「Expert」は、KREVAが2023年9月8日、本人が「クレバの日」と呼ぶ日にリリースした楽曲である。RealSoundのインタビューによれば、この曲は2023年の年明けから複数作り溜めていた楽曲の中から、「メロディ、フロウと歌詞にちゃんと気持ちがくっついてるもの」として選び抜かれ、納得いくまで作り込まれたのだという[1]。派手な瞬発力で押し切るのではなく、地味な調整を重ねて仕上げていく。そのタイトル通りの制作態度そのものが、この曲の魅力の核になっている。
年明けから積んだ曲の中で選ばれた一曲
「Expert」は2023年9月8日、KREVAが「クレバの日」と呼ぶ日にリリースされた[1]。KREVA本人がRealSoundのインタビューで明かしたところによれば、原型となる楽曲は同年の年明けから作り始められ、いくつも制作した楽曲の中から、「一番いい」と判断したこの一曲が最終的に選び取られたという[1]。すぐに世へ出す一曲を決めるのではなく、いくつかの候補を並べて、じっくり見極める。この選び方自体が、すでに「Expert」というタイトルにふさわしい態度だと感じる。作り溜めた曲の中には、もっと早く形になった候補もあったはずだ。それでも急いで発表せず、時間をかけて選び抜いた末にこの一曲を残した判断に、キャリアを重ねた者だけが持てる冷静さを感じる。
MVは楽曲配信と同じ9月8日に、KREVA本人の公式YouTubeチャンネルでプレミア公開された[2][6]。この公開は、同月14日の「908 FESTIVAL 2023」と15日の追加単独公演、東京・日本武道館での2日間コンサートに向けたタイミングでもあったと報じられている[6]。この曲はのちに、電気自動車メーカーBYDの人気SUV「BYD ATTO 3」の新CMソングにも起用され、2024年3月からテレビCMでのオンエアが始まったと伝えられている[3][4]。リリースから半年ほどの時を経て、より大きな場所で流れ始めたことになる。すぐに数字となって跳ね返るタイプの曲ではなく、時間をかけて聴かれる場を広げていった曲、という印象を受ける。
転調という、迷いを解決に変える技術
この曲の音楽的な聴きどころは、サビの部分に置かれた転調にある。KREVAはRealSoundのインタビューで、軽く書いて歌ってみたときの最初の音の高さと、最終的に到達する高さの、どちらも捨てがたく良いと感じたと語り、そのどちらも活かすために、ブリッジで二度キーを上げる構成を選んだと明かしている[1]。以前なら高さAか高さBか、どちらか一つに絞っていたところを、「AからBに転調していくこともできるようになった」と本人が振り返るように、両方を活かす選択ができるようになった[1]。この技術的な変化は、コロナ禍で機材の扱いに習熟したことや、バンド編成でのアレンジを重ねてきた経験によるものだとインタビューの中で語られている[1]。普通なら迷いとして処理されてしまいそうな選択を、転調という技術によって曲の推進力に変えてしまう。この判断は、長くトラックメイキングと作詞作曲を一人でこなしてきたKREVAだからこそ持てる引き出しなのだろう。
ラップという表現において、フロウは言葉の意味以上に、聴き手の体感に直接届く要素だと思う。この曲のヴァースの部分では、抑えた発声で言葉を置いていくような、比較的落ち着いたフロウが続いているように聴こえ、それがサビの転調による解放感を、より際立たせているように感じられる。緊張と弛緩の配分を、経験の中で身体で覚えている人の呼吸だと聴こえてくる箇所だ。派手に音数を積み上げるのではなく、必要な音を必要な場所にだけ置いていくような、引き算の美意識も随所に感じられる。トラックメイキングから作詞作曲、ボーカルまでを一人でこなすオールラウンダーとして知られるKREVAだからこそ、こうした細部の呼吸にまでこだわりを通せるのだろう[5]。分業では生まれにくい、一貫した呼吸のようなものが、この曲の隅々にまで行き渡っているように聴こえる。
朝の習慣と、他人に向けたはずの言葉が跳ね返ってくる瞬間
この曲のサビにまつわる言葉は、モーニングページと呼ばれる朝の書く習慣の中から出てきたと、KREVA自身が振り返っている[1]。ジュリア・キャメロンの著書に基づき、2023年初頭から毎朝ノートに書き出す習慣を始めたといい、「3ページ目に入ったあたりで、心の中で本当に辿り着きたかった思いがポロッと出てくる瞬間がある」と語っている[1]。頭の中を整理せずに紙に書き出していくうちに、本当に辿り着きたかった思いがふと顔を出す。狙って書いた言葉ではなく、日々の積み重ねの中で不意に立ち上がってきた言葉だ。これもまた、待つことでしか得られないものの一つだと思う。
この歌詞をめぐる発言の中で、とりわけ印象に残るのは、KREVAが「自分より一回りも下の世代、若い世代にストレートに響くような歌になればいいなと思って書き出した」と述べながらも、続けて「書いて歌っていくうちに、全部自分に言ってる気がしてきて。言葉に気持ちが乗るってそういうことだったのか」と振り返っている点である[1]。誰かを励まそうとして選んだ言葉が、書き手自身の胸に一番深く刺さって返ってくる。この往復運動は、歌詞というものの不思議さをよく表している。人に向けた言葉のつもりが、実は自分がずっと言われたかった言葉だった、という経験は、誰の人生にも一度や二度はあるのではないか。歌詞そのものの丸ごとの引用はここでは控えるが、この曲が持つ強さは、特定の世代や状況に限定されない、言葉の宛先の広がりにあるように思う。20年近いキャリアを積んできたラッパーが、いまなお朝の習慣という地道な作業を続け、そこから生まれた言葉に自分自身が動かされている。派手な創作エピソードとして語られがちなヒップホップの現場に、こうした地味な日課が根を張っているという対比も、この曲を聴くうえで印象に残る部分だ。
タイトルの「Expert」も、曲の内容を要約する言葉としてではなく、最後に、曲全体としっくり馴染むかどうかで選ばれたと語られている[1]。曲の中で一番フックになったフレーズをそのままタイトルにするのではなく、「どんな歌だろう」と思わせられる言葉として選び直す。意味を先に決めて言葉を当てはめるのではなく、出来上がったものに言葉が寄り添っていく。この作り方の順番にも、急がず形を整えていく姿勢が表れている。
言葉が降りてくるのを待つ、という感覚は、私自身の仕事にも重なるところがある。相続や空き家の相談では、こちらが答えを急いで提示するよりも、相談者自身の言葉が自然と出てくるまで、間を置いて待つ方が、結果としてよい方向へ進むことが多い。急かして引き出した言葉と、時間の中でふと出てきた言葉とでは、その後の納得感がまるで違う。KREVAが朝の習慣の中で言葉を待つように、面談の場でも、沈黙を急いで埋めない構えが必要だと感じることがある。
視聴者に委ねる、公式MVという選択
公式MVは楽曲配信と同日の2023年9月8日、KREVA本人の公式YouTubeチャンネルでプレミア公開された[2][6]。Musicmanが報じたリリース時の紹介文には、この映像作品について「メロディアスなKREVAの真骨頂、新たな代表曲となり得る『Expert』の世界観を限定せずに、視聴者ひとりひとりが想像を掻き立てられる映像作品に仕上がっている」と説明されている[6]。特定の物語やシチュエーションを提示して見る側の解釈を固定するのではなく、余白を残す方向で作られたMVだということになる。これは、先に触れた歌詞の「誰に向けた言葉なのか」という宛先の広がりとも呼応する作りだと感じる。歌詞が特定の世代に限定されない広がりを持っているように、映像もまた、特定の情景に限定しない選択をしている。
ただし、MVとしての完成度は十分に感じられるものの、実写のドラマ性や具体的な情景描写で押し切るタイプの作品と比べると、視聴後に残る物語の輪郭はやや抽象的に振れる。曲そのものが持つ転調の技術や、歌詞が描く往復運動の強さと比べると、主視点として選ぶにはもう一段の具体性がほしいというのが正直な感想だ。世界観を限定しないという方針は、この曲の性質にはよく合っているが、MV単体で語れる強さという点では、曲や歌詞にわずかに譲る。
チャートの数字について言えば、この曲単体のオリコン順位を明確に示す一次情報は見当たらなかった。ただ、この曲を収録したアルバム『Project K』はKREVAのソロデビュー20周年を記念する10作目のオリジナルアルバムとして2025年2月19日に発売され[7]、「Expert」はその先行配信曲の一つとして位置づけられている。売上枚数や再生回数といった具体的な数字よりも、20年という時間の積み重ねの延長線上にこの曲が置かれているという事実の方が、私には強く響く。
磐田で待つ、機が熟す時間
東京で働いていた頃は、成果をすぐに求められる場面が多く、じっくり待つという選択肢を持てないことがよくあった。早く結論を出さなければという焦りが、かえって判断の質を落とすこともあった。KREVAが年明けから曲を作り溜め、その中から一曲を選び、さらにブリッジで転調という一手間を加えて仕上げていく過程には、急がず形を整える人の呼吸がある。トラックが完成してから実際にCMという大きな舞台で流れ始めるまでにも、半年ほどの間があったと報じられている[3][4]。この時間差そのものが、良いものが然るべき場所に落ち着くまでには、相応の時間がかかるという当たり前の事実を、あらためて教えてくれる。
磐田に戻り、家や土地、相続の相談という仕事を続ける中で、この感覚はより強くなった。実家をどうするか、土地をどう分けるか、家族の中で意見が割れることは珍しくない。そこで急いで一つの結論に誘導してしまうと、その場は収まっても、あとになって別のしこりが残ることがある。すぐに結論を出すことよりも、家族それぞれの気持ちが整うのを待つことの方が、結果として良い解決につながる場面によく出会う。空き家の扱いや実家の処分は、焦って進めると、かえって家族の間にしこりを残すことが少なくない。時間をかけて、然るべきタイミングを見極める。それは怠慢ではなく、場数を踏んだ者だからこそできる判断だと思う。
「Expert」という一語は、才能の誇示ではなく、こうした地道な調整を重ねられる人への呼び名なのだと、この曲を聴くたびに思い直す。誰かに向けて書いた言葉が、いつのまにか自分自身への言葉になっていたというKREVAの述懐は、言葉を扱う仕事に関わる人間にとって、静かに刺さるものがある。年明けから曲を作り溜め、選び抜き、転調という一手間を加え、半年をかけてCMという舞台にたどり着いた「Expert」の歩みは、結果だけを見れば単なる一つのタイアップの成功譚に見えるかもしれない。けれどその内実は、地味な工程を根気よく積み重ねた末の到達点であり、他人に向けた言葉が自分自身をも励ましてしまうという、歌詞ならではの往復運動の記録でもある。
参考リンク
- [1] KREVAは全てを受け入れてネバり続けていく――RealSoundインタビュー
- [2] KREVA「Expert」MUSIC VIDEO(KREVA本人公式YouTube)
- [3] KREVA最新曲「Expert」がBYD ATTO 3 TVCMソングに決定 | うたまっぷNEWS
- [4] KREVA、最新曲「Expert」がSUV「BYD ATTO 3」のCMソングに決定 | BARKS
- [5] KREVA ヒップホップ出身の唯一無二のオールラウンダーだからこそ作れた新曲「Expert」を紐解く | SPICE
- [6] KREVA、新曲「Expert」MVを9/8クレバの日にプレミア公開 | Musicman
- [7] ニューアルバム『Project K』2025年2月19日発売決定 | encore
いいものが然るべき場所に落ち着くまでには、時間が必要です。家や土地の整理にも、同じことが言えると思っています。
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