ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://youtu.be/JeYJnSuYgrs
確認した動画: MISIA - つつみ込むように...(Official HD Music Video)(MISIA公式)

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★★☆☆

選定理由:イントロの高音のホイッスルボイスから、Aメロでぐっと抑えたトーンに落ち着き、サビで再び声が突き抜けていく構成の振れ幅は、歌詞の意味を追う前に体に届いてくる強さがある。歌詞も静かで丁寧な言葉選びだが、「曲そのものの力で四半世紀以上聴き継がれてきた」という事実の重みを考えたとき、主視点は曲がいいに置くのが最も語りやすいと判断した。

1998年の東京。夜の渋谷や西麻布のクラブから流れてきた、重く太いビートと、天を突き抜けるようなハイトーンボイス。MISIAのデビューシングル「つつみ込むように…」を初めて耳にした瞬間の、あの圧倒的な衝撃は、四半世紀以上が経過した今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。当時、私はまだ何者でもなく、東京という巨大な街の片隅で必死に自分の居場所を探していた。夜の冷たい空気の中、ヘッドフォンから流れるこの曲は、単なる流行歌ではなく、孤独な心を文字通り「つつみ込む」ような温かいシェルターのようだった。

本作は1998年2月21日にリリースされ、またたく間に日本の音楽シーンの風景を塗り替えた。それまでアンダーグラウンドな文化として扱われることが多かった本格的なR&Bやソウル・ミュージックを、一気にメインストリームへと押し上げた記念碑的な作品である。しかし、この伝説の始まりには、作り手が奇跡の歌声に出会うまで忍耐強く「待つ」という物語があった。そしてその温もりは、時を経て静岡県磐田市に戻り、介護や不動産といった「誰かの人生を包み込む仕事」に携わるようになった今の私の生き方や仕事観とも、深く、静かに共鳴している。

1998年という時代の熱量と、東京の夜に響いたR&Bの衝撃

1990年代後半の東京は、世紀末の焦燥感と新しい世紀への期待が入り混じった、独特の熱気に満ちていた。特に音楽シーンにおいては、小室ファミリーによるキャッチーなダンスポップがミリオンセラーを連発する一方で、アンダーグラウンドではストリートカルチャーやクラブミュージックが急速に成熟しつつあった。渋谷の宇田川町に並ぶレコードショップには世界中から最新の音源が集まり、週末の夜ともなれば、西麻布や六本木、渋谷のクラブには本物のグルーヴを求める若者たちがひしめき合っていた。

その狂騒の只中にあった1998年2月、「つつみ込むように…」は解き放たれた。クラブの重低音スピーカーから鳴り響く、地を這うようなヒップホップソウルのビート。そして、それまでの日本のポップスでは聴いたことのなかった、圧倒的な歌唱力とソウルフルなフィーリング。それは単に「歌が上手い」という次元を超えて、音楽そのものが持つ野生的な生命力に満ちていた。当時の私は、毎日の仕事に追われながらも、何か新しいものが始まる予感に満ちた東京の街を歩いていた。深夜の街頭ビジョンやショップのスピーカーから絶え間なく流れるこの曲は、冷たいアスファルトの上で必死に踏ん張っていた若き日の私の背中を、静かに、しかし力強く支えてくれていた。あの頃の東京は冷酷で孤独な場所でもあったが、この温かい歌声がストリートやクラブの空気を満たしていたからこそ、私たちは未来を信じて走り続けることができたのだと思う。

1998年という年は、宇多田ヒカルやDragon Ashなど、後に日本の音楽史を塗り替える才能が次々と芽吹いた奇跡の年である。その先陣を切るようにリリースされた「つつみ込むように…」は、日本のポップス界における「R&Bブーム」の文字通り火付け役となった。それまで日本語のメロディには乗せにくいとされていた複雑なリズムやフェイクを、MISIAは天性のリズム感で見事に歌いこなした。そのサウンドは、当時の東京の最先端の空気そのものであり、私の青春の記憶と切り離せないものとして今も心の中に生き続けている。

5オクターブの衝撃と、運命の出会いを「待つ」という作り手の執念

「つつみ込むように…」の音楽的特徴を語る上で欠かせないのが、イントロから聴き手を圧倒する超高音のホイッスルボイスである。MISIAの代名詞とも言える「5オクターブ」の音域の広さを証明するこの高音は、まるで人間の声の限界を超えた楽器のようでありながら、どこか母性的な温もりをはらんでいる。地を這うような重いドラムビートと、ゴスペルの影響を強く感じさせる重厚なバッキングボーカルが折り重なることで、楽曲は単なるクラブミュージックにとどまらない、神聖なまでの広がりを持つようになった。

この曲を作詞・作曲した島野聡は、もともと自身が所属していたグループのためにこの楽曲を用意していたという。しかし、アレンジを含めた楽曲のポテンシャルを100%引き出せるだけのボーカリストに出会えず、納得がいかないままこの曲を長い間「封印」し、温め続けていた。安易に妥協して誰かに歌わせることをせず、本当にふさわしい声が現れるのを待ち続けた島野の執念。そこに、当時まだ無名だった福岡出身の19歳の少女、MISIAが現れた。彼女のデモテープを聴き、その圧倒的な声量と表現力に触れた瞬間、島野はこの曲を世に解き放つべき時が来たと確信したのだ。

この出会いは、日本の音楽史における最大の奇跡の一つである。「つつみ込むように…」はオリコン週間チャートでの最高位こそ11位(合算では8位)だったが、口コミやクラブでの評判を通じて驚異的なロングセラーとなり、最終的には50万枚を超える大ヒットを記録した。焦らず、ふさわしい出会いのためにタイミングを待つこと。作り手のその忍耐と信念が、四半世紀を経ても決して色褪せない名曲を生み出したのである。

レコーディング現場での島野とMISIAのやり取りは、互いの才能への深い敬意に満ちていたとされる。島野が描いたソウルフルな世界観に、MISIAはただ歌うだけでなく、彼女自身のバックグラウンドであるゴスペルのソウルを吹き込んだ。その結果、ただの流行のダンスナンバーではなく、聴く者の心を深く包み込む包容力を持った名曲が完成したのだ。

静岡・磐田の地で向き合う、介護の現場における「包み込む」ぬくもり

東京での刺激的で忙しい日々に一区切りをつけ、故郷である静岡県磐田市に戻ったとき、私を待っていたのはまったく異なる景色だった。時間の流れが穏やかで、自然豊かな磐田の街。ここで富士ヶ丘サービスを立ち上げ、介護事業に携わるようになってから、私は「人を包み込む」ということの本当の意味を、現場の高齢者やそのご家族から教わることになった。

介護の現場は、決してきれい事だけでは済まない。老いや病によってそれまでできていたことができなくなり、戸惑いや不安、時には怒りを抱える利用者様がいる。そして、長年育ててくれた親の衰えを前にして、葛藤し、介護疲れに押し潰されそうになっているご家族がいる。そうした方々に対して、私たち介護専門職ができることは何だろうか。それは、ただ業務として食事や入浴の介助を行うことではない。彼らが抱える不安や痛み、焦りといったネガティブな感情も含めて、その人生のありのままを、深く、大きな温もりで「つつみ込む」ことなのだと思っている。

MISIAの「つつみ込むように…」を改めて聴くと、そこには単なる恋愛の優しさだけでなく、傷ついた魂を優しくシェルターのように保護する、無条件の包容力を感じる。介護の仕事もまさに同じである。人生の終盤という最も傷つきやすく、デリケートな時期にある方々を、専門的な知識と深い人間愛をもってそっと包み込む。それは、かつて私が東京の冷たい夜にこの曲に救われたように、誰かの絶望や不安を和らげる存在でありたいという、私の介護事業にかける強い信念とも繋がっている。

また、介護においては「待つ」という姿勢も極めて重要である。効率を求めて急がせるのではなく、利用者様が自分のペースで言葉を発し、体を動かせるようになるのをじっと見守る。それはまさに、島野聡がふさわしいボーカリストとの出会いをじっと待ち続けた姿勢とも重なる。焦らず、相手のペースを尊重し、すべてを包容するケアこそが、本当に安心できる場所を提供するのだと確信している。

家と土地は家族を守る「つつみ込む器」であり、人生の記憶が宿る場所

介護事業を通じて地域の高齢者やご家族と深く関わる中で、私はもう一つの大きな課題に直面した。それが「住まい」の問題、すなわち不動産である。施設への入所に伴い、誰もいなくなってしまう実家。親が亡くなり、相続されたものの使い道が見出せないまま放置されている空き家。磐田や袋井、掛川といった遠州地域でも、こうした「空き家問題」は年々深刻化している。

不動産は、単なるコンクリートの塊や、坪単価で測られるだけの商品ではない。そこには、何十年にもわたって家族が共に食事をし、笑い、泣き、子供の成長を見守ってきた日々の記憶が染み込んでいる。私にとって「家」とは、激しい雨風から家族を守る物理的な防壁であると同時に、家族の愛や思い出を大切に保護し、未来へと受け継いでいくための「つつみ込む器」そのものである。

空き家や相続した実家を売却・整理することは、多くの人にとって非常に大きな、そして感情的な決断を伴う。先祖代々受け継いできた土地を手放す罪悪感や、思い出の詰まった実家を壊す寂しさに直面し、心が立ちすくんでしまうご家族は少なくない。だからこそ、不動産事業を行うにあたって、私は単なる取引の仲介者でありたくないと考えている。ご家族がその家に対して抱くすべての思い出や寂しさ、葛藤を、まずは私たちが「つつみ込むように」受け止める。そして、焦って結論を出させるのではなく、本当に納得のいく「その時」が来るまで、寄り添いながら待つ。その家が果たしてきた「家族を包む」という役割を理解し、敬意を払いながら、次の世代や新しい役割へと繋いでいくことこそが、私たちの果たすべき使命なのだと信じている。

家を手放す時、それは人生の大きな転換期である。その重みを軽んじることなく、ご家族の心に寄り添うこと。音楽が私たちの青春の記憶をずっと守り続けてくれるように、家や土地に宿る記憶も、整理の方法次第で温かい思い出として心に残り続ける。私たちは、不動産のプロとして、その記憶ごとお客様の未来を優しく包み込みたいと考えている。

過去の記憶を肯定し、今の暮らしを愛おしむための音楽

「つつみ込むように…」という楽曲が、リリースから四半世紀以上を経た今でも私たちの心を震わせるのは、そこに普遍的な人間の「弱さへの眼差し」と「優しさ」があるからだ。どれだけ時代が変わり、音楽のトレンドが移り変わっても、私たちが孤独な夜に誰かの温もりを求め、安心できる場所を欲する気持ちは変わらない。それは、若い頃に東京の夜に立ちすくんでいた私も、今、磐田の地で介護や不動産の現場で様々な人生に向き合っている私も、根本では何も変わっていないということを教えてくれる。

音楽は、一瞬にして私たちを過去の特定の時間や場所に連れ戻す力を持っている。この曲を聴くたびに、私は1998年の東京の冷たくも熱かった夜を思い出し、当時の不器用だった自分を愛おしく思うことができる。そしてその記憶の温もりがあるからこそ、今、目の前にいる利用者様や、不動産の整理に悩むご家族に対して、心からの「つつみ込むような優しさ」を提供することができるのだ。

ATAWI MUSICでこうして音楽を語ることもまた、自分自身の過去をさかのぼり、今という時間をより深く聴き直すための作業である。音楽という美しい記憶のシェルターに身を委ねながら、私たちは日々の暮らしの中で少しずつ傷を癒やし、また明日へ向けて一歩を踏み出すことができる。この名曲が体現するような、すべてを包み込み、そして時が満ちるのを待つという優しさを、これからも自分の人生と仕事を通じて、磐田の地で体現し続けていきたい。

音楽が昔の街や自分を思い出させてくれるように、家や土地にも、誰かの時間が残っています。

磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理に悩んでいる方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。