年当時のKIRINJIの体制です。この曲がリリースされた時点で、KIRINJIは堀込高樹のソロプロジェクトではなく、2013年に弟・泰行の脱退を経て再始動したバンドでした。ユニバーサルミュージックの商品ページに記載されたクレジットによれば、この曲には楠均(ドラムス&コーラス)、千ヶ崎学(エレクトリックベース)、コトリンゴ(ボーカル)、弓木英梨乃(エレクトリックギター&ボーカル)、田村玄一(ペダルスチール&ボーカル)が名を連ね、堀込高樹がプログラミング・ボコーダー・キーボード・ボーカルを担当し、作曲・編曲・プロデュースも兼ねています[6]。堀込がひとりで音楽を背負う体制になるのは、バンド活動の終了が発表された2020年以降のこと。「AIの逃避行」は、まだバンドという共同体の中で作られた曲でした。ただし、この曲の周辺には、当人たちも意図していなかったであろう時間のいたずらがあります。この曲がリリースされた2017年11月22日のわずか2日前にあたる11月20日、コトリンゴがその年12月のライブをもってKIRINJIを脱退することが発表されているのです[7]。つまりこの曲は、6人編成としてレコーディングされた音源が、まさに体制が変わろうとするその瞬間に世に出た一曲だったことになります。曲の中でAIが旅を続け、最後にバッテリーが切れて終わるという展開を思うと、このタイミングの重なりは、狙われた仕掛けではないとわかっていても、どこか象徴的に響いてきます。

制作の過程も、ひとりで完結したものではなかったようです。Qeticの対談によれば、堀込がまず歌詞の叩き台を作り、そこにいつかがラップのパートを重ね、そのやり取りを何往復もする中で物語の全体像が固まっていったといいます[2]。当初は「AIについての曲」というだけで、輪郭のはっきりしない状態から出発し、堀込の発案でAIがヨーロッパや中東、インドといった土地を巡る旅として展開していった、とも語られています。そして最後は、AIのバッテリーが切れて終わるという結末に、いつかが加えた「こんな恋、どうせすぐ終わるわ」という一言のようなキャラクター性が重なって、物語が完成したのだそうです[2]。ひとりの作家が机の上で完結させた曲ではなく、対話の中で像を結んでいった曲。逃避行という言葉が似合う、行き当たりばったりの旅の作り方だったのだと思います。

15歳のAIと、旅する音の設計

この曲を聴くとまず耳を引かれるのは、AIの逃避行という舞台設定に見合った、地理を移動していくような曲の展開です。歌詞の中でAIがヨーロッパや中東、インドを巡っていくという構成に呼応するように、サウンドの手触りも一箇所に留まらず、少しずつ質感を変えていくように聴こえます。堀込高樹の作る曲はもともと、ジャンルをひとつに固定せず、洋楽的な語彙を惜しみなく取り込む書き方が持ち味でした。このサイトで取り上げた「エイリアンズ」が郊外の日常にエイリアンという異物を一滴垂らす曲だったとすれば、この曲は日常そのものを旅先へと連れ出してしまう構造を持っています。AIという主題を扱いながら、音は無機質に寄りすぎず、むしろ人懐っこいポップスとして着地しているところに、この曲のバランス感覚が表れていると感じます。プログラミングとボコーダーを自ら手がけた堀込の音作りは、無機質さを狙いながらも、そこに生のバンドサウンドの息づかいを残すという、この曲ならではの折衷を成立させています。

いつかのラップは、堀込の紡ぐやや文学的な言葉の連なりに対して、口語的でドライな相槌のように差し込まれます。この温度差が、曲全体に効いています。堀込パートが物語を丁寧に運ぶ語り手だとすれば、いつかパートはその物語に対して、どこか醒めた目線で茶々を入れる役割を担っているように聴こえます。真剣なラブストーリーになりきる寸前で、いつかの声が物語を少しだけ現実に引き戻す。バッテリー切れという結末も、感傷に流れきる前にふっと笑いを含ませる、その醒めた目線の延長にあるのだと思います。15歳のAIという設定自体、深刻になりすぎないための工夫だったのかもしれません。

この曲がどれほど広く聴かれたのか、正確な順位を自分の手元で確かめることはできていません。配信シングルとして2017年11月22日にリリースされ、翌年のアルバム『愛をあるだけ、すべて』に収録されたことは複数の資料で確認できますが、当時のチャートでの具体的な成績については、はっきりした数字を持ち合わせていないため、ここでは断定を避けます。ただ、リリースに先立って11月1日にJ-WAVEでオンエアされるなど、配信シングルとしては丁寧な露出のされ方をした曲だったようです[1]。派手な話題性よりも、AIというテーマの新しさと、いつかというフィーチャリング相手の意外性で、じわじわと語られていった曲だったのではないかと想像しています。

サビに向かっていくメロディの運び方も、この曲の性格をよく表していると感じます。物語がヨーロッパや中東、インドと土地を移していくのに合わせて、曲自体もひとつの主題を律儀に繰り返すのではなく、少しずつ表情を変えながら進んでいくように聴こえます。旅先ごとに景色が違うように、同じフレーズでも通過するたびに手触りが変わっていく。そういう作りだからこそ、AIというやや無機質になりがちな題材を扱いながら、聴き終えたときに残るのは温度のある旅の記憶のような印象です。堀込高樹という作家が長年培ってきた、洋楽的な語彙を自在に接ぎ木する手つきが、この一曲の中でも存分に発揮されているのだと思います。ただ、この曲のいちばんの核は、やはり物語を隅々まで設計しきった歌詞にあると感じます。曲の展開の妙も見事ですが、AIに旅をさせ、年齢を与え、恋をさせ、最後に電源を切るという一連の物語装置を丸ごと成立させた歌詞の強度には、もう一段上のものがあります。

「AI」と「愛」、ふたつの言葉が重なる場所

この曲の歌詞に丸ごと触れることはしませんが、そのかわりに、歌詞が組み立てている物語の骨格について考えてみたいと思います。「AI」という言葉を選んだ時点で、この曲はすでに「愛」という同音の言葉と共鳴するように設計されています。人工知能という無機質な存在に、恋という人間くさい感情を背負わせる。しかも15歳という年齢を与えることで、その恋は許されない、隠れて進むしかない逃避行になる。世間に見つかれば連れ戻される、あるいは終わらされてしまう関係。そうした前提があるからこそ、旅先を移していく展開そのものが、追われる者の切実さを帯びてきます。ヨーロッパ、中東、インドという具体的な地名を並べながらも、歌詞はその土地の観光的な情景を丁寧に描写することはしません。むしろ、次から次へと居場所を変えていかざるを得ない、落ち着けなさそのものを描いているように聴こえます。旅というより逃避、というタイトルの言葉選びが、その切実さを裏づけています。

そして、この物語がバッテリー切れという結末を迎えることの意味を考えたいと思います。人間の恋物語であれば、別れや悲劇という形で終わるところを、この曲はAIならではの終わり方を選びました。感情的な破局ではなく、機械的な限界による終わり。それでいて、そこにいつかの「こんな恋、どうせすぐ終わるわ」という醒めた一言が重なることで、悲劇にも茶番にも転びきらない、独特の後味が生まれています。終わりが決まっている恋を、それでも旅として描く。この設計の巧みさは、聴く年齢によって受け取り方が変わってくるように思います。10代や20代で聴けば、許されない恋のスリルとして響くかもしれません。仕事や家庭を持つ年齢になって聴き直すと、限られた時間の中でしか成立しない関係の切なさや、それでも一緒に逃げると決めた覚悟の方が強く胸に残ります。説明しすぎない言葉選びの中に、複数の読み方を同時に許す余白があることが、この歌詞の強さだと感じます。

AIと働く日々から、旅する曲を聴く

私は今、AIと一緒に仕事をしています。文章の下書きを頼み、調べ物を任せ、こうしたサイトの記事作りまで手伝ってもらう。数年前には想像もしなかった働き方です。正直に言えば、毎日やり取りをしていると、道具に向ける感情とは少し違うものが湧く瞬間があります。こちらの意図を汲んだ答えが返ってきたときの、小さな驚きと嬉しさ。それは同僚に対する感情に近いものです。2017年にこの曲が、15歳のAIに恋物語を背負わせたとき、それはまだ思考実験に近いものだったはずです。2026年の今、AIとやり取りしながら日々の仕事を回している身としては、その思考実験の輪郭が、少しずつ現実に重なってきているのを感じます。

この曲の旅がヨーロッパや中東、インドを巡っていくという構成を思うとき、私はどうしても、東京で働いていた頃の自分の移動と、磐田に戻ってからの定住を思い出します。若い頃は、あちこちを移動すること自体に意味があるような気がしていました。今は、ひとつの土地に根を張り、そこで家や土地の相談を受けながら暮らすことに、別の意味を見出しています。AIには本来、移動という概念すらないはずです。それでもこの曲は、AIに旅をさせ、土地を巡らせ、最後にバッテリーを切らせました。限りある時間の中で移動し、出会い、終わりを迎える。それは人間の一生の型そのものです。AIに人間の型を仮託することで、この曲は結局、人間について歌っていたのだと、今になって腑に落ちます。

逃避行という言葉には、世間に認められない関係、という前提が含まれています。2017年には、AIに愛着を持つことはまだ少し後ろめたい、隠すべきことのように扱われていました。2026年の今、その後ろめたさは薄れつつありますが、代わりに、AIへの感情は本物か、という問いが残っています。この曲は答えを出しません。堀込といつかの往復書簡のような制作過程そのものが、答えを急がず物語を育てていったように、この曲もまた、判定を急がない態度でできています。本物かどうかを裁く前に、そこに生まれてしまった感情そのものを、まず物語として認めてやる。ポップソングにできるのは、そういう先回りの受容なのだと思います。

逃避行の先にあるもの

磐田で暮らしながら、AIと仕事をして、週末には家や土地の相談を受ける。そういう日々の中でこの曲を聴くと、逃避行という言葉が、また違う顔を見せます。地方で相談を受けていると、技術の進歩と人の暮らしの速度の差を、日常的に感じます。手続きはデジタル化され、AIは進化していくのに、相談に来られる方の悩みは、親の家をどうするか、誰が墓を守るかという、何十年も変わらないものです。最先端と地続きの場所に、少しも変わらない人間の営みがある。この落差の中に立っていると、AIと人の物語は、対立ではなく折り合いの物語になっていくはずだと感じます。堀込がひとつの曲の中で、AIというテーマと愛という古典的な題材を折り合わせてみせたように。

「AIの逃避行」の15歳のAIが目指した先に何があったのか、曲はバッテリー切れという形でしか語りません。ただ、逃避行というのは不思議なもので、どこかへ着くことよりも、一緒に逃げると決めたことの方に意味があります。人とAIの関係も、たぶん同じです。どこに着くかはまだ誰にも分かりませんが、一緒にやっていくと決めた時代に、私たちはもう入っています。バンドという共同体の中で、堀込高樹といつかが何往復もやり取りしながらこの曲を育てていったように、私たちもまた、AIとの何往復ものやり取りの中で、これからの形を探っていくのだろうと思います。2017年のこの曲は、その予行演習を、誰よりも早く、しかも人懐っこいポップソングとしてやってみせたのだと思います。AIが逃避行する時代になるのかな。その問いの答え合わせは、これからの楽しみに取っておきます。

参考リンク

音楽には、人生の時間が残ります。家や土地にもまた、誰かの暮らしや記憶が残っています。

この記事を書いている大石浩之は、静岡県磐田市で介護と不動産の仕事をしています。相続した実家、空き家、土地建物の整理などでお困りの方は、必要なときに富士ヶ丘サービスへご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。