ページ作成日: 2026年7月5日
元にしたYouTubeリンク: https://youtu.be/rzfLx6TVCv0
確認した動画: 「プリンセス プリンセス 『M』」(プリンセス プリンセス公式YouTubeチャンネル投稿)。1989年当時のプロモーション映像やライブ映像とは異なり、楽曲を紹介する形での投稿と見られ、いわゆる物語仕立ての公式ミュージックビデオではない。

プリンセス プリンセスの「M」は、はじめから主役として世に出た曲ではなかったと伝えられます[1]。1988年11月21日発売のアルバム『LET'S GET CRAZY』に収録されたのち[2]、翌1989年4月21日のシングル「Diamonds」のカップリング曲として、あらためて多くの人の耳に届いた曲です[1][2]。表題曲ではなく、いわば付随する一曲として世に出たものが、時間をかけて多くの人の記憶の芯に居座っていく。そのことを知ってからこの曲を聴き直すと、印象が少し変わります。子供のころの自分は、テレビやラジオから流れてくる「M」を、ただ有名なバラードとして耳に入れていたのだと思います。けれど、この曲がどういう経緯でここまで残ったのかを知ると、曲の中の静けさの意味が違って聴こえてきます。目立つ場所に立ちたくて作られたのではなく、誰かの記憶の奥にそっと置かれるために作られたような曲。磐田で仕事をしながら、家や土地や家族の相談に日々触れていると、目立たない場所にこそ長く残るものがあると感じる場面が多くあります。表舞台の華やかさよりも、静かに積み重なる時間のほうが、結局は人の生活を支えている。「M」という曲の来歴は、そのことを音楽の側から教えてくれるような気がします。仕事で東京から磐田に戻り、日々の生活の中で家や土地や家族の話に向き合うようになってから、自分の中で「主役」という言葉の意味が少しずつ変わってきました。表に立って評価されるものだけが価値を持つのではなく、誰かのそばに静かに寄り添い続けたものが、あとになって一番深く記憶に残る。「M」を聴き直すことは、そういう価値の順番を、もう一度自分の中で確かめ直す時間でもあります。

大石セレクション:曲がいい ★★★★★

  • 曲がいい:★★★★★
  • 歌詞がいい:★★★★☆
  • MVがいい:★★☆☆☆

選定理由:「M」はロック色の強いバンドの中で、バラード調であるがゆえに一時は収録を見送られかけたと伝えられています[3]。それでも残った曲が、レコチョクのユーザー投票による名曲ランキングで1位を獲得し[6]、複数のファン投票企画でも繰り返し代表曲の首位に挙げられてきました。奥居香が書いたメロディの抑制と解放のバランス、静かに始まって少しずつ温度を上げていく構成は、歌詞やタイトルの背景を知らずに聴いても人を立ち止まらせる強さを持っています。歌詞のイニシャルという仕掛けも見事ですが、曲としての普遍的な支持のされ方――発売から四半世紀以上を経ても新しい世代に選ばれ続けている実績――を踏まえ、主視点は曲がいいに置きました。今回確認した動画は物語性を持つ公式MVというより楽曲そのものを伝える投稿であり、MVがいいは低めの評価にとどめています。

ボツになりかけた一曲が、代表曲になるまで

「M」は富田京子が作詞し、奥居香が曲をつけた曲だと伝えられています[5]。もとは富田自身の実体験、イニシャル"M"の人物との恋愛と別れをめぐる感情が言葉の出発点にあったとされ、失恋した富田が奥居の家を訪ね、酒を飲みながら泣いていたところ、奥居が「悔しい思いを詞に書きなよ、いい曲をつけてあげるから」と背中を押し、そこにメロディをつけたという制作エピソードが伝えられています[3]。誰かの痛みを、近くにいた人がすくい上げて曲にする。そういう成り立ちを知ると、この曲がなぜこれほど個人的な質感を持つのか、少しわかる気がします。悲しみをひとりで抱え込ませず、言葉にすることを勧め、そこに寄り添う形で音をつける。その関係のあり方自体が、すでにひとつの支え合いだったのだと思います。

興味深いのは、この曲がバラード調であるという理由で、一時は収録を見送られかけたと伝えられている点です[3]。当時のプリンセス プリンセスはロック色の強いバンドとして評価されており、静かな曲は方向性からずれると考えられたのかもしれません。それでもスタッフの反対によって収録は覆り、結果として「M」はバンドの代表曲のひとつとして数えられるようになりました[2]。世に出す側の判断だけでは測れない価値が、曲の中には残っていたということだと思います。仕事をしていても、これは効率が悪い、これは表に出す必要がないと判断しかけたものが、あとになって一番大事だったと気づく瞬間があります。家の片づけや相続の相談を受けていると、一度は処分の対象にされかけた古い写真や手紙が、結局は家族にとって一番の宝物だったという場面に出会うことがあります。「M」という曲の成り立ちには、そういう、価値が最初から見えていたわけではないものの重みを感じます。

もし当時の判断がそのまま通っていたら、「M」は世に出ないままだったかもしれません。そう考えると、この曲を今聴けていること自体が、いくつかの偶然や、誰かの反対や、誰かの後押しの積み重ねの上にあるのだとわかります。音楽に限らず、残るものというのは、最初から残る予定で作られているわけではないのだと思います。誰かがその場に踏みとどまり、これは違うと声を上げたことで、結果としてかけがえのないものが残った。土地や家の相続の現場でも、家族の誰か一人が「これだけは処分しないでほしい」と言ったことで守られたものが、何十年もあとに孫や曾孫の代の心を動かすことがあります。「M」の背景にあるこの逸話は、そうした、名もなき判断の積み重ねの尊さを思い出させてくれます。

看板曲の陰にいながら、一番票を集めた曲

「Diamonds」は1989年4月21日にリリースされ[1]、その年の年間シングルセールスで1位となり、プリンセス プリンセスのシングルの中で唯一ミリオンセラーに達した曲と伝えられています[1]。バンドにとって最大のヒットの陰に、カップリング曲として「M」は置かれていました。表側の看板を背負っていたのは「Diamonds」であり、「M」はあくまでその隣に添えられた曲だったはずです。それでも時間が経つにつれて、多くのファン投票やランキング企画で「M」がバンドの代表曲の1位に選ばれる場面が繰り返し見られるようになったといいます[6]。表題曲でなかった曲が、結果として一番深く記憶に残る曲になる。この逆転のような現象は、ヒットチャートの数字だけでは説明しきれないものを感じさせます。発売した瞬間の勢いだけで測れば「Diamonds」が圧倒的な主役ですが、時間という物差しを使ったとき、順位はゆっくりと入れ替わっていく。そのことに気づくと、当時のヒットチャートの1位という記録も、曲の価値のすべてを語っているわけではないのだとわかります。

さらに、初出から四半世紀以上を経た2014年ごろ、「M」は音楽配信において1980年代以前に発表された楽曲としては異例のダウンロード数を記録したと伝えられています[6]。正確な数字については資料によって多少の幅があるようですが、いずれにしても、リリース当初のヒットとは別の形で、時間をかけてあらためて聴かれ続けてきたことは確かなようです。一度きりの流行として消費される曲ではなく、世代を越えて何度も選び直される曲であったということだと思います。発売当時にリアルタイムで聴いていた世代だけでなく、あとから配信で出会った若い世代までもがこの曲を選び取っているのだとすれば、「M」はもはや特定の時代のヒット曲というより、時代をまたいで生き続ける曲として位置づけたほうが実感に近いのかもしれません。

不動産や家の仕事をしていると、数字として見える成果と、実際に人の心に残るものが必ずしも一致しないと感じることがあります。契約の金額や取引の規模は記録に残りますが、本当に感謝されるのは、契約書には表れない小さなやり取りだったりします。ある家族の相続の相談で、最終的な決め手になったのは資産の話ではなく、亡くなった方が大事にしていた庭の木をどう扱うかという、数字にならない相談でした。「M」がチャートの主役でなかったのに一番選ばれ続けてきたという事実は、そうした、数字の外側にある価値の話として響いてきます。契約書や査定額は、その日の仕事の成果を示すには十分です。けれど、何年も経ってから「あの時相談してよかった」と言ってもらえる関係は、数字にできない場所で育っていくものだと感じます。

季節は流れても、心だけが立ち止まる

「M」を音として聴き直すと、奥居香の声の伸びと、抑制の効いたアレンジのバランスに惹きつけられます。派手なビートで押し切るのではなく、静かに始まり、少しずつ感情の温度を上げていく構成に聴こえます。サビに向かって声の芯が強くなっていくところは、感情を叫ぶのではなく、こらえていたものが少しずつあふれ出していくような印象を受けます。ロックバンドとして鳴らしてきたグループが、あえて音数を絞り、声そのものの表情で聴かせにいく。そのコントラストが、この曲を単なるバラード以上のものにしているように感じます。ロックのアルバムの中に一曲だけ置かれたバラードだからこそ、その静けさが際立って聴こえるという事情もあったのではないかと思います。周囲が力強い音で鳴らすなかで、あえて力を抜いた一曲があることで、アルバム全体の呼吸に緩急が生まれる。「M」の静けさは、単独で存在していたのではなく、バンドの他の激しい曲との対比の中で、より深い意味を持っていたのではないでしょうか。

歌の内容については、季節は移り変わっていくのに、自分の心だけがある時点で止まったままだという対比が描かれていると伝えられています[4]。周囲の時間は進んでいくのに、自分の内側だけが取り残される感覚。これは、誰にでも一度は覚えのある感覚ではないかと思います。東京で働いていたころ、街の景色や人の流れはどんどん変わっていくのに、自分の気持ちだけがある一つの記憶に留まっていた時期がありました。仕事の忙しさに紛れて前に進んでいるつもりでも、ふとした瞬間に、あの時のまま止まっている自分に気づく。そういう感覚を、この曲のメロディは静かに言い当てているように聴こえます。周りの人がそれぞれ次の生活へ進んでいく速度と、自分の内側の速度が合わなくなる時期は、誰にでも訪れるものだと思います。それを弱さだと決めつけず、そういう時間もあると受け止めてくれるような優しさが、このメロディの中にはあるように感じます。

磐田に戻り、土地や家の仕事を続けていると、時間が止まったように見える場所によく出会います。住む人がいなくなった家、手入れが途絶えた庭、誰も座らなくなった居間の椅子。そこだけ時間の流れが遅くなったような感覚を覚えることがあります。けれど、それは荒廃ではなく、誰かがそこに心を置いていった証拠でもあります。「M」のメロディが持つ静けさは、そうした、時間から取り残された場所や記憶に、そっと寄り添ってくれるもののように感じられます。空き家になった実家の掃除を手伝った日の帰り道、車の中でこの曲が流れたことがあります。そこに住んでいた人はもういないのに、玄関の鍵の重さや、庭木の匂いだけがまだ体に残っている。曲が終わるころには、その日の仕事の意味を、少し違う角度からもう一度受け止め直せたような気がしました。

名前が残ることの、静かな重さ

この曲が長く選ばれ続けている理由のひとつは、具体的な一人の人物、イニシャル"M"という存在を軸に描かれている点にあるのではないかと思います[3][4]。抽象的な失恋ではなく、名前の一文字が残っているという具体性が、聴く人それぞれの記憶の中の誰かと重なりやすいのではないでしょうか。人は、一般論としての別れよりも、固有の誰かの名前や癖や声のほうを、ずっと長く覚えているものです。連絡先にまだ残ったままの名前、指でなぞるだけで開かない番号。そういう小さな行為の描写が、聴く人自身の記憶の扉を開けてしまうのだと思います。ちなみに"M"が誰を指すのかについて、富田京子自身は「墓場まで持っていくつもりです」と語り、明かしていません[3]。特定の答えを与えないまま曲だけが残っているという事実も、この曲の余白の大きさを物語っています。

家や土地の仕事をしていると、名前の重さについて考えさせられる場面が多くあります。表札を外す瞬間、位牌を移す瞬間、誰かの持ち物に書かれた名前を目にする瞬間。名前というのは、ただの記号ではなく、そこにいた時間そのものを呼び戻す力を持っています。家族の相談を受けるとき、最後まで手放せずにいるのは、たいてい金銭的な価値のあるものではなく、名前や筆跡が残るものだったりします。「M」という曲が、固有名詞を明かさないイニシャルだけでこれほど普遍的な共感を集めてきたことは、名前というものの持つ力の大きさを、あらためて考えさせてくれます。

子供のころにこの曲をただの有名な曲として聞いていた自分と、今、仕事や家族を通じて多くの別れや喪失に立ち会うようになった自分とでは、同じメロディの聴こえ方がまったく違います。バラードとして一度は捨てられかけ、看板曲の陰にありながら一番票を集め、四半世紀を経てなお新しく聴かれ続けている[6]。「M」という曲そのものの歩みが、目立たない場所にあるものほど、時間をかけて確かな価値を持つのだということを教えてくれます。磐田で土地や家族の時間に向き合う仕事をしていると、この曲の静けさは、遠い昔のヒット曲としてではなく、今の生活の隣にある音として聴こえてきます。

参考リンク

音楽が何十年もの時を経て、なお誰かの記憶の中で静かに鳴り続けるように、家や土地にも、誰かが積み重ねた時間が残っています。

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書いた人

大石浩之。静岡県磐田市で、介護と不動産の仕事をしています。 若い頃に東京で過ごした時間、仕事の中で見てきた家族や街の記憶、 そして今暮らす磐田で感じることを、音楽をきっかけに書いています。

音楽は、過去の自分に会いに行くための入口です。 家や土地もまた、誰かの記憶が残る場所だと思っています。