松田聖子の「薔薇のように咲いて 桜のように散って」は、2016年9月21日に発売された、通算82枚目のシングルである[1][2]。特筆すべきは、作詞・作曲・編曲のすべてをX JAPANのYOSHIKIが手がけている点だ[1][3]。しかもレコーディングでは、松田聖子のボーカルを除くほぼすべての楽器をYOSHIKI自身が演奏したとされる[1]。TBS系火曜ドラマ「せいせいするほど、愛してる」の主題歌として書き下ろされ[1][2]、発売週にはオリコンのデイリーシングルチャートで松田聖子として自身初となる1位を獲得、週間チャートでも初登場6位を記録した[1]。週間トップ10入りは、2000年発売のシングル以来16年ぶりのことで、2000年代以降の彼女のシングルとしては大きなヒットとなった[1]。さらに同年末の第67回NHK紅白歌合戦では、YOSHIKI自身がピアノ伴奏で参加し、この曲を披露している[1][4]。
今回確認したのは、UNIVERSAL MUSIC JAPANの公式チャンネルで公開されているミュージックビデオのショートバージョン(Short Ver.)である[5]。タイトルに明記されている通り短縮版だが、曲の世界観を伝える公式映像であることに変わりはない。この曲は曲・歌詞・MVのどれもが語りどころを持っているが、その中で大石セレクションとして選びたいのは、YOSHIKIというひとりの作家の手によって隅々まで設計された、曲そのものの力である。
ピアノから立ち上がる、一人の作家の音の建築
音の面から見ていくと、この曲はまずピアノの一音から静かに立ち上がる。YOSHIKIという作家を語るとき、彼の書くバラードは「ピアノ・ロック」とでも呼ぶべき独特の質感を持っている。激しいドラムやギターで知られるX JAPANにあって、彼が書いてきた「Tears」や「Forever Love」に代表される一連のバラードは、いずれもピアノとストリングスを軸に、静かな導入から壮大なクライマックスへと登りつめていく構造を持っていた。「薔薇のように咲いて 桜のように散って」も、その系譜のうえにある一曲だと言っていい。イントロのピアノは控えめでありながら芯があり、そこから徐々に弦が加わり、曲が進むにつれて音の層が厚く重ねられていく。
この曲が興味深いのは、作詞・作曲・編曲のすべてをYOSHIKIが担い、さらに松田聖子のボーカルを除くほとんどの楽器を自ら演奏したとされる点である[1]。つまり、ペンを執った人間と鍵盤を叩いた人間が同一であり、曲の設計図と実際の演奏との間に他者の解釈が入り込む余地が少ない。結果として、この曲には一人の作家の頭の中にあった響きが、ほとんどそのまま音になっているような統一感がある。ストリングスの入り方、ピアノの余韻の残し方、サビでの音の開き方——そのどれもが、同じ一つの意思のもとで設計されているように聴こえる。バラードとしての完成度の高さは、この「作り手の一貫性」に支えられている部分が大きい。
そして、その壮大な器に松田聖子の声が乗る。彼女の声質は、YOSHIKIの書く重厚なバラードに対して、決して押し負けることのない透明さと芯を持っている。アイドルとしてデビューし、80年代を象徴する存在となった歌手が、X JAPANのYOSHIKIという、まったく異なる音楽的出自を持つ作家の曲を歌う。その組み合わせ自体が、この曲を単なる季節のバラードではない、特別な一曲にしている。歌謡曲でもロックでもない、その中間に立ち上がった張り詰めた叙情——それこそが、この曲を「曲がいい」と選んだ最大の理由である。
「咲く」と「散る」を一つに束ねる言葉
歌詞をそのまま引用することはしないが、その構造について考えてみたい。タイトルにすべてが凝縮されているように、この曲は「薔薇のように咲く」ことと「桜のように散る」ことを、対の関係で並べている。薔薇と桜という、日本人の美意識の中で対照的な位置を占める二つの花を持ち出し、華やかに咲き誇る生と、潔く散っていく終わりとを、一つのフレーズの中で結びつけている点が印象的だ。咲くことと散ることは本来は時間的に離れた出来事だが、この曲はそれを同時に見つめようとしている。
この「咲く/散る」という対の構図は、YOSHIKIがX JAPANで一貫して描いてきた生と死、永遠と喪失というテーマとも地続きに感じられる。華やかであればあるほど、その終わりの予感が濃くなる——そうした美意識は、桜という日本的なモチーフと相性がよい。散ることを前提に咲くからこそ、咲いている一瞬が愛おしい。この曲の歌詞は、そうした感覚を、松田聖子という華やかな存在の声を借りて描いている。彼女自身が長いキャリアの中で咲き続けてきた歌手であることを思うと、この言葉はより重層的に響いてくる。
ドラマ「せいせいするほど、愛してる」の主題歌として書き下ろされたこの曲は[1][2]、作品の物語との詳細な対応関係を断定することは避けたいが、恋という感情の華やぎと、それがいつか終わるかもしれないという予感を同居させた歌詞の構造は、大人の恋愛を描くドラマの主題歌として自然な強さを持っていたのだろうと想像する。歌詞のモチーフとしての明快さは、この曲の大きな美点だ。ただ、その美しいモチーフを最終的に聴き手の胸に届く形にまで立ち上げているのは、やはり曲の設計力だと感じたため、大石セレクションでは僅差で「曲」を主軸に選んだ。
ショートバージョンが差し出す、曲の世界観
今回確認したのは、公式チャンネルで公開されているミュージックビデオのショートバージョンである[5]。タイトルに「Short Ver.」と明記されている通り、これはフルサイズの映像を短く編集したもので、曲全体を通して聴かせるというよりは、この曲がどんな世界観を持っているかを短い時間で伝えることに主眼が置かれている。松田聖子の佇まいと、YOSHIKIのバラードが持つ荘厳な空気とが、映像の中で静かに重ねられていく。
ショートバージョンという性質上、映像単体で見たときの物語の起伏や、長い時間をかけて展開する演出という点では、フル尺の作品に比べて情報量が絞られている。だからこそ、この映像は「曲そのものの世界観を提示する予告編」のような役割を担っているように見える。派手な仕掛けに頼るのではなく、曲が持つ荘厳さと、松田聖子という歌手の存在感を、静かに差し出す。公式映像として曲の世界を過不足なく伝えている一方で、この記事では曲そのものの作りを主役に据えたいという判断から、MVの評価は中位に置いた。もしフルバージョンや、YOSHIKIがピアノ伴奏を務めた紅白の映像まで含めて語るのなら、また別の見え方があるだろう[1][4]。
咲くことと散ること、そして家に残る時間
松田聖子という歌手のキャリアそのものが、「咲き続けること」の一つの形だと思う。80年代に時代の顔として咲き、その後も歌い続け、2016年にはYOSHIKIという新しい作家と組んで、自身初のオリコンデイリー1位という新しい花を咲かせた[1]。散ることなく咲き直し続けてきた歌手が、「薔薇のように咲いて 桜のように散って」という、咲くことと散ることを同時に見つめる曲を歌う。その事実そのものが、この曲に不思議な奥行きを与えている。
ここで少し、私自身の話をしたい。私は磐田市で介護と不動産の仕事をしているが、この曲が歌う「咲く」と「散る」という対を、仕事の中で何度も思い出すことがある。介護の現場では、長い時間をかけて咲いてきた一つの人生が、静かに終わりへと向かっていく場面に立ち会う。実家を整理する仕事では、かつて家族が華やかに暮らしていた家が、今は誰もいなくなって片づけを待っている、その両方の時間が一つの空間に重なっているのを見る。咲いていた頃の記憶と、散った後の静けさ。その二つは別々の出来事ではなく、この曲のタイトルのように、本当は地続きにつながっている。華やかに咲いた時間があったからこそ、その終わりにも意味が宿る。桜が散ることを前提に咲くからこそ美しいように、家に残された時間もまた、そこに暮らしがあったからこそ愛おしいのだと、この曲を聴きながら思う。
「薔薇のように咲いて 桜のように散って」は、YOSHIKIというひとりの作家が隅々まで設計した、統一感のあるバラードだ。その壮大な音の建築の上に、咲くことと散ることを同時に見つめる言葉が乗り、松田聖子の声がそれを歌い切る。華やかさと終わりの予感を一つのメロディの中に束ねたこの曲は、季節を問わず、静かな夜にふと聴き直したくなる強さを持っている。
参考リンク
- [1] 薔薇のように咲いて 桜のように散って - Wikipedia
- [2] 松田聖子「薔薇のように咲いて 桜のように散って」特設サイト - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
- [3] 松田聖子 薔薇のように咲いて 桜のように散って 歌詞 - 歌ネット
- [4] YOSHIKIが松田聖子「薔薇のように咲いて 桜のように散って」に込めたX JAPANへの想いとは? - UtaTen
- [5] 松田聖子 - 「薔薇のように咲いて 桜のように散って」ミュージックビデオ(Short Ver.) - YouTube
華やかに咲いた時間があったからこそ、その終わりにも意味が宿るように、人が暮らした家にもまた、咲いていた頃の記憶が静かに残っています。
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