「Handcuffed(手錠をはめられた)」というタイトルは、一見すると不自由さや束縛を歌ったもののように聞こえます。けれどNulbarichのサウンドを通してこの言葉が鳴らされると、そこには単なる被害者の嘆きではない、もっと複雑な感情が宿ります。何かに縛られているという事実を受け入れながら、それでもその中で自分の心の在り方だけは自由でいようとする。あるいは、誰かとの関係性の中で、あえて自ら手を差し出して繋がれることを選んだという能動的な意味合いも読み取れます。不自由の中にある自由、束縛の中にある選択。この曲のグルーヴが持つ余裕は、そうした矛盾した感情を、力むことなく両立させています。
『H.O.T』が刻んだ、初期の熱量
「Handcuffed」は、2018年3月7日にリリースされたNulbarichの2ndアルバム『H.O.T』に収録されている楽曲です。同じアルバムに収められた「ain't on the map yet」とともに、まだ自分たちの立ち位置を探していた時期のバンドの、切実さと勢いの両方を伝える1曲です。デビューから間もない時期特有の、まだ何にも縛られていないはずなのに、それでも何かに囚われている感覚。矛盾するようですが、その両方が同時に存在する時期こそ、若いアーティストにとってもっとも創造的な瞬間なのかもしれません。
Nulbarichの音楽性は、洋楽的なR&B・ソウルの語法を、日本のポップスシーンに違和感なく持ち込んだ点に特徴があります。「Handcuffed」というタイトルも、日本語の感覚では出てきにくい、英語詞ならではの比喩表現です。不自由さを描くにも、湿った情念ではなく、乾いたグルーヴで表現する。このバランス感覚こそが、Nulbarichというバンドの個性そのものだと思います。
不自由の中の、選び取った自由
東京で働いていた頃、会社という組織に属することは、ある種の「手錠」でもありました。決められた時間に出社し、決められたルールに従い、自分の裁量では動かせないことがたくさんある。それでも、その枠組みの中で、どんな仕事の仕方をするか、誰とどう関わるかは、自分自身で選び取ることができました。完全な自由などどこにもないけれど、不自由の中にも選択の余地は必ずある。「Handcuffed」という曲を聴くと、その事実をあらためて思い出させられます。
結婚や家族という関係性も、ある意味では自ら望んで身につける手錠です。自由を手放すことで得られる安心感、繋がっているからこそ生まれる責任。それらを不自由だと嘆くのではなく、自分で選び取った形として引き受けること。この曲のタイトルが持つ両義性は、そうした人生の選択にも重なって聴こえます。
磐田で引き受ける、それぞれの手錠
磐田で家や土地の相談を受けていると、家族というつながりが、時に手錠のように感じられる場面に出会います。親の介護、実家の維持、相続の責任。それらは望んで背負ったものであっても、時に重く、自由を奪うもののように感じられることがあります。それでも、その手錠を外すのではなく、自分がなぜそれを引き受けたのかを思い出すことで、重さの感じ方が変わることがあります。
「Handcuffed」という曲は、不自由さを否定するのではなく、その中にある自分の選択を見つめ直すきっかけをくれます。完全な自由を求めるのではなく、繋がれていることの中にある意味を探すこと。この曲のグルーヴに身を委ねながら、そういう静かな受容の仕方を、私はいつも学ばせてもらっています。
ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、不自由の中で選び取ってきたものの記憶を読み直す場所です。
