ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=_2quiyHfJQw
確認した動画: MONDO GROSSO / ラビリンス(avex公式チャンネル)

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:谷中敦の詞も、香港でワンカット撮影されたMVも、それぞれ高い水準にある。しかし、この曲がまず聴き手を捉えるのは、大沢伸一が組み立てたディープハウスのトラックと、満島ひかりのウィスパーボイスがどう共存しているかという「音そのものの設計」だ。歌詞の物語を追わなくても、映像を見なくても、音の余白と重低音だけで十分に成立してしまう強さがある。14年の沈黙のあとに提示された1曲として、その音楽的な完成度がもっとも雄弁に語れると考え、主視点を曲がいいに置いた。

夜のしじまの中で、深く沈み込むような重低音に耳を傾けていると、ふと気づいた時には私たちは自分自身の心の中に広がる見えない迷宮(ラビリンス)に迷い込んでいる。大沢伸一のソロプロジェクトであるMONDO GROSSOが、14年という気の遠くなるような沈黙を破り、2017年に世に送り出した名曲「ラビリンス」は、まさに聴き手を記憶の深淵へと引きずり込む奇妙で美しい引力を持っている。この曲は、単なるフロア向けのダンスミュージックという枠組みを遥かに超え、かつて大都会の喧騒の中でがむしゃらに生き、時に自分自身を見失いかけていた「あの頃の自分」と、多くの経験を重ねて現在を生きる「今の自分」とを繋ぐ、一本の細く光る架け橋のような存在なのだ。

ボーカルに満島ひかりを迎え、作詞を東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦が手掛けたこの楽曲は、リリースと同時に音楽シーンに大きな衝撃を与えた。特に、妖艶でどこか退廃的な香港の夜の街を舞台にしたミュージックビデオは、カメラが一度も止まることなく回り続ける「ワンカット(シングルショット)」の手法で撮影され、世界中でまたたく間にバイラルヒットを記録した。満島ひかりの囁くようなウィスパーボイスと、ネオンの光が反射する夜の路地裏を回遊するダイナミックなダンスは、見る者の心に眠る「都市の夜の孤独」を強く揺さぶる。

私はこの曲を聴くたびに、かつて自分が東京という巨大な迷宮の中で、何者かになろうともがいていた、あの目まぐるしくも孤独だった夜の記憶を呼び覚まされる。深夜のオフィスビルから漏れる明かり、冷たいプラットフォーム、濡れたアスファルトに反射するヘッドライトの赤。あの頃の私は、夢と現実の境界線さえも見失ったまま、出口のない迷路をただ必死に走り続けていた。そして現在、故郷である静岡県磐田市に戻り、介護や不動産という「誰かの人生や家族の歴史」に寄り添う仕事をしながら、改めてこの静かなビートに耳を傾けるとき、あの迷宮のような時間もまた、今の自分を形成するために不可欠なプロセスであったのだと深く得心するのである。

満島ひかりのウィスパーボイスと香港の夜が描く、美しき迷宮の構造

「ラビリンス」を名曲たらしめている音楽的特徴は、非常に高度で洗練されたサウンドプロダクションにある。プロデューサーの大沢伸一が作り出したトラックは、ミニマルでありながらも強烈に腰を揺らすディープハウスのビートをベースとし、そこにジャズの高度なコードワークを思わせる和声進行と、どこまでも広がる豊潤なシンセサイザーのレイヤーが重ね合わされている。この緻密な音響設計の上に、満島ひかりの歌声が乗る。彼女のボーカルは、メロディを力強く歌い上げる一般的なスタイルとは対極にあり、感情を極限まで削ぎ落とし、聴き手の耳元で息を吹きかけるように囁くウィスパーボイスである。この「押しつけがましさのない声」が、冷たい質感のエレクトロニックミュージックに不思議な温もりと、深い哀愁を吹き込んでいる。

そして、この曲の世界観を完成させているのが、香港で撮影されたミュージックビデオの圧倒的なビジュアルだ。混沌としたエネルギーが渦巻く香港の夜、密集する看板のネオンが怪しく光るストリートを、満島ひかりがまるで何かに憑りつかれたように、あるいはそこから解き放たれるように軽やかにステップを踏んで進んでいく。映画『ラ・ラ・ランド』の振付補を務めたジリアン・メイヤーズによる振り付けは、コンテンポラリーダンスのしなやかさと、都市を漂流する人間の焦燥感を見事に表現している。カメラを一度も止めないワンカット撮影は、観る者に対して「途中で立ち止まることも、やり直すこともできない時間」を突きつけ、映像の迷宮へと強く引き込んでいく。

この完璧なまでの音楽と映像の融合は、単なるプロモーション of 芸術的な水準に達しており、国内外で大ヒットを記録し、今なお数多くの音楽ファンを魅了し続けている。14年間の沈黙の末にMONDO GROSSOが提示したこの世界観は、日本語という言葉の響きが持つ美しさを、最先端のハウスミュージックへと昇華させた記念碑的な傑作であると言える。

夜のネオンに消えかけた自我――東京という迷宮をがむしゃらに駆けた日々

香港の夜の街を彷徨う満島ひかりの姿を見つめていると、私はどうしても、自分が20代から30代にかけて過ごした東京での日々に思考を引き戻されてしまう。当時の私にとって、東京という街はまさに終わりなき巨大な迷宮そのものだった。「いつかこの街で何かを成し遂げたい」という切実な野心と、「このまま誰にも知られずに、このコンクリートの海に沈んでしまうのではないか」という底知れない孤独が、常に頭の中で渦巻いていた。仕事帰りの深夜、ネオンに照らされた代々木や新宿の街を一人で歩きながら、自分が選択した道が本当に正しいのか、その答えを探し求めて彷徨っていた。

あの頃の私の働き方は、文字通り「がむしゃら」という言葉が相応しかった。目の前にある仕事を片付け、次の成果を追い求めるあまり、自分の心や体の声を聞く余裕など微塵もなかった。プライベートの時間さえも仕事のためのインプットに費やされ、まるで自分の人生というワンカットのカメラワークの中で、息を切らしながら踊り、走り続けているような感覚だった。立ち止まることは敗北を意味するような気がしていたし、周囲のスピードについていけなくなる恐怖から、常に自分の歩幅を広げようと必死だった。東京の夜は、どれほど無数の光で満ちていても、本質的な部分では常に孤独だ。その光が眩しければ眩しいほど、自分の足元に伸びる影の濃さに怯え、自分自身をがんじがらめにする迷路の壁を、自らの焦りによって高く築き上げていたのだと、年齢を重ねた今の私は静かに理解する。

しかし、その終わりの見えない迷宮の中で必死にもがき、何度も壁に突き当たりながらも、決して折れることなく踏ん張っていた時間こそが、現在の私の経営者としての強さや、人としての原点を作ってくれた。この曲の流れるようなビートを聴くとき、私はあの頃の不安で押し潰されそうになりながらも歩みを止めなかった自分に、心からの敬意と労いを送りたい気持ちになるのだ。

磐田への帰郷と「空き家」というもう一つの迷宮――置き去りにされた時間を紐解く

その後、私は東京という迷宮から距離を置き、故郷である静岡県磐田市に戻る決断をした。磐田、袋井、掛川といった遠州地域に根を下ろし、介護事業と不動産事業を営む中で、私はかつて東京で対峙した都会の迷宮とは異なる、もう一つの静かな「迷宮」と日々向き合うこととなった。それは、地域に点在する「空き家」や、親の介護に直面して家族のあり方に悩む人々が抱える、それぞれの家庭の歴史という名の迷宮である。

不動産の仕事で、主を失った実家や空き家に足を踏み入れる瞬間、そこには何とも言えない独特の静寂が漂っている。埃をかぶった古い本棚、子供たちの成長を誇らしげに記した柱の傷、家族が集っていたリビングのテーブル。そこにはかつて、確かに温かい日々の暮らしがあり、誰かが喜び、悩み、時間を過ごしていた確かな証拠が残されている。しかし、時が止まったその空間は、まるで過去の記憶が閉じ込められた迷宮のように、訪れる者に静かな問いを投げかけてくる。実家を処分する、あるいは空き家を整理するという決断は、残された家族にとって、単なる資産の売買という効率的な作業では決してない。そこには、旅立った親への愛着や後悔、楽しかった子供時代の記憶など、整理しきれない感情が迷路のように絡み合っているのだ。

介護の現場においても同様のことが言える。認知症が進み、少しずつ自分が築いてきた記憶の迷宮へと入っていく高齢者の方々と向き合うとき、私たちに必要なのは、彼らを無理に現実の世界へ引き戻すことではない。彼らが彷徨っている記憶の迷路にそっと寄り添い、かつて輝いていた日々の光を一緒に見つめることだ。家を整理し、土地を次の世代に受け渡すという作業もまた、その家族が迷い込んでいる「過去の記憶の迷路」を共に歩き、少しずつもつれた糸を解きほぐしながら、未来という新しい出口へ向けてそっと背中を押す、人生の伴走者のような役割であると考えている。

音の余白が呼び覚ます記憶と、自分自身を取り戻すための静かな時間

40代後半となった今、深夜の静まり返った事務所で「ラビリンス」を再生するとき、この曲は私にとって単なる音楽ではなく、日々の激務の中で散らばってしまった自分自身を回収するための、極めてパーソナルな瞑想の時間となる。私たちは日々、誰かの相続問題や家族の介護といった非常に重い人生の決断に立ち会い、そこに伴う葛藤を引き受けている。そうした中で、自分自身の中心にある軸を見失わないようにするためには、頭の中に溜まった余分な情報や感情の澱を一度リセットする時間が必要不可欠なのだ。

この曲の最大の特徴である「音の余白」は、まさにそのリセットのための空間を提供してくれる。大沢伸一のアレンジは、過度な音数で空間を埋めることをせず、ディープハウスの心地よい規則的な低音と、シンセサイザーの暖かな響きの間に、豊かな無音の空間を残している。その隙間に満島ひかりのウィスパーボイスが揺らめくように漂う。このサウンドの構造は、聴き手に対して感情を一方的に押し付けるのではなく、聴き手が自分自身の内面を覗き込み、心の中に散らばっている古い記憶や感情の断片を整理するための余地を与えてくれる。

この楽曲をATAWI MUSICとして一言で定義するならば、「彷徨う自分を静かに受け入れ、失われた記憶の中から真の自己を見出すための夜の道標」である。私たちは誰もが、生きる中で迷宮の中に身を置くことがある。しかし、道に迷うことは決して悪いことではない。迷宮の壁に触れ、かつて自分が歩んできた足跡を振り返ることで、私たちは初めて「本当の自分」に出会うことができるのだ。家や土地に残された古い記憶も、東京のネオンの中で失いかけた自我も、全ては一つの線で繋がり、今の私を支えてくれている。この曲を聴く夜は、そのすべての愛おしい記憶に静かに感謝を告げ、明日へと向かう力を静かに蓄えることができるのだ。

音楽が昔の街や自分を思い出させてくれるように、家や土地にも、誰かの時間が残っています。

磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理に悩んでいる方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを, 音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。