体制が変わった年に発表される曲には、独特の緊張感が宿ることがあります。KIRINJIの「時間がない」は、2017年12月にキーボードのコトリンゴが脱退し、5人体制になって最初に世に出た新曲でした。しかも1998年のメジャーデビューから数えてちょうど20年という節目の年です。メンバーが欠けたバンドが、区切りの年に、しかも「時間がない」というタイトルの曲を出す。その巡り合わせを知ってから聴き直すと、単なる中年の焦りを歌った曲ではなく、変化を経たグループが自分たちの現在地を確かめるための曲のようにも聴こえてきます。人生の折り返し地点に差し掛かった人物が、残された時間の中で大切な人への想いを言葉にしようと決意する。そのテーマは、誰かを失ってから初めて痛感するものではなく、誰かが去っていく現場に居合わせたときにこそ、静かに立ち上がってくるものなのかもしれません。
磐田で家や土地の相談を受けながら、人が入れ替わり、家族の形が変わっていく現場に日々立ち会っていると、この曲が持つ切実さの出どころが、少しずつわかるような気がしています。誰かがいなくなった後の空間には、その人が言葉にできなかった想いだけが、形を変えて残り続けます。それは家の間取りであったり、手入れの行き届いた庭であったり、あるいは誰にも語られなかった土地の記憶であったりします。「時間がない」というタイトルの曲を、メンバーの一人が去った直後に世へ送り出したKIRINJIの選択と、そうした現場で日々目にする光景とが、自分の中で静かに重なっていきます。
メンバーが一人欠けた年に、20周年の曲を出すということ
「時間がない」は、2018年5月2日にリリースされたKIRINJIの19thシングルです。作詞・作曲はいずれも堀込高樹によるもので、同年6月13日発売の13thアルバム『愛をあるだけ、すべて』に収録されました。オリコンの公式サイトによれば、このアルバムは同作について「17年12月のライブマラソンを経て、キーボードのコトリンゴの卒業を含む体制変化を経た、新しいKIRINJIのアルバム」と紹介しており、最高順位17位を記録したと確認できます。つまり「時間がない」は、メンバーの卒業という喪失と、メジャーデビュー20周年という祝祭が同時に訪れた年に、それらを引き受けるようにして発表された曲だったということになります。ちょうど半分を折り返した年数の節目に、半生を折り返した人物の歌を出す。そこに偶然以上の必然を感じてしまうのは、うがちすぎではないと思います。
KIRINJIというグループ自体、これまでにも編成の変化を何度も経てきたバンドです。兄弟ユニットとして出発し、その後メンバーが入れ替わりながら、その都度サウンドの手触りを少しずつ変えて生き延びてきました。2018年当時はまだバンド編成であり、後年の堀込高樹個人によるソロプロジェクト化とは違う、複数人で音を作り上げていく体制の中での節目でした。だからこそ「時間がない」という曲には、個人の焦りというより、集団としての体温が残っているように聴こえます。誰か一人が欠けても、残ったメンバーで音楽を鳴らし続けるという選択そのものが、時間の有限さを引き受ける態度の表れだったのではないかと、今では思います。
公開されたティザー映像も印象的でした。音楽ナタリーの報道によれば、スーツ姿の中年男性が色鮮やかな光の中で華麗に舞う内容で、ダンサーはスタジオCASTに所属する人物、演出は城田晃輔が手掛けたとされています。スーツを着た働き盛りの男が踊るという絵は、ふだん感情を出さずに働いている人間の内側に、実はこれだけの時間への焦りと愛惜が渦巻いているのだという、視覚的な種明かしのように見えました。東京で働いていた頃の自分にも、あのスーツの中に隠していた感情が、確かにあったはずです。満員電車に揺られながら、今日伝えるべきだった一言を飲み込んで、また明日でいいかと自分に言い聞かせる。そんな日々の積み重ねの果てに、伝えそびれた想いだけが静かに積もっていくのだと、今になって振り返ります。
都会的なコード進行が運ぶ、静かな切実さ
音楽的な面では、「時間がない」はKIRINJIらしい都会的でAORな響きを持つ曲だと聴こえます。コード進行を紹介するサイトを見ると、Bm9やC#m9、AM9、DM7、FM7といった、9thやメジャーセブンスを多用した進行が使われているようで、いわゆる王道のポップスとは違う、少し複雑で洒落た色合いの和声が曲全体を覆っています。テンポは軽やかで、ペダルスティールギターの響きも取り入れられていると紹介されており、Aメロとサビでリズムの表情を変える作りになっているようです。声を張り上げて訴えるのではなく、洗練されたサウンドの中に切実な言葉を溶け込ませる。この距離の取り方こそが、KIRINJIというグループの成熟を感じさせる部分だと、聴くたびに思います。
感情をそのままぶつけるのではなく、都会的な抑制を一枚かませることで、かえって焦りの手触りが生々しく伝わってくる。そうした逆説が、この曲の音楽的な魅力の核にあるのではないかと感じています。9thコードが持つ独特の浮遊感は、確信と不安のあいだを揺れ動く心情をそのまま音にしたようで、メジャーセブンスの明るさは、後悔だけでなく、まだ間に合うという希望も同時に響かせているように聴こえます。派手なサビで感情を爆発させるのではなく、ヴァースからコーラスへ滑らかに移行する構成そのものが、日々の生活の中で少しずつ想いを言葉にしていく過程を思わせます。大きな決意を一瞬で宣言するのではなく、洒落たコード進行を辿るように、少しずつ心を整えていく。そんな時間の使い方を、この曲のアレンジは体現しているのではないかと思います。
歌詞についても、いわゆる若者向けのJ-POPにはあまり出てこない視点が盛り込まれていると紹介されているのを見かけました。人生を半分生きた者の視点、親を落胆させたことへの悔い、そうした要素が織り込まれているとされ、単純な恋愛賛歌ではなく、もっと生活に根差した重さを持つ曲だということがうかがえます。歌詞そのものを引用することはできませんが、聴いていると、若い頃には気づかなかった種類の後悔と、それでも今から間に合わせようとする意志の両方が、同じ旋律の中に同居しているように感じられます。堀込高樹自身、メジャーデビューから20年という時間を積み重ねてきた作り手です。その年月の重みが、若い頃には書けなかったであろうこの視点を、自然な説得力とともに歌詞に宿らせているのではないかと思います。
東京で先延ばしにしていた言葉
東京で働いていた頃、時間は無限にあるような錯覚の中にいました。大切な人への感謝や愛情は、いつでも言えると思っていたから、あえて言葉にしないまま日々をやり過ごしていました。仕事の締め切りや人間関係の調整に追われていると、家族や近しい人への想いは、後回しにしてもいい種類のものだと、無意識のうちに順位を下げてしまっていたのだと思います。「時間がない」というタイトルが指し示しているのは、まさにその錯覚への警告です。時間は有限であり、しかもその有限さは、誰かがふいにいなくなって初めて実感するものだということを、コトリンゴの脱退という出来事とともに発表されたこの曲は、期せずして体現しているように思えます。
当時の自分は、忙しさを理由にすれば何もかもが許されるような気になっていました。実家に電話をかける回数も、帰省する頻度も、少しずつ減っていきました。それでも関係が壊れなかったのは、相手が待っていてくれたからにすぎません。誰かが自分を待ち続けてくれる時間には、限りがあります。その当たり前のことに、東京にいる間はなかなか気づけませんでした。KIRINJIがメンバーの卒業という現実を経てからこの曲を発表したように、人はしばしば、何かを失いかけて初めて、残された時間の重さに気づかされるものなのだと思います。
振り返ると、あの頃の自分にとって「時間がない」のは仕事のスケジュールの中だけの話で、大切な人との関係にまで時間の有限さを当てはめて考えることは、ほとんどありませんでした。仕事の締め切りには追われても、親との会話の締め切りがいつか訪れるとは思っていなかったのです。この曲がAORという、もともと都会的で洗練された音楽ジャンルの語法を借りながら、極めて生活者的なテーマを歌っていることが、今になってようやく腑に落ちます。洗練された音の向こうに、誰もが避けて通れない、ごく私的で切実な時間の問題が横たわっている。そのギャップこそが、この曲を聴くたびに胸をつかれる理由なのかもしれません。
磐田の家と土地で、想いの残り時間を数える
磐田に戻ってきて、家や土地の相談を受ける仕事をするようになってから、東京にいた頃とは違う速度で時間について考えるようになりました。相続や空き家の相談で訪ねる家には、それぞれの家族が積み重ねてきた時間の痕跡が残っています。そしてしばしば、そこには「もっと早く伝えておけばよかった」という後悔の言葉が添えられます。大切な人に想いを伝える機会は、思っているよりずっと少ないのだということを、この仕事を通じて何度も教えられてきました。「時間がない」という曲が投げかけているのは、まさにその気づきです。人生の折り返しを過ぎたあたりで、ようやく人は自分に残された時間の輪郭に気づき始めます。
空き家になった実家を前にした家族から、生前に聞いておきたかった話がある、と打ち明けられることが少なくありません。土地の境界のことだけでなく、その家でどんな暮らしがあったのか、誰が何を大切にしていたのか。そうした記憶は、家という形が残っている間しか、なかなか語られないものです。私自身、この曲を聴くたびに、まだ言葉にできていない想いがどれだけあるかを、静かに数え直すことになります。土地や家を継ぐという仕事は、突き詰めれば、誰かが伝えられなかった想いの続きを引き受ける仕事でもあるのかもしれません。
だからこそ、この曲が鳴らす都会的なサウンドの向こうに、地方で暮らす自分の日常と重なる部分を、今でも見つけ続けています。5人体制になって最初に鳴らされたこの曲が、20周年という節目と喪失を同時に抱えていたように、家族の時間もまた、祝うべき節目と失うべき別れを同時に含みながら流れていくものなのだと、この曲は静かに教えてくれます。子どもの成長を祝う節目の裏側で、親が少しずつ弱っていく時間が同時に進んでいることに、離れて暮らしていると案外気づきにくいものです。磐田に戻り、家族と近い距離で暮らすようになってから、その二つの時間が同じ速度で流れていることを、以前よりもはっきりと感じられるようになりました。「時間がない」という言葉を、焦りではなく、今を大切にするための指針として受け取れるようになったのは、この土地に戻ってからのことだと思います。