デビューして半年に満たない19歳の歌い手が、次のシングルのタイトルに選んだ言葉が「自分」だった。恋愛でも季節でもなく、ただ二文字の代名詞をそのまま曲名に据える。そう聞いただけで、この曲がただの新人歌手の一曲では終わらないだろうという予感がある。小谷美紗子「自分」は、1997年2月21日にリリースされた2ndシングルである。同じ日に発売された初のフルアルバム『PROFILE -too early to tell-』にも収録され、デビュー直後の彼女がどこへ向かおうとしていたのかを最も率直に示す一曲になっている。飾りの少ないピアノとアコースティックな響き、断定を避けたまま前に出てくる歌声、そして「自分」という一語に込められた、まだ何者でもない自分自身への率直な問いかけ。この記事では、公式サイトやオリコン、Wikipediaなど確認できる範囲の情報をもとに、この曲がどのようにして生まれ、どのような魅力を持っているのかを、曲・歌詞・MVという三つの角度から見つめ直していく。
デビュー半年、2ndシングルとしての「自分」
小谷美紗子は1976年11月4日、京都府宮津市の生まれである[1]。姉と兄の影響で幼少期からクラシックピアノを始め、13歳の頃には音楽大学の教授から個人レッスンを受けながら、本格的に作詞作曲に取り組むようになったと伝えられている[1]。高校3年生だった1994年にオーストラリアへ留学し、学業のかたわらでも音楽制作を続けていたという経歴も残っている[1]。1995年に現地の高校課程を修了して帰国したのち、姉の知人を介してデモテープが事務所スタッフの手に渡ったことがデビューのきっかけになったとされ、いわゆる王道のオーディションルートとは違う経路から音楽の世界に入った人であることがわかる[1]。1996年10月、19歳でシングル「嘆きの雪」によりMCAビクターからデビューした[1][3]。「自分」は、その4か月後の1997年2月21日にリリースされた2ndシングルで、規格品番はMVDD-49、カップリングには「Mother」が収録されている[2][4]。同じ日には初のフルアルバム『PROFILE -too early to tell-』も発売されており、新人としては早いペースでアルバムデビューまでたどり着いていることがわかる[5]。3月にはテレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』に出演したとも伝えられ、デビュー間もない時期にしてはメディア露出のペースも早かったことがうかがえる[1]。なお、この曲単体のオリコンチャート順位や売上枚数について、今回確認できた資料の範囲では具体的な数字までは特定できなかった。作詞・作曲者名についても、公式サイトやオリコンの当該ページには明確なクレジット表記が見当たらず、断定は避けておきたい。ただし、Wikipediaの記述にあるように、小谷美紗子はデビュー前から自身で作詞作曲を行ってきた人であり[1]、その意味でも「自分」というタイトルの選び方には、他人の言葉を借りずに自らの内面を歌にしてきた歩みが重なって見える。デビューして半年に満たないタイミングで、恋愛でも青春でもなく「自分」という抽象的な一語をそのままタイトルに据えたことは、当時の新人としてはかなり思い切った選択だったのではないかと思う。
『PROFILE -too early to tell-』が示す、留保つきの自画像
「自分」を収めたアルバム『PROFILE -too early to tell-』は、直訳すれば「判断するにはまだ早すぎる横顔」というほどの意味になる[5]。全10曲で構成され、デビューシングル「嘆きの雪」をはじめ、「見せかけ社会」「幸せなふり」といった、感情や状況をそのまま言葉にしたようなタイトルが並ぶ[5]。「自分」というタイトルも、その並びの中で浮くことなく馴染んでいる。19歳という年齢で、自分自身のプロフィールに「まだ判断するには早い」という留保をわざわざ書き添える感覚は、若さゆえの未完成さを恥じるのではなく、その未完成さをそのまま提示する潔さに近いように思える。デビューして半年というごく早い段階で、完成形ではなく「途中経過」をアルバムタイトルに掲げた例は、当時の新人アーティストの中でもやや珍しい部類に入るのではないだろうか。「自分」という曲がこのアルバムの中に置かれていることで、一曲だけを切り離して聴くよりも、アルバム全体が「まだ結論の出ていない自己像」というテーマで貫かれていることが見えてくる。完成された自己表現ではなく、進行形の不安定さそのものを作品として差し出した新人歌手がいたということ自体が、1997年という時代の一つの記録でもある。2016年、デビュー20周年を記念して発売された弾き語りベストアルバム『MONSTER』にも、この「自分」が4曲目として再録音の上で収録されている[6]。ピアノと歌だけのシンプルな編成で20年後にあらためて選び直されたということは、この曲が本人にとっても、キャリアの中で特別な位置を占め続けてきたことの表れだろう。デビュー直後の勢いの中で書かれた曲が、20年という時間を経てもなお歌い直す価値を持ち続けている。それは、この曲が単なる新人時代の通過点ではなく、彼女の作家性の起点として機能してきたことを示しているように思える。
断定しない歌声と、素直なピアノの進行
「自分」を音楽的に聴き直すと、メロディそのものは決して難解ではなく、むしろ素直な進行で書かれているように聴こえる。派手な転調や技巧的な仕掛けに頼らず、言葉を運ぶことを優先したアレンジになっている印象があり、ピアノを軸にした編成が、歌詞の切実さを覆い隠さずに前面へ出しているように感じられる。イントロも長く引き延ばされることなく、比較的早い段階で歌に入っていく構成になっており、そのぶん声そのものが持つ質感が、曲を聴き始めた瞬間から印象に残るように作られている。小谷美紗子の歌声は、力強く言い切るタイプではなく、揺れを含んだまま前に出てくるような質感があり、そこが「自分」というテーマと重なって聴こえる。答えを断定する声ではなく、確信のなさをそのまま声にのせて届けてくる。サビに向かって声量を張り上げるというよりも、抑制を保ったまま感情の密度を上げていくような歌い方に聴こえ、それが曲全体の静けさを壊さずに保っている理由の一つではないかと感じる。だからこそ、聴き手は説教されている感覚を持たずに、自分自身の輪郭の曖昧さをこの曲に重ねることができる。19歳という年齢で、完成された自己表現ではなく、揺らぎをそのまま音にできたことは、シンガーソングライターとしての早熟さを感じさせる部分でもある。ただ、曲の構成そのものに目を向けると、Aメロ・Bメロ・サビという流れは比較的オーソドックスで、間奏やアウトロに強い仕掛けがあるわけではない。あくまで歌詞を運ぶための器として機能することを優先した作りであり、曲単体の劇的な展開力という点では、突出した独自性を主張するタイプの楽曲ではない。それでも、ピアノの音数を絞り、声の揺れをそのまま活かした音作りは、この曲が二十代、三十代、あるいはそれ以上の年齢になっても色あせずに聴ける理由の一つになっているはずだ。
「自分」という一語が閉じない問い
この曲の歌詞を丸ごと引用することはしないが、そのかわりに、歌詞が向き合っている時間について考えてみたい。恋愛の歌でも、特定の誰かへ向けた歌でもなく、自分自身という存在そのものを見つめ直そうとする視点が、この曲の中心にある。19歳という年齢で、自己について歌うという行為は、答えを持っているから歌うのではなく、答えが定まらないからこそ言葉にせずにいられない、という切実さに近いのではないか。タイトルが「自分」というたった二文字であることも重要だ。もし曲名がもっと具体的な状況や感情を示す言葉だったなら、この曲はある特定の場面に結びついた歌として記憶されていただろう。しかし「自分」という抽象度の高い言葉を選んだことで、聴き手それぞれが、自分自身の状況をそこに重ねて聴くことができる余地が生まれている。これは狙われた仕掛けというより、結果としてそう機能しているのではないかと思う。同時期にリリースされたアルバム収録曲の「見せかけ社会」「幸せなふり」といったタイトルと並べて聴くと、当時の小谷美紗子が、社会的な建前や取り繕った感情に対して、一貫して懐疑的なまなざしを向けていたこともうかがえる[5]。「自分」はその中でも、外側の社会ではなく、内側の自己そのものに焦点を当てた曲として、アルバムの中で特別な位置を占めている。説明しすぎない言葉選びによって、この歌詞は特定の年代の悩みに限定されない広がりを持つ。十代の終わりに聴けば進路の迷いに重なり、社会に出てから聴けば仕事や役割への違和感に重なり、年齢を重ねてから聴けば、これまで積み重ねてきた自分と、まだ定まらない部分との間で揺れる感覚に重なる。そうした余白の豊かさこそが、この曲の歌詞が持つ最大の強さだろう。
公式MVが伝えるもの、伝えきれないもの
「自分」の公式ミュージックビデオは、YouTube上で本人名義により公開されている[7]。1997年当時の音源に沿った映像であり、当時のシングルリリースに合わせて制作されたことがうかがえる。ただし、今回確認できた範囲では、撮影の背景や演出意図についての公式なコメントや制作記事までは見つけられなかった。映像そのものについて言えば、物語性を強く押し出したドラマ仕立てのMVというよりは、歌う本人の姿を中心に据えた、比較的シンプルな作りの映像である。派手なカット割りや象徴的な色彩設計で曲の世界観を大きく広げるタイプの作品ではなく、あくまで音源が持つ静けさに寄り添うような映像になっている。これは決して欠点ではない。むしろ、断定を避けて揺れを歌う曲の性質を考えれば、映像側が説明過多にならないことは理にかなっているとも言える。ただし、大石セレクションにおける「MVがいい」という項目は、映像を見ることで曲の理解が大きく深まるか、音だけでは見えなかった世界が映像によって開かれるかを重視する。その観点で見たとき、この曲のMVは、歌声と歌詞の力を映像が大きく増幅しているとは言いにくい。公式MVが存在すること自体は評価に値するが、演出や物語性という点では控えめであり、星2つという評価にとどめておきたい。もし将来、当時の制作背景を語るインタビューなどが確認できれば、この評価は見直す余地があるだろう。今の時点では、曲と歌詞の強さを、映像がそっと支えている、という関係性として捉えておきたい。
参考リンク
- [1] 小谷美紗子 - Wikipedia
- [2] 自分 | 小谷美紗子 -odani misako- 公式サイト
- [3] 嘆きの雪 | 小谷美紗子 -odani misako- 公式サイト
- [4] 自分 | 小谷美紗子 | ORICON NEWS
- [5] Discography | 小谷美紗子 -odani misako- 公式サイト
- [6] 小谷美紗子の弾き語りベスト「MONSTER」ダイジェスト公開 - 音楽ナタリー
- [7] 小谷美紗子「自分」MUSIC VIDEO
「自分」という一語をそのまま曲名にした歌があるように、人にはそれぞれ、まだ言葉にしきれない自分自身の輪郭があります。
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