「Pretender」を最初に耳にしたのは、車のラジオだったと記憶しています。曲名も知らないまま、イントロのギターの響きに手が止まりました。当時、映画『コンフィデンスマンJP ロマンス編』の主題歌としてOfficial髭男dismが書き下ろしたこの曲は、2019年5月15日にシングルとして発売されています。制作サイドから「ザ・フーのイメージで」というリクエストがあったと、作詞作曲を手がけたボーカルの藤原聡さんはのちのインタビューで語っており、ザ・フーの「Won't Get Fooled Again」のイントロにあるシンセサイザーのフレーズが、この曲のギターのアプローチに取り入れられたとされています。仮タイトルは「グッバイロマンス」だったとも伝えられていて、それまでのファンクネスの強いポップな作風から、ミディアムバラードへと舵を切った転換点の曲だったようです。磐田で長く不動産や介護の仕事をしてきた自分にとって、若いバンドの一曲がここまで丁寧な経緯を経て世に出ていることを知るのは、単純に新鮮でした。
映画のスタッフとは台本の段階から何度もやり取りを重ね、曲を提示するたびに「キャッチーさのなかにビターな感じがあったほうがいい」といった具体的な意見が返ってきたと、藤原さんは振り返っています。丸投げではなく、作り手同士が言葉を交わしながら詰めていく過程があったということです。仕事柄、こちらも図面や見積もりを何度も直しながら形にしていく作業には馴染みがあります。音楽と不動産、扱うものはまるで違いますが、納得のいくものができるまで手を止めない姿勢には、どこか通じるものを感じました。
『コンフィデンスマンJP』とOfficial髭男dismの関係は、この一曲だけにとどまりません。同シリーズには別作品でも書き下ろし曲を提供しており、藤原さんは「この映画に出会わなかったら生まれなかった曲」だとインタビューで語っています。依頼を受けて作るタイアップ曲でありながら、後年まで残る代表曲になったという事実は、注文仕事と自己表現の境目が思っていたより曖昧であることを教えてくれます。自分の仕事でも、依頼主の条件に合わせて図面を描き直しているうちに、当初思っていたより良い形にたどり着くことがあります。制約は必ずしも作品を小さくするものではないのだと、この曲の成り立ちを知ってあらためて思いました。この記事では、その制作の経緯と、曲そのものが持つ音の作り、そして数字として残った記録を行き来しながら、自分の暮らしと重ねて書いておきたいと思います。
ラジオから流れてきた曲
イントロのギターが鳴った瞬間、これはただのバラードではないと直感しました。静かに始まりながら、どこかざらついた緊張感がある。あとで知ったことですが、あの質感はザ・フーのフレーズを下敷きにしているそうで、道理で聴き慣れたJ-POPのイントロとは手触りが違うわけだと、一人で納得したのを覚えています。当時は自宅から現場に向かう車中で、仕事の段取りを考えながら聴いていることが多かったのですが、この曲だけは考え事を中断させる力がありました。信号待ちで思わずボリュームを上げてしまい、後ろの車にクラクションを鳴らされたこともありました。
サビに入ると、声がすっと高いところまで伸びていきます。無理に張り上げている感じがなく、むしろ軽々と届いているように聴こえるのが不思議でした。あとで音楽好きの知人と話した際、この曲のサビはいわゆるカノン進行を土台にしているらしいと聞き、なるほどと思いました。カノン進行は昔から数え切れないほどの曲に使われてきた進行で、初めて聴いたはずなのにどこか懐かしいと感じたのは、そのせいだったのかもしれません。新しい響きの中に、聴き手がすでに知っている型がそっと仕込まれている。そう考えると、この曲の親しみやすさにも納得がいきます。
曲の背景を知ってから聴き直すと、あの緊張感の正体が少し違って聴こえてきます。ロックバンドが本来持っているエッジと、映画の主題歌としての親しみやすさとを、一つの曲の中で両立させようとした跡のように感じられるからです。ミディアムテンポで丁寧に音を重ねていく作りは、劇場のスクリーンで流れることを想定して調整されたものだったのかもしれません。実際、映画館でこの曲を初めて聴いたという人の話も後年よく耳にしました。ラジオで断片的に聴いた自分と、スクリーンでエンドロールとともに聴いた人とでは、同じ曲でも受け取った質感がまったく違っていたのだろうと想像します。
不思議なのは、何度聴き直しても飽きが来ないことです。若い頃に好きだった曲の多くは、繰り返し聴くうちにどこかで飽和して、しばらく遠ざかる時期がありました。ところがこの曲は、忙しい日の合間にふと流すたびに、聴きどころの位置が少しずつずれていく感じがあります。ある日はイントロのギターに耳が向き、別の日はサビの一瞬の転調のような響きに気を取られる。作りの層が厚いぶん、聴くたびに違う場所へ意識が向かうのではないかと、これは完全に自分の想像ですが、そんなふうに感じています。
難しいことを、難しく聴かせない
ピアノを少し齧っている姪に「Pretender」の譜面を見せてもらったことがあります。びっしり並んだコードの表記に驚きました。分数コードやテンションコードが随所に使われていて、素人目にも一筋縄ではいかない構成だとわかります。専門的に楽曲を解説している人たちの記事を読むと、Bメロにはクリシェ進行と呼ばれる、ベース音が半音ずつ滑らかに動いていく技法が使われ、サビに向けて音楽理論でいうテンション音を効果的に通っているという指摘もありました。ジャズの語法に近いコードが、ポップスの中に自然に溶け込んでいるということのようです。姪は「弾いてみると指がついていかない」と苦笑いしていましたが、それでも口ずさむのは簡単だと言っていたのが印象的でした。
それでも、聴いているこちらには難しさをまったく意識させません。むしろ耳に馴染みやすく、口ずさみやすい曲として届いてくる。これは相当に計算された仕事なのではないかと、素人ながらに思います。技術をひけらかすのではなく、技術を隠すために技術を使っている。そういう職人の手つきを、この曲からは感じます。磐田で古い家の改修を見てきた経験から言うと、本当にいい仕事というのは、仕上がりを見ただけでは苦労の跡が見えないものです。「Pretender」もまた、聴き終えたあとに難しさの痕跡をほとんど残さない曲でした。
ボーカルの歌い方にも同じことを感じます。音域の広さは相当なものだと言われていますが、藤原さんの声は低いところでは語りかけるように、高いところでは突き抜けるように、無理なく行き来しているように聴こえます。力んで声を張り上げているというより、体の芯から自然に音程が上がっていくような印象です。この歌い方があるからこそ、複雑なコードの上に乗るメロディが、難解にならずに済んでいるのではないかと思います。楽器の仕事も声の仕事も、聴き手に負荷をかけないための工夫が幾重にも重なっている。そう考えると、三分半ほどの曲の中に、随分と多くの手間が詰まっているものだと感心します。
記録として積み上がった曲
この曲がどれほど広く聴かれたかは、数字にもはっきり表れています。オリコンの週間ストリーミングランキングでは、2019年6月3日付から16週連続で首位を獲得し、男性アーティストとしての連続1位記録を更新したと報じられました。さらに集計期間を広げると、同ランキングで最長となる34週にわたって1位を守り続けたという記録も残っています。累積の再生回数についても、当時歴代1位だったAimerさんの「Marigold」を上回ったと伝えられ、その後も3億回、6億回、7億回と節目を重ね、2025年5月には累計10億回の再生を突破したとされています。オリコンの週間TOP50ランキングでは200週連続でランクインし、これは史上初の記録だったとも報じられています。
数字を並べるだけでは味気ないかもしれませんが、こういう記録は一人二人の熱狂では生まれません。何十万、何百万という人が、それぞれの生活の中でこの曲を選び続けた結果です。自分のように車のラジオで偶然出会った人もいれば、映画館のスクリーンで初めて耳にした人もいたはずです。人の生活に入り込む経路はさまざまでも、それが積み重なって一つの記録になっていく様子を数字で追うと、この曲が特定の世代や趣味の枠を越えて届いていたことがよくわかります。
16週連続や34週連続といった記録を見ていると、一過性の話題性だけでは説明がつかないと感じます。話題になった直後だけ聴かれて忘れられていく曲は、これまでにいくつも見てきました。「Pretender」がそうならなかったのは、リリースから何年も経った今も、結婚式の披露宴やカラオケの定番として選ばれ続けているからだと思います。流行の速度で消費される曲と、生活の節目に選ばれ続ける曲との違いは、たぶん紙一重ではありません。曲そのものの作りの丁寧さが、時間をかけて効いてくるのだろうと、数字を眺めながら思います。
渡していく側から見えるもの
この曲がヒットしていた頃、自分はちょうど親の代から続く土地や家の相談を数多く受けていた時期でした。誰かが積み上げてきたものを、次の世代にどう渡すか。壊すのか、直すのか、残すのか。そういう判断に日々向き合っていると、「Pretender」という曲自体が、ある種の受け渡しの物語のように聴こえてくることがあります。映画という枠の中で求められた曲でありながら、藤原さんたちは既存の作風を手放してまで新しい音を選んだ。守るべきものと、手放すべきものを見極める作業は、家や土地の相談と地続きのところがあるように感じます。
自分の子どもがこの曲をカラオケで歌っているのを聴いたとき、あの複雑なコードの上を、迷いなく声が伸びていくのを見て、少し驚きました。理屈を知らなくても、体で受け止められる曲になっているということなのだと思います。作り手が積み重ねた緻密な設計と、聴き手が何も考えずに口ずさめる気安さ。その両方が同居しているところに、この曲が長く聴かれ続けている理由があるのではないかと、今は考えています。
磐田の家で、亡くなった父の遺品を整理していたときにも、ふとこの曲が頭の中で鳴ったことがありました。手放すものと残すものを一つひとつ選び分ける作業は、思っていたより静かで、感傷に浸る余裕もないくらい淡々としたものでした。それでも作業の合間、車のラジオから流れてきたこの曲を聴いて、少し息をつけた記憶があります。若い世代が作った曲に、自分のような年齢の人間が救われる場面があるというのは、考えてみれば当たり前のことなのかもしれません。技術は年々更新されていきますが、人の心に届く仕組みそのものは、案外変わらないのだろうと思います。次の世代が作った曲を、こちらが受け取り、また次へ渡していく。「Pretender」は、そういう循環の中にある一曲として、これからも自分の記憶に残り続けるはずです。
参考リンク
- Official髭男dism『Pretender』インタビュー 研究と向上心を欠かさない4人が作る"最高の音楽" - Real Sound
- Official髭男dismが語る拘りの楽曲制作 - ORICON NEWS
- Official髭男dism、「Pretender」ヒットは予想外 - マイナビニュース
- Pretender (Official髭男dismの曲) - Wikipedia
- Official髭男dism「Pretender」、ストリーミング再生回数が歴代1位 - ORICON NEWS
- Official髭男dism「Pretender」、オリコン史上初の200週連続TOP50入り - ORICON NEWS
- 「Pretender」が史上最速で1億回再生突破! - Billboard JAPAN
- Official髭男dism「Pretender」ストリーミング累計7億回再生突破 - Billboard JAPAN
- Official髭男dism「Pretender」が大ヒットした理由とは?音楽理論的にコード進行分析してみた - Jpop分析ブログ
- Pretender|コード進行とコード進行分析|Official髭男dism - 音楽理論はいらない!?