この曲のミュージックビデオには、忘れがたい仕掛けがあります。カメラが被写体に寄りながらズームアウトしていく「ヴァーティゴエフェクト」と呼ばれる撮影手法で撮られていて、KREVAと三浦大知という被写体そのものは画面の中央でほとんど動かないのに、その背景の景色だけがどんどん移り変わっていく[3]。同じ場所に立っているはずなのに、周りの世界だけが遠ざかったり近づいたりする、不思議な映像です。この演出を知ったとき、ああ、これはまさにコロナ禍で自分たちが感じていた感覚そのものだと思いました。人と人との関係は変わっていないつもりでも、外側の状況だけがめまぐるしく変化していく。あの数年間、多くの人が味わった実感が、映像の技法として静かに刻み込まれています。
初めてこのMVを見たとき、正直に言うと少し戸惑いました。ラブソングの映像としては、あまりに静かで、あまりに抽象的だったからです。派手なダンスも、劇的なストーリーもない。ただ2人が同じ姿勢で歌い続け、その周りの空だけが移ろっていく。けれど何度か見返すうちに、この静けさこそがこの曲の本質なのだと気づかされました。派手な演出で距離を埋めようとするのではなく、動かないことそのものによって、変わらない何かを証明しようとしている。声を交わし合う2人の姿と、移り変わる景色の対比は、離れて暮らす者同士の関係を、これ以上ないほど的確に映し出しているように思えます。
思えば、記憶というものもまた、こうした構造を持っているのかもしれません。故郷の風景や、家族と過ごした場所の記憶は、実際にはその場に行かなくても、心の中でずっと同じ姿のまま在り続けます。一方で、自分自身の暮らしや立場は、時とともに少しずつ移り変わっていく。動かない記憶と、動いていく自分。この曲のミュージックビデオが見せる映像の構図は、そうした記憶と現在との関係性を、映像という形で可視化しているようにも感じられます。
煙突という被写体の選び方にも、静かな説得力があります。工場の煙突は、その土地に長く根を張り、周囲の建物が建て替えられても、変わらずそこに立ち続ける存在です。高台の煙突の上で歌う2人の姿は、そうした「動かないもの」の上に立ちながら、自分たちの声だけを遠くへ送り届けようとしているようにも見えます。景色は変わっても、立っている場所と、届けようとする声の方向だけは変わらない。この曲全体を貫く一貫性が、その一つのカットに凝縮されているように思います。
被写体は変わらず、景色だけが移り変わる
「Fall in Love Again feat. 三浦大知」は、2020年12月2日にデジタル先行配信され、同年12月23日にパッケージ化されたKREVAのシングルです[1]。作詞・作曲ともにKREVAと三浦大知の連名によるもので、KREVAが先に言葉を書いてから三浦大知に送り、返ってきたものを受けて8月にレコーディングが行われたと伝えられています[2]。表題曲は同年9月8日の無観客配信ライブ「908 FESTIVAL ONLINE 2020」で初披露され、三浦大知本人からの「曲を作ったりInstagramでライブしたり、ぜひ一緒に何かやりたいです」という声かけが、コラボレーション実現の直接のきっかけになったと伝えられています[2]。この時期、KREVAは外出がままならない状況の中、この曲のトラックを自宅で制作していたとも伝えられており[2]、離れた場所にいる仲間を思いながら、まさに一人きりの部屋で曲を組み立てていたことになります。2009年以来、KREVAと三浦大知はすでに5曲のコラボレーションを重ねてきた間柄で、10年以上にわたって毎年のように人前で共演を重ねてきた盟友でもあります[2]。今回の共作は、そうした孤立した制作環境の中から生まれた、つながりへの渇望のような一曲だったのかもしれません。
ミュージックビデオは、KREVA作品を手がけてきた大喜多正毅監督が担当し、歌詞にある"距離感"というテーマをもとに、ヴァーティゴエフェクトと呼ばれる撮影手法と12Kカメラ・ドローンを組み合わせて制作されました[3]。ヴァーティゴエフェクトは、カメラが被写体へ寄っていきながら同時にズームアウトすることで、被写体の大きさは一定のまま、背景の遠近感だけが伸び縮みして見えるという、映画の演出などで使われてきた技法です。高台の煙突の上で2人が歌う壮大なシーンを経て、ラストカットではKREVAが気球に乗って画面から離れていく場面で締めくくられます[3]。人との距離をどれだけとっても、心の距離だけは遠ざけないというメッセージが、この映像全体に貫かれています[3]。楽曲としても、フックはシンプルな言葉の反復で耳に残るように作られ、1番はやさしい脚韻から始まり、2番の終盤からサビにかけて韻が幾重にも重なっていく構成になっている、という指摘もあります[4]。ラップソングとしての鋭さと、ラブソングとしての親しみやすさの両方を成立させる工夫が、言葉の置き方そのものに仕込まれているように聴こえます。
この曲がリリースされた2020年12月という時期を思い返すと、多くの人が「会えない年末年始」を経験していたはずです。帰省を控え、年越しの集まりを見送り、画面越しに新年の挨拶を交わす。そうした状況の中でこの曲が発表されたことを考えると、単なる恋愛ソングという枠を超えて、あらゆる形の「会えない関係」に向けられたメッセージとして受け止められていたのではないかと想像します。三浦大知とKREVAという、それぞれ別の現場で活動してきた2人が言葉を交わしながら一つの歌詞を仕上げ、声を重ねること自体が、離れていても表現を通じてつながれるという、ひとつの実践だったようにも思えます。
声を交わす2人、動かない場所
東京で働いていた頃、単身赴任のような形で家族と離れて暮らす同僚が何人もいました。誰もが口をそろえて言っていたのは、「自分自身は何も変わっていないつもりなのに、離れているだけで、まわりの状況ばかりが変わっていく感じがする」ということでした。子どもの成長も、家の中の変化も、自分がその場にいない間に進んでしまう。取り残されるような感覚と、それでも自分の中の家族への思いだけは何一つ変わっていないという確信。この曲のミュージックビデオが見せる、被写体は動かず背景だけが変わっていく映像は、そうした感覚を驚くほど正確に言い当てているように思えます。
KREVAのラップが前へ前へと進む推進力を持ち、三浦大知の歌声がそれをゆったりと受け止めて広げていく。この2つの声の質感の違いは、動かない場所にいる者と、変わりゆく景色を運んでくる者との対話のようにも聴こえます。声を発する側と、それを受け止める側。どちらが欠けても、この曲の往復運動は成立しません。曲の終盤に向かうにつれて、2つの声が重なり合っていく箇所は、まるで別々の場所にいた2人の時間が、少しずつ同じ速さで流れ始めるかのように聴こえます。物理的には同じ場所に立っていても、それぞれが背負ってきた孤独な時間の質は違っていたはずで、その違いを抱えたまま声を重ねていくところに、この曲の掛け合いの豊かさがあるのだと思います。
電話やビデオ通話を思い出します。画面越しに顔を見ながら話していても、相手の部屋の背景や、光の入り方や、聞こえてくる生活音から、こちらの知らない時間が流れていることに気づかされる瞬間があります。それでも、声を交わしている間だけは、その隔たりが埋まる。この曲がミュージックビデオという視覚的な仕掛けを通じて伝えているのは、まさにそうした、声によって一時的に埋まる隔たりの感覚なのではないかと感じます。
コロナ禍という時期を考えると、この曲が生まれた背景には、単なる音楽的なコラボレーション以上の切実さがあったのだろうと想像します。ライブで人前に立つことを生業にしてきた2人が、それを封じられた期間に、あえて「Fall in Love Again(もう一度恋に落ちる)」という前向きな言葉を選んだこと自体が、ひとつの意思表示だったのではないでしょうか。落ち込んだままではいない、状況が変わっても、また誰かを、何かを好きになれる。そうした回復力への信頼が、曲全体の芯にあるように感じられます。
「もう一度」という言葉に込められた歌詞の芯
この曲の歌詞そのものを長く引用することはしないが、そこに描かれている時間と関係性について考えてみたい。タイトルの「Fall in Love Again」、つまり「もう一度恋に落ちる」という言葉は、単純な恋愛の告白というより、一度離れかけた関係を、あらためて選び直すという時間の重なりを感じさせる。KREVAのラップパートは前を向いて進んでいく推進力を持ち、三浦大知が歌うパートはそれを受け止めて包み込むように広がる。この役割の違いが、歌詞全体に「呼びかけと応答」の構造を与えている。誰かが声をかけ、誰かがそれに応える。会えない時間の中でも、その往復だけは途切れなかった、という手触りが歌詞の芯にあるように感じる。
Jマガによる韻の考察では、フックがシンプルな言葉の反復で耳に残るように作られ、1番はやさしい脚韻から始まり、2番の終盤からサビにかけて韻が幾重にも重なっていく構成になっている、と指摘されている[4]。ラップの技巧としての言葉遊びが、ラブソングとしての親しみやすさを損なわずに共存しているのは、二人が互いの声の届く距離を測りながら言葉を交わし合った、その共作のプロセスそのものが反映されているからかもしれない。歌詞に説明的な状況描写が少ないぶん、聴き手はそれぞれの「会えなかった時間」を思い浮かべながら聴くことになる。コロナ禍という具体的な状況を歌いながらも、言葉そのものは特定の状況を名指ししすぎていないため、時代が変わっても色褪せにくい普遍性を持っているように思う。
この曲は、2022年9月に日本武道館で開催された「908 FESTIVAL 2022」でも三浦大知とともに披露されている[5]。配信という制約の中で生まれた曲が、やがて人が再び集まれる場所で歌われるようになる。その歩みそのものが、歌詞が最初から抱えていた「また会える日を願う」という祈りの実現のように見える。動かなかった願いが、時間の経過とともに、少しずつ現実の景色へと姿を変えていく。この曲を今聴き返すと、単なる過去の記録としてではなく、離れた時間を経てもなお有効な、ひとつの約束のように響く。
気球と煙突、対照的な2つの像
気球に乗って画面から離れていくラストカットを見るたびに、離れることは必ずしも切り離されることではないのだと思わされます。距離をとっても、心の置き場所さえ動かなければ、人はまたそこに戻ってこられる。この曲が体現する願いは、コロナ禍という特定の時代を超えて、離れて暮らす人たちすべてに、静かに寄り添い続けているように感じます。空へ昇っていく気球と、動かずに在り続ける煙突。この対照的な2つの像を同時に見せてくれるところに、この曲のミュージックビデオの誠実さがあるように思います。曲、歌詞、映像のいずれもが「距離感」という一つのテーマに向けて丁寧に作り込まれていて、それぞれが単独でも成立する強度を持ちながら、三つがそろって初めて、この曲の全体像が立ち上がってくるように思えます。
参考リンク
- [1] KREVA | Fall in Love Again feat. 三浦大知 | スピードスターレコーズ(ジェイ・ヴィ・シー)
- [2] KREVA×三浦大知、コロナ禍で生まれたラブソング(音楽ナタリー)
- [3] KREVA、「Fall in Love Again feat. 三浦大知」MV公開(SPICE)
- [4] KREVA『Fall in Love Again feat. 三浦大知』韻考察(日本語ラップ情報マガジン Jマガ)
- [5] KREVA主催の音楽の祭り『908 FESTIVAL 2022』を振り返る(SPICE)
音楽には、人生の時間が残ります。家や土地にもまた、誰かの暮らしや記憶が残っています。
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