槇原敬之「どんなときも。」は、恋愛を体験する前に聞いていた時と、その後に聞く時とで、まったく違う曲に変わってしまいます。子供のころ、あるいはまだ誰かを本気で好きになる前には、この曲は明るく、前向きで、素直な応援歌のように聞こえていたかもしれません。けれど、恋愛を知り、迷い、傷つき、うまくいかなかった時間を通った後で聞くと、その明るさの奥にある切実さが急に見えてきます。自分らしくいることは簡単ではない。誰かを好きになると、自分の弱さや見栄や臆病さまで見えてしまう。だからこそ、この曲は今になって胸に刺さります。そして同時に、まだ何も知らなかったあの頃に戻りたい、という気持ちも連れてきます。
恋愛を知る前は、まっすぐな歌に聞こえていた
恋愛を体験する前に聞く「どんなときも。」は、明るい場所に置かれた曲だったように思います。メロディは軽やかで、声はまっすぐで、言葉は分かりやすく届きます。子供のころや若いころには、その分かりやすさをそのまま受け取ることができました。自分らしくいればいい。迷っても進めばいい。そんなふうに、人生はまだ広く、道はいくつもあり、明日は今日より少し良くなると信じられる時期があります。その時にこの曲を聞くと、未来へ向かう足音のように聞こえます。
けれど、その頃の自分は、まだ人を好きになることで自分が揺らぐ感覚を知りません。好きな人の一言で一日が変わること、返事を待つ時間が長く感じること、相手に合わせようとして自分の形が分からなくなること。そうしたものを知らないまま聞くこの曲は、どこか清潔で、傷のない歌として残ります。それは悪いことではありません。むしろ、その時代にしかできない聞き方です。まだ恋愛の痛みを知らない自分が、素直に曲を受け取っていた。その記憶は、今となってはとても貴重です。
磐田で暮らし、仕事をし、家や土地や家族の相談に向き合う今から振り返ると、あの頃の自分は未熟だったけれど、同時に無防備でもありました。大人になればなるほど、人は先を読もうとします。損をしないように、傷つかないように、失敗しないように考えます。けれど、恋愛を知る前の自分は、もっと簡単に信じていたのかもしれません。この曲を今聞いて「あの頃に戻りたい」と思うのは、単に若かった時間が懐かしいからではなく、まだ疑うことを覚えきっていなかった自分にもう一度会いたいからなのだと思います。
恋愛を知った後に、言葉の重さが変わる
恋愛を経験した後でこの曲を聞くと、同じ言葉の重さが変わります。自分らしくいることは、誰かと関わらない場所では比較的簡単です。けれど、誰かを好きになると、自分らしさは試されます。相手に嫌われたくない。よく見られたい。選ばれたい。離れてほしくない。そう思うほど、自分の本音と違う振る舞いをしてしまうことがあります。恋愛は、きれいな感情だけでできているわけではありません。嬉しさの近くに不安があり、優しさの近くに独占欲があり、信じたい気持ちの近くに疑いがあります。
だから、大人になってから聞く「どんなときも。」は、単なる前向きな歌ではなくなります。むしろ、揺れてしまう自分を知っている人のための歌になります。恋愛を通ってから分かるのは、強くありたいと思うほど弱さが見えるということです。相手の前で自然体でいたいのに、自然体が分からなくなる。言いたいことを言えばよかったのに、言えないまま時間が過ぎる。そんな経験をした後では、この曲の明るさは、無邪気な明るさではなく、弱さを抱えた人がそれでも前を向こうとする明るさに聞こえてきます。
東京で過ごした時間を思い出すと、恋愛の記憶は街の風景と結びついています。駅、電車、夜の道、待ち合わせた場所、何も言わずに帰った日。磐田に戻り、別の生活をしていても、音楽は急にその場所を開いてしまいます。今の自分は、当時の自分より多くのことを知っています。仕事の責任も、家族の重さも、地域で生きることの現実も知っています。だからこそ、あの頃の恋愛の記憶は、ただ甘いだけではありません。戻れない時間として胸に残ります。この曲は、その戻れなさを責めずに、静かに照らしてくれます。
またあの頃に戻りたい、という気持ちの正体
「またあの頃に戻りたい」と思う時、本当に戻りたいのは、出来事そのものだけではないのかもしれません。好きだった人に会いたい、やり直したい、別の言葉を選びたい。そういう気持ちも確かにあります。けれど、もっと奥には、あの頃の自分の感受性に戻りたいという願いがあります。小さなことで胸がいっぱいになったこと、何気ない一言を何度も思い返したこと、未来がまだ決まっていないように感じられたこと。今の自分は、経験を重ねた分だけ現実的になりました。その現実感が必要だと分かっていても、時々、何も知らなかった自分のまぶしさが恋しくなります。
家や土地の仕事をしていると、人が過去に戻りたくなる瞬間に触れることがあります。実家を片づける時、古い写真が出てくる時、使わなくなった部屋を見た時、もういない人の気配を感じる時。人は過去を丸ごと取り戻すことはできません。それでも、何かの音や匂いや場所によって、ほんの少しだけその時代に近づくことがあります。音楽は、その力がとても強いものです。槇原敬之のこの曲は、明るいメロディのまま、過去の自分を呼び戻してしまいます。だから、胸が苦しくなるのです。
けれど、戻りたいと思うことは、今を否定することではありません。むしろ、今の自分がそこまで生きてきたからこそ、過去の価値が分かるようになったのだと思います。恋愛を知らなかった頃の聞こえ方と、恋愛を知った後の聞こえ方。その違いは、失ったものの証拠であると同時に、得てきたものの証拠でもあります。「どんなときも。」を今聞き直す意味は、あの頃へ完全に戻ることではなく、あの頃の自分を今の自分の中に迎え直すことにあります。戻れないからこそ、音楽は残る。戻れないからこそ、曲は今になって深く響くのだと思います。
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