3週間に満たない期間で仕上げられた曲だという。そう知ったとき、私はすぐには信じられなかった。「ノーダウト」が持つあの構築の緻密さ、聴くほどに層が見えてくる作りの深さは、もっと長い時間をかけて彫琢されたもののように思えたからだ。だが調べていくと、この曲がまとっている性急さにも似た推進力そのものが、実は短い制作期間と無関係ではないのかもしれないと思うようになった。迷っている暇がなかったからこそ生まれた確信、とでも言うべきものが、この曲の芯には流れている気がする。「ノーダウト」というタイトルの、疑いの余地なく前へ進むという意志は、単純な威勢の良さではなく、限られた時間の中で選び取られた言葉と音の積み重ねが裏打ちする、知的な確信として響いてくる。私はこの曲を、東京で働いていた時期の記憶と、磐田に戻って土地や家の相談を受けるようになってからの日々の両方に重ねて聴いてきた。決断の速さが問われる場面ほど、その決断を支える論理の質が試されるということを、この曲は静かに教えてくれる。東京にいた頃、私は資料の完成度を上げようとして、かえって時間を浪費することが何度もあった。考える時間が長ければ長いほど良い答えにたどり着けるとどこかで信じていたからだ。だが実際には、締め切りという制約の中でしか見えてこない優先順位というものがある。「ノーダウト」を聴くたびに、あの頃の自分がまだ気づいていなかった感覚を、遅ればせながら教えられているような気持ちになる。
ゲリラリリースという賭け
「ノーダウト」は、Official髭男dismのメジャーデビューシングルとして2018年4月11日にポニーキャニオンからリリースされた(出典: Wikipedia「ノーダウト」)。発売前日の4月10日、渋谷でのスペシャルフリーライブでメジャーデビューそのものが発表されるという、事前の告知をほとんど経ないゲリラ的な形式が取られたと伝えられている。1stアルバム『エスカパレード』にも収録され、シングルとアルバムが同日に世に出た。フジテレビ系月9ドラマ『コンフィデンスマンJP』の主題歌として書き下ろされ、同枠のドラマ主題歌をインディーズ時代のアーティストが担当するのは史上初のことだったという(前掲Wikipedia)。無名に近いバンドが、告知の定石すら踏まずに全国区のドラマ主題歌へ躍り出る。その組み合わせ自体が、ある種の賭けだったのだろうと思う。ドラマ制作陣とバンドの間では、台本の段階から幾度も打ち合わせが重ねられ、提示した楽曲に対して「キャッチーさの中に、少しビターな感じがあったほうがいい」といった具体的なやり取りが交わされていたとも伝えられている(参照: ORICON NEWS「Official髭男dismが語る拘りの楽曲制作」)。投げっぱなしの発注ではなく、双方が言葉を交わしながら詰めていった制作過程だったことがうかがえる。派手な演出の裏側に、意外なほど地道なすり合わせの積み重ねがあったという事実は、この曲の持つ説得力の出どころを考えるうえで無視できない。私はこの逸話を知ってから、仕事における「任せる」という行為の意味を考え直すようになった。丸投げと信頼は違う。相手の力量を認めたうえで、それでも具体的な言葉を交わし続けることが、結局は一番遠回りに見えて一番確かな近道になる。家や土地の相談でも、こちらの判断をただ提示するだけでは、相手の納得にはつながらない。何度もやり取りを重ね、細部を詰めていく過程そのものが、最終的な決断の重みを支えている。ゲリラリリースという派手な形式の裏に、そうした地道な積み重ねがあったことを知ると、この曲の持つ説得力の正体が、少し違って見えてくる。
3週間で研がれた言葉
作詞作曲を手掛けた藤原聡は、ドラマ制作陣から「月9らしさよりも、ドラマの世界観とバンドの持ち味を融合させてほしい」という依頼を受け、完成までおよそ3週間という短い期間で書き上げたと伝えられている(前掲Wikipedia)。ある評では、メロディアスなイントロと、危うさを感じさせる言葉選び、色香を帯びたボーカルの組み合わせが特徴として挙げられており、ドラマの映像と重ねて聴くことでより深く響く曲だとも評されている(参照: うたてん「コンフィデンスマンJPの主題歌」)。私にはこの曲が、迷いを削ぎ落として最短距離で言葉を選び抜いた結果の緊張感を持っているように聴こえる。時間が足りないという制約は、時に人を甘くさせるのではなく、むしろ本質だけを残す方向に働くことがある。東京の職場で締め切りに追われながら資料を作っていた頃、選択肢が絞られるほど、逆に判断の軸がはっきりしてくる感覚を味わったことがある。それに近いものを、この曲の骨格から感じる。危うさとセクシーさが同居しているという評は、単に色気を狙った演出というよりも、詐欺師たちの駆け引きを描くドラマの世界観に寄り添うための、計算された選択だったのではないかとも思う。安易な正義感や単純な高揚感ではなく、際どいバランスの上に成り立つ緊張感こそが、このドラマにふさわしい手触りだったのだろう。藤原聡自身の言葉として、まずループするフレーズを作り、そこに乗るコード進行とメロディーを、通常の曲の頭からではなくサビから組み立てていったという趣旨の制作手法が語られている(参照: キーボード・マガジン2018年SUMMER号インタビュー)。結論となる部分を先に見据えてから、そこへ至る道筋を丁寧に敷き直していく作り方。それは、土地の相続や名義整理の相談を受けるときに、まず着地点を思い描いてから、そこへたどり着くための手続きを一つひとつ確認していく私自身の仕事の進め方とも、どこか重なって見える。
数字が語る、静かな伸び
「ノーダウト」は発売当初こそ大きな爆発力を示したわけではなかったようで、オリコン週間チャートでは51位という記録が伝えられている(前掲Wikipedia)。だがその後、Billboard JAPANのHot 100では2019年9月に週間最高位11位を記録し、同年のStreaming Songsチャートでは週間最高位3位まで上昇したとされる(前掲Wikipedia)。年間チャートでもHot 100総合17位、Streaming Songs部門で7位に入ったという報告がある(前掲Wikipedia)。ストリーミング累計再生回数は2020年に1億回、2022年8月には3億回を突破したと伝えられており(前掲Wikipedia)、発売直後の一過性のヒットではなく、年単位で聴かれ続けることで数字を積み上げてきた曲であることがうかがえる。派手な初速ではなく、じわじわと広がっていく成長曲線。それは、磐田で家や土地の相談を受ける仕事のあり方とどこか似ている。即決を迫るのではなく、時間をかけて信頼が積み重なっていくことで、ようやく本当の評価が定まる。そういう仕事の感触を、この曲のチャート推移は思い出させてくれる。オリコンの初動が51位にとどまっていたという事実を知ったとき、私は少し安心したのを覚えている。世に出てすぐに評価されるものだけが価値を持つわけではない。むしろ、じっくりと時間をかけて広がっていったものの方が、根の張り方が深いのではないかと、この曲の軌跡を追いながら考えるようになった。発売から1年以上を経てストリーミングの数字が上向いていったという時系列は、ドラマの再放送や特別編、あるいは口コミといった、目には見えにくい積み重ねが背後にあったことをうかがわせる。誰か一人の強い後押しではなく、無数の小さなきっかけが折り重なって、ゆっくりと評価が固まっていく。土地や家という資産も、似たような時間軸で動くものだと、この仕事を続けるうちに実感するようになった。一度の説明で全てが決まることは少なく、何度もやり取りを重ねる中で、少しずつ相手の中に納得が積もっていく。数字の推移というそっけない記録の中に、そうした人の営みの気配を読み取れるのが、この曲を追いかける楽しみのひとつでもある。
迷わないことと、考え抜くこと
「ノーダウト」というタイトルの語感には、疑いを持たずに進むという潔さがある。だが私がこの曲を聴くたびに感じるのは、その潔さが思考停止の裏返しではなく、むしろ限られた時間の中で考え抜いた末にたどり着いた確信だということだ。家族と暮らす磐田の家で、土地の相続や名義の整理といった相談を受けるとき、答えを急かされる場面は少なくない。そこで大切なのは、早さそのものではなく、早さを支えるだけの検討を事前に済ませておくことだと、この仕事を続けるうちに学んだ。「ノーダウト」が3週間という制作期間の中で研ぎ澄まされていったように、迷いのなさというのは、往々にして省略の結果ではなく、凝縮の結果なのだと思う。ドラマの主題歌として生まれ、月9史上初という肩書きを背負いながらも、この曲が消費されずに聴かれ続けてきたのは、その凝縮された確信が、時間の経過に耐える強度を持っていたからではないだろうか。土地というものは、家族の歴史や記憶が幾重にも積み重なった場所であり、そこにまつわる決断を急かすことは本来なじまない。それでも決めなければならない瞬間は必ず訪れる。そのとき、迷いなく前を向けるかどうかは、それまでにどれだけ丁寧に考え抜いてきたかにかかっている。この曲を聴くと、私は毎回そのことを思い出す。
記憶の中で鳴り続ける曲
磐田に戻ってから、東京で過ごした日々をふと思い出す瞬間がある。忙しさに追われながらも、限られた時間の中で最善の判断を積み重ねていた頃の自分と、今、家族と共に土地や家という、時間をかけてじっくり向き合うべき対象に取り組んでいる自分とは、一見すると対照的に見える。だが「ノーダウト」という曲は、そのふたつの時間の感覚を、不思議なほど自然に橋渡ししてくれる。速さの中にこそ本質を見出す瞬間があり、遅さの中にこそ確かな価値が育つ場面がある。どちらも否定せず、両方を抱えたまま生きていくことの難しさと豊かさを、この曲の持つ知的な手触りは思い出させてくれる。史上初という肩書きを背負い、短い制作期間を経て世に出たこの曲が、発売から年月を重ねてなお静かに再生回数を伸ばし続けているという事実は、瞬発力と持続力が決して矛盾しないことの証のように、私には聴こえる。家業を継ぐような形で磐田に戻り、土地や家の相談に関わるようになってから、自分の中で時間の物差しが少しずつ変わっていったのを感じる。東京にいた頃は、一日、一週間という単位で成果を測ることが当たり前だった。だが土地や家族の問題は、数年、時には数十年という単位で動く。その物差しの違いに最初は戸惑ったが、「ノーダウト」という曲を通じて、瞬発力と持続力は対立するものではなく、質の異なる同じ一つの確信の表れ方に過ぎないのだと考えられるようになった。短い時間で研ぎ澄まされた言葉が、長い年月をかけて多くの人に届いていく。そのこと自体が、この曲の存在をもって証明されているように思う。