雪が降り始める季節になると、決まって頭のどこかでこの曲が鳴り始める。中島美嘉「雪の華」を初めて聴いたのは、まだ東京で働いていた頃だったと記憶している。当時は特別な思い入れがあったわけではない。ただ、街のどこにいても流れてくる曲だった。カフェでも、電器店の店先でも、誰かの携帯電話の着信音でも。2003年という年を思い出すとき、この曲の旋律が景色に重なって出てくる。ORICON NEWSのインタビューによれば、中島美嘉は「この曲にはタイアップを付けないでほしい。楽曲だけで勝負したい」という希望を、当時の自分にとっての我儘として口にしたという。実際には明治製菓の「boda」「galbo」のCMソングとして起用されており、完全にタイアップなしで世に出た曲というわけではない。それでも、楽曲そのものの強さで勝負したいという意志を通したというエピソードには、作り手としての矜持が滲む。飾りを削ぎ落としても届くはずだという確信がなければ、そんな我儘は口にできない。磐田で家や土地の相談を受ける仕事をしていると、時々この確信という言葉の重みを思い出す。派手な演出や口先の説得よりも、仕事そのものの質で信頼してもらいたいと思う瞬間があるからだ。この記事では、「雪の華」がどのように作られ、どう受け止められ、なぜ今も冬になると口ずさまれるのかを、自分の記憶と重ねながら読み直してみたい。
タイアップという後ろ盾を断った理由
「雪の華」は2003年10月1日にリリースされた、中島美嘉の10作目のシングルである。作詞はSatomi、作曲・編曲は松本良喜が手がけた。この曲が世に出た経緯には、少し捻れたところがある。明治製菓の「boda」「galbo」のCMに中島本人が出演し、楽曲もCMソングとして使われていたにもかかわらず、ORICON NEWSのインタビューで中島は「タイアップを付けないでほしい」と当時のスタッフに求めたと振り返っている。タイアップの後押しがあることが前提の業界の中で、あえてそれを断ろうとする姿勢は、楽曲の完成度そのものへの自信の表れだったのだろう。CMというきっかけはあっても、曲の力そのもので人の記憶に残りたいという意志があったと読み取れる。
東京で働いていた頃、自分の実力に自信があるほど、余計な後押しや装飾を疎ましく感じることがあった。仕事の成果を、環境や運の良さのせいにされたくないという意地に近い感情だ。誰かの紹介や、たまたま条件が良かったからうまくいったと言われるより、自分の手でやり切ったからだと言い切りたい場面がいくつもあった。若い頃は、それを単なる意地の張り合いのように思っていたが、今振り返ると、それは仕事に対する誠実さの裏返しだったのだと思う。「雪の華」という曲名の由来がどこにあるのかは定かではないが、雪という儚く消えていくものを歌いながら、消えずに残り続けようとする作り手の意地のようなものが、この曲の背骨になっているように感じられる。タイアップという確実な露出の機会をあえて手放そうとした判断は、短期的な成功よりも、長く聴かれる曲であることを選び取った結果だったのかもしれない。
チャートの数字が語る、静かな定着
「雪の華」はリリース当初、爆発的な初動を記録した楽曲ではなかったとされる。Wikipediaの記載によれば、オリコン週間チャートでの最高順位は3位、2003年10月度の月間チャートでは6位、11月度は8位にとどまり、2003年の年間シングルランキングでは53位、翌2004年の年間ランキングでも116位にランクインしたと伝えられる。初速だけを見れば決して圧倒的な数字ではない。それでも年をまたいでランキングに残り続けたという事実は、瞬間的な話題性ではなく、時間をかけて聴かれ続けたことを示しているように思える。爆発的なヒットというよりも、じわじわと長く聴かれ続けることで存在感を増していった曲だったことがうかがえる。
第45回日本レコード大賞では金賞を受賞し、作詞を手がけたSatomiは作詩賞を受賞している。20年以上を経た現在も、冬になるとカラオケやストリーミングで再び聴かれる、いわゆる「冬の定番曲」としての地位を保ち続けているとされる。ORICON NEWSの20周年に際したインタビューでは、中島自身が「雪の華」が自分の手を離れて一人歩きしていることに戸惑いを覚えたとも語られていた。歌うのが一番怖い曲だと語ったとも伝えられており、多くの人にとっての大切な記憶になった曲を、しっかり歌わなければというプレッシャーを抱えながら歌い続けてきたことがうかがえる。作った当時の思惑を超えて、曲そのものが独立した生き物のように長く生き続けている。数字の派手さよりも、時間の経過に耐えた事実の方が、この曲の評価を物語っているように思える。
静けさの中に仕込まれた高さ
音楽的な作りとして「雪の華」を聴き直すと、全体としては抑制されたスローテンポのバラードでありながら、サビに向かって声域が一気に開く構成になっていると聴こえる。Aメロ・Bメロは比較的抑えた低めの音域で静かに進み、サビに入るとファルセットを交えた高い音域まで一息に跳躍する。この落差が、雪が静かに降り積もる情景から、一気に感情がこぼれ出すような効果を生んでいるように感じられる。楽曲分析を試みる記事の中には、サビの旋律がコードに対して9度の音を重ねることで、切なさや冷たさのニュアンスを表現しているといった指摘も見られ、単純な循環コードに頼らない作り込みがあることがうかがえる。
歌詞の言葉そのものを引用することは避けるが、雪が舞い落ちる情景と、隣にいる誰かのぬくもりを対比させるような構成は、旋律の温度感の変化とも呼応しているように聴こえる。冷たさを描く低い声域と、そこから解き放たれるように伸びる高音域のコントラストが、聴く者の記憶の中にある特定の冬の情景を呼び起こす仕掛けになっているのではないか。派手なビートやアレンジに頼らず、声の質感とメロディラインの起伏だけで聴き手を引き込もうとする作りは、まさに「楽曲だけで勝負したい」という当時の言葉と地続きにあるように思える。中島美嘉という歌い手の声そのものが持つ、少しかすれた質感と芯の強さがなければ、この構成は成立しなかっただろう。
アレンジの面でも、イントロやAメロでは楽器の数を絞り込み、ピアノや弦楽器の静かな音数で歌を支える構成になっていると聴こえる。派手なドラムやシンセの音圧で押すのではなく、余白を残したアレンジがボーカルの息づかいや細かな抑揚をそのまま浮かび上がらせているように感じられる。この余白の作り方こそが、タイアップという外的な装飾を借りなくても成立する曲だという当時の自信の裏づけになっているのではないか。曲が持つ静けさと、サビでの跳躍という緩急の設計そのものが、聴き手を飽きさせない仕掛けになっている。何度聴いても、サビに入る直前の一瞬の静寂に、毎回同じように引き込まれる。
家に流れていた冬の音
「雪の華」がヒットしていた頃、実家の茶の間でも自然とこの曲が流れていた記憶がある。誰かが意図してかけていたわけではなく、テレビの音楽番組や年末の特番の中で、繰り返し耳にしていたのだと思う。当時はまだ東京に出る前で、家族とともに過ごす年末年始の時間の中に、この曲があった。父や母がこの曲を特別に語ったわけではないが、コタツに入りながら聴くともなしに聴いていた旋律は、今も冬になると不思議なほど鮮明に蘇る。音楽というのは、意識して覚えようとしなくても、生活の背景音として体に染み込んでいくものなのだと、この曲を聴くたびに思う。
その後、東京で一人暮らしを始め、仕事に追われる日々の中でも、冬になると誰かがこの曲を口ずさんでいた。カラオケの定番として、忘年会の締めくくりとして、あるいは一人で聴く夜の時間の中で。土地を離れて暮らすようになって初めて、実家で何気なく流れていたその曲が、自分にとっての「冬の記憶の目印」になっていたことに気づいた。忙しさに追われて実家に帰る余裕がない年でも、街のスピーカーからこの曲が流れてくると、一瞬だけ磐田の家の匂いや、家族の顔がよみがえった。曲そのものは何も変わっていないのに、聴く自分の状況や距離によって、そこから立ち上がる記憶の質が少しずつ変わっていくのが不思議だった。
磐田に戻り、家族と再び近い距離で暮らすようになった今、雪の少ないこの土地で「雪の華」を聴くと、雪国の情景というより、あの頃の茶の間の空気そのものが思い出される。曲が描く景色と、自分が実際に生きてきた景色は必ずしも一致しないが、それでも記憶の中でひとつに溶け合っている。今では自分の子どもや、地域の家族の相談に乗る立場になり、誰かの家の中に流れているであろう当たり前の音楽の記憶について、以前より意識的に考えるようになった。特別な意味づけをしなくても、生活の中に静かに流れ続けているものが、後になって誰かの支えになることがある。「雪の華」は、自分にとってそういう曲のひとつだ。
磐田で聴き直す、削ぎ落とした先にあるもの
今、磐田で家や土地、家族の暮らしにまつわる相談を受ける仕事をしていると、「雪の華」が体現していたような矜持を思い出すことがある。CMというタイアップの後ろ盾があっても、それに頼りきらず、曲そのものの強度で人の記憶に残ろうとした姿勢。仕事も同じで、営業トークや見栄えの良い提案書よりも、実際にその土地や家をどう扱うか、家族の事情にどう向き合うかという中身そのものが、最終的には信頼を決めるのだと感じている。東京にいた頃は、会社の看板や周囲の環境に助けられている場面も多かった。地元に戻り、一つひとつの相談に向き合う中で、そうした後ろ盾を取り払った先に何が残るのかを、否応なく考えるようになった。
空き家の相談を受けるときも、相続で揉めた家族の話を聞くときも、最後にものを言うのは飾り立てた言葉ではなく、その場でどれだけ丁寧に向き合ったかという実感だけだ。派手な広告や紹介の連鎖に頼らずとも、一件一件の仕事の質が積み重なれば、いつか誰かの記憶に残る。それは「雪の華」がタイアップという後ろ盾を退けてもなお、20年以上聴かれ続けてきたことと、どこかで重なる話のように思える。土地や家というものは、一度きりの取引で終わるように見えて、その後もその家族の暮らしの中に長く残り続ける。だからこそ、その場限りの言葉で押し切るのではなく、後になって振り返ったときにも納得できるような向き合い方をしたいと思っている。
雪はいずれ溶けて消えるが、それでも降り積もる間だけは確かにそこにある。「雪の華」を聴くと、そういう儚さと、それでも何かを残そうとする意志の両方を思い出す。冬が来るたびにこの曲がまた静かに流れ始めるのは、消費されて忘れられることを拒んだ、あの我儘の結果なのかもしれない。楽曲だけで勝負したいという言葉は、一見すると強気な我儘に聞こえる。しかし、その根底にあるのは、飾りを取り払った自分自身をさらけ出すことへの覚悟だったのではないかと思う。磐田で仕事を続けながら、自分もまた、そういう覚悟を少しずつ積み重ねていきたいと感じている。