この曲を聴くと、誰の心にもある「新しい船出」の日の、あの静かな朝の空気が戻ってくる。キリンジ(KIRINJI)の「進水式」は、ただの明るい応援歌ではない。それは、過去を背負いながらも、覚悟を決めて未知の海へと漕ぎ出す者たちに贈られる、厳かで温かい寿ぎの歌だ。私たちは人生のなかで、幾度となく新しい船を水に浮かべ、その船出を迎える。ある時は華々しく、またある時は静かに、あるいは予期せぬ変化によって。かつて東京という大都会の喧騒の中で必死に踏ん張っていた私(大石浩之)が、その生活に終止符を打ち、故郷である静岡県磐田市に戻って「富士ヶ丘サービス」という新たな船を立ち上げたとき。そして現在、介護や不動産という仕事を通じて、高齢者の方々が新たな生活様式へと移行する瞬間や、思い出の詰まった実家を手放して新しい暮らしへ歩み出す瞬間に立ち会うとき。そこには常に、それぞれの人生における「進水式」と呼ぶべき、厳粛な節目が存在している。堀込高樹が紡ぎ出した、豊潤で少し切ないメロディと、どこか現実的で覚悟に満ちた世界観は、大人の人生の節目にそっと寄り添い、前に進むための静かな力を与えてくれる。この曲の響きを紐解きながら、人生における「新しき門出」の意味について、私自身の歩み、そして地域で向き合う人々の人生と重ね合わせて考えてみたい。
新生KIRINJIの決意と、「進水式」がまとう特別な響き
「進水式」は、2014年8月にリリースされたKIRINJIのアルバム『11』の幕開けを飾る楽曲である。この曲には、バンドにとって極めて重要な背景がある。1996年の結成以来、兄弟ユニットとして独自のポップスを追求し、多くのファンを魅了し続けてきた彼らだが、2013年春に弟でありリードボーカルを務めていた堀込泰行が脱退。バンドとしての存続が危ぶまれるなか、兄の堀込高樹は「キリンジ」の名を受け継ぎ、新たに5人の個性豊かなミュージシャン(田村篤、楠均、千ヶ崎学、コトリンゴ、弓木英梨乃)を迎え入れた6人編成のバンド「KIRINJI」として再スタートを切ることを決断した。その新生バンドの最初の一歩、まさに「船出」を象徴する楽曲として書き下ろされたのが、この「進水式」なのだ。
音楽的には、非常にミディアムテンポで心地よいメロウなロックビートが軸となっている。そこに木管楽器やホーンセクションの温かみのあるアレンジが加わり、耳に優しく、かつ上品なアンサンブルを構築している。そして何よりも、これまで主にコーラスや一部の楽曲でしかリードボーカルを取らなかった堀込高樹が、自らフロントマンとして歌うその声が素晴らしい。飾らず、押し付けがましさのない彼のフラットで誠実な歌声は、新しい旅路に対する過度な熱狂ではなく、大人の落ち着きと、深い覚悟を感じさせる。
歌詞のテーマ(具体的な歌詞の引用は避けるが)は、係留されていた安全な港のロープを自らの手で断ち切り、まだ見ぬ大海原へと自らの意思で進んでいくというものだ。かつての体制や過去の栄光への未練を捨て去り、新しい仲間たちと共に作り上げた「新しき船」への誇りと信頼が描かれている。そしてこの曲を決定づけているのは、単に「出発を祝う」だけでなく、過酷な旅路の果てに「必ず生きて無事に帰ろう」というリアリズムに満ちた決意が示されている点である。華々しい未来ばかりを約束するのではなく、現実の荒波を生き抜くという強い意志こそが、この新生KIRINJIの門出にふさわしい、大人による大人のための「寿ぎの歌」としての深みを与えているのだ。
東京での終止符と、磐田での静かな「船出」
この「進水式」に描かれる、過去を断ち切って新たな海へと漕ぎ出す覚悟は、私(大石浩之)自身の人生における大きな転換点と深く共鳴する。うまくいかずに焦る夜もあれば、自分の無力さに打ちひしがれる夜もあった。しかし、東京での生活は自分の基盤を形作る重要な一部であり、必死に踏ん張っていたあの頃の自分には、それなりの誇りもあった。
だが、人生にはいつか決断を下さなければならない瞬間が訪れる。私はある時期、その東京でのキャリアに終止符を打ち、生まれ故郷である静岡県磐田市に戻ることを決めた。それは、それまで自分が築き上げてきた関係性や、東京という街が持つ独特の刺激から、自らの手でロープを解くような作業だった。慣れ親しんだ環境やポジションを手放し、地方での新たな暮らしや仕事へと向かうことには、少なからず不安や孤独が伴った。
磐田に戻り、地元で「富士ヶ丘サービス」という会社を立ち上げた瞬間こそ、私にとっての本格的な「進水式」であった。新しく立ち上げた事業という木造の小さな船が、初めて地域の社会という水面に浮かんだあの日。そこには、大企業のような強固なエンジンもなければ、羅針盤もまだ十分ではなかった。ただ、自分を信じて、そして地元の必要とされる場所に手を差し延べようという静かな決意だけがあった。
KIRINJIの「進水式」を聴くたびに、私は磐田のオフィスで一人、事業の将来について考えを巡らせていた創業期の静かな朝を思い出す。それは、過激に自分を鼓舞するのではなく、「今日もまた少しずつ進めよう」と, じわじわと心の中にエネルギーを蓄えていくような時間だった。ビジネスという海は決して平穏ではなく、時には厳しい嵐や不況という荒波にも見舞われる。しかし、あの出港の日の厳かな気持ちを思い出すことで、私たちはいつでも初心に立ち返り、姿勢を正すことができるのだ。
介護の現場で向き合う、人生の新たな航路への移行
富士ヶ丘サービスの代表として、私は日頃から多くの高齢者の方々、そしてそのご家族と深く関わっている。介護の現場は、人生の終盤における様々な「変化」や「移行」が日々繰り返される場所である。そしてそこには、外からは見えにくくとも、非常に厳粛な「人生の進水式」と呼ぶべき瞬間が数多く存在する。最も象徴的なのは、住み慣れた自宅を離れ、介護施設への入居を決断される瞬間だ。
長年住み続けた家を後にする日、ご本人は言葉にできないほどの寂しさや不安を抱えていることが多い。自分の変化や衰えを受け入れ、これまで当たり前だった自立した生活というロープを解く。その心境は、決して容易なものではない。また、ご家族にとっても、「本当にこの選択で良かったのだろうか」「親を施設に預けるのは心苦しい」といった葛藤や罪悪感との戦いがある。
私たち介護の専門スタッフは、そのような瞬間に立ち会う際、単なる「手続きの代行者」であってはならないと強く思っている。その決断は、その方の人生が新しいステージへと進むための、厳かな儀式なのだ。だからこそ、私たちはその「船出」を温かく、敬意を持って迎え入れなければならない。新しい施設での生活という航海が、少しでも穏やかで、安心できるものになるように。そして、これまでの人生で蓄積してきた豊かな記憶や誇りという財産を大切に抱えながら、新たな環境で自分らしく生き抜いていけるように。
KIRINJIの「進水式」に漂う、どこか哀愁を帯びながらも温かい雰囲気は、介護の現場で私たちが目にする高齢者の方々の、静かだが尊い決断の姿に重なる。人生の航路は、年齢を重ねるごとに狭まっていくように見えるかもしれない。しかし、たとえどのような状況であっても、新しい環境へ適応し、そこで新たな人間関係や楽しみを見出していく過程は、立派な新しい航海なのだ。その船出を寿ぎ、伴走することこそが、私たちの果たすべき役割であると感じている。
不動産が繋ぐ記憶の整理と、新たな住まいへの船出
介護事業と並び、私たちが展開している不動産事業(富士ヶ丘サービス株式会社)でも、数多くの「船出」とそれに伴う記憶の整理に立ち会う。不動産売買や空き家の片付け、相続された実家の整理といった業務は、単なる物理的な物の移動や金銭の取引ではない。そこには、かつてそこで暮らした人々の無数の時間と、新しい生活へ向かおうとする人々の覚悟が詰まっている。
私たちは、相続人の方々が「もうこの家には戻らない」という決意を固め、実家を次の世代へと引き渡すプロセスをサポートする。その際、単に「いくらで売れるか」という経済的な価値だけでなく、その家が家族にとってどのような場所であったのか、その記憶を少しだけでも振り返り、咀嚼する時間を大切にしてほしいと願っている。なぜなら、そうして記憶をきちんと整理し、心の中にしまい込むことこそが、売主様自身が新たな人生の航路へと迷いなく進むための、不可欠な「進水式」になるからだ。
一方で、その家を新しく購入し、リフォームして暮らし始める買主様にとっては、まさにその場所が新しい家族の「船出」の舞台となる。古い家が解体され、新しい土地として生まれ変わる場合も同様だ。新しく建てられた家に引っ越し、これから数十年にわたる生活を始める人々は、期待と少しの緊張を抱えながら、新しい船を水面に浮かべる。
KIRINJIの「進水式」が奏でる優美なサウンドは、こうした人生の交差点にある哀愁と希望を、見事に包み込んでくれる。ただ古いものを壊して新しいものを立てるという消費のサイクルではなく、そこに積み重ねられた時間を尊びながら、次の目的地に向けて静かにロープを解く。その一連のプロセスに、私たちは専門知識と温かいまなざしを持って寄り添い続けたい。
「生還」を誓い合う日常のリアリズムと、地域で生きる人々への眼差し
KIRINJIの「進水式」の魅力は、新生活や再出発といった輝かしいテーマを扱いながらも、その奥底に「必ず生きて再び顔を合わせよう」という、静かだが切実な生還のメッセージを秘めている点にある。これは、若者が夢見るきらびやかな出港のイメージとは一線を画す、酸いも甘いも噛み分けた大人だからこそ響くリアリズムである。現実の生活や仕事という航海は、美しい瞬間ばかりではない。荒れ狂う嵐の夜もあれば、視界を遮る深い霧に包まれる日もある。磐田市を中心とする遠州地域で介護や不動産を営むなかで、私は何度も、その「航海の厳しさ」を肌で感じてきた。
それでも、私たちは毎朝、係留ロープを解いて仕事という海へと出ていく。それは英雄的な冒険ではなく、地道で、時には孤独な作業の繰り返しだ。そんな日々の中で、「進水式」が持つ「無事に帰還する」というテーマは、私たちに地に足のついた勇気を与えてくれる。派手な成功を収めることよりも、目の前の荒波を一つずつ乗り越え、今日という一日を無事に生き抜き、また次の朝を迎えること。その積み重ねこそが、最も価値のあることなのだと、この曲は教えてくれる。
私たちは、介護や不動産というサービスを通じて、そうした地域の一人ひとりの「航海」が座礁しないよう、港のドックや灯台のような存在でありたいと願っている。新しい一日が始まる朝、あるいは深夜の静かなデスクワークの最中、この「進水式」を聴くことは、私にとって自分の現在地を確認し、心を整えるための大切な儀式だ。この曲が流れる時、私はかつての自分と、いま目の前にいる地域のすべての人々の船出に、静かな寿ぎの祈りを捧げている。
参考リンク
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、新しい船出を寿いだ記憶を読み直す場所です。