デビュー曲「裸足の季節」から数か月後、まだキャリアの土台すら固まっていない時期に世へ出た2枚目のシングルが、なぜこれほど長く聴かれ続けているのか。「青い珊瑚礁」を聴き直すたびに、その速さのことを考えます。1980年7月1日リリース、作詞は三浦徳子、作曲は小田裕一郎、編曲は大村雅朗[1]。制作にまつわる話として伝えられているのは、プロデューサーの若松宗雄が小田裕一郎の自宅を訪ね、曲のイメージを話したところ、小田がその場でギターを取り出し、即興で口ずさんだ冒頭のフレーズがそのまま採用されたという逸話です[1]。仕込みに時間をかけた末の完成形ではなく、その場の空気がかたちになった曲だったということになります。この曲の編曲を手がけた大村雅朗にとっても、松田聖子作品への初めての編曲だったと伝えられており、この1曲が、以後長く続く二人の仕事の始まりになりました[1]。何かが動き出す最初の瞬間というのは、後から振り返って初めてそれと分かるものですが、この曲には、そうした始まりの手ざわりが今も残っているように聴こえます。デビューからわずか半年足らずで、後年まで語り継がれる曲を手にできる歌い手は、決して多くありません。多くの場合、その人らしさが定まるまでには何枚もの試行錯誤が必要で、代表曲と呼べるものにたどり着くまでには年単位の時間がかかります。それだけに、松田聖子がごく初期にこの水準の曲を得たことは、本人の資質だけでなく、当時のスタッフの目利きと、時代の追い風とが重なった、稀な巡り合わせだったのだろうと思います。
即興の一節から生まれた曲
「青い珊瑚礁」は、もともと「青い太陽」という仮タイトルで動いていたと伝えられています[1]。曲が先に作られ、そこに三浦徳子が言葉を乗せていく、いわゆる曲先の制作だったといいます。三浦は松田聖子のイメージカラーをピンクに定めていたと後年のラジオで語っており、そのピンクに寄り添う色としてモスグリーンという言葉を歌詞に忍ばせたことも明かしています[4]。海を歌う曲でありながら、色の設計は歌い手そのものから逆算されていた。そう考えると、この曲がただの南国リゾートソングではなく、松田聖子という人物像に合わせて丁寧に組み立てられた1曲であったことが分かります。タイトルが「青い太陽」から「青い珊瑚礁」へと変わっていく過程にも、言葉を扱う仕事の慎重さがにじみます。太陽という強く直接的なイメージから、珊瑚礁という、光を通して初めてその青さが見える情景へ。前に出すぎない言葉を選び、聴き手それぞれの記憶の中に景色を描かせる余地を残す。その選択が、結果として曲の寿命を延ばしたのではないかと感じます。グリコのアイスクリーム「ヨーレル」のCM曲としても使われ、夏という季節と分かちがたく結びついていきました[1]。この曲の成り立ちは、即興のようでいて、実は狙いを外していない仕事だったのだと思います。旋律の跳躍の大きさとサビでの解放感は、南の海の光の反射のようにも聴こえ、イントロのアレンジには、後年の大村雅朗の仕事に通じる、都会的でありながら湿度を感じさせない爽やかな質感がすでに宿っているように思えます。当時、若松宗雄がなぜ完成した曲を自ら小田裕一郎の自宅まで聴きに行ったのか、その理由までは分かりません。ただ、レコーディングの現場に入る前の、まだかたちになりきっていない段階の空気を大切にする姿勢が、そこにはあったように思います。効率だけを考えれば、完成したデモを送ってもらえば済む話です。それでもわざわざ足を運んだというところに、曲づくりという仕事の丁寧さがにじんでいるように感じます。
1位に届かなかった曲が、ミリオンになった理由
チャートの記録をたどると、この曲の受け止められ方には意外な複層性があります。オリコンの週間チャートでは初登場から徐々に順位を上げ、発売から2か月ほど経った9月8日付で最高2位まで到達したものの、1位には届かなかったと伝えられています[1]。一方で、当時のテレビの人気番組「ザ・ベストテン」では、8月14日放送で初登場8位となり、この時は札幌からの移動中で、羽田空港の中で歌唱するという演出が組まれたと伝えられています[5]。その後同番組で1位を獲得し、これが松田聖子にとって同番組での自身初の1位だったといいます[1]。そしてCBS・ソニーの発表ではミリオンセラーを記録したと伝えられています[1]。オリコン単体の順位だけを見れば「惜しかった曲」に見えるかもしれませんが、テレビの支持と実売の両方で確かな結果を残していたことになります。ヒットの形は、ひとつの指標だけでは測れない。当時のチャート構造そのものが、そのことを教えてくれます。初登場から2位に至るまで2か月近くかけてじわじわと浸透していったという経過も興味深く、瞬発力で駆け上がった曲というより、テレビの歌番組、ラジオ、CM、そして口コミのような聴かれ方が積み重なって、じっくりと広く浸透していった曲だったのだろうと想像します。数字の記録は多くの媒体で語られていますが、正確な最終順位や累計枚数は資料によって表現に幅があるため、ここでは伝えられている範囲の事実として受け止めておきたいと思います。それでも、複数の指標がそろって高い水準を示しているという事実そのものは、この曲が一過性の話題作ではなく、当時の生活の中に定着した曲だったことを裏づけているように思います。オリコンで1位を取れなかったという一点だけを取り上げれば、この曲は「未完のヒット」に見えるかもしれません。けれど実際には、テレビの前で毎週この曲を待っていた人たちがいて、CMで耳にするたびに口ずさんだ人たちがいて、レコード店でこの曲を選んで買った人たちが100万人規模でいた。そうした複数の場所での積み重ねこそが、この曲の実像に近いのだと思います。順位という一本の数字には収まりきらない広がりが、そこにはあります。
南国を歌いながら、少女の高揚を描く歌詞
この曲の歌詞に丸ごと触れることはしませんが、そのかわりに歌詞が描いている感情の質について考えてみたいと思います。舞台になっているのは南国のリゾートで、海と珊瑚礁という色彩が背景に敷かれています[6]。描かれているのは、相手への想いに完全に心を預けてしまっている状態で、会うたびに理性が揺らぎ、時に涙がこぼれるほどの感情の高ぶりです[6]。「少女のようにはしゃぐ」ような未熟さと、抑えきれない高揚感が同居しているのがこの歌詞の特徴で、喜びと不安が層になって重なっているように読めます[6]。夏のリゾートという非日常の舞台が、恋のときめきを増幅させる装置として働いており、当時の日本人が抱いていた異国への憧れも、そこにはにじんでいるように思います[6]。歌詞そのものは、複雑な比喩や難解な言葉を積み重ねるタイプの詞ではなく、まっすぐに恋の高揚を描く、分かりやすさに重心を置いた仕事です。だからこそ、先に触れたモスグリーンという一語の置き方が際立ちます。歌い手のイメージカラーをピンクに定め、その対比としてモスグリーンを忍ばせるという設計は、歌詞全体としては直球の恋愛描写でありながら、細部にだけ静かな計算を仕込んでいたことを示しています。もし歌詞のすべてが緻密な仕掛けで埋め尽くされていたら、この曲はもっと重たい印象になっていたはずです。むしろ大部分をまっすぐな高揚感に委ね、色の設計という一点だけに職人的な工夫を残す。そのバランスが、聴き手に負担をかけずに口ずさめる曲としての強さにつながっているのだと感じます。
40年後にセルフカバーが呼び寄せた、もうひとつの「青い珊瑚礁」
この曲を語るときに欠かせないのが、2021年4月1日、松田聖子のデビュー記念日に発表されたセルフカバー版「青い珊瑚礁~Blue Lagoon~」です[3][7]。1980年のオリジナルにはミュージックビデオが存在せず、この曲に初めて公式MVがついたのは、このセルフカバー版が初めてだったと伝えられています[3]。MVは松田聖子自身が監督を手がけ、約40年ぶりに「聖子ちゃんカット」を披露したことでも話題になりました[3][7]。ここで大事なのは、これは1980年当時の映像がよみがえったわけではなく、42年後の本人が、当時のイメージを自ら再構築して見せたという点です。だからこそ、このMVを評価するときは「オリジナルの世界を映像化したもの」としてではなく、「本人による現在からの回顧」として見る必要があります。セルフカバー版のアレンジには、2番のサビ前部分などオリジナルと異なる工夫が加えられているとも伝えられており[3]、単なる懐古的な再現ではなく、現在の視点から曲を組み直す作業だったこともうかがえます。MV自体はYouTube公開から自身最速で100万再生に到達したと報じられており、当時の熱量が今も薄れていないことを裏づけています[8]。ただし、このMVはあくまで2021年という時点の解釈であり、1980年当時にこの曲を聴いていた人たちの記憶そのものを直接映像化したものではありません。その意味で、映像としての完成度は高く評価しつつも、曲そのものが半世紀近く前から持っていた普遍的な強さと比べると、主視点として選ぶにはもう一段の物語性がほしいというのが正直な感想です。それでも、40年以上の時を経て本人がもう一度この曲に向き合い、映像という新しい入口を作ったこと自体が、この曲の生命力の証明になっていることは間違いありません。
磐田で聴く、夏の記憶
磐田で暮らすようになってから、夏の暑さの中でこの曲のイントロが流れると、体のどこかが東京にいた頃の記憶に引き戻される感覚があります。土地と人の関わりを仕事にしていると、家や田畑を長く手放さずにきた家族の話をよく聞きます。手放すかどうかを決めるとき、多くの人がまず思い出すのは、契約書の条件ではなく、その場所で過ごした特定の季節の記憶です。「青い珊瑚礁」が長く聴かれ続けているのも、似た構造があるのかもしれません。曲そのものの完成度だけでなく、多くの人にとって特定の夏、特定の年齢の自分と結びついているからこそ、何十年も色褪せずにいる。「青い珊瑚礁」というタイトルが選ばれた理由を正確に知ることはできませんが、太陽ではなく珊瑚礁という、水面下でゆっくり育っていくものを選んだ言葉の感覚は、家や土地の時間の流れ方にも近いように感じます。目に見える変化は少なくても、その下では確かに何かが積み重なっている。この曲を磐田で聴くたびに、そうした静かな積み重ねの大切さを、あらためて思い出します。曲名も、編曲家との出会いも、聴き手それぞれの夏の記憶も、当時は誰も意識して選んでいなかったはずのものが、45年以上の時間を経て、いまこの曲の輪郭を形づくっています。「青い珊瑚礁」を聴き返すという行為は、そういう見えない積み重ねを、あらためて確かめ直す時間なのだと思います。
参考リンク
- [1] 青い珊瑚礁(曲) - Wikipedia
- [2] 青い珊瑚礁 | 松田聖子 | ソニーミュージックオフィシャルサイト
- [3] 松田聖子、代表曲"青い珊瑚礁"初MV解禁。40年ぶりに「聖子ちゃんカット」披露 - TOWER RECORDS ONLINE
- [4] 松田聖子「青い珊瑚礁」歌詞の意味を考察! - UtaTen
- [5] 羽田へ舞い降りた松田聖子「ザ・ベストテン」初登場! - Re:minder
- [6] 松田聖子「青い珊瑚礁」歌詞の意味を考察!リゾートを舞台に恋のときめきを歌った大ヒットアイドルサマーソング - UtaTen
- [7] 松田聖子、40年ぶりに"聖子ちゃんカット" 「青い珊瑚礁」セルフカバー - ORICON NEWS
- [8] 40年ぶり"聖子ちゃんカット"で話題 「青い珊瑚礁」MV最速100万回達成 - ORICON NEWS
音楽には、人生の時間が残ります。家や土地にもまた、誰かの暮らしや記憶が残っています。
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