アルバムの最後に何を置くか。そこには、その作品を作った人たちが、聴き手にどんな気持ちで日常へ帰ってほしいかという願いが表れるのだと思います。Official髭男dismの1stフルアルバム『エスカパレード』を最後まで聴いたとき、13曲目に流れてくる「発明家」に、私はそういう手触りを感じました。景気のいいメロディでも、ドラマチックな盛り上がりでもない。むしろ静かに、けれど確かな足取りで、聴き手の背中を押してくる曲です。私がこの曲に出会ったのは、東京で働いていた頃、深夜に一人で仕事の資料を作っていた時間でした。当時の自分は、何かを発明するような立場にはとても思えず、ただ与えられた仕事をこなす日々を送っていたように思います。それでも、この曲のタイトルと、そこに流れる穏やかな決意のようなものは、なぜか記憶の奥に残り続けました。
アルバムの締めくくりに選ばれた一曲
「発明家」は、Official髭男dismの1stフルアルバム『エスカパレード』(2018年4月11日発売)に収録された楽曲で、全13曲中の最後、13曲目に置かれています[1]。このアルバムには、フジテレビ系月9ドラマ『コンフィデンスマンJP』の主題歌となった「ノーダウト」をはじめ、バンドの初期を代表する楽曲が並んでおり、アルバム自体もオリコン週間アルバムランキングで15位を記録しました[1]。作詞・作曲はボーカルの藤原聡によるもので、これはアルバムの他の楽曲と同様です[1][2]。「発明家」というタイトルの曲を、あえてアルバムの最後、しかも派手なアンセムやバラードではなくこの曲を選んで締めくくったという構成そのものに、作り手の意図を感じます。
藤原聡は、この曲について、過去の偉大な発明家たちにも悩みや苦しい日々があり、そうした日々を乗り越えることで人はより良い未来を作ってきたという趣旨の思いを語っていると伝えられています。そして、アルバムの最後に置くことで、聴き手の背中を押し、新しい章を歩き出してもらうための曲にしたかったという考えがあったようです[3]。1曲だけを単体で聴いても伝わるメッセージですが、アルバムという一つの物語の締めくくりとして置かれていることを知ると、この曲の役割がより立体的に見えてきます。始まりの曲ではなく、終わりの曲として「発明」という前向きな言葉を置く。そこには、これから始まる何かへの期待だけでなく、ここまで歩いてきた日々そのものへの肯定が込められているように感じます。
静かな高揚感を積み上げる曲の設計
「発明家」を音楽としてあらためて聴き直すと、イントロから曲全体の温度感を丁寧に作っている印象を受けます。派手に始まるのではなく、少しずつ音数を足しながら、聴き手の呼吸に寄り添うように立ち上がっていく。Aメロは抑えた歌い方で始まり、Bメロで少しずつ感情の温度が上がり、サビでは声を張り上げるというよりも、じんわりと広がるような形で解放される。この温度の上げ方の丁寧さは、Official髭男dismというバンドの持ち味の一つだと思います。ピアノやギターの音数は決して多くなく、むしろ引き算の美学が感じられる場面が多いのも特徴です。音を詰め込んで盛り上げるのではなく、必要な音だけを残して、言葉が届く隙間を作っている。だからこそ、歌詞の一言一言が埋もれずに耳に入ってくるのだと思います。ラスサビに向けて楽器の音数がわずかに増え、コーラスが重なる場面では、これまで積み上げてきた静けさが一気に開放される瞬間があり、そこに向かう構成の巧みさは、何度聴いても飽きさせません。イヤホンで聴くと、ドラムの刻みが控えめでありながら曲全体をしっかり支えていることに気づきます。派手な仕掛けはないのに、聴き終えたあとに温かい余韻が残る。それは、曲全体が「盛り上げる」ことよりも「寄り添う」ことを目的に作られているからだと思います。
「発明家」という言葉が開く、歌詞の広がり
歌詞をそのまま書き写すことはしませんが、この曲が向けている視線については触れておきたいと思います。「発明家」という言葉は、本来であれば、白衣を着た偉人や、教科書に載るような特別な人物を思い浮かべさせる言葉です。しかしこの曲は、その言葉を、もっと身近な場所に引き寄せているように聴こえます。うまくいかない日々の中で、それでも小さな工夫を重ねて前に進もうとする人。失敗を繰り返しながら、自分なりのやり方を見つけようとする人。そうした姿こそが、この曲でいう「発明家」なのだと受け取れます。特別な才能や大きな発見の話ではなく、日常の中の試行錯誤そのものを「発明」と呼び直す視点に、この歌詞の強さがあると思います。悩んだ日、うまくいかなかった日、恥ずかしい失敗をした日。それらを否定せずに、次の一歩のための材料として肯定し直す言葉の運び方は、聴く人の年齢や置かれた状況によって、響く場所が変わってくるように感じます。10代で聴いたときと、何かに行き詰まった大人になってから聴いたときとでは、同じ言葉でも受け取り方がまったく違うのではないでしょうか。説明しすぎず、それでいて誰の生活にも重ね合わせられる余白がある。そこに、この曲の歌詞としての完成度の高さがあると思います。
公式MVについて確認できたこと
今回、この記事を書くにあたって「発明家」の公式ミュージックビデオの有無を調べましたが、調査の範囲では公式チャンネルに公開されているのはOfficial Audio(音源に静止画やシンプルなアートワークを添えた動画)のみで、ストーリー性を持った公式MVは確認できませんでした。YouTube上には歌詞動画やドラム演奏動画などファンや第三者による関連コンテンツはいくつか見つかりましたが、いずれも公式のミュージックビデオとは異なるものです。そのため、この記事では公式Audioを基準に「MVがいい」の評価を原則どおり低く置いています。もし今後、公式のミュージックビデオが公開された場合には、あらためて映像表現も含めた評価を見直したいと思います。ただ、映像がない分、この曲は音と言葉だけで届く強さを持っている曲だとも言えます。映像に頼らずに、これだけの余韻を残せるというのは、それ自体が一つの評価軸になるのではないでしょうか。
磐田で出会う、小さな発明家たちのこと
私は東京で会社員として働いていた時期があり、その後、磐田に戻って介護と不動産の仕事を始めました。特に大きな才能があったわけではなく、正直に言えば、何かを発明するような立場とは程遠いところにいた人間だと思っています。それでも、実家の片づけや空き家の相談に来られる方々と話していると、誰もがそれぞれのやり方で、自分の生活を少しずつ工夫しながら乗り越えてきたのだと気づかされる瞬間が何度もあります。親から受け継いだ家をどう手放すか、あるいはどう活かすか。正解のない問いに対して、その人なりの答えを見つけようとする姿は、まさにこの曲でいう「発明」に近いものだと思います。介護の現場でも同じです。決まったマニュアルどおりにはいかない毎日の中で、ご家族が試行錯誤しながら、その人に合った関わり方を見つけていく。私はその過程に立ち会うたびに、大げさな言い方かもしれませんが、この曲のことを思い出します。うまくいかない日があってもいい。恥ずかしい失敗があってもいい。それでも歩みを止めずに、自分なりのやり方を探し続けている人は、みんな小さな発明家なのだと、この曲は静かに肯定してくれているように感じます。
参考リンク
- [1] エスカパレード - Wikipedia
- [2] DISCOGRAPHY - Official髭男dismオフィシャルホームページ
- [3] エスカパレード | Official髭男dism | ORICON NEWS
- [4] Official髭男dism - 発明家[Official Audio] - YouTube
うまくいかない日々の試行錯誤もまた、次の一歩のための発明です。家や土地の整理も、その人なりのやり方を見つける過程だと思います。
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