ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=qOJs1JCymII
確認した動画: Nulbarich – Sweet and Sour (Official Music Video) [Radio Edit](Nulbarich本人公式チャンネル)

タイトルを最初に見たとき、大石浩之はまず酢豚を思い浮かべた。甘酢あんの中で、砂糖の甘さと酢の酸味がどちらも主張を譲らないまま、一つの皿として成立している料理。Nulbarichの「Sweet and Sour」も、聴いていると同じことが起きる。軽やかなグルーヴと、少し湿った翳りのようなものが、互いを打ち消し合わずに同じ時間の中で鳴り続けている。デビュー間もない時期に都市の孤独を歌い、自分たちのやり方を貫くと宣言してきたこのバンドが、テレビドラマのために書き下ろした一曲は、それまでとは違う温度を持っていた。声高な主張でも、若さゆえの不自由さの表現でもなく、もっと生活に近い場所に立っている曲だ。光石研が主演を務めたテレビ東京のドラマ「デザイナー 渋井直人の休日」のエンディングテーマとして生まれたこの曲を知ったとき、大石はちょうど50代に差しかかった頃で、休日というものの意味が、若い頃とはずいぶん違って感じられるようになっていた時期だった。仕事に追われて過ごしてきた東京での日々を経て、磐田に戻り、家や土地、家族の相談を受ける仕事に就いてから、休日は単純な解放の時間ではなくなっていた。楽しさの中に整理しきれない疲れが混じり、安らぎの中に来し方への小さな後悔が顔を出す。そういう甘さと酸っぱさが同時に存在する時間の質感を、この曲は最初に聴いたときからそのまま言い当てているように思えた。派手な救済も、重苦しい嘆きもない。ただ、大人になってから訪れる休日という時間の、両義的な手触りを、丁寧にすくい上げている曲だ。

大石セレクション:MVがいい ★★★★☆

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:曲とMVがともに★4で並ぶが、主視点にはMVがいいを選んだ。この曲を単体で聴くだけでは、軽やかなグルーヴの心地よさが先に立つ。ところが木村太一監督による公式MVは、物語やドラマ性で押し切るのではなく「偶然の景色」というテーマのもと、グラフィックを主体にした抽象的な映像で構成されており[5]、曲が内側に抱えている「甘さと酸っぱさの同居」という手触りを、言葉にする前に視覚として差し出してくる。音だけで完結する強さより、映像を通してはじめて曲の温度がはっきりする点を重く見て、MVがいいを主視点とした。

「渋井直人の休日」という、もう一つの当事者性

「Sweet and Sour」は、2019年2月6日にリリースされたNulbarichの3rdアルバム『Blank Envelope』に収録された楽曲で、テレビ東京の木曜ドラマ25枠「デザイナー 渋井直人の休日」のエンディングテーマとして書き下ろされた[1][2]。ドラマは渋谷直角による同名漫画を原作に、光石研が連続ドラマとして初めて単独主演を務めた作品で、2019年1月17日から深夜枠で放送が始まったと報じられている。中年の売れないデザイナーが、日々の小さな出来事の中に楽しみを見出しながら生きていく姿を、事件らしい事件もなく淡々と描く作品だったとされる。バンドのフロントマンであるJ.Qは楽曲提供にあたり「個人的にはかなり曲とドラマのコンセプトがドンハマりしてる気がしてて」とコメントを寄せていたと伝えられている[1]。この曲がNulbarichにとって初めてのドラマタイアップだったという点も、バンドの歩みの中では一つの節目だったのではないかと想像する。それまで都市に生きる者の葛藤や、自分たちのやり方を貫く宣言を鳴らしてきたグループが、他者の物語に寄り添う形で曲を書く。その経験自体が、曲の質感に何らかの変化をもたらしたのではないか。作曲にはJ.Qと山崎岳が、作詞にはJ.Qとライアン・オクタヴィアーノが名を連ねているとされ[4]、複数の書き手が関わったことも、この曲が一人称の独白に閉じず、聴き手それぞれの生活に開かれている理由の一つかもしれない。

「休日」という言葉は、この曲の性質をよく言い当てている。休日とは、仕事から解放される喜びと、いずれ平日に戻らなければならないという小さな憂鬱を、同時に抱えた時間だ。渋井直人という主人公の生き方も、劇的な成功や達成とは無縁のまま、それでも自分なりの満足を積み重ねていく静かなものだったと伝わっている。派手さのない日常を丁寧に描くドラマと、甘さと苦さを同居させたこの曲が、同じ番組の中で並んで流れていたことは、単なる企画上の偶然ではなく、両者が見つめていたものが最初から近かったからなのだろうと感じる。

大石がこの曲をあらためて聴き直したのは、ちょうど自分自身の働き方が変わった時期と重なっている。東京にいた頃は、休日という言葉に「達成」や「解放」といった強い意味を求めていた。何かを成し遂げた自分へのご褒美として休日を消費するような感覚があった。しかし、磐田に戻って家業を継ぎ、家や土地の相談という、明確な達成の基準を持ちにくい仕事に就いてから、休日の捉え方は少しずつ変わっていった。渋井直人という架空の人物が、大きな成功を求めずに日々の些細な喜びを積み重ねていく姿は、遠い誰かの物語であるはずなのに、なぜか身近に感じられる。この曲がドラマの世界観と響き合っていたと伝えられているのも、そうした「大きな物語を必要としない生き方」への共感が、当時すでに一定の広がりを持っていたからなのかもしれない。

甘さと酸っぱさを同時に鳴らすサウンド

音として聴くと、この曲はテンポこそ軽やかだが、コード進行やボーカルの節回しのそこかしこに、明るさだけでは片づかない揺らぎが仕込まれているように聴こえる。サビに向かうにつれて音数が増していく高揚感がありながら、その高揚感の裏側で、どこか一歩引いたような醒めた響きが常に鳴っている。この二層構造こそが、タイトルにある「甘い」と「酸っぱい」という、本来は相反する感覚を同じフレーズの中に共存させている仕掛けなのではないかと思う。J.Qのボーカルは、力任せに感情を押し出すタイプではなく、余白を残したまま淡々と歌う瞬間が多い。その抑制された歌い方が、聴き手それぞれの記憶や感情を曲の中に投影しやすくしているように感じられる。派手なアレンジで押し切るのではなく、グルーヴの気持ちよさと、歌詞の手前にある翳りを両立させたまま曲を運んでいく構成は、Nulbarichがそれまで培ってきたR&B・ソウル由来の語法が、ドラマ主題歌という文脈の中でさらに丁寧に磨かれた結果のように聴こえる。

収録アルバム『Blank Envelope』は、オリコン週間アルバムランキングで9位、Billboard JAPANのTop Album Salesでは7位に入ったとされている[4]。この曲単体のシングルとしての詳しい順位までは手元で確認できていないが、前作『H.O.T』でバンド初のトップ10入りを果たした流れを受けて発表されたアルバムであることを踏まえると、「Sweet and Sour」はバンドが着実に足場を固めていく時期に置かれた楽曲だったと言えそうだ。のちにこの曲は、任天堂のゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」の関連プロモーションにも用いられたと伝えられており[4]、ドラマという一つの文脈を離れても、幅広い場面で求められる曲になっていったことがうかがえる。派手なヒット曲としての語られ方より、暮らしのさまざまな場面にそっと寄り添う曲として選ばれ続けてきた印象を受ける。無人島でのんびりと日々を積み重ねていくあのゲームの空気感と、この曲が持つ「大きな出来事のない日常を肯定する」トーンは、たしかに近い場所にあるように感じられ、一つの曲が異なる文脈でも違和感なく受け入れられていったことの背景には、曲そのものが持つ懐の深さがあったのだろうと思う。

木村太一が撮った「偶然の景色」

この曲には公式ミュージックビデオが存在する。監督を務めたのは映像作家の木村太一で、「偶然の景色」というテーマのもと、実写のドラマ性で押し切るのではなく、グラフィックを主体にした抽象的な構成で作られていると伝えられている[5]。ドラマのエンディングという性質上、俳優が出演する実写パートを想像しがちだが、実際にはそうした具体的な物語を描くのではなく、色や形、図形の動きといった非人称的な要素で曲の空気を表現しているのが特徴だ。「偶然の景色」という言葉を手がかりに考えると、この映像は、誰か特定の主人公の物語を見せるためのものではなく、日常の中で不意に目に留まる、名前のつけようのない光景そのものを映し出そうとしているように思える。信号待ちの一瞬に見える空の色、電車の窓を流れていく街灯、通りすがりに耳に入った誰かの笑い声。そうした、意味づけられる前の断片的な景色を、グラフィックという抽象度の高い手法で拾い上げているのではないか。この手法は、曲が抱えている「甘さと酸っぱさの同居」というテーマと、驚くほど相性がいい。具体的な物語やキャラクターを設定してしまうと、その物語の感情に観る側は引っ張られてしまう。しかし、抽象的な色と形の連なりであれば、見る人それぞれが自分自身の休日の記憶を映像に重ねることができる。曲を聴くだけでは輪郭がぼんやりしていた「甘さと酸っぱさ」という感覚が、この映像を通すことで、不思議と自分の実感に近い形で像を結んでいく。派手な演出やストーリー性に頼らない分、映像としての強い印象を一度で残すタイプのMVではないかもしれない。けれど、繰り返し観るたびに、そのときどきの自分の気分によって、映る色や形の受け取り方が変わっていく。これは、ドラマ的な物語を持つMVにはない体験の仕方だ。曲そのものが持つ「聴くたびに違う手触りがある」という性質を、映像の抽象性がそのまま引き継いでいるように感じられる。公式MVがこうした形で存在すること自体、この曲がタイアップの枠を超えて、映像作品としても丁寧に扱われてきたことの証だろう。

50代の休日に見つけた、もう一つの豊かさ

東京で働いていた頃の休日は、平日の疲れをただ回復させるための時間か、あるいは何かを詰め込んで楽しむための時間か、そのどちらかしかなかった気がする。純粋な甘さだけを求めていたし、休日の終わりに感じる憂鬱は、できるだけ考えないようにしていた。磐田に戻り、家族の時間や土地の管理、親の世代からの荷物と向き合うようになってから、休日の質感は変わった。掃除をしながら過去の写真が出てきて手が止まる時間、家族と過ごす穏やかな時間の合間にふと仕事の懸案が頭をよぎる瞬間。甘さだけの休日というのは、実はもうほとんど存在しない。それでも、その混じり合った時間の方が、若い頃の単純な楽しさよりもずっと深く残るのだと、この曲を聴くたびに思う。この曲がドラマの中で主人公の生き方に寄り添っていたように、大人になってからの休日は、大きな出来事の有無ではなく、小さな甘さと酸っぱさをどう両方受け止めるかによって、その質が決まっていくのかもしれない。

若い頃は、酸っぱさを感じるとすぐにそれを取り除こうとしていた。嫌な記憶は忘れようとし、後悔は考えないようにし、なるべく甘い部分だけを残そうとする。けれど年齢を重ねるうちに、酸っぱさを取り除いた休日は、どこか味の薄いものになってしまうことに気づいた。仕事で頭を悩ませた懸案があるからこそ、家族とのささやかな時間がより濃く感じられる。土地の相談で気の重い話を聞いた翌日だからこそ、庭先で過ごす何気ない時間がありがたく思える。甘さと酸っぱさは、対立するものではなく、互いを引き立て合う関係にあるのだと、この曲を繰り返し聴くうちに実感するようになった。休日を、ただの息抜きではなく、平日の重さも含めて味わい尽くす時間として捉え直すこと。それが、50代になってからようやく手に入れた休日の楽しみ方なのかもしれない。

相続と空き家の相談の中にある、甘さと酸っぱさ

磐田で家や土地の相談を受けていると、話の中には決まって甘い記憶と酸っぱい後悔が同居している。実家で過ごした子ども時代の思い出を懐かしそうに語る人が、次の瞬間には、もっと早く親と向き合っておけばよかったという悔いを口にする。相続の手続きも、空き家の整理も、書類上は淡々と進む作業でありながら、その奥には必ずこうした感情の混じり合いがある。以前の自分は、相談を受けるとき、なるべく感情を切り分けて、事務的に整理することが誠実さだと思っていた。けれどこの曲を聴くようになってから、少し考え方が変わった。甘さと酸っぱさを無理に分けようとせず、両方をそのまま受け止めたうえで、それでも前に進む手続きを一緒に考える。そのほうが、相談者にとっても納得のいく結論に近づけるのではないかと感じるようになった。

仕事を離れた家の時間でも、同じことを思う。家族と過ごす穏やかな時間には、いつか訪れる別れの予感がわずかに混じっているし、老いていく親を見守る日々には、これまで積み重ねてきた感謝と、まだ言えていない言葉への焦りが同居している。土地を手放すという決断も、多くの場合、寂しさと安堵が同時にやってくる。手放すことでようやく前に進める人もいれば、手放したあとにしばらく心が定まらない人もいる。どちらの感情も否定せず、両方があって当然のものとして受け止める姿勢を、この仕事を続けるうちに少しずつ学んできた。Sweet and Sour、その両方をまとめて抱えたまま、軽やかに日々を歩いていくこと。この曲は、そういう大人の生き方の実感を、静かに肯定してくれる一曲になっている。

参考リンク

音楽が甘さと酸っぱさを同時に鳴らすように、家や土地にもまた、懐かしさと後悔が同居した記憶が残っています。

静岡県磐田市周辺で、相続した実家・空き家・土地建物の整理にお悩みの方は、富士ヶ丘サービスまでご相談ください。

書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。