走りながら思いついた言葉が、あとで何百万人もの生活に紛れ込んでいく。そういうことが実際に起きたのが、この曲だったらしい。桜井和寿が光が丘公園をジョギングしている最中に、Aメロの冒頭がふと浮かんだという話を、今回あらためて資料で読み返した。土地勘のある東京の風景を思い出しながら聴くと、この曲の速度感の正体が、少しわかった気がした。走る速さと、言葉を吐き出す速さが、どこかで一致している。1996年2月5日にリリースされたこの曲は、結果としてMr.Childrenの代名詞のような存在になったが、作られた当初はそこまでの重さを背負っていなかったはずだ。むしろ身軽さの中から生まれた曲、というほうが実感に近い。
今回確認したのは、2007年の「HOME」TOURのライブ映像(Mr.Children Official Channel)で、会場全体が同じ言葉を口にする光景は、一人の男が公園を走りながら思いついたフレーズが、これほど遠くまで届いたのかという驚きを伴って見えた。ステージの熱気の中で歌われる姿を見ていると、この曲が最初からスタジアムを埋めるために書かれたわけではなく、むしろ一人の朝の運動の延長線上で生まれたという事実のほうが、不思議と胸に残る。大きな出来事は、たいてい小さな場所から始まっている。仕事でも、家族のことでも、土地の相談ごとでも、振り返ればそうだったことが多い。この曲を聴くたびに、そのことを思い出す。
タイトルにある「名もなき」という言葉についても、今回あらためて考えた。名前がない、というのは何もないということではない。むしろ、まだ名指しされていないだけで、確かにそこにある何かのことだと思う。ジョギング中に浮かんだメロディにも、まだ名前はついていなかったはずだ。名前がつく前の、輪郭だけがある状態。そこから曲が育っていく過程を思うと、名前というのはあとからついてくるおまけのようなもので、本体はいつも、名前のない状態の中にすでにある、という順序に気づかされる。
タイアップの縛りを外したところから生まれた曲
Wikipediaの記述によれば、「名もなき詩」の制作にあたって小林武史から前作を踏まえたリズムパターンの提案があったものの、タイアップの制約を意識せずに進めた結果、「Oh darlin」というフレーズを起点に曲が広がっていったとされている。1995年10月から約1ヶ月、新宿のヒルトンホテルに通い、5thアルバム『深海』と6thアルバム『BOLERO』のために20曲あまりを作る中で、最初に形になった一曲がこの曲だったという。狙って作った代表曲ではなく、自由に手を動かしていたら先に立ち上がってきた曲、という成り立ちは、あとから振り返ると意外に思える。完成形の重みと、生まれた瞬間の軽さのあいだにある距離を、聴くたびに思う。
ホテルの一室に一ヶ月近くこもって二十曲あまりを作るという制作のあり方も、今回調べていて印象に残った。効率よく一曲を仕上げるのではなく、大量に手を動かす中から、残るべきものが自然に浮かび上がってくるのを待つやり方だったのだろう。狙って当てたのではなく、たくさん試した中の一つが結果的に代表曲になった。振り返れば選ばれた、という順序の曲だ。仕事の現場でも、家づくりでも、最初から正解が見えていることは少なく、たくさんの案を出し、迷い、比べているうちに、これだというものが後から立ち上がってくることのほうが多い。狙って当てるのではなく、数多く試した末に残るものがある、という感覚は、今の自分の実感にも近い。
ビートルズからの影響がうかがえるという評もあるらしいが、詳細な引用元までは確認できていない。それでも、間奏の構成や音の重ね方に、既存の枠を意識しながらも自分たちの言葉で塗り替えていこうとする姿勢は感じ取れる。誰かの作った型をなぞるのではなく、型を知った上でそこから逸れていく。その逸れ方の中にこそ、この曲の個性があるように聴こえる。
早口で駆け抜ける言葉と、記録的な数字
小林武史が「この当時、こんな早口で歌ってる人間はほかにいなかった」と評したとされるAメロの畳みかけるような歌い方は、聴いていると、言葉が意味を超えて呼吸そのものになっていくように感じられる。立ち止まって説明するのではなく、走り抜けながら投げていく言葉。その勢いのまま、曲はフジテレビ系ドラマ『ピュア』の主題歌として世に出て、初週だけで120万枚を超える売上を記録し、最終的な累計は230万枚を超えるミリオンセラーとなり、1996年のオリコン年間シングルランキング1位を獲得したという(各種音楽メディアの集計に基づく数字であり、正確な最終値は資料により多少の幅がある)。数字の大きさよりも、当時ラジオやテレビから繰り返し流れてきた記憶のほうが、自分にとっては生々しい。会社帰りの電車の中で、イントロが聞こえてくるだけで姿勢が少し正されるような、そんな緊張感のある曲だった。
あとから知ったことだが、この曲以前にもMr.Childrenは連続でミリオンセラーを重ねていて、この曲はその流れの延長線上にある一曲だったという。だから当時の自分は、この曲だけを特別に選んで聴いていたわけではなく、街のあちこちで自然に耳に入ってくるものとして受け止めていた記憶がある。誰かが強く薦めたわけでもなく、気づけば口ずさめるようになっていた。ヒットというのは、そういう浸透の仕方をするものなのだと、今になって思う。声高に主張しなくても、生活の隙間に静かに入り込んでくる曲がある。
2003年には発売から時間を経てエリエールのCMソングとしても起用されたと聞く。一度ヒットして終わりではなく、時間を空けて別の場面で呼び戻される曲というのは、そう多くない。曲そのものの強度もさることながら、聴く側の生活の中に何度も差し込める余白があったということなのだろう。同じ曲でも、二十代で聴くのと、家庭を持ってから聴くのとでは、耳に残る部分が違う。この曲を久しぶりに聴き直して、そのことをあらためて実感した。
230万枚を超えたという累計売上の数字も、当時としては前例の少ない規模だったらしい。とはいえ、資料によって細部の数字には多少の幅があり、正確な最終値を断定することは今回できなかった。それでも、初週だけで100万枚を超えたという記録が示すのは、発売と同時に、すでに多くの人がこの曲を待っていたという事実だろう。誰かの生活のBGMになる前から、すでに求められていた曲だったのかもしれない。
東京で走っていた頃、磐田で立ち止まる今
東京にいた頃は、自分も似たような速度で日々を送っていた。約束の時間、次の現場、次の商談。走りながら考え、走りながら決める。そういう生活のリズムと、この曲の早口のAメロは、今聴くと妙に符合する。名前をつける暇もないまま通り過ぎていった判断や関係が、あの頃にはたくさんあった。名もなきまま流れていったものの中に、実は一番確かな手応えがあったのかもしれない、と今になって思う。
磐田に戻り、家や土地の相談を受ける仕事をしていると、東京にいた頃とは違う速度で人と向き合うようになった。それでも、初めて会う人の家の間取りや、先代から受け継がれた土地の来歴を聞くとき、言葉にならないまま流れていく事情に触れることは変わらない。急いで結論を出さず、走らずに、その場に立ち止まって聞く。かつて走りながら拾っていた言葉を、今は立ち止まって拾い直している。そんな変化を、この曲を聴くたびに確かめている。
家族と暮らす時間の速度も、東京にいた頃とは明らかに違う。子どもの成長や、親の老いは、走って追いつけるものではなく、日々の積み重ねの中でしか実感できない。早口のAメロを聴きながら、そのテンポの心地よさに惹かれつつも、今の自分の生活はもう、あの速さでは動いていないことに気づく。曲は当時のままの速度で流れ続けているのに、聴く自分の側の速度は変わっている。その差分を確かめることも、この曲を聴き直す楽しみの一つになっている。
不動産の仕事で家を見に行くと、その家が建てられた経緯や、住んでいた人がどんな速度で暮らしていたのかが、間取りや庭木の手入れの跡から伝わってくることがある。急いで建てられた家、時間をかけて手を入れられてきた家。どちらにも良さはあるが、今の自分が心を寄せるのは、後者のような、ゆっくり積み重ねられた時間を持つ家のほうだ。走ることでしか得られないものと、立ち止まることでしか得られないもの。この曲を挟んで、自分の生き方の重心が少しずつ移ってきたことを感じる。
家族の中でも、話す速度が違う場面がある。子どもがまだ小さかった頃は、こちらが急かすように喋ってしまうこともあったが、今は相手のペースに合わせて言葉を選ぶことのほうが多い。走りながら話しかけていた時期から、隣に並んで歩きながら話す時期へ。この曲の早口のAメロを聴くと、あの頃の自分の話し方を思い出すと同時に、今の自分がどれだけ速度を落として人と向き合えるようになったかも、あわせて確かめることになる。
間奏に潜む、逆再生の音
この曲を含む制作期に、Mr.Childrenがオペラの音をサンプリングし、それを逆再生して曲に忍ばせるという手法を試みていたことも、資料を読んで知った。表側の早口の歌とは対照的に、裏側では時間を逆走させるような音が仕込まれている。この二重構造は、聴いているだけでは気づきにくいが、知ってから聴き直すと、曲全体に流れの速さと遅さが同居しているように聴こえてくる。前へ前へと進む歌詞と、逆回しの音。その両方を含んだ曲が、家族や仕事、土地とともに生きてきた自分の時間の流れ方とも、どこか重なって聴こえる。
前だけを向いて走ってきた東京の日々にも、振り返れば逆再生したくなるような瞬間がいくつもある。あの判断は正しかったのか、あの言葉は誰かに届いていたのか。走っている最中には確かめる余裕がなかったことを、磐田に戻った今、少しずつ巻き戻すように考え直している。家族と過ごす時間、代々受け継がれてきた土地の記録、亡くなった方が残した部屋の様子。それらはどれも、早口で語られるものではなく、逆再生のようにゆっくりとした速度でしか読み解けないものだ。この曲が持つ二つの速度は、自分の人生の中にある二つの時間の流れ方と、静かに響き合っている。
光が丘公園を走っていた頃の桜井和寿には、この曲がのちに何百万枚も売れ、何十年も歌い継がれる曲になるとは見えていなかっただろう。ただ思いついた言葉を、走る速度のまま曲に落とし込んだだけだったはずだ。それが結果として、多くの人の生活の一部になった。名前をつけて始めたことよりも、名前もなく始まったことのほうが、遠くまで届くことがある。磐田で日々の相談ごとに向き合いながら、そのことを、この曲を聴くたびに思い出している。
タイトルに名前がないのと同じように、日々の仕事の中で自分がしている一つひとつの判断にも、いちいち名前はついていない。誰かの背中を押した一言、迷っている家族に添えた小さな提案。それらは記録にも残らず、名もなきまま過ぎていく。それでも、走りながら思いついた言葉が遠くまで届いたこの曲のように、名もなきものが誰かの中に長く残ることもあるのだと、信じてみたい気持ちがある。