ページ作成日: 2026年7月6日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=fWaYXtqFtDU
確認した動画: MISIA - さよならも言わないままで (Official Music Video)(2020年10月20日公開・MISIA本人公式チャンネル)

2020年という年を、私はいまだにうまく言葉にできません。誰もが同じ年を生きていたはずなのに、それぞれの記憶の中の2020年は、少しずつ違う形をしています。私にとってのその年は、まだ東京で働きながら、日々ニュースの数字に一喜一憂し、遠くに住む親のことをふと心配になる、そんな時間の連続でした。会いに行きたくても行けない。声を聞きたくても、電話の向こうの元気な声で安心するしかない。そういう距離の取り方を、あの年、多くの人が初めて経験したのだと思います。MISIAの「さよならも言わないままで」を初めて聴いたとき、私はその距離の感覚そのものを歌にされたような気がして、しばらく画面の前で動けませんでした。声高に何かを主張する歌ではありません。むしろ静かに、ひとりひとりの胸の内に置かれた喪失に寄り添おうとする歌です。派手なメッセージソングではなく、祈りに近い温度で歌われていることに、私はまず驚かされました。

大石セレクション:歌詞がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★★★
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:MISIAの伸びやかな歌唱と松本俊明氏によるバラードの構成は非常に高い完成度を持ち、聴き手を包み込むスケール感がある。公式MVも、東京国際フォーラムでのチャリティライブ映像と、コロナ禍で闘う世界中の医療従事者を写したドキュメンタリー映像を重ねる編集で、曲の意図を丁寧に補強している。しかし、この曲の核心は何と言っても「さよならも言わないまま」という言葉そのものにある。2020年という特定の時代の空気を吸い込みながら、同時に、いつの時代の誰にとっても普遍的な「言えなかった別れ」というテーマにまで届いている。曲やMVが優れているからこそ歌詞が生きているのは間違いないが、聴くたびに新しい重さで胸に戻ってくるのは、言葉そのものの力である。だからこそ主視点は歌詞がいいに置いた。

コロナ禍の東大寺から届いた、ひとつの祈り

「さよならも言わないままで」は、2020年10月21日にアリオラジャパンより配信限定でリリースされたMISIAのデジタルシングルです[1][2]。作詞をMISIA自身が手がけ、作曲は、MISIAの代表曲のひとつである「Everything」でもタッグを組んだ松本俊明氏が担当しています[1][2][3]。この曲が世に出るまでの経緯を辿ると、単なる新曲リリースというより、ある種の必然のようなものを感じます。初めて公の場で披露されたのは、2020年7月にTBS系列で放送された音楽特番「音楽の日」でした。奈良・東大寺からの生中継という、普段の音楽番組とはまったく異なる荘厳な舞台で、MISIAはこの新曲を静かに届けたと伝えられています[4][5]。寺院という祈りの場所からの発信であったことは、この曲が単なる新曲ではなく、時代への祈りとして構想されていたことをうかがわせます。

MISIA自身は、新型コロナウイルスを「悲しいウイルス」と表現し、「この悲しみが早く止まるように、ひとりひとりが助け合って生きていけるように、そんな願いを込めて作りました」と語ったと報じられています[4]。誰かを名指しで批判するでもなく、状況を嘆くだけでもなく、ただ「早く止まってほしい」という素朴な祈りを言葉にする。その姿勢そのものが、この曲全体の温度を決めているように思います。

スケールの大きなバラードが包み込むもの

楽曲そのものに目を向けると、「さよならも言わないままで」は5分を超える長さを持つ、じっくりと展開するバラードです[3]。イントロからピアノを中心とした静かな音数で始まり、MISIAの声が一音一音を丁寧に置いていくように歌い出します。声を張り上げるのではなく、まず語りかけるような入り方をするところに、この曲の誠実さを感じます。Aメロ、Bメロと進むにつれて、ストリングスやコーラスが少しずつ厚みを増していき、サビに向かって感情の温度が上昇していく構成は、MISIAというアーティストが長年培ってきたバラードの様式美そのものです。ただし、この曲はただ壮大に盛り上げるだけでは終わりません。サビの頂点を越えたあとの余韻の作り方、フレーズとフレーズの間に置かれる呼吸の長さに、聴き手の感情を急かさない配慮があります。悲しみを歌う曲でありながら、聴き終えたあとに残るのは絶望ではなく、静かな肯定に近いものです。それは、作曲を手がけた松本俊明氏の筆致と、MISIAの歌唱表現の両方が噛み合って初めて成立する温度だと思います。何度も繰り返し聴いても押しつけがましさを感じないのは、曲全体が「聴き手を励まそう」と力むのではなく、「そばにいる」という距離感を保ち続けているからではないでしょうか。イヤホンで聴くと、MISIAの声の細かな震えや息づかいまでもがはっきりと届き、まるで隣で語りかけられているような近さを感じます。この近さこそが、コロナ禍で人と人との距離が引き離された時代に、多くの人の心に届いた理由のひとつだったのだと思います。

「言えなかったこと」を歌にする、という誠実さ

この曲の歌詞をそのまま書き写すことはしませんが、その言葉が見つめている風景については触れておきたいと思います。「さよならも言わないままで」というタイトルが示す通り、この歌は、大切な人に別れの言葉すら告げられないまま、その人を失ってしまうという痛みを見つめています[6]。コロナ禍において、多くの人が、病院の面会制限や隔離という状況の中で、家族の最期に立ち会えない、あるいは十分な言葉を交わせないまま別れを迎えるという現実に直面しました。歌詞が触れているのは、まさにその「病気は待ってくれない」という残酷な事実と、それでも消えない愛おしさです[6]。特別な誰かの物語としてではなく、あの時代を生きた無数の人々の胸の内を代弁するような、普遍的な視点で書かれているところに、この歌詞の強さがあります。

同時にこの歌は、悲しみだけで終わらせません。いつか喜びがまた扉を開けてくれる日が来るという、小さな希望の光を歌詞の終盤に置いています[6]。絶望の中に留まるのではなく、悲しみをいったん受け止めたうえで、その先にある回復を信じようとする。この構成こそが、この曲を単なる「コロナ禍の記録」ではなく、いつの時代の喪失にも寄り添える鎮魂歌にしている理由だと思います。実際、この曲はコロナ禍という特定の背景から生まれながら、大切な人との別れを経験したすべての人に届く歌として、現在でも聴かれ続けているようです[6]。歌詞を読み解けば読み解くほど、MISIAが自分の言葉で丁寧に紡いだという事実の重みが増していきます。作詞をMISIA自身が担うことは珍しくありませんが、この曲に関しては特に、彼女自身の実感がそのまま言葉になっているように感じられてなりません。

公式MVが重ねる、ライブとドキュメンタリーの記憶

公式ミュージックビデオは、2020年10月20日にMISIA本人の公式YouTubeチャンネルで公開されました[1]。映像は、同年9月に東京国際フォーラムで開催された、医療従事者支援を目的としたチャリティライブ「MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2020 ~Support for Medical Professionals~」でのパフォーマンス映像を中心に構成されています[1][2]。そこに、出口の見えないウイルスと向き合いながら命を守るために闘い続けた世界中の医療従事者たちの姿や、かけがえのない家族との別れを描いたドキュメンタリー映像が重ねられていく編集です[2]。ステージで歌うMISIAの姿と、現実の医療現場の映像とが交互に、あるいは重なり合うように映し出されることで、この曲がフィクションではなく、あの時代に実際に起きていたことへの応答であることが強く伝わってきます。派手な演出やストーリー仕立てのMVとは対照的に、事実の記録に寄り添う誠実な作りになっている点が、この映像の最大の説得力です。サビで映像が開けていく瞬間、ステージの照明とドキュメンタリー映像の光が呼応するように見えるカットには、はっとさせられます。曲を耳だけで聴いていたときには気づかなかった、あの年の重さそのものが、この映像を通して初めて像を結ぶ感覚がありました。だからこそMV評価も高くつけていますが、あくまで曲と歌詞という骨格があってこそ映像が生きているという構造は動かず、主視点は歌詞に置いています。

言えないままの言葉と、私自身の記憶

この曲を聴くたびに、私は自分の中にある、いくつかの「言えなかったこと」を思い出します。若い頃、まだ東京で忙しく働いていた時期、実家に帰る機会を先延ばしにしているうちに、伝えたかった言葉をついに伝えられないまま、ある別れを迎えたことがありました。特別に劇的な出来事だったわけではありません。ただ、電話一本で済ませられると思っていた会話を後回しにして、気づいたときにはもう遅かった。そういう、ごくありふれた後悔です。けれど、そのありふれた後悔こそが、一番長く胸に残るものなのだと、私はあとになって知りました。「さよならも言わないままで」という言葉を聴くと、その時のことがいつも静かに蘇ります。この曲がすごいのは、そうした個人的な後悔を、あの時代の集合的な悲しみと自然に重ね合わせてしまう力を持っていることです。コロナ禍という特別な状況の歌でありながら、聴く人それぞれの、ごく個人的な「言えなかった記憶」に静かに寄り添ってくる。私はこの曲を、コロナという言葉が薄れていったとしても、なお聴き続けられる歌だと思っています。

磐田で介護と不動産の仕事をしていると、「言えなかったこと」に向き合うご家族に、たびたび出会います。実家を片付けているときに見つかる古い手紙、最後に交わせなかった会話、伝えたかったのに伝えられなかった感謝の言葉。私は専門家として、財産や家屋の整理のお手伝いをする立場ですが、その奥にある「言えないままで終わってしまった何か」に、この曲を思い出しながら、そっと耳を傾けるようにしています。言葉にできなかったことは、消えてしまうわけではありません。この曲が教えてくれるのは、それでもなお、その記憶とともに生きていくことができる、という静かな肯定だと思います。

参考リンク

言えなかった言葉は、消えるのではなく、その人の記憶とともに静かに残り続けます。家や土地にもまた、誰かの暮らしと、伝えきれなかった想いが残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。