ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://youtu.be/vdPiAexMyUY
確認した動画: SWEET MEMORIES(幾田りら/Sony Music公式音源)

このサイトでは、松田聖子さんによるオリジナル版と、椎名林檎さんによるセルフカバー版の「SWEET MEMORIES」をすでに取り上げてきた。今回で3人目、幾田りらさんによる解釈である。幾田りらさん版もいいですね、と誰かに言われて、まずその名義に目が止まった。Lilas。フランス語でライラックを意味し、花言葉は「思い出」なのだという。彼女の本名「りら」自体がその花に由来すると聞けば、「SWEET MEMORIES」という曲を歌うのに、これほど符合した名前もない気がしてくる。YOASOBIのikuraとして広く知られる幾田りらが、ソロの歌い手として松田聖子の名曲に向き合った記録が、この一曲には残っている。

この曲は、1983年に松田聖子が歌って以来、幾人もの歌い手を経てきたのだろうと思う。作詞家・松本隆の作詞活動50周年を記念したトリビュートアルバム『松本隆 作詞活動50周年トリビュート「風街に連れてって!」』(2021年7月14日発売)に収録されたこのカバーは、単なる懐メロの再演ではなく、次の世代がどう受け取り直すか、という試みだったのだろう[1][2]。プロデューサーの亀田誠治が幾田りらに声をかけた理由には、YOASOBIという枠の中では見えてこない、彼女自身のもう一つの声を引き出したいという思いがあったという[4]。ikuraという名前で歌う世界は、幾田りらというシンガーの「ある一面」にすぎない――そう気づいたところから、このオファーは始まったと伝えられている[4]。ユニットの声と、個人の声。その2つは重なりながらも、決して同じではないのだろう。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:大村雅朗が書いたメロディの骨格そのものは、幾田りら版でも十分に強度を保っている。ただ、この記事で最も語りたくなるのは、松本隆の言葉が松田聖子、椎名林檎、幾田りらという3人の歌い手を経て、そのたびに違う景色を見せるという事実の方だ。同じ譜面、同じ言葉でも、歌う人の年齢や声質、置かれた時代によって「思い出」という主題の手触りが変わる。この「言葉が受け継がれ、解釈され直す」強さを語れる度合いで、主視点は歌詞がいいに置いた。MVについては、公式のドラマ仕立てのミュージックビデオは確認できず、公式音源とレコーディング映像にとどまるため、原則どおり星は低めにしている。

音楽は、誰が歌うかによって輪郭を変える。同じ譜面、同じ言葉でも、声が変われば景色が変わる。それは家や土地の相談を受ける仕事をしていても、日々感じることに近い。誰かが遺したものを、次の誰かがどう受け継ぎ、どう住みこなすか。そこに正解はなく、ただそれぞれの解釈があるだけだ。3人目の歌い手が現れるたびに、曲そのものの輪郭までがわずかに描き直されていくような、そんな不思議さがある。幾田りらの「SWEET MEMORIES」を聴きながら、そんなことを考えていた。

ikuraでは見せなかった声、亀田誠治が引き出したもの

「風街に連れてって!」は2021年7月14日にリリースされた、松本隆の作詞活動50周年を記念するトリビュートアルバムである[1][2]。幾田りらはこのアルバムに参加し、松田聖子の代表曲「SWEET MEMORIES」を歌った。作詞は松本隆、作曲は大村雅朗によるオリジナルどおりで、プロデューサーの亀田誠治が幾田りらに熱心にオファーし、幾田自身も元々好きな曲だったことから快諾して実現したと報じられている[1][2]。幾田は当時のコメントで「この楽曲の持つ香り、松本隆さんの綴られた詩の一つ一つに向き合いながら、大切に歌わせていただきました」と語っている[3]。言葉を選ぶような、慎重な語り口が印象に残る。

興味深いのは、亀田がこのオファーに込めた意図だ。YOASOBIのメンバーとの対話を重ねる中で、ikuraとして歌う世界は幾田りらというシンガーの「ある一面」にすぎないと気づき、当時の日本でもっとも聴かれていた松田聖子の楽曲を、幾田りらの声で歌ってもらえたら、という発想からこのカバーが生まれたという[4]。ユニットの声としてではなく、一人の歌い手としての幾田りらを引き出す試みだったと言える。プロデューサーという立場から、歌い手のもう一つの面を見抜き、それを世に出す機会をつくる。そうした仕事のあり方にも、静かな凄みを感じる。

誰かの中に、まだ言葉になっていない可能性を見つけて、それを形にする役割というのは、音楽の現場に限らず、どんな仕事にもあるのだと思う。担当していた業務の中でも、本人が気づいていない強みを見つけて、少し違う役回りを任せてみると、思いがけない成果につながることがあった。亀田がikuraという殻の外側に幾田りらという歌い手を見出したように、誰かの一面だけを見て全体を判断してしまうのは、もったいないことなのだろう。

このアルバムには、幾田りらの他にも横山剣、吉岡聖恵、Little Glee Monster、川崎鷹也など、世代も持ち味も異なる歌い手が名を連ねている。松本隆という一人の作詞家の言葉が、これほど多様な声を引き寄せる磁場になっていること自体、この作詞家の仕事の厚みを物語っているのだろう。レコーディング映像を含む動画は、公開から一定期間で100万回を超えて再生されたとも伝えられており[1]、正確な再生数や順位はここでは断定を避けるが、幾田版「SWEET MEMORIES」が多くの耳に届いたことは確かなようだ。

YOASOBIというユニットの成功が先にあり、そのうえでソロとしての幾田りらに焦点を当てるという順番も、興味深く思える。多くの場合、まず個人があり、そこからユニットへ広がっていくものだが、この曲をめぐる経緯はその逆をたどっている。すでに大きな注目を集めていたユニットの中の一人に、あらためて個人としての名前と役割を与える。そうした試みが、松田聖子という別のレジェンドの楽曲を媒介にして行われたことも、この曲を特別なものにしている一因なのだろう。

インテンポで始まるアレンジ、三人目の声が描く輪郭

松田聖子のオリジナルは、テンポフリーのシンセコーラスからふわりと始まる、あの独特の浮遊感が印象的な曲だった。幾田りら版はそれとは対照的に、最初からインテンポで、ボーカル以外の楽器も早い段階から鳴り始める構成になっているという評がある[5]。原曲の柔らかく漂うような手触りに比べると、こちらはどっしりとした足取りで進んでいく印象で、それでいて「SWEET MEMORIES」であることの説得力は失われていない、と聴こえる。骨格は同じでも、歩き方がまるで違う、という言い方もできるかもしれない。この「曲としての説得力」の高さは、幾田版の完成度の証でもある。ただ、この記事で主視点に選んだのは、その先にある歌詞の受け継がれ方の方だ。

歌声そのものについても、技巧を前面に出さず、正確さや表現の幅がさりげなく溶け込んでいる、という評価がある[5]。松田聖子版に漂っていた「時間」や「郷愁」の感触とはやや異なり、幾田りらの声には、寂しさや切なさを含みながらもどこか爽やかで、温もりに近い質感がある、と聴こえてくる。過去を懐かしむための歌ではなく、今この瞬間に立ち上がる記憶として歌われているような、そんな距離の取り方だ。同じ曲でありながら、歌う人が変われば、記憶の温度まで変わって聴こえてくる。それがカバーという行為の面白さなのだと思う。

椎名林檎によるセルフカバー版が、都会的な陰影と大人の距離感を曲にまとわせていたのに対し、幾田りら版は、もっと直線的で、澄んだ声のまま踏み込んでくるような印象がある、と聴こえる。3人の歌い手が、それぞれまったく違う場所からこの曲に近づいてきたことが、聴き比べるとよく分かる。1つの旋律が、これほど異なる情景を運べるということ自体が、この曲の底力なのだろう。

幾田りらの年齢を考えると、彼女にとって「SWEET MEMORIES」は、リアルタイムで聴いた曲ではなく、あとから出会った曲のはずだ。それでも歌の中に、体験していないはずの郷愁がにじむように聴こえるのは、松本隆の書いた言葉と大村雅朗によるメロディそのものが、世代を超えて記憶を呼び起こす力を持っているからなのだろう。歌い手自身の記憶ではなく、聴き手それぞれの記憶を呼び覚ます装置として、この曲は機能しているのかもしれない。だからこそ、誰が歌っても「SWEET MEMORIES」でありながら、誰が歌うかでまったく違う曲にも聴こえる。

物語仕立てのMVはない。それでも残る映像がある

ここまでMVについてほとんど触れずにきたのは、理由がある。幾田りら版「SWEET MEMORIES」には、ストーリー仕立てで撮り下ろされた、いわゆる劇場型の公式ミュージックビデオが見当たらない。今回確認できたのは、Sony Musicから公式に配信されたオーディオ音源と、アルバム特設サイトで公開されたレコーディング映像である[1][2]。レコーディング映像は、幾田りらがブースの中で「SWEET MEMORIES」に向き合う様子をそのまま切り取ったもので、公開から一定期間で100万回を超える再生を集めたと伝えられている[1]。演出された物語ではなく、歌い手が一つの言葉、一つの音と向き合う過程そのものが映像になっている、という点は率直に興味深い。ただ、色彩設計や場面転換によって曲の解釈を広げていくタイプの映像作品ではないため、大石セレクションに照らすと、MVがいいの星は控えめにならざるを得ない。公式のドラマ性を伴う映像が今後公開されれば、この評価は変わる余地があると考えている。

受け継がれるものが、次の声を得るとき

東京で働いていた頃、担当者が変わるだけで、同じ仕事の景色ががらりと変わることに何度も気づかされた。マニュアルや方針は同じでも、そこに関わる人間の解釈が加わることで、思いもよらない結果が生まれる。それは決して悪いことではなく、むしろ良い基盤ほど、多様な解釈を受け入れる余地を持っているのだと、当時は感じていた。「SWEET MEMORIES」という一曲が、松田聖子から椎名林檎へ、そして幾田りらへと歌い継がれてきた経緯にも、同じ懐の深さを感じる。

磐田に戻り、家や土地の相談を受ける仕事をするようになって、この感覚はさらに具体的なものになった。誰かが長い時間をかけて守ってきた家や土地を、次の世代がどう受け継ぎ、どう暮らしに落とし込んでいくか。同じ場所であっても、住む人が変われば間取りの使い方も、庭の手入れの仕方も、家族の集まり方も変わっていく。受け継ぐというのは、そのまま保存することではなく、次の誰かの声で歌い直すことに近いのかもしれない。幾田りらが、松田聖子の歌をikuraとは違う自分の声で歌い直したように。

仕事を通じて出会う家族の中には、先代が大切にしてきたやり方を、そのまま踏襲しようとする人もいれば、思い切って自分たちの暮らし方に組み替えていく人もいる。どちらが正しいということはなく、ただ、受け継ぐという行為には、必ず受け継ぐ側の解釈が入り込む。それは曲を歌い継ぐときも同じで、忠実に再現しようとしても、声が違えば結果は変わる。むしろその違いこそが、受け継がれたものが生き続けている証拠なのだと思う。

家族で暮らしてきた家を手放すかどうかという相談を受けるとき、そこには単なる資産の話には収まらない何かがいつもある。誰かの記憶が染み込んだ場所を、次の世代がどう扱うか。取り壊すのか、住み継ぐのか、あるいはまったく違う形に活かすのか。どの選択も、その家が持っていた記憶をなかったことにはできないし、する必要もない。むしろ、新しい住まい方の中に、前の世代の気配がふと残ることもある。歌い継がれる曲と、住み継がれる家とは、案外近いところにあるのかもしれない。

自然に囲まれた土地の相談を受けることも多い磐田では、家そのものよりも、庭木や畑、周囲の景観をどう次の世代に引き継ぐかという相談も少なくない。木を切るか残すか、畑を続けるか手放すか。そうした判断のひとつひとつにも、それまでその土地で暮らしてきた家族の記憶が重なっている。曲を歌い継ぐことと、土地を守り継ぐことは、扱う対象こそ違えど、そこに宿る記憶とどう向き合うかという点では、同じ根を持っているように思える。

ソロ名義であるLilasの由来がライラックであり、その花言葉が「思い出」であることを知ったとき、この曲を歌う巡り合わせのようなものを感じずにはいられなかった。事実として確認できるのは名前の由来までで、本人が意識してこの曲を選んだかどうかまでは分からない。それでも、思い出という名を持つ歌い手が、思い出をめぐる曲を歌う。その符合を、偶然の面白さとして受け取っておきたい。

家に置かれた古い家具や、庭に植えられた木の中にも、名前は残らなくとも、誰かの記憶が形を変えて宿り続けているものがある。曲の題名や歌い手の名義のように分かりやすく記されてはいなくても、そこに宿る記憶の重さは変わらない。3人目の解釈が生む新しい景色は、こうして静かに、また次の記憶へとつながっていく。

参考リンク

音楽は、同じ言葉でも歌う人が変われば景色を変えます。家や土地にも、住む人が変わるたびに新しい記憶が積み重なっていきます。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。