千年紀末、という言葉を日常で使った時代が、確かにありました。1999年から2000年にかけて、世界は千年に一度の区切りを迎えようとしていて、コンピュータの2000年問題が騒がれ、テレビは世紀末の特番であふれていました。何かが終わるような、何も変わらないような、あの落ち着かない空気。キリンジ「千年紀末に降る雪は」は、その時代の空気を、騒ぎからいちばん遠い場所で封じ込めた曲です。世紀末を歌っているのに、終末論の大仰さがまるでない。窓の外に降る雪を眺めるような静けさの中に、時代の変わり目に立つ人間の心細さと、それでも続いていく日常への信頼が、同じ濃度で溶けています。キリンジの曲の中でも、これを名曲として挙げる人は多い。派手なヒットではないのに、四半世紀を経ても聴き継がれているのは、千年紀末という一回きりの題材を扱いながら、書かれているものが、区切りの前で立ち止まる人の普遍的な心の動きだからだと思います。
名盤『3』の最後に置かれた曲
この曲は、堀込高樹の作詞作曲、冨田恵一のプロデュースによる1曲で、シングル「アルカディア/千年紀末に降る雪は」として2000年に発表され、同年11月8日リリースのアルバム『3』の最後にも収められました。『3』は、「エイリアンズ」を含むキリンジの3作目のアルバムで、今では日本のポップス史に残る名盤として語られる作品です。2010年代以降もリマスター盤やアナログ盤が繰り返し再発され、そのたびに新しい聴き手を獲得し続けています。
アルバムの中でのこの曲の置かれ方が、また見事でした。「エイリアンズ」をはじめとする濃密な曲たちを通り抜けた最後に、雪のようにこの曲が降ってくる。アルバムを1枚の物語として聴いた人は、この曲で世紀の変わり目の戸外にひとり残されるような感覚を味わったはずです。プロデューサーの冨田恵一は、のちに中島美嘉やMISIAなどを手がける名匠ですが、この時期のキリンジ作品では、緻密なアレンジで曲の世界を隅々まで設計していました。打ち込みを基調にした音像は当時のキリンジとしては新鮮で、それがかえって、雪の無機質な静けさとよく合っています。
2000年冬、東京
世紀が変わる頃、私は東京にいました。正直に言うと、千年紀の変わり目の瞬間を、特別な場所で迎えた記憶はありません。覚えているのは、年が明けても何も起こらなかったことへの、拍子抜けのような安堵です。2000年問題で飛行機が落ちるかもしれない、ライフラインが止まるかもしれないと散々言われて、結局、水道も電気もいつも通りだった。世界の終わりは来ず、月曜日が来た。あの感覚は、いま思えばとても大事な経験でした。時代の区切りというのは、カレンダーの上の出来事であって、暮らしはただ続いていくのだと、体で理解した瞬間だったからです。
それでも、あの冬の東京の空気には、独特の湿度がありました。会社の帰り、いつもの道を歩きながら、この街の景色を千年後には誰も覚えていないのだと、ふと考えたことがあります。普段はそんなことを考える人間ではないのに、千年紀という言葉のスケールが、思考を勝手に引き伸ばしていました。この曲を聴くと、あの夜の、自分の足音だけが大きく聞こえた帰り道が戻ってきます。雪は降っていなかったはずなのに、記憶の中のあの道には、なぜかうっすらと雪が積もっています。曲が記憶を上書きする。音楽の不思議な力です。
雪のほとんど降らない街で
磐田は、雪のほとんど降らない街です。遠州のからっ風は身を切るように冷たいのに、空は冬晴れで、雪は年に一度舞うかどうか。だからこの土地の人間にとって、雪はどこか物語の中の存在です。子どもの頃、たまに雪がちらつくと、授業そっちのけで窓の外ばかり見ていました。積もりもしない雪に、あれほど心が動いたのは、めったに会えないものだったからでしょう。この曲の雪も、気象としての雪ではなく、めったに来ない時間の区切りに降る、心の中の雪なのだと思います。
あれから四半世紀が経ちました。千年紀末に大騒ぎしていた世界は、その後もたくさんの区切りを越えてきました。そして私自身も、東京を離れ、磐田に戻るという、自分の人生の区切りを越えました。家や土地の相談を受けていると、人の暮らしにも千年紀末のような瞬間があると感じます。親を見送るとき、実家を手放すとき、人は自分の暮らしの世紀末に立ちます。何かが終わってしまう心細さの中にいる方に、私が伝えたいのはいつも、あの2000年の朝と同じことです。区切りの向こうにも、ちゃんと月曜日が来ます。暮らしは続きます。この曲が四半世紀降らせ続けてきた静かな雪は、終わりの雪ではなく、続いていくものの上に降る雪なのだと、今は思っています。
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