槇原敬之「どんなときも。」は、恋愛を体験する前に聞いていた時と、その後に聞く時とで、まったく違う曲に変わってしまう曲だと思っている。1991年6月10日に発売されたこの曲は、映画「就職戦線異状なし」の主題歌としてつくられたものである[4]。槇原敬之自身が音楽関係者から主題歌の話を持ちかけられ、ふと頭に浮かんだのが「どんなときも」というフレーズだったと伝えられている。単純すぎると感じながらも、その言葉を手放さずに一曲にまとめたという経緯を知ると、この曲の飾り気のない明るさにも理由があったのだと納得できる[1]。作詞・作曲は槇原敬之本人、プロデュースは木崎賢治が手がけている[1]。オリコンでは発売から間もなく、1991年7月29日付で週間1位を獲得し、累計売上167.0万枚のミリオンセラーになった[3]。当時まだ広く知られていなかった一人のシンガーソングライターの曲が、映画館だけでなくケンタッキーフライドチキンのCMや、1992年の第64回選抜高等学校野球大会の入場行進曲としても使われるようになり、世代をまたいで記憶される曲になっていった[4]。子供のころ、あるいはまだ誰かを本気で好きになる前には、この曲は前向きで素直な応援歌のように聞こえていた。けれど、恋愛を知り、迷い、傷つき、うまくいかなかった時間を通った後で聞くと、その明るさの奥にある切実さが急に見えてくる。自分らしくいることは簡単ではない。誰かを好きになると、自分の弱さや見栄や臆病さまで見えてしまう。だからこそ、この曲は今になって胸に刺さる。そして同時に、まだ何も知らなかったあの頃に戻りたい、という気持ちも連れてくる。
ひとつのフレーズから生まれた曲
「どんなときも。」の成り立ちを調べていて印象に残ったのは、この曲がずいぶん偶然に近いかたちで生まれたらしいということだった。織田裕二主演の映画の主題歌を探しているという話を持ちかけられた槇原敬之が、思いついたのがあの一節だったという逸話が伝えられている[1]。凝った言い回しでも比喩でもなく、まっすぐな言葉を信じてそのまま曲にした、という経緯を知ると、この曲の骨格の単純さが弱さではなく強さだったのだとわかる気がする。作詞・作曲は槇原敬之自身、プロデュースは木崎賢治が担当している[1]。映画「就職戦線異状なし」は、当時まだ無名に近かった槇原にとって大きな足がかりになったタイアップだったようで、公開の年にオリコンチャートで1位を記録し、後にケンタッキーフライドチキンのCMや、1992年の第64回選抜高等学校野球大会の入場行進曲としても使われた[4]。さらに27年を経た2019年には、「世界に一つだけの花」とのメドレー形式で、再び選抜高校野球の入場行進曲として使われている[4]。ひとつの曲が映画館やテレビや球場という、まったく違う場所を渡り歩いていったことになる。ある人にとっては就職活動の不安を抱えていた時期の曲であり、ある人にとっては夏の高校野球のグラウンドで聞いた曲であり、ある人にとってはCMの合間に何気なく耳に入ってきた曲だった。ひとつの旋律が、こんなにも違う入り口から人の記憶に入り込んでいくのは、曲そのものの力だけでなく、こうしたタイアップの重なりが後押ししたからでもあるのだろう。
恋愛を体験する前に聞く「どんなときも。」は、そうした明るい場所に置かれた曲だったように思う。メロディは軽やかで、声はまっすぐで、言葉は分かりやすく届く。子供のころや若いころには、その分かりやすさをそのまま受け取ることができた。自分らしくいればいい。迷っても進めばいい。人生はまだ広く、道はいくつもあり、明日は今日より少し良くなると信じられる時期がある。その時にこの曲を聞くと、未来へ向かう足音のように聞こえた。けれど、その頃の自分は、まだ人を好きになることで自分が揺らぐ感覚を知らない。好きな人の一言で一日が変わること、返事を待つ時間が長く感じること、相手に合わせようとして自分の形が分からなくなること。そうしたものを知らないまま聞くこの曲は、どこか清潔で、傷のない歌として残る。それは悪いことではない。むしろ、その時代にしかできない聞き方だった。東京で暮らし始めたばかりの頃、まだ生活のかたちも定まらないうちに、この曲がラジオやどこかの店先から流れてくることがあった。そのときは、ただ景気のいい歌だと思っていた気がする。歌の奥にあるかもしれない迷いや揺れには、耳が届いていなかった。
コード進行に宿る、忙しさと迷い
楽器を弾く人たちの解説を追っていくと、この曲は見た目の素直さに反して、経過的なコードや細かい和音の動きが多く使われているという指摘がある[5]。イントロからして「D/F#、Gadd9、Asus4、A、Bm、D/F#、G、Asus4」というように分数コードやサスペンデッドコードが連なり、Aメロでは経過音としてベース音が動き、Bメロでは複雑な感情を表すようなコードが使われ、サビにも経過的な和音が随所に現れると弾き語り解説では紹介されている[5]。テンポは体感よりも速く、コードチェンジがせわしなく続くため、初心者にはやや難しい部類の曲だとも言われている[5]。メロディの表面はまっすぐでも、それを支える和声はこまごまと揺れ動きながら前に進んでいく構造になっている、と聴くこともできる。この二重性が、自分にはこの曲の性格そのもののように思えてならない。言葉にすれば単純な決意でも、そこに至るまでの心の動きは決して単線ではない。迷い、思い直し、また戻ってくる。そうした揺れを、まっすぐな歌声の下に隠しながら運んでいるように聴こえる曲だ。ギターで弾き語ろうとすると、細かい経過和音を省いてしまいたくなる誘惑にかられるが、その省略しがたい部分にこそ、この曲が長く残ってきた理由の一端があるのではないかと思う[5]。単純な言葉の奥に複雑な心の動きを隠すという構造は、歌詞だけでなく、伴奏の設計そのものにも表れているように聴こえる。
磐田で暮らし、仕事をし、家や土地や家族の相談に向き合う今から振り返ると、あの頃の自分は未熟だったけれど、同時に無防備でもあった。大人になればなるほど、人は先を読もうとする。損をしないように、傷つかないように、失敗しないように考える。けれど、恋愛を知る前の自分は、もっと簡単に信じていたのかもしれない。この曲を今聞いて「あの頃に戻りたい」と思うのは、単に若かった時間が懐かしいからではなく、まだ疑うことを覚えきっていなかった自分にもう一度会いたいからなのだと思う。仕事で人の家や土地の相談に乗るようになってから、人がどれだけ多くのことを計算しながら生きているかを実感するようになった。だからこそ、計算より先に言葉が出てきたころの自分が、今では少しまぶしく思える。
恋愛を知った後に、言葉の重さが変わる
恋愛を経験した後でこの曲を聞くと、同じ言葉の重さが変わる。自分らしくいることは、誰かと関わらない場所では比較的簡単だ。けれど、誰かを好きになると、自分らしさは試される。相手に嫌われたくない。よく見られたい。選ばれたい。離れてほしくない。そう思うほど、自分の本音と違う振る舞いをしてしまうことがある。恋愛は、きれいな感情だけでできているわけではない。嬉しさの近くに不安があり、優しさの近くに独占欲があり、信じたい気持ちの近くに疑いがある。だから、大人になってから聞く「どんなときも。」は、単なる前向きな歌ではなくなる。むしろ、揺れてしまう自分を知っている人のための歌になる。相手の前で自然体でいたいのに、自然体が分からなくなる。言いたいことを言えばよかったのに、言えないまま時間が過ぎる。そんな経験をした後では、この曲の明るさは、無邪気な明るさではなく、弱さを抱えた人がそれでも前を向こうとする明るさに聞こえてくる。誰かを想って眠れなかった夜や、うまく気持ちを言葉にできずに黙ってしまった日のことを思い出しながらこの曲を聞くと、あの前向きなメロディの裏側に、うまくいかなさを飲み込んで前を向こうとする一人の人間の姿が透けて見えるように感じる。
東京で過ごした時間を思い出すと、恋愛の記憶は街の風景と結びついている。駅、電車、夜の道、待ち合わせた場所、何も言わずに帰った日。磐田に戻り、別の生活をしていても、音楽は急にその場所を開いてしまう。今の自分は、当時の自分より多くのことを知っている。仕事の責任も、家族の重さも、地域で生きることの現実も知っている。だからこそ、あの頃の恋愛の記憶は、ただ甘いだけではない。戻れない時間として胸に残る。この曲は、その戻れなさを責めずに、静かに照らしてくれるように思える。家庭を持ち、土地に根を張って暮らすようになった今の生活と、東京で誰かを想って落ち着かなかったあの頃の生活は、同じ自分の中にありながら、まるで別の人間の記憶のようにも感じられる。それでも、この曲のイントロが流れ始めると、そのふたつの時間が一瞬で重なる。音楽には、そういう乱暴な力がある。
ミリオンセラーになった曲が、今も個人のものであり続ける理由
「どんなときも。」がなぜこれほど多くの人に届いたのか、その理由を音楽的な側面だけで説明するのは難しい。それでも、まっすぐなメロディと細かく揺れるコードという組み合わせが、聞き手それぞれの状況に合わせて違う顔を見せる曲になったことは、ヒットの一因だったのではないかと感じる。オリコンでは1991年7月29日付で週間1位を獲得し、累計売上167.0万枚、歴代シングルランキングでも上位に名を連ねるヒットになった[3]。前向きな応援歌として聞く人もいれば、失恋の傷を癒す歌として聞く人もいる。子供として聞く人もいれば、親として聞く人もいる。ひとつの旋律が、こんなにも違う場面で鳴らされ続けてきたのだと思うと、単純な言葉を信じて曲にした槇原敬之の選択が、結果として多くの人生に居場所を持つことになったのだとわかる。発売から30年以上が過ぎた今も、この曲が色褪せずに流れ続けているのは、ヒットの規模の大きさだけでは説明がつかない。むしろ、誰か一人の恋愛や決意の物語としてではなく、聞く人それぞれが自分だけの記憶を重ねられる余白を持った曲だったからこそ、時代を越えて聞かれ続けているのではないかと思う。
家や土地の仕事をしていると、人が過去に戻りたくなる瞬間に触れることがある。実家を片づける時、古い写真が出てくる時、使わなくなった部屋を見た時、もういない人の気配を感じる時。人は過去を丸ごと取り戻すことはできない。それでも、何かの音や匂いや場所によって、ほんの少しだけその時代に近づくことがある。音楽は、その力がとても強いものだ。この曲は、明るいメロディのまま、過去の自分を呼び戻してしまう。だから、胸が苦しくなる。けれど、戻りたいと思うことは、今を否定することではない。むしろ、今の自分がそこまで生きてきたからこそ、過去の価値が分かるようになったのだと思う。恋愛を知らなかった頃の聞こえ方と、恋愛を知った後の聞こえ方。その違いは、失ったものの証拠であると同時に、得てきたものの証拠でもある。どちらの聞こえ方が正しいということはなく、そのふたつを両方とも自分の中に持っていられることが、年を重ねるということなのかもしれない。「どんなときも。」を今聞き直す意味は、あの頃へ完全に戻ることではなく、あの頃の自分を今の自分の中に迎え直すことにある。戻れないからこそ、音楽は残る。戻れないからこそ、曲は今になって深く響くのだと思う。磐田の家で、仕事の合間にふとこの曲を流すとき、自分は東京の街も、若かった頃の迷いも、家族と暮らす今の生活も、全部同じひとつの人生の中に置き直しているような気持ちになる。ひとつの曲が、そんなふうに時間をつなぎ直してくれることに、あらためて感謝したくなる。1991年に生まれたこの曲は、これからも誰かの就職前夜や、誰かの失恋の帰り道や、誰かの何気ない午後に、静かに寄り添い続けていくのだろう。
1991年のMVを、今あらためて見る
この記事がもとにしているのは、槇原敬之 Official Channelが公開している「【公式】槇原敬之「どんなときも。」(MV)【3rdシングル】(1991年)」という動画である。タイトルの通り、1991年のシングル発売時に制作された、当時のプロモーション映像がそのまま公式チャンネルにアーカイブされたものだ[6]。今のJ-POPのMVのように凝った物語構成やロケーションの作り込みを前面に出すタイプの映像ではなく、当時の音楽番組やプロモーション映像に近い、シンプルな作りの印象を受ける。派手な演出よりも、槇原敬之自身の歌う姿を素直に見せることに重心が置かれている映像だと感じた。だからこそ、この映像を今見る意味は、洗練された表現を味わうことよりも、1991年という時代の空気そのものを、映像込みでそのまま受け取れることにあるのだと思う。曲がヒットしていく渦中の記録として見ると、そこには気負いのない槇原敬之がいて、その素朴さが、曲の飾らない歌詞やメロディとよく似合っている。ただ、映像表現そのものの完成度や物語性という観点で見ると、今の耳と目でMVを主役として味わうにはやや物足りなさが残るのも正直なところだ。曲や歌詞が持つ普遍的な強さに比べると、映像はあくまで当時の記録という性格が強く、主視点として選ぶには一段譲るという評価になった。
音楽が30年以上の時を経てもなお、あの頃の自分を呼び戻してくれるように、家や土地にも、誰かが積み重ねた時間が残っています。
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