今回リンクを張ったのは、1991年の音源ではありません。2023年9月29日、東京・渋谷のJZ Brat SOUND OF TOKYOで、楠瀬誠志郎本人が歌った「ほっとけないよ」のライブ映像です。最初に断っておきたいのは、これが懐メロのステージではないということです。30年以上前のヒット曲を、今の声で、今の解釈で歌い直している。そして、それがいいのです。あの当時の楠瀬さんもかっこよかったけれど、今の楠瀬さんもかっこいい。私がこの曲を記事にしたかった理由は、つまるところ、この一点に尽きます。ハイトーンの伸びやかさで一世を風靡した人が、歳月を重ねた声で同じ曲を歌うとき、そこには失われたものではなく、加わったものが聴こえます。声の艶の若さと引き換えに、言葉の重みと、間の豊かさが増している。1曲の中に、1991年と2023年がふたつとも鳴っている。年齢を重ねることを、これほど前向きに見せてくれる映像は、なかなかありません。
1991年、「ADブギ」の主題歌として
「ほっとけないよ」は、1991年11月15日にリリースされた楠瀬誠志郎の10枚目のシングルです。TBS系ドラマ「ADブギ」の主題歌に起用され、オリコンチャートで最高6位を記録、売上は70万枚を超える大ヒットとなりました。「ADブギ」は、テレビ局のアシスタントディレクターたちの奮闘を描いた青春群像劇で、浅野忠信や榊原利彦らが出演していました。バブルの余熱が残るテレビの現場を舞台にしたドラマに、この曲のまっすぐな優しさはよく合っていました。
楠瀬誠志郎という人は、いわゆる一発の人ではありません。「しあわせまだかい」などのヒットを持ち、そしてなにより、あの透明感のあるハイトーンボイスで記憶されている歌い手です。1990年代前半、男性ボーカルのハイトーンがポップスの主戦場になっていく中で、楠瀬さんの声は力任せの高音ではなく、どこまでも柔らかく浮かんでいくタイプの高音でした。「ほっとけないよ」のサビでも、声は張り上げられるのではなく、ふっと浮いて、そのまま滑空します。あの浮遊感は、当時のヒットチャートの中でも独特のものでした。
ドラマ主題歌が生活の中にあった頃
1991年の秋、私はこの曲を、たぶん日本中の多くの人と同じ形で聴いていました。つまり、毎週決まった曜日の夜、テレビから流れてくる主題歌としてです。当時のドラマ主題歌は、いまのタイアップ曲とは存在の仕方が違いました。録画もサブスクもない時代、ドラマは放送のその瞬間に観るもので、主題歌は毎週同じ時間に、生活のリズムの一部として流れてきました。だから曲を聴き返すと、曲そのものと一緒に、あの頃の曜日の感覚まで戻ってきます。あの秋、火曜の夜にはテレビの前にいた。そういう体内時計ごと、曲は記憶しています。
「ほっとけないよ」というタイトルの日本語は、よく考えると面白い言葉です。愛している、でも、守りたい、でもなく、ほっとけない。理屈や打算より先に、体が相手の方を向いてしまう感じ。かっこつけた言葉ではないのに、だからこそ本気に聞こえる。1990年代のドラマ主題歌には、こういう、日常の話し言葉をそのまま曲の芯に据えた名曲が多くありました。日本語のポップスが、翻訳調の愛の言葉ではなく、ふだんの言葉で愛情を歌えるようになった時代だったのだと思います。
30年後の声を聴く
2023年のライブ映像に戻ります。JZ Bratは渋谷のホテルの中にある大人のジャズクラブで、観客との距離が近い箱です。そこで歌われる「ほっとけないよ」は、1991年のきらびやかなアレンジとは違い、ぐっと落ち着いた編成で、声の輪郭がそのまま見えます。60代に入った楠瀬さんの声は、高音の透明感を保ちながら、そこに厚みが加わっていました。同じ旋律なのに、30年前は恋の歌に聴こえた部分が、今は人生そのものへの言葉に聴こえる。歌い手の年輪が、曲の意味を深くしている実例です。
この映像を観て思ったのは、続けることのかっこよさです。ヒット曲を持つ歌い手が、その後も歌い続けることは、実は簡単ではありません。時代は変わり、会場の規模も変わり、それでも声を磨き続けて、30年前の曲を今の自分の曲として歌える状態を保つ。これは並大抵の鍛錬ではないはずです。楠瀬さんは発声の研究家としても活動してきた人で、声という楽器と向き合い続けた30年が、あのステージに乗っています。あの当時もかっこいい、今もかっこいい。その両方を成立させているのは、才能だけではなく、続けてきた時間そのものです。
50代になった自分にとって、これは他人事ではありません。若い頃の自分と今の自分を比べて、失ったものを数えるのは簡単です。けれどこの映像は、重ねた時間は声に、仕事に、人との向き合い方に、ちゃんと乗っていくのだと教えてくれます。磐田で相談の仕事をしていても、経験を重ねたからこそ言える言葉、聞き取れる気持ちが、確かにあります。ほっとけないよ、という言葉の体温も、若い頃より今の方が、深く分かる気がします。
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