ページ作成日: 2026年7月3日
元にしたYouTubeリンク: https://www.youtube.com/watch?v=uCyQZn-wQmQ
確認した動画: Nulbarich – Kiss You Back (Official Music Video)(Nulbarich本人公式チャンネル)

大石セレクション:MVがいい ★★★★☆

  • 曲がいい:★★★★☆
  • 歌詞がいい:★★★☆☆
  • MVがいい:★★★★☆

選定理由:曲とMVが同点になったが、主視点はMVに置いた。この曲がもし音だけで届けられていたら、爽やかな夏のグルーヴを持つ良曲として消費され、あとに残る印象はもっと薄かったはずだ。CMでは輝く女性として描かれた森星と対をなすように、公式MVでは「憧れる側」の視点があえて選ばれている[1]。この一段仕掛けられた視点の転換があったからこそ、聴き手は「見る側」の気持ちに引き込まれ、歌詞の余白が初めて意味を持つ。曲そのものの完成度も高いが、映像込みで出会って初めて、この曲の言いたいことが立体的にわかる。だからこそ、YouTubeで曲と再会する場であるATAWI MUSICでは、MVがいいを主視点として選んだ。

「Kiss You Back」のミュージックビデオを初めて見たとき、少し意外に思ったことを覚えています。この曲は資生堂の日焼け止めブランド「アネッサ」のCMソングとして生まれた楽曲で、CM映像では森星さんが輝く女性として描かれていました。ところがMVは、その輝く人を眺め、憧れるほうの視点で作られていたのです。CMと対照的な内容にする、という狙いがあったのだと後から知りました[出典1]。主役ではなく、主役を見つめる側。華やかさの中心にいる人ではなく、その光を受け取る人。この視点の置き方に、自分はなぜか強く惹かれました。というのも、自分自身、誰かの輝きを近くで見て、そこから何かを分けてもらう側に立つことのほうが、圧倒的に多い人生を送ってきたからです。もらった光を、そのままでは返せない。けれど、いつか同じだけのものを、違う形ででも返したい。そう思いながら生きてきた自分にとって、「見る側」から始まるこの曲の構造は、他人事ではありませんでした。輝く人を主役にした映像は世の中にたくさんありますが、その光を見つめている側の視線に焦点を当てた表現は、意外なほど少ないように思います。だからこそ、この曲に出会ったとき、自分がずっと言葉にできずにいた感覚に、名前をつけてもらえたような気がしました。人生の多くの場面で、自分は主役ではなく、誰かの輝きを見守る立場にいることのほうが多かった。そのことを恥じる必要はなく、むしろ見つめ続けてきた時間にこそ、意味があったのだと、この曲は静かに教えてくれます。

輝く人を見つめる側から生まれた曲

「Kiss You Back」は2018年5月16日にデジタルシングルとして配信され、その後2019年2月6日発売のアルバム『Blank Envelope』にも収録されました[出典2]。CMは同年3月から全国で放映が始まり、多くの人がこの曲をテレビの中で最初に耳にしたはずです[出典1]。けれどMVが公開されたのは、それより遅れて8月22日のことでした[出典3]。CM映像がまず先に世に出て、輝く人が描かれる。それを追いかけるようにMVが公開され、今度はその輝きに憧れるまなざしが描かれる。この時間差そのものが、まるで「受け取ってから、少し遅れて返す」という構造を、リリースの順番でなぞっているようにも聴こえます。CMソングというものは、本来ブランドのために作られる楽曲であり、主役は商品やタレントであって、楽曲そのものではないことが多いはずです。けれどこの曲は、CMという枠の中で終わらず、MVという独立した表現の場を与えられ、そこで初めて、曲そのものが持っていた視点を語ることができたのだと思います。

単発のタイアップソングとして消費されて終わるのではなく、アルバムの中にきちんと着地させたことも、この曲が持つ音楽的な強度を物語っています。夏の陽光を思わせる開放的なサウンドは、ブランドイメージに寄りかかるだけでなく、それ単体でも十分に成立する強さを持っていたのだと感じます。タイアップという形でまず広く届けられ、その後にアルバムという形でじっくりと聴かれる場所を得る。この曲の歩んできた道筋そのものが、何かを受け取ってから、時間をかけてそれにふさわしい形で返していく、という物語のように、自分には映ります。『Blank Envelope』というアルバムタイトルは、宛名の部分が空白のままの封筒、いわば「宛名のないラブレター」を意味しているのだと、JQ自身が語っています[出典5]。特定の誰かに向けてではなく、受け取った人それぞれの人生の中で、それぞれの意味を持って響いていけばいい。そうした思いが込められているのだとすれば、「Kiss You Back」という一曲が、聴く人によって全く違う「誰か」を思い浮かべながら聴かれてきたことにも、あらためて納得がいきます。

覆面性とグルーヴが生む距離感

Nulbarichはビートメーカー出身のJQを中心に、ジャズやヒップホップ、R&Bを基軸にしながらロックの要素も取り込んだサウンドを鳴らすバンドです[出典4]。英語と日本語を織り交ぜたバイリンガルなボーカルが、グルーヴィーなトラックの上を滑るように乗っていく。この曲でも、ビートに寄り添うように紡がれる歌声が、聴き手との間にちょうどよい距離感を作っているように聴こえます。近すぎず、遠すぎず。まさに「輝く人を、少し離れた場所から見つめる」というMVの構図と、サウンドの手触りが呼応しているように感じられます。派手に主張するのではなく、リズムに身を委ねながら少しずつ気持ちを高めていくような展開も、この曲の「見つめる側」の視点と重なって聴こえます。

顔を隠すことにあえて意味を持たせたわけではないとJQ自身が語っているように[出典4]、この距離感は狙って作られたものというより、自然に生まれた質感なのかもしれません。だからこそ、聴くたびに、押しつけがましさのない親密さを感じます。誰かとの間に一定の距離を保ちながらも、その人を見つめ続けること。近くにいなければ気持ちは伝わらないと思いがちですが、この曲を聴いていると、少し離れた場所からでも、光を受け取ることはできるのだと教えられているような気がします。むしろ、距離があるからこそ、相手の輝きがよく見える瞬間もあるのだと思います。

グルーヴという言葉には、リズムに身を委ねる心地よさという意味合いがあるように感じます。この曲を聴いていると、返そうとする気持ちを急いで形にするのではなく、ちょうどいいテンポで、少しずつ育てていけばいいのだと諭されているようにも聴こえます。誰かから何かを受け取ったとき、すぐに同じ分だけ返そうと焦ってしまうことがありますが、この曲のゆったりとした揺れの中には、その焦りをそっとほどいてくれるような余裕があるように思います。

ジャズやヒップホップを基盤にしたサウンドは、即興的でありながらも、どこか計算された余白を残しているようにも聴こえます。埋め尽くさない演奏、隙間を残したアレンジ。そうした音の作り方そのものが、「今すぐ全部を返さなくていい」という、この曲の持つ静かなメッセージと、自然に響き合っているように感じられます。

もらった光を、違う形で返す

東京で働いていた頃、自分より輝いて見える人たちの近くにいることが、正直なところ何度もありました。仕事で結果を出す人、場を明るくする人、迷わず前に進める人。そういう人たちから、意識せずとも何かを分けてもらっていたのだと、今振り返ると分かります。当時はそれをどう返せばいいのか分からず、ただ眺めているだけの自分に、もどかしさを感じることもありました。自分には同じような輝き方はできない。同じ舞台に立つことも、同じ結果を出すこともできない。そう思うたびに、受け取るだけの自分を、少し後ろめたく感じていたように思います。

けれど今振り返ると、あの頃見つめていた輝きのひとつひとつが、今の自分の中に、確かに残っているのだと分かります。すぐに形にできなかったからといって、何も受け取っていなかったわけではない。時間をかけて、少しずつ自分の中に染み込んでいったものが、今になってようやく、誰かに返せる形になろうとしているのかもしれません。振り返れば、あの頃の自分が受け取っていたのは、成果や評価そのものではなく、前を向いて進んでいく人の姿勢や、迷いを見せない立ち居振る舞いだったように思います。目に見えるものではなかったからこそ、返し方も、目に見えるものである必要はないのだと、今は思えます。

けれど「Kiss You Back」が描くのは、輝く人をただ羨むのではなく、いずれ自分も同じだけのものを返したいという、静かな決意のようなものです。もらったものを、もらった形のまま返す必要はない。違う形でいい。ただ、同じだけの重さで返したい。この曲を聴くと、そんな気持ちを思い出します。同じ形で返せないからといって、返すことをあきらめる必要はないのだと、今なら少しだけ分かります。見つめる側にいた時間があったからこそ、いつか自分が誰かにとっての光になれる瞬間が来るのかもしれません。何かを返すというのは、必ずしも大きな行為である必要はなく、日々の小さな振る舞いの積み重ねでも十分なのだと、この曲を聴きながら思うようになりました。

磐田の家と土地で、光を受け渡す

磐田に戻り、家や土地の相談を受ける仕事を続けていると、輝いて見える瞬間はむしろ自分の外側にあることに気づかされます。長年その土地を守ってきた人、家族のために家を手放す決断をした人、次の世代へ何かをつなごうとする人。そうした人たちの姿を近くで見せてもらうたびに、自分はまだ何も返せていないと感じることがあります。それでも、いただいた分だけ、いつか違う形ででも返していきたい。輝く人を見つめる側にいたこの曲の視点と、家族や土地を見守る仕事をしている今の自分の視点は、案外近いところにあるのかもしれません。相談に来る方の多くは、自分自身が主役だと思っていないことが多いように感じます。それでも話を聞かせてもらうと、その人にしか持てなかった時間の重みが、確かにそこにあるのだと気づかされます。

家という場所は、誰かが長い時間をかけて育ててきたものです。その土地に積み重なった時間や、家族が交わしてきた言葉を、そのまま引き継ぐことはできなくても、自分なりの形で次の人へ渡していくことはできる。仕事の中でそう感じる瞬間が、確かにあります。受け取った光を、そのまま抱え込むのではなく、次の誰かへ渡していくこと。「Kiss You Back」の爽やかなグルーヴを聴くたびに、そうした光の受け渡しの静かな連鎖を、あらためて思い出させてもらっています。誰かの輝きを見つめていた時間は、決して受け身なだけの時間ではなく、次に自分が誰かを照らすための、準備の時間だったのかもしれません。

家族との時間についても、同じことが言えるような気がします。子どもの頃に受け取った何気ない優しさを、自分がそのまま同じ形で返せるとは限りません。それでも、形を変えながら、少しずつ返していくことはできる。「Kiss You Back」というタイトルの軽やかさの奥に、そうした長い時間をかけた受け渡しの物語が隠れているように、今は感じています。

この曲を聴くたびに思い出すのは、自分が誰かの輝きをただ眺めていた、あの何気ない時間そのものです。焦って何かを返そうとしなくてもいい。見つめ続けた時間の分だけ、いつか自然に、ふさわしい形で返せる日が来る。磐田の土地に根を張るように、自分の中にもそうした時間が、静かに積み重なっていくのだと思います。

誰かの輝きを見つめ、そこから何かを受け取り、いつか違う形で誰かに返していく。この循環は、目に見える形で完結するとは限りません。それでも、自分がこの土地で続けてきたことの多くは、結局のところ、その循環のどこかに自分を置き続けることだったのかもしれないと、この曲を聴くたびに思うのです。