ページ作成日: 2026年7月2日
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確認した動画: プリンセス プリンセス 『M』

プリンセス プリンセスの「M」は、子供のころには、ただ有名な曲として耳に入っていたのだと思います。テレビやラジオや街のどこかで流れていて、きれいなメロディとして覚えている。けれど、その時の自分には、曲の奥にある痛みまでは届いていなかったのかもしれません。子供は別れを知らないわけではありません。寂しさも不安もあります。それでも、大人になってから経験する喪失の質とは違います。誰かを失うこと、戻れない時間があること、言えなかった言葉があとから胸に残ること。そういうものを自分の人生で少しずつ知ったあとにこの曲を聴くと、昔とはまったく違う場所に響いてきます。だから今、心に刺さるのだと思います。

子供のころは、悲しみの形をまだ知らなかった

子供のころに聞いた音楽は、意味よりも先に音として身体に残ります。サビの強さ、声の伸び、少し切ない雰囲気。そうしたものは覚えていても、その曲がなぜ悲しいのか、なぜ大人たちの心を動かすのかまでは、まだ分かりません。プリンセス プリンセスの「M」も、当時の自分にとっては、どこか大人の世界に置かれた曲だったのではないかと思います。歌の中で語られる喪失は、子供の生活の外側にあるものに見えます。学校へ行き、家に帰り、家族がいて、明日も同じように来ると信じている時期には、戻らない時間の重さはまだ遠いものです。

けれど、音楽は不思議です。理解できなかった時代に聞いた曲ほど、後になって急に意味を持ちはじめることがあります。子供のころの自分は、曲を理解していなかったのではなく、未来の自分のために保管していたのかもしれません。大人になってから、仕事で疲れた夜、車の中で一人になった時、家の片づけをしている時、ふとこの曲が流れる。すると、昔は通り過ぎていた音が、自分の人生のどこかに引っかかります。あの時は分からなかった悲しみの形を、今の自分は知ってしまっているからです。

磐田で暮らし、仕事を続け、家や土地や家族の相談に触れていると、人の人生には、表に出ない別れがたくさんあると感じます。恋愛だけではありません。親との別れ、若かった自分との別れ、住み慣れた家との別れ、もう戻れない街の時間との別れ。子供のころには、それらを一つひとつ名づける言葉がありませんでした。今は、名づけたくなくても分かってしまう。だから「M」は、昔のヒット曲ではなく、今の自分が抱えている静かな痛みを映す曲として戻ってくるのです。

名前を呼ぶことは、戻らない人を心に置くこと

この曲が強く残るのは、特定の誰かを思い出す構造を持っているからだと思います。人は別れを一般論として抱えるのではありません。具体的な顔、声、癖、場所、季節と一緒に覚えています。名前を思い出すだけで、その人がいた時間の空気まで戻ってくることがあります。東京で過ごした頃の道、仕事帰りの電車、連絡を待っていた夜、言えばよかった一言。そういう細かな記憶は、普段は生活の奥にしまわれています。けれど音楽は、その引き出しを急に開けてしまうことがあります。

若いころは、失恋の歌を恋愛の歌として聴きます。それは自然なことです。けれど年齢を重ねると、失恋という言葉だけでは足りなくなります。誰かを好きだったことだけでなく、その人といた時代そのものを失ったのだと分かるからです。相手がいなくなることは、その頃の自分も同時に遠ざかるということです。あの頃の部屋、服、電話、街の明かり、友人との会話。そうしたものが全部、もう手で触れられない場所に行ってしまう。そのことに気づいた時、この曲の痛みは急に深くなります。

不動産の仕事でも、家を手放す場面に立ち会うと、そこには住所以上のものがあります。表札、庭、玄関、柱の傷、台所の匂い。人は場所に記憶を預けています。だから家を離れることは、単に建物を処分することではありません。そこにいた誰かの時間を、もう一度見つめることでもあります。「M」を今聴いて心に刺さるのは、名前を持った誰かだけでなく、名前をつけられない場所や時間まで呼び戻してしまうからです。音楽は、忘れていたものを責めるのではなく、まだ自分の中に残っていることを知らせてくれます。

今刺さるのは、今の自分が生きてきた証拠でもある

昔の曲が今になって刺さる時、人は少し戸惑います。なぜ今さらこんなに響くのか。子供のころに聞いていた曲なのに、どうして今の自分の胸をこんなに動かすのか。その理由は、曲が変わったからではなく、自分が変わったからだと思います。人生の中で、嬉しいことも、苦しいことも、取り返しのつかないことも経験してきた。その分だけ、音楽を受け止める場所が増えたのです。若いころには通り過ぎた一音が、今は自分の記憶に触れる。これは、弱くなったということではありません。生きてきた時間が、曲の意味を受け止められる深さを作ったということです。

磐田に戻り、地域の仕事に向き合い、家族や会社や土地のことを考えるようになると、過去はただ懐かしむものではなくなります。今の判断の後ろに、過去の経験が静かに立っています。東京で感じた孤独、若いころの未熟さ、誰かに支えられた記憶、うまく言葉にできなかった別れ。そうしたものが、今の仕事の姿勢や人との向き合い方を形づくっています。だから、この曲を聴いて痛みを感じることは、過去に引き戻されることだけではありません。今の自分が、過去を抱えたまま前に進んでいることを確認する時間でもあります。

「M」は、子供のころの記憶と大人になった現在をつなぐ曲です。昔は分からなかった。けれど、分からなかったからこそ、今になって深く届く。音楽には、そういう遅れて届く力があります。誰かを思い出すこと、戻れない時間を認めること、そして、それでも今日の生活を続けること。今この曲が心に刺さるのは、まだ心が過去に反応できるからです。傷があるから痛むのではなく、大切だったものがあったから痛む。ATAWI MUSICでこの曲を聴き直す意味は、その痛みを無理に消すことではなく、そこに残っている人生の重みを、静かに受け止めることにあります。

ATAWI MUSICは、音楽を消費するサイトではありません。曲をきっかけに、人生の中に残っている音を読み直す場所です。